- 24節はマタイ7:1〜5に詳しく載っています。
崔先生のメッセージを思い出します。とかく人は私をも含めてよく人を批判するものです。批判するとは、自分がその人より高い目線から相手の欠点を指摘することだと思います。ですから、知識のある賢い人は批判する心が芽生えるのではないでしょうか?
聖書にも「知識は人を高ぶらせ、愛は人の徳を建てます。」(第1コリント8:1b)とあり、又「へりくだって、互いに人を自分よりも優れたものと思いなさい」(ピリピ2:3)とあります。
ですから、賢い人、よく物事を知っている人は気をつけなければなりません。信仰も年数が経つと耳が肥え、知識も豊富になって批判しやすくなるのです。「愛を持って人の徳を建てることを私も新たに教えられました。
ランク付けをしている人もいます。私も中学生の時そうでした。
ランク付けする人は自分より上だと思う人には何も言わないけれど、ちょっと下だと思うと偉そうに言ったり、教えようとする人があります。しかし、神様の前には皆「どんぐりの背比べ」です。「喜ぶ者と喜び泣く者と共に泣く」そいう、その人に寄り添う姿勢が大事なのでは、ないでしょうか?
ある牧師先生も、「牧師仲間をランク付けしていたけど、主にあって同じであることを示された」と証されていました。
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25節は、ドキッとする言葉ですが、チェーン聖書の脚注では、「霊的理解力のある人は、更に豊かに神の国に対する理解力を与えられる」とあります。蒔かれた(与えられた)み言葉をサタンに持って行かれないようにしましょう。
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26〜32は、神の国について述べられています。「神の国とはイエス様を信じる人が増えれば、神の国が拡大する」と言った方があります。
26〜29節では、野菜や花などを植えた経験のある方々は「その通り」とお思いでしょう。種を植えて、何日も水をやっているとある日芽が出てきたのを知り、葉っぱが生え、やがてきれいな花を咲かせます。子どもの本に「ばばばばあちゃんのスイカ」というのがありました。「もう出来たかな?」「もう出来たかな?」と毎日種を掘り起こすので、ちっとも芽がでません。伝道という種を蒔けば、毎日掘り起こさず、神様に任せることを言っているのでしょう。水は祈りです。祈りによって主が、その人の心を成長させてくださるのです。私たちは種を蒔かなければなりません。神様は御自分お一人では何もなさらず、私たちと共に働かれるのです。私たちだけで神様に頼る(祈る)ことなくても何もおこりません。(リバイバル新聞、ジャック・ヘイフォード師)
イエス様は皆が神の国に入る為に、苦しい十字架に、架かってくださったのです。感謝して、福音を伝えましょう。神様は私たちを通して神の国の拡充を図られるのです。ご自分お一人ではなさらないことを肝に銘じておきましょう。
- イエス様が神の国を譬えられたものに「神の国はからし種のようなもの」(30節)と言われました。
からし種は本当に小さくイスラエルに行った方々から見せていただきます。あるド近眼の方が神に置いてあるからし種が見えなくて「どこにあるの?見えないじゃないの!」と言ったその息で飛んでしまったというくらい小さいものです。こんな小さいものでも、その中に命があると大きく更に大きく成長するのです。
ですから、私たちは、ひとつの御言葉でも、しっかり握って100%信じるなら、大きく成長するのです。
今日私が語ったどの御言葉でもひとつ心にしっかり入れて実行してください。時が来ると大きな実となります。
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イエス様は、たとえで話されましたが弟子たちには、「すべてのことを解き明かされた」とあります。先ほどの25節にあるように、霊的理解力のある人には、深く教えられるのです。はじめ、不公平のようにも思いました。
けれど、私も塾をしていて、余りわからない子には、高いレベルまで教えません。解らないからです。それと同じです。では、どうしたら、霊的に深くなるか?それは澄んだ心だと思います。澄んだ心には、憎しみがありません。憎しみがあると闇の中を歩いていて、見えないと第1ヨハネ2:11にあります。
それと貪欲です。皆さん、神様より大切に思うものがあるでしょうか?お金とか、家族とか、それがあるなら、それが遮ってなにもわからない者となってしまいます。澄んだ心を持って豊かな実をむすぶ者になるよう、主の油注ぎを祈りましょう。
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