―それで、神はノアと、その息子たちを祝福して、彼らに仰せられた。「生めよ。ふえよ。地に満ちよ。」―
神が造られたものは、すべて神が祝福されたものとしてお造りになったことがわかります。それは空の鳥、海の魚、野にいる獣、人間社会において、家庭において、国家において、神が祝福されたものとしてすべてを創造されたのです。もしそれらを壊し人々が破壊しているとすれば、それは人間のエゴであり、身勝手によるものであると思います。
魚においても、ある国では自分らの生活で必要な分だけ、食べる分しか取らないそうです。金儲けに大型の網で大量の魚を取らないそうです。
金儲けに大量の魚を取る、そのため魚は減り、動物も少なくなり、人は自分の都合によって生まれてくるはずの子どもまでおろし中絶することは人殺しでもあると思います。その結果、子どもは少なくなり、老人社会になってしまってきているのが現状社会なのです。これらは神の祝福を拒んだ人の罪といえるでしょう。
- 「生めよ。ふえよ。地に満ちよ。」と
神はノアと、その息子たちを祝福して、彼らに仰せられたことばですが、(創世記1:28)ではアダムとエバに対して言われたことばでもあるのです。人も家畜も増え広がることを神は願っておられるようです。
神は人を一番愛され祝福してくださっているのです。神はノアと、その息子たちを祝福して、彼らに仰せられたように、「生めよ。ふえよ。地に満ちよ。」と言っておられるように思うのですがいかがですか。
また、神の祝福として癒しがあります。病気の人は癒されます。皆さんが健康であることが神の祝福なのです。
- また、子どもを良い子に育てるには、聖書が必要です。
聖書の中心的な戒めは、「心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、主なる神を愛しなさい。」と言う言葉共に「自分を愛するように、あなたの隣人を愛しなさい」です。このお言葉を真に実行した人は誰でしょう。
イエス・キリストです。自分をののしる人にさえ、十字架上で「父よ。彼らを赦してやってください」と祈なられたのです。イエスキリストこそ完全に神に従い、隣人愛をまっとうされた人でした。
この他にも、ステパノもいます。彼は「見なさい。イエス様が天の御座で立っておられるのが、見えます。」と言った為、石を投げつけられ、殺されてしまいます。その時でさえ彼は「父よ。これらの罪を、彼らに負わせないでください」と言ってステパノは完全な隣人愛を表し殉教していくのです。それから、パウロもそうです、地位や名誉や金儲けではなく、神に従うことと、隣人愛を表し、地の果てまで福音を伝えていった人でした。宣教師の方々もそうです。自分の命を賭けて福音を伝えに行きました。宣教に行けば、殺されるのを解っていながら福音を伝えに出て行ったのです。日本はキリシタン禁制のときでも「自分を愛するようにあなたの隣人を愛せよ」と言う神のご命令に、命を賭けて宣教師達は日本に福音を伝えにきてくれたのです。そのおかげで今、私たちは救われているのです。
日本でもキリシタン禁制のころ、6歳の子どもも天国を信じて、イエス様のために命を捨てた実話があります。
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祝福とは、幸いのことです。今の現状に対して不服を言わず、感謝することです。神様の戒めどおり出来なくても「そうさせてください」と願い、祈り、そういう風にしていくとき、祝福があるのです。
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隣人愛とは、教会に人々を誘ってくることです。あなたは今年、何人の人に声をかけましたか、教会にお誘いしましたか?受洗が起こされるように祈りましょう。人々が救われることは天の父の喜びであり、教会の喜びであり、皆さんにとっても喜びとなるのです。
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