神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださるのです。
すべてのことを、つぶやかず、疑わずに行いなさい。それは、あなたがたが、非難されるところのない純真な者となり、また、曲がった邪悪な世代の中にあって傷のない神の子どもとなり、いのちのことばをしっかり握って、彼らの間で世の光として輝くためです。
そうすれば、私は、自分の努力したことがむだではなく、苦労したこともむだでなかったことを、キリストの日に誇ることができます。(ピリピ2:13−16)
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家族が未信者の中で自分だけがクリスチャンと言われる人もいるでしょう。家族が全員クリスチャンなら問題ないのですが、家族親族が未信者なら、これは戦いです。のけ者にされたような、変わり者のように見られるような場合もあるのです。
昔エリヤと言う預言者もそうでした。周りが全員偶像礼拝者の中でたった一人まことの神に対する信仰を守り通した人です。
ある日こんなことがありました。(1列王記18:20−39)
カルメル山においてバアルの預言者450人とアシュラの預言者400人が集められます。エリヤはたった一人の真の神の信仰者としてカルメル山で信仰対決をしたのです。ささげものの牛を用意させ、祭壇を組ませ、その上にささげ物の牛を裂きそれを乗せ、バアルの神が本物の神か、エリヤの神が本物の神かを証明するために信仰の戦いをしたのです。
エリヤは言いました。「お前たちの方が450人もいるから先にお前たちの信じている神に求めて祈れ。火をつけてはならない。上より火をもって答える神が本当の神だ。」彼らも「それがよい。」と言った。かれらは、彼らの神を呼び求め昼ごろまで踊りながら祭壇の周りを回りながら、「おお、我らの神バアルよ」と叫びます。エリヤはあざけって言った。「お前たちの神は寝ているかもしれんぞ、あるいは旅に出ているかも、それとも何かに没頭しているかもしれんぞ、もっと大声で叫べ」かれらは剣と槍でお互いの体に傷をつけながらその神の名を叫び求めたが何の応答もなかったのです。
エリヤは言います。「ここに集まれ。」そして祭壇を組ませその上に切り裂れた牛を薪の上に乗せてエリヤは言った。「その上より水をかけよ、もっと水をかけよ、もっと水をかけよ。」水は流れ出て溝にまであふれました。その時エリヤか神に祈りました。「主よ、答えてください。天地を創造された神よ。今も生きておられる主よ、答えてください。」そうすると天から火が下り、祭壇にささげられた牡牛のささげ物は、焼き尽くされたのです。これを見た彼らは「主こそ神です。主こそ神です」と言ってひれ伏したのです。
今、私たちも信仰の戦いをし続けねばなりません。聖霊は焼き尽くす火です。心の中にある罪、とが、けがれを神は御霊によって焼き尽くしてくださいます。私たちの霊、魂は天にまで引き上げられ、神が受け取ってくださるのです。そのためにキリストご自身が香ばしい神へのささげ物になってくださったのです。(エペソ5:2)
まだ救われていない家族、親族、知人、友人が救われるように祈って行きたい者です。
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悪霊との戦いがあります、悪霊は1匹2匹ではありません。大勢いるのです。悪霊よりも強いお方がわたしたちの内におられるのです。わたしたちが悪霊と戦うのではありません。わたしたちの内におられる方が悪霊と戦ってくださるのです。ですからキリスト者ある神の子は強いのです。
♪勝利者がわたしのうちに
♪勝利者がわたしのうちに
♪生きています
♪勝利者がわたしのうちに
♪歌と踊りで主の戦いを一緒に喜ぼう
♪主の勝利♪
- あなたもキリストにあって神の子供です。いま神に喜ばれる神へのささげものになっていますか。
礼拝とワーシップは神の前に立ち上る香のかおりです。あなたは神に喜ばれる香のかおりになっていますか。
礼拝と賛美は心からささげよう。神は霊ですので礼拝する者は霊とまことを持って神を礼拝しなければなりません。
「あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい、(ローマ12:1,2)(へブル11章)彼らは信仰によって勝利をしていったのです。
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