*私が種を蒔いた経験は幼稚園勤務時代に朝顔やその他の花を少々蒔いた程度です。
3節と14節に「種を蒔く人」と出てきますが、2通り考えられます。
A) 「神様が種(御言葉)を私たちの心に蒔く。」と
B) 私たちが種を蒔く(神の言葉を人々に伝える)という意味です。
A)の場合
みことばをしっかり受け取る(ヤコブ1:21)為に 石や茨を取り除けて良い地に耕すことが必要です。ある人は「神様がしたら良い」と思われるかもしれません。ここがイエス・キリストの神の醍醐味です。私たち人間にだけ自由意志が与えられています。「これをしようか、あれをしようか」と選べるのです。神様は、私達の自由意志決定によって事を行われます。
いばらや石ころとは、どのようなものでしょうか?
- 否定的な思いです。 マイナス面をいつも見ないで、御ことばによって取り除きましょう。
「私は、OOが病気」・・・・神は癒し主です。(第1ペテロ2:24)
「前に怪我した」・・・・・・神は恐怖心を取り除いてくださいます。(第2コリント5:17、イザヤ43:19)
「頭が悪い」・・・・・・・・神は知恵を与えてくださいます。(ヤコブ1:5)
「教会が成長しない」・・・・教会はイエス様が満ちておられるところです。(エペソ1:23)
- 自分が絶対正しいと思う心(相手が悪い)です。
例えば悪人ばかりの家庭と善人ばかりの家庭とどちらが、うまくいくでしょうか?悪人ばかりの家庭です。人が失敗しても「私がこんな所に置いたのが悪かった」と自分が悪いと思うからです。「夫婦喧嘩の場合でも99%自分が正しくても1%自分が悪ければ謝る。」と読んだことがあります。人間関係も同じ事です。しかし自分を反省することが出来ない私たちです。それはアダムとエバの罪の性質を引き継いでいるからです。(創世紀3:1〜13)その罪から、イエス・キリストによって抜け出しましょう。
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サタンの惑わしです。主のためにしても無駄という思いです。けれど聖書は無駄ではないと言っています。(第1コリント15:58)伝道に行くことや、遠い所から礼拝に来る方々は、無駄でなく、祝福」になります。
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現世のことだけを考えることです。人生の地図は生まれてから死ぬまでではありません。それは狐が今にも折れそうな枝に乗って隣のぶどうを取ろうとしていることに他ありません。「人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている」(へブル9:27)のです。私たちが神様の前に出たとき評価されるのは、主のためにしたことだけです。いくら、富、名声を手に入れても、主の前には価値がありません。イエス様に「よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたはわずかな物に忠実だったから、たくさんの物を任せよう。」と言われるか、「役に立たぬしもべは、外の暗やみに追い出しなさい」と言われるか、どちらが良いでしょうか?(マタイ25:14〜30)
B)の場合は伝道です。
トラクト配布(伝道の書11:1、6)も無駄ではありません。「朝のうちにあなたの種を蒔け。夕方も手を放してはいけない。あなたは、あれか、これか、どこで成功するのか、知らないからだ。」
伝道するには、その人の心を耕さなければなりません。
- そのためには、友人になること。
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その人のために祈ること。もし、その人の犯している罪があるなら、(偶像礼拝、道徳的な罪)神様にその人にかわってお詫びの祈りをすることです。ダニエルやネヘミヤのようにです。
- トラクトを渡すことです。(御ことばを蒔く)
自分の心が成長して豊かな実を結ぶように、又伝道して多くの人が救われるようにイエス様に力をもらいましょう。 |