- 博士達は星に導かれて
ベツレヘムにやってきました。そして救い主である幼子のいる家を見つけて彼らは黄金、乳香、没薬をささげてひれ伏して礼拝したのです。
この「ひれ伏して拝んだ」ということは信仰がなければできないことです、東方の博士達はただ見に来たのではなかったのです。幼子を見て「ひれ伏して拝む」ということは、彼らは見ただけでも、坐ったままでもなかったのです。博士達はひれ伏したのであります。ひれ伏しの行為は尊敬の現れ、崇拝の行為であり、幼子を王様、神の御子と認めて自分自身を明け渡しへの姿です。もともと博士達は、地方の王であり、権力者であり、支配者であり人々からていねいに挨拶されるほう、尊敬される人、王様と対等で話しのできる人であります。
この人たちが幼子を見てひれ伏す行為は回りのものまでも驚かせたせたことでしょう。しかし幼子は、博士達から全ての民から礼拝されるにふさわしい方だったのです。
- わたしは妹に導かれて
教会へ行きました。わたしは四人兄弟の長男です。父はお坊さん。妹が私に声をかけてくれなかったら、今の私ではない、牧師ではない別の人生を歩んでおった事でしょう。しかし妹がわたしをイエス・キリストに出会えるようにしてくれたのです。キリスト教会をとおして。礼拝を通して、みことばを通して、教会の兄弟姉妹たちを通して、キリストに出会えるようにしてくれたのです。妹に本当に感謝しております。わたしが洗礼を受けたのは30歳の8月30日でした。そして仏教徒からキリスト教徒へと変わりました。もう今はいない父母も救われました。
「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」使徒16章31節
- みことばに導かれて。
私は生まれて初めての山ごもりで、1週間の断食祈祷をしました。独身の時、私は会社のボイラーマンでした、給料の3分の一は家に納め、3分の一は貯蓄をし、残りの3分の一は自分のおこづかいでした、貯蓄は父母のために家を建てたいと願っていたからです。
ある人の紹介で結婚したのですが結婚後もその願いは変わりませんでした。しかし、御霊の促しがあったのでしょうか。日曜日に教会の礼拝に行くと、神の語りかけがあり「この福音をすべての造られた者に宣べ伝えなさい(マルコ16:15)」という迫りがあったのです。家にいるときは父母のために尽くそう。親孝行をしょう。親の面倒はわたしが見ると思っていたし、父母も、そう思っていたようです。よもや、わたしが家を出て献身するとは誰も思わなかった事でしょう。
年明けのある日、わたしは父母への思いと神からの迫に苦しくなり、はじめて1週間の断食をするために山にのぼり神に祈る決意をしました。奈良県にある生駒聖書学院の一室を借りたのですが、時期は1月頃で、もう寒いし、ひもじいし、寂しいで、朝が来れば早く夜が来ないか、夜がふけると早く朝にならないかとの思いでありました。いよいよ明日下山ができる、その夜。聖書を読んでいるとヨハネの福音書21:15−17を通して主からの語りかけを聞き献身の決意をするのでありました。
- 御霊に導かれて 父母を弟と妹に託してわたしは献身の歩みをしました。37歳の時でした。その時妻と二人の子どもがおりましたが、会社を辞め妻子共に生駒聖書学院に進学をしました。卒業した後、御霊に導かれて摂津市の一津屋という所、ダイキン工業の近くで開拓伝道を始めたのでした。
御霊に導かれて、正雀に出てきて今のベテルキリスト教会があるのです。
御霊に導かれて 上田昌司先生との出会いがあり、皆さんとの出会いがあったのです。
御霊に導かれることはすばらしいことです。これからも御霊が良いほうに導いて、祝福の道に導いてくださることでしょう。
|