| 2006年12月31日メッセージ |
一年の締めくくり (創世記1章) |
| ベテルキリスト教会 牧師 横谷 誠一 |
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創世記とは神がこの世を創造されたときの物語です。神は七日間で全てのものを創造して完成させられたことが記されています.「神は○○を見てよしとされた。そして夕があり朝があった」、「神は○○を見てよしとされた。そして夕があり朝があった。」と神が造られたものに対して七日間に七回とも神はそれを見てよしとされたと締めくくっています。神はご自身が造られものをしっかり見つめてよしとされたと記しているのです.悪かった、失敗したとは記していないのです.神が造られたものは全て良かったのです。また神が造られたもので何一つ無駄なものはなかったということでしょうか.もちろん私たち人間にたいしてもむだな人は誰もいないのです.「私みたいな者」なんて言わないでください.そのつぶやきは神に対してどうしてこんなつまらないものを造ったのですか、という神への冒瀆であり、神への侮辱のことばにすぎません.神はあなたを素晴らしい美しい、この世に、生み出して、よかったといっておられるのです.親は自分の子を愛します.そして誰よりも、いとおしく思うのが親心なのです.と同じく神はあなたを愛しておられ、そしてまたいとおしく思っておられるのです.その愛にお答えしていきたいものです.あなたは幸せになってゆきます. 普通、朝の始まりがあって、夕暮れには仕事を終えて一日が終わるというのが普通で、一般的な世の中です。なかには、例外として夜の勤めがあって朝終る人もいるでしょうが、神の業は初めの時から、夕ぐれから始まり朝で終った.というのです。考えてみれば世の中が真っ暗な光のない暗闇の中で「光よ、あらわれよ」と言われて神が光を造られたので、暗闇から光ができ、明かりができ、昼ができたのです.人生においてパダライスの昼もあれば八方ふさがりの暗闇の時もあるということでしょう.しかし神はそういう所にきて「光よ、あれ」といってくださる方なのです.神は元々光の中に住む方、光を生み出される方なのです、光を好まれる方なのです.主に心を向けてください.主に信頼してください.主に身をゆだねてください.主はあなたに「光よ、あれ」と言ってくださるのです.あなたの心に、あなたの家庭に、暗闇の社会の中で「光あれ」といってくださる方なのです。 (マルコ10;46−52) ある盲人が道で物乞いをしておりました。目が見えないから物乞いをせざるを得ないわけで、好き好んで物乞いをしていたわけでもないのです。ある時、その街にイエスが来られて群集といっしょに、その盲人のいる ところをお通りになったのです、盲人はそのざわめきに耳を傾け、「いったいこれはどうしたのですか」と道を通る人々に聞きました。するとその人たちは言いました、「ナザレのイエスがお通りになっているのだ」と、盲人はこの時とばかり叫んで言いました「ナザレのイエス様私をあわれんで下さい。」人々は彼を黙らせようとしましたがますます、「大声でナザレのイエス様、私を哀れんでください」と叫びます。イエスが足を止め「彼を連れてきなさい」と言われて連れてこられるとイエスは彼に言われた、「わたしに何をして欲しいのか」と、彼は言った「先生目が見えるようになることです、」イエスは言われた、「さあ、行きなさい、あなたの信仰があなたを救ったのです、」するとすぐさま彼は見えるようになり、イエスの行かれるところについって行った。 一番恐ろしいのは霊的盲人です。知っている、わかっている、と言いながら実は全然わかっていないのです・イエスも言われた「あなたがたが今見えているというところに罪が残る」と。聖書の悟りは聖霊様によります。聖霊が知恵をあたえ。悟りを与え、真理を悟らせてくださるのです。謙遜にイエスのみ言葉を聴けるものでありたいです。 |

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