* そよ風の吹くころ、彼らは園を歩き回られる神である主の声を聞いた。それで人とその妻は、神である主の御顔を避けて園の木の間に身を隠した。神である主は、人に呼びかけ、彼に仰せられた。「あなたは、どこにいるのか」 *
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誘惑の第一は3:6節です。*そこで女が見ると、その木は、まことに食べるのに良く、目に慕わしく、賢くするというその木はいかにも好ましかった。それで女はその実をとって食べ、いっしょにいた夫にも与えたので、夫も食べた。*
男もそうですけど、女の人も気をつけてください。人は「見るな」と言われたらよけい見たくなるし、「食べるな」と言われたらよけい食べたくなるのが人間の心理です。
『神様もいじがわるいね、人が罪を犯すようなものを神はなぜ創られたのですか。そして人の身近なところに置かれたのですか。この木さえなければ、この実さえなければ人は罪を犯すことも、死ぬこともエデンを追い出されることもなかったのに。』と思うでしょう。
人は神から自由意思というものが与えられています。すなわち自由な選択です。あなたに与えられた判断です。右に行くか左に行くか、良い方を取るか、悪いほうを取るか、神の言葉を選ぶか、人の言葉を選ぶか、サタンの言葉を選ぶか、自分の思いを選ぶか、それは自由です。サタンの言葉を選んで滅びにいたるか、神の言葉を選んでいのちにいたるか、それは人にまかされたのです、選択意思はあなたにあります。
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人が罪を犯すと神の前に出られません「あなたはどこにいるのか」と言う神の声に答えられません、そして隠れたのです。
神はすべてをご存知の神です。しかしあえて尋ねられるのです。「あなたはどこにいるのか」と、ちょうど子どもが悪いことをして布団に頭を隠すようなものです。お尻が見えている、足も見えていると言った感じです。そうするとアダムが答えました。「私たちは裸であるので恐れて隠れました。」すると神は「誰があなたに裸であることを教えたのか、あなたは、食べてはならないと、わたしが命じておいた木から食べたのか」と言われました。これは「君達は私の言葉を退けて疑って、サタンの声と自分らの都合の良いと思う、間違った選択をしたね。」ということです。私たちもそうです、神のことばを取るか、サタンの言葉を取るか、又は自分の考えをとるか、人の言葉を取るか、あなたが選ぶのは自由です、しかし、私たちは神のことばを選んで祝福された道に歩んで行きたいものです。
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先ず女が誘惑され、禁断の木の実を食べ、いっしょにいた夫にも与えたのでその夫も食べました。
夫アダムはエバのそばにいながら、なぜ注意しなかったのか、アダムは寝ていたのか?危険な場所に二人そろってなぜ近づいていったのか。誘惑って、そんなものなのです、「自分は絶対大丈夫」と言える人は誰もいません。それほど人とは弱いものなのです。できるだけ誘惑にあうようなところは避けるべきです。近寄らないことです。その点、教会はきよい所、神聖な所です。お交わりは教会でどうぞ!
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その実は食べるのに良く、目に慕わしく、賢くする、というその木はいかにも好ましかった。誘惑の第一は食べたい、ほしい、美味しそうだ。男女の問で、よろめき、姦淫はよくないことです、未婚の男女の問題はこの誘惑です。ですから、誘惑を避けるために男女二人きりにならないことです。
第二は目に麗しい、お金がないのに月賦であれもこれもと買い込むと、後で大変なことになります。第三に、賢くすると言うことです、知恵はどんどん身につけてください。然しその知恵で神様を出し抜こうとしてはいけません。自分を神とし創造者を忘れてはいけません。サタンは、はじめは天使でしたが、神さまより偉くなろうとしたため、天から地に投げ落とされたのです。私たちは、いつでもどこでも神の前に出られるようにしておきたいものです。神の祝福がありますように。
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