「さて、ノアは、ブドウ畑を作り始めた農夫であった。ノアはぶどう酒を飲んで酔い、天幕の中で裸になっていた。カナンの父ハムは、父の裸を見て、外のいる二人の兄弟に告げた。それでセムとヤペテは着物を取って、自分たちのふたりの肩に掛け、うしろ向きに歩いていって、父の裸をおおった。彼らは顔をそむけて、父の裸を見なかった。」
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ノアの失敗。ノアとは神に愛され、まただれよりも神に従った人です、その神に仕える人がぶどう酒を飲みすぎて、酔っ払ってしかも裸になって天幕の中で寝ていたというのです。気の緩みか、ついついおいしいぶどう酒に飲み込まれてしまったのか、それにしても家族の前で子ども達の前で、父、ノアの大失敗の一幕です考えられない事態です。いつも父を尊敬し、父の話す言葉は神のことのように聞き従ってきた子ども達にとってもショックなできごとです。その父の裸を見た次男のハムは、父が裸で寝ているのを見て、外にいる二人の兄弟に告げて言った。「父がよっぱらって裸で、しかも天幕の中で寝ているよ」だまって父に着物でも自分で着せてやればいいのに、それを父の恥を兄弟に知らせたのです。それを聞いたふたりの兄弟セムとヤペテは父の着物を持ってきて二人で父の裸を見ないようにして父の裸をおおった。
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人には失敗がつきものです、それがたとえ親であっても、兄弟であっても、友人であっても、自分の子であったとしても、それを兄弟に、家族に、人に言いふらしてはならないと言うことでしょう。良いことは言いふらしても人の欠点や失敗はむしろ覆ってあげなさいと言うことでしょうか。あなたは親の悪口、夫の悪口、子の悪口を言い広めていませんか。むしろ良いことは言い広めてあげなさい。しかし、人の欠点はあなたの口でふたをしておきなさい。井戸端会議は女たちの悪口のたまり場になっていませんか。「人の悪口はよだれがでるほどおいしいもの」と聖書に書いてありますが、まさにそのとおりです。教会での集まりはめぐみの分かち合いの場所です。問題があればそのために祈るところです。酒場は男達の悪口のはけ口です。男達は酒を飲んで人前では言えないことも平気で言うのです。酒の力を借りて日ごろのうっぷんをぶちまけるのです。それは何の解決にもなりません。返って「あいつは酒癖が悪くいやな奴だ」と非難されるだけです。しかし神の子は父なる神に対して申し上げ、すべてのいやなことも悲しいことも腹の立つことも申し上げることが出来るのです。神は常にあなたの心に平安を与えてくださるお方なのです。いやなことは人にではなく祈りを通して神に聞いてもらいなさい。神はあなたの問題も悲しみもすべて聞いておられる方なのです。
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また、教会は神への喜びの叫びであり、感謝をささげるところです。心のうっぷん、いらいらは身体に良くありません、神への賛美、感謝はあなたを健康にし、家庭に平和をもたらし。子ども達も健やかに育つでしょう。その反対に不機嫌、いきどおり、陰口、悪口などはあなた自身にも家庭にも周りの友人達のとっても良い影響は与えません。
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イエスキリストが先ず私たちの罪咎を赦し、わたしたちのすべてを覆つってくださった方だと言うことです。ですから私たちも隣人を包んでいくのです。参照、聖書、ローマ書4章7節
- 人を祝福すると自分も祝福されるのです。祝福するとは、その人を愛することです。今、いやな人を祝福する祈りをしましょう。
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