教会礼拝メッセージ要旨


 
2006年12月24日メッセージ

良い知らせ ルカ 2:8−20

ベテルキリスト教会 牧師  横谷 誠一
 
  知らせには、良い知らせと悪い知らせとがあります。悪い知らせが−(マイナス)なら、良い知らせは +(プラス)と言うことになります。何につけ良い知らせは +(プラス) なら良いのですが、良くない知らせもあります。
 キリストがお生まれになったと言うのが良い知らせなら、キリストが十字架にかかられたと言うのはよくない知らせです。私たちも生まれるのが良い知らせなら、死ぬというのは良くない知らせです。
しかし、生まれたらどんな人でも、死があるのです。死のない人は誰もいません。その人がどんなにお偉い方であってもです。お金持ちも貧乏な人であってもです。権力があってもなくてもです。この死を避けることは誰も出来ません。「縁起のわるい事を言うなあ」といわれるかもしれませんが事実そうなんです、永遠の命はお金でも買えないのです、BC221年、万里の長城を築いた偉大な王である、秦の始皇帝が、私が千年も万年も生きることが出来るなら、この国全部と交換してもよいといったそうです。しかし、その願いはかなえられませんでした。
 どんなものでも、この世に生み出されたものはやがて終わりがあるのです。すなわち生と死です。生が喜びなら、死は悲しみでしょう。誰も死は見たくないし言いたくないのです。
またその死については考えたくもないのです。しかし、死は避けて通れない現実です。
 昔、大金持ちとその門前に伝道者ラザロという人が住んでおりました、大金持ちで贅沢三昧の生活をして、その人が伝える聖書の約束を信じられず、バカにしている人がおりました。その門前に住むそのラザロという人は病気があり働けずその大金持ちがくれるおこぼれで生活をしておりました。やがて貧しいラザロがなくなりひっそりと葬られました。それからしばらくしてその大金持ちも亡くなり、盛大なお葬式がなされ人々から惜しまれつつ葬られました。
金持ちが逝った所は灼熱の照りつける砂漠のようなところで一人ぼっちです。そこから天空(天国)を見上げると以前門前にいたあのラザロが、信仰の父といわれたアブラハムという方の懐でスヤスヤと休んでいるではありませんか。
金持ちは今周りには誰もいない孤独と灼熱の熱さに耐えかね、「アブラハム様、私は熱くて苦しくて喉も乾いてたまりません。そのラザロを遣わしてわたしに水を少し持ってくるように言ってください」とお願いしました。するとそのアブラハムが言うには、「ここからそちらには深い淵があって直接いけないし、そちらからこちらへも深い淵があって直接来ることができないのだ」と言いました(この救いの橋渡しは神が備えた十字架とキリストを信じる信仰が必要です)
金持ちは叫んで「アブラハム様、ラザロを私の家に遣わしてこの真実を伝えてください。この苦しみは私だけで十分です」と言いました。ところがアブラハムは言いました。「お前の家には聖書もあるし福音は聞かされているではないか。それを信じないくらいなら、たとい死人がよみがえってこの事実を伝えたとしても信じないであろう」と言いました。
 そうなんです。今もこの良い知らせ福音は伝えられているのです。教会においてインターネットを通して,テレビでまた文章を通して語られているのです、しかしキリストを信じようとしないのです、目に見えるものばかり追い求めているようです。また教会に来てもキリストを見ないで人数とか教会の大きさ、歌はどうかとか、上(神)を見ないで周りばかり見ている人がいます。
また自分の利益ばかり考えている人もいます 、教会の礼拝に出て来ないで、クリスチャンのふりをする人もいます。これらはちょうどこの金持ちの人のようです。聞いても従わず、見てもわからずです。闇の人生を歩んでいるのです。
 キリストはそのような人をも愛しておられるのです。キリストはその人のためにも死なれたのです。キリストの十字架がー(マイナス)なら私たちの罪びとと呼ばれる人もー(マイナス)です。
ある人が言いましたマイナスとマイナスをかけるとプラスになると。そおなんです。キリストの十字架と罪人がかけ合わせるならプラスになるのです。罪によって罪人が死ぬのではなくキリストにあって罪が消されて、生かされた者となるのです。また生きるのです。キリストの復活は、キリストにあるものもこの復活に預かることが出きるのです。ですからキリストを信じる信仰とキリストの十字架とを見失ってはなりません。(1コリント1:18)
 
 

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