教会礼拝メッセージ要旨


 
2007年4月8日メッセージ

目を上げよ(創世記13:14,15)

ベテルキリスト教会  牧師  横谷 誠一
 
 アブラムはロトを連れて旅に出ますが、どちらも所帯が大きくなり家畜のえさのことで、しもべ達の争いが耐えないので、お互い右と左に別れることになったところが今日の箇所です。
アブラムは年下の甥であるロトに、まず先に右に行くか、左に行くかを選ばせます。先に選ばせたアブラムは「偉い」と思います。ロトも「伯父さん、どうぞ先に決めてください」と言わなかったのでしょうか。
ロトは豊かな牧草地を選びます。残った所は荒れた山でした。ロトに先、選ばせたアブラムは「しまった」と思わずに山に登って主に祈ったのです。すると、主は「アブラムに目を上げて・・・見渡しなさい」と言われます。私達はつい周りのことに、今の現状に目を留めがちです、貧しいとか物がないとか、信じる人が少ないとか・・・しかし私たちもアブラハムのように先ず主を見上げて主の約束に目を留めたいものです。
 話は変わりますが、ジャガイモを植えるには、芋の芽が出てきたら4つ切りにして灰をまぶして土に埋め出水をやります。サツマイモは丸ごと土に埋め、つるが出てきたら、そのつるを切り取り、そのつるに土をかぶせ水をやっときますとそれぞれおいしい、サツマイモ、ジャガイモができるのです。サツマイモとジャガイモの作り方は違いますが、両方とも土をかぶせます。私達の信仰も同じです。信仰の芽が出た時、土をかぶせます。土とは「みことば」のことです。水とは祈りと伝道と聖霊のはたらきです。それによって成長するのです。一粒の麦が地に落ちて撒かなければ、増えないのです。

今日はイースターですので、ルカ24章も学びましょう。
 週の初めの日とは、今の日曜日です。女達はイエス様のお体に香料を塗ろうと思って墓に出かけます。
墓の前には、大きな石で封印がしてあり、彼女達は「だれか石を転がしてくれる人がいないでしょうか」と相談しています。私もイスラエルに行ったとき、そのイエスの墓である穴を見ましたが、岩をくりぬいた横穴式でその入り口は大きな石で封印された跡があったのです。その石は大の男が二、三人でも動かすのは難しいほどです。しかも番兵達が見張っているのです。しかし、地震が起こって人の手によらずして石は地震によって墓の入り口は開いたのです。
昨今大きな地震がよくありますが、地震は大きな力を持っています。彼女達は墓の中をのぞき見ますが、イエス様の身体はすでになくそのことを弟子達にしらせますが、弟子たちも信じられません。イエスの墓を確かめに走ったのが、ペテロとヨハネです。今も多くの人が復活を信じていません。「そんなことはありえない」と。しかし復活は神の約束です。信仰によって信じられるようになるのです。
 私は最近、静電気の被害にあっています。車を閉めるとき、ビリビリと静電気がきて恐ろしいものです。静電気はいやですが、聖霊様の電流は歓迎したいものです。

 13節からは二人のイエスの弟子達がエマオに出かける道中での出来事が書いてあります、クレオパともう一人の弟子たちは昨日の不思議な出来事についていろいろ話し合ったりしていると、そこへ一緒にイエス様がともに歩いておられるのに二人は気づかなかったようです。どうしてでしょう。「イエス様が違った容貌になられたから」という説があります。又「二人が、キリストの復活を信じていなかったのでイエス様だと判らなかった」という説もあります。私は後者だと思います。二人はイエス様のことを話していました。そしたら、イエス様が近づいてきて「何のことですか」と言われました。そして彼らもイエスとはわからずに昨日の不思議な出来事について話します。イエス様も復活についていろいろ聖書から説明されています。
(17〜32節)私たちもイエス様の話をするときに、主は近づいてきて後押しをしてくださいます。
ですから、私達はイエス様の話をすべきです。イエス様は今も働いておられます。
32節で、「心はうちに燃えていたではないか」とあるように、イエス様の話をすると心が燃えるのです。
心が聖霊様に満たされて、いつもイエス様のことを話したくなるのです。
 
 

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