教会礼拝メッセージ要旨


 
2007年1月14日メッセージ

心の安らぎ(マルコ4:35〜41)

ベテルキリスト教会  横谷 純子
 
  内容は、ガリラヤ湖(南北21キロ、東西13キロで計算すると273キロで琵琶湖は674キロだから、その半分以下の大きさ)で起こったことです。
ガリラヤ湖は周囲が山で囲まれているので、突風が起こりやすいのです。
弟子達とイエス様が舟に乗っている時、突風が起こり舟に水が入って弟子たちは慌てふためいたが、イエス様は、昼間の疲れかしら、寝ていらっしゃる・・・という光景です。マタイとルカにも載っています。
弟子達は今にも溺れそうに思って、必死に舟の中の水を出していたことでしょう。イエス様は無頓着に寝ておられます。
弟子たちは「イエス様、助けて!死にそうです!」とイエス様を起こします。イエス様は起き上がって風をしかりつけ、弟子たちに「信仰がないのは、どうしたことです。」と言われました。
私は、『どうしてイエス様は弟子たちをお叱りになったのだろう。溺れそうで助けて!』と言ってるだけなのに・・・と思いました。子どもが「お母さん、助けて」と言えば母親はその危機的状況を見て、すばやく助けます。親の不注意で子どもが危ないことに遭っていたら、「ごめんね。お母さんが悪かった」と言うでしょう。(私は、あまりそう言った覚えがありませんが)
もし、弟子たちがイエス様に助けを求めなかったら、どうでしょうか?だんだん水が入ってきて、寝ていらっしゃるイエス様の着物も水で濡れてその冷たさに目を覚まして、風を鎮められるのでしょうか?
ある人は、「すぐにイエス様を起こして助けを求めたら良いのに、自分達の方法でするからイエス様は叱られた」と言われます。そうかもしれませんが・・・私は腑に落ちず、「ああ、いやな箇所だなあ。」と思いつつ祈っていました。そしたら、主が教えてくださいました。
私は、弟子たちが少しの水で慌てふためいている、そんなにすぐ沈んだり、溺れたりしないのにそう思い込んで恐れていたのだと思いつきました。ルカ8:24にも「先生、先生。私たちは死にそうです。」とあります。40節に「どうしてそんなにこわがるのです。」とイエス様が言われています。もし、私達もその同じ舟に乗っていたら、弟子たちのように恐がったでしょう。私達は少しのことで不安になる者です。
私達は、少しのことに「ああ、どうしよう」とおじ惑うものです。
アメリカの哲学者、ナポレオン・ヒール博士は、恐れを7つ挙げています。病に対する恐れ、貧乏に対する恐れのほかに、失敗した時の人々の非難に対する恐れ、、愛を失う恐れ、老化に対する恐れ、自由を失う恐れ(独裁政治など)、死に対する恐怖・・です。
恐れについて考えてみましょう。
ある物語を思いだします。その地域にコレラの伝染病がはやり多くの人が死にました。ある人が、その病原菌を撒き散らしている魔法使いを見つけて「お前はどうしてコレラ菌を撒き散らしているのだ!」しかし、その魔法使いは「私は、3人の人にしか、菌を移してないよ。皆恐がって病気になったのだよ」と言ったそうです。たしかに、恐れが入るとそのようになります。今 風邪の季節ですが、「風邪にかかったら・・・」
なんて思わないで下さい。ある週刊誌に風邪の予防をしているタレント達が載っていました。ある人は「私は『風邪にかからない』と思うようにしている」とありました。なかなか聖書的ですね。
私も風邪を引きましたが、祈りと食事療法ですぐに治りました。ハレルヤ!
また、経済的な不安もよくあります。
私はある人のことを思い出します。その方は開拓伝道者ですが、アルバイトをしないで、ただ神様だけを信頼しようと決心さられました。食べ物がなく、1日、2日与えられなくても、神様が与えてくださるまでじっと待つそうです。「もし、神様が与えてくださらなかったら、それは死ねと言うことだから死にます。」そうしていると必ず与えられるそうです。その人のように「待つ」ということは難しいものです。
「待つ」と言うことについて、証があります。私が29歳のクリスマスの時、先輩からプレゼントと御言葉をいただきました。イザヤ30:15「立ち返って静かにすれば、あなたがたは救われ、落ち着いて、信頼すれば、あなたがたは力を得る」です。20〜30年ほど前は、結婚適齢期というのがありまして、私はそれを過ぎていて、焦っていました。心配した先輩が、御言葉をくださいました。そして、2ヵ月後、主人との縁談が持ち上がりました。ハレルヤ!
また、子どものことや主人のことで、悩んでいる方もおありでしょう。きっと、主が解決してくださると信じ、御言葉を握って、待ち望みましょう!
聖書に戻ります。弟子たちも舟の中に水が入ってきて「ああ、どうしよう。だんだん入ってきて沈んでしまう」とマイナス的に考えたのでしょう。私達の生まれつきの思考はマイナス方向です。プラス思考になるには聖霊様の力が必要です。弟子たちは、イエス様と一緒だったのでまだ聖霊様を受けていず、生まれつきのマイナス思考であったのだと思います。それで入ってくる水に対して、現実以上に恐怖心を持ったのでしょう。
イエス様と一緒だから、水をかぶって冷たくても我慢していたら、良かったのではないでしょうか?
そしたら、「どうしてそんなにこわがるのですか」といわれなかったと思います。
幼い子は親と一緒にいる時は、どんな状況になっても平然としています。私は5人育てて何度もそういうことを体験しています。
詩篇23篇4節を思い起こします。「たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。
あなたがわたくしとともにおられますから」
この1年 このようでありたいと思います。2007年も、いよいよおそろしいことが起こるでしょう。(マタイ24:3〜7)テレビのアンビリバボウ−でもそのようなことが放映されていました。その人は将来起こることを夢で知らされるそうで、阪神大震災もニューヨークのテロもスマトラ地震も知って政府に知らせたそうです。彼は「それが起こらないことを願う為に知らせる。それが、起こった時は悲しくなる」と言ってたから、きっとクリスチャンでしょう。
どんなことが起こっても、詩篇23篇の記者であるようにしましょう。聖霊に満たされてどんな時も喜んでいきましょう。
ある人が平安というテーマの絵を2人の画家に描かせました。ひとりは、静かな湖を画きました。もうひとりの絵は暴風の吹き荒れる崖の木の上で、1羽の鳥が巣の中にいるひなを守っている絵でした。
その人はどちらを選んだと思われますか?後者のほうです。
どんな嵐の中でも、平然としている「ひな」のようでありましょう。
然し、クリスチャンは聖書に立ってこれらのことから、「圧倒的な勝利者」(ローマ8:37)となっているのです。
また、主は私達が弟子となることを望んでいらっしゃいます。(マタイ10:38,28:18)
キリストも苦しみによって従順を学び・・・(ヘブル12:7,8)
この1年、どんなことがあっても詩篇23篇の記者のように、平安と喜びで歩んで生きましょう。
 
 

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