創世記11章4節
[さあわれわれは町を建て、頂が天に届く塔を建て、名をあげよう。われわれが全地に散らされるといけないから]
- 自分らの名を挙げる為の塔です。彼らは神の御名が崇められるより、自分らの名を挙げようとしたのです。
「さあ我々は町を建て」 これは人々の一致団結した人々の計画です。
「頂が天に届く塔を建て」そして絶対壊れることのない塔を立てようとしたのです。人が作ったものはいずれは壊れます。たとえそれがバベルの塔であってもです。
「名をあげよう] 彼らの民族の名、特に当時の王の名、または宗教の名、などが考えられます。
「われわれが全地に散らされるといけないから]これはまことの神、天地の創造者から背を向けた彼らの身勝手な異教信仰集団と考えられます。
5節 そのとき主は人間が建てた町と塔をご覧になるために降りて来られた。
6節、主は仰せになった。「彼らがみな、1つの民、1つのことばで、このようなことをし始めたのなら、
今や彼らがしょうと思うことで、とどめられることはない。」
そのときから神はことばを乱され、彼らの高ぶりの塔も壊されたのであった。
- 人間の団結には力があります。たとえば、エジプトのピラミットなどを見ると、これらは王の墓です。
機械もないクレーンもないブルドーザーもない時代に、よくもこれらの石を積み上げられたもので、その当時の王の墓といえども偉大なものです。特にクフ王のピラミットなどは世界一の大きさであり、また有名です。その団結力はすさまじいものです。
バベルの塔などは、異教の信仰、異教の支配があったようです。これら神のお心でないものは、神みずからそれを断ち切られることをも知なければならない。アレキサンダ大王も世界の支配、ローマもその当時の世界を支配した国でした。しかしそれらはもろくも崩れ去り、崩壊してしまいました。永遠の支配、永遠の国造りは人ではなく神がなさることなのです。
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人の心にはバベルの塔があります。バベルとは「反逆する」という意味があります。子が親に逆らい親の言う事を聞かないのも子供それなりのバベルがあるようです。しかし無理に取り除けようとすると親子関係がよけいおかしくなるときがあります。親の信仰姿勢と愛情があれば、子は自然と治ってくるものです。
エペソ4章では信仰の一致が書いてあります。
神様の望まれることは、不信仰な一致団結ではなく、主にあって一致することです。信仰の一致、愛の一致、御霊の一致、これらは主が望まれることなのです。また我々は人の名、すなわち自分の名を挙げようとするものではなく、イエス、キリストの御名が高く挙げられるようにもっていきたいものです。
主に誉れと栄光がとこしえにありますように、ハレルヤ
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