教会礼拝メッセージ要旨


 
2007年2月4日メッセージ

神に目を留められた献げもの( 創世記4:1−5)

ベテルキリスト教会  牧師  横谷 誠一
 
  1. このところは、アベルとカインの神への献げものについて書いてあるところですが、「神はアベルの献げものには目を留められたがカインの献げものには目をとめられなかった」とあります、そのためにカインは弟アベルに腹を立て、人類最初の殺人者となったのです。
    弟アベルが兄に対して何か悪いことをしたわけではありません、ただ神への献げものに対して、神が弟アベルの献げものに目を留められたが、自分の献げ物には、神が目を留められなかった、ただそれだけのことです。
     神が最初から二人のささげ物を気持ちよく受け取ってやればよいのに、そうすればこんなむごい殺人事件がなかったのにと思うでしょう。ただし、神は兄弟に対して、差別とか偏見の愛をされたわけではないのです。二人の神へのささげる態度だと思います。弟アベルは羊飼いをしていたので、羊の中から最も良いきれいな羊を神にささげたのです。兄のカインは農業をしておりましたから、野菜を神にささげたのです。
    神は肉が好きで野菜をきらったというわけではありません。二人の神へのささげ物の態度です。私は私の息子と娘達から、結婚記念日にプレゼントをもらいました。安物ではないです。最高の毛布、最高のマットを送ってくれました。子供たちは金持ちではありません、生活を切り詰めて親に贈り物をしてくれたのです。私はうれしかったです。その気持ちが、その心がうれしかったのです。親である私はその子たちを誇りに思い、非常に幸せに思いました。たとえお金持ちであっても、親に何かそこらにあるものを送っとけ、ではあんまりうれしくなかったと思います。神様も同じだと思いました。
     また兄カインは自分の弟アベルに対するねたみから殺人まで起こしたのです。神の愛を自分ひとりじめにしょうとしたのでしょうか。ねたみというものは怖いものです。
     
  2. イエスに目を留められた人に、ザアカイと言う人が聖書に出てきます。この人は取税人のかしらで金持ちであったのですが、皆の嫌われ者でした。この人は『金持ちになれば幸になれる』と思ったようです。また、あくどい方法で私腹を肥やし、人を省みず自分さえよければよいという人生を送ってきたようです。
    お金持ちになっても人に相手にされない孤独はつらいものです。その点、キリストには人気がありました、キリストが行かれるところ、行くところに人々はついっていったのです。ザアカイは、キリストの人気の秘訣はどこにあるのかを見に行ったのです。しかし背が低いザアカイにとって大群衆を背にキリストの姿を見ることはできませんでした。そこで知恵を使ったザアカイは、道のそばにあったイチジクぐわの木に登りキリストの来られるのを待ちました。そうするとキリストのほうからザアカイに声をかけていただき、「ザアカイ降りてきなさい、今日あなたの家に寄せていただきます」と言われたのです。ザアカイにとって誰も寄り付かないところにキリストが自分の家にきてくださる・・・うれしかったでしょう。感動したでしょう。みんなの注目の的である先生がきてくださるからです。
    早速家に来ていただいたのですから、近所の人から、取税人仲間まで呼び寄せて、食事会が始まったのです。そのとき、ザアカイの心に変化が現れました。「私の財産の半分は貧しい人たちに分け与えます。また、今まで余分に取り立てた人には4倍にしてかえします。」この告白と回心をキリストは非常に喜ばれ、「今日救いがこの家に来ました」といわれました。私たちも同じです。キリストに出会うと心が変わるのです。そして救われるのです、神の子とされるのです。
    ザアカイは背が低かった、その欠点がキリストに出会うきっかけになったのです。皆さん自分の欠点を持ったままでいいです、とにかくキリストを見ようとしてください、礼拝で、賛美の中で、メッセージのみことばの中で。
    そうすれば、キリストの方からあなたに声をかけてくださいます。「00さん、今日、わたしはあなたの心の中に聖霊となって寄せてもらいます」ハレルヤ
     
 

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