- 「優越感と劣等感」
人にはだれでもこの「優越感と劣等感」をもっています。これは自分と他の人と比べて自分より優れている、または劣っていると判断する心の問題です。人と比べて自分が背が高いまたは低い、人と比べて成績、または学歴を比べて自分は優れている、または劣っている、身体が太い、細い。自分は美人である、またはそうでない。自分は金持ちである。またはお金が無い。これらはすべて人と比べて優越感を持つたり、劣等感を持ったりする心の働きです。これは他の動物には見られない人間だけが持つ特有のものです。わたし達は神様から見るとすべて平等でみんな同じなのです。あなたはあなた、わたしはわたし、それは持ち物によらず学歴によらず、お金の多い少ないにかかわらずわたし達はすべては優等生ではなくオンリワンであるのです。幸いとは一人ひとりの心の持ちかたなのです。いくらお金持ちでも偉大な人でも心がやんでいては幸せとは言えません。
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娘が小さいとき動物が好きでハムスターを飼っていた。ある時、わたしと娘でハムスターのかごを洗っていた時、かごの隙間からハムスターが外に逃げてしまって二度と戻ってこなかった。娘はハムスターを愛していたので非常に悲しんだので代わりの動物を買いに行くことになった。今度はリスを買ってきて飼う事になった。わたしたち人間の子はそうはいかない。JR尼崎における脱線事故から今年でまる二年になります、その当時、事故で亡くされた家族らがJRの担当者に息子を返せ、娘を元通りにして返せ、と詰め寄っておられる遺族の姿がいまでも目に浮かぶ。家族の一人ひとりの命は尊くお金では買えないものです、また代替はないのです。 聖書、あなたは高価で尊いわたしはあなたを愛している。
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ウイーン少年合唱団。ウイーンといえばオーストリヤ。その少年合唱団にシマダという少年(13歳)が日本人として始めて入団し日本においてその美声をおひろめをしたというニュースが出ていた。ウイーン小年合唱団はソプラノ、アルト、テナ、バスの4重奏で実に美しく調和のとれた歌を歌うので有名です。教会の賛美も原点に戻って聖歌、賛美歌を4重奏でやってみられたらいかが、神に喜ばれる美しい賛美となることでしょう。
- 「野球の魅力」
あなたは巨人フアンですか、それとも阪神フアンですか、またはアメリカで活躍している一郎選手ですか、それとも野茂投手ですか、または松坂投手のフアンもいるでしょう。野球フアンにとって彼らの魅力とは、よく投げる。よく打つ、よく走る、よく捕るのです。それは全力で投げ、全力で走り、全力で打たれた玉を走り捕るから面白いのです。またバッターも投げられた玉をヒットとなるように打つから面白いのです。神の子たちも同じことが言えるのかもしれません。その魅力は良く祈り、よく賛美をし、よく証して、また人々を教会に連れて来て信仰を持たせることではないでしょうか。キリストにあって全力を尽くすことは、あなたの信仰の魅力であり、教会の魅了につながり、やがて栄光のキリスト、その魅力につながることでしょう。(ヘブル11章)
- 「おいしい」
人はグルメ、美味しいものを追求して食します。おいしいとは甘辛の味です。そして煮たり、焼いたり、炒めたり、揚げたり、また美しく盛り付けをして、食を楽しむのです。しかし、果物でも野菜でも、ご飯でもそのままでも本来味がついているのです。ですが。やはり料理となると少しは砂糖、塩の味付けが必要でしょうけれど、塩分の取りすぎ、糖分の取りすぎは体によくありません。糖分、塩分の取りすぎで血圧が高くなり、肥満になり、また糖尿病、腎臓病、肝臓病、心臓病になっている人が多いのも事実です。糖分塩分は控えめにしていつも健康でありますように。3ヨハネ2
- 「怒り」
どうして人は腹を立てるのでしょうか。
1、自分と意見が合わないから、気が合わないから、または口に合わないから。
2、自分のものを相手に取られたから、または壊されたから。
3、あざけられ馬鹿にされたから。
4、言うことを聞かないから。
これらを見るとすべて相手に対して腹を立てているのです。だれも自分に対して腹を立てていません。自分が正しくて相手が悪いから腹が立つのです。しかしキリストは、自分が正しいにもかかわらず自分を悪者とし相手を赦すように神に願われ祈られたのです。
- 「泣く」
男の子が泣いて学校から帰ってきました。学校で何かあったのでしょうか。友達とけんかをして負けたので悔しかったのでしょうか、母親は事情も聞かずして「あんたは男の子やろ、メソメソしなさんな」としかっていました。男の子でも悔しい時、悲しい時には泣くのです。甲子園で選抜高校で勝ち組は大いに喜んでいましたが、しかし負け組みはグローブを地面にたたきつけて悔しがっていました。これは彼らの純粋な自然的な状態なのです。負けても勝ってもクールというのは人として、むしろ不自然な姿なのです。 聖書、「喜ぶ者とともに喜び、泣く者とともに泣きなさい。」
- 「喜怒哀楽」
動物ならみな個性は違うとしてもそれぞれに「喜怒哀楽」をそれぞれにもっています。犬でも主人に怒られるとシュンとし、また悲しげな声で鳴きます。ほめられると尻尾を振って喜び、うれしいと跳んで跳ね回ります。しかし犬でも猫でも怒らすと噛み付かれたり引っかけられたりする場合があるのです。しかし、犬や猫、またはサルが腹を抱えて笑うところを見たことがありません。やはり笑いとか笑顔は人間にだけ与えらた神からの賜りものでしょうか。ほほ笑みの「モナリザ」は世界的に有名な絵画です。その絵が怒っている絵、泣いている絵では人気が無かったと思います。やはり微笑みの魅力でしょうか。すべての人が「モナリザ」のような微笑をもちたいという願いをもっている心の表れでしょうか。
- 「心配」
「犬とか猫が心配する」と聞いたことがありません。人間だけが心配するのです。心配とは心を配ると書きます。お金のことで、就職のことで、子どものことで、教育のことで、また親のことで、病気のことで、仕事のことで、いろいろと心を配ります。キリストは言われた。「あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じまたわたしを信じなさい。」(ヨハネ14:1)このことばは最善の努力をし、また処置をした後は神に任すということでしょうか。わたしはこの方法で問題を乗り越えてきました。子どもが熱を出した時も、またお金が無くて困った時も、すべてこの方法で乗り越えてきました。
- 「大いなるかな希望」
人間に一番近いのはおサルさんですが、おサルが希望を持った、など聞いたことがありません、やはり希望と言うのは人間にだけ与えられたものでしょう。希望とは、将来に対する期待、見通しのことで、誰も悪くなる事は望みません。この望みはすべて良くなる事、幸せになることを望むものです。勉強をするのも、働くのもこの望みがあるから自らも勉強をし、また働きます、そして子どもにも勉強をさせるのです。人がこの望みを持って生きると言うことは神から与えられた恵みであり特権だと思います。皆さんはどんな望みを持って人生を送っておられますか。特にない人はキリストイエスにあって神の望みを持ってください。この神からの望みを持つ人はいつまでも絶えることなく、あなたと家族に永遠の幸せを約束するものです。参照(1コリント13:13)3ヨハネ2
- 「大いなるかな愛とは」
昨年8月に長女が男の子を出産しました.昨日次女が女の子を 出産しました.母と子の関係はすごい愛情で結ばれているなと思いました.母乳を受けるほうも与える方も顔と顔を合わせ、また目と目を合わせ見つめあっているのです.それはまた子が寝ている時も起きている時も母親は気を緩めることなく我が子に神経を注いでいるのです。それは昼も夜もです.少しの泣き声でも何を欲しがっているのか何をしてほしいのかと 母は我が子の思いを少しでも汲み取ろうとしているのです。これを見ていて私たちと神様との関係においても同じことが言えるのかも知れない。私たちの信仰が幼くてもすべてを神に委ねた人ほど神は全神経を注いで見守っていてくださっているように思えるのですが、いかがなものでしょうか。
- 「大いなるかな信仰」
この信仰とは創造者を知ることとそのかたを礼拝し敬い信頼することです。これは神の子にだけに与えられた特権であり神の恵みです。だれも自分の父母を疑う人はいないでしょう。わたしを愛し教育し育ててくれた人であり、わたしの名をいつも呼んでくれる人だからです。わたしたちの神様もそういう方なのです。目には見えなくても、わたしの父からの声か、他の方の人の声か判断できます。わたし達は神の子だからです。幼稚園で運動会がありました。大勢いる子のなかで親はその声がわが子の声か他の人の子の声かは父母は聞き分けているのです。子も声援を送る声が父母からのものか、他の人の声かは子供も聞き分けているのです。親子とはそういう関係のものです。
- 「大いなるかな人間」
人間と言うのはこの地上のあらゆる生き物の中で大いなる存在で知恵ある存在です。なぜならこの地上にあるものはすべては神が造られたものですが、それらを神から人に任され委ねられているからです。ですから人も動物も植物もすべて暮らしよいように、また幸せになれるように振舞い管理する責任が人にあるのです。自然を破壊し、社会も破壊し。家庭も破壊され、人も家畜も死に絶えることは神もまた人も望んでいません。聖書に「生めよ。増えよ。地に満ちよ、地を支配せよ。」と神は言っておられるからです。人類が平和であり、清らかな環境を作り、住み良い社会を作り、愛のある家庭を作ることを神が願っておられるからです。なにごとにおいても愛を持ってとりかかることです。その愛の根源は実は神から出ているのです。
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