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「我は天地の造り主 全能の父なる神を信ず」
創世記1:1にはっきりとかかれています。
学校では進化論を教えるので、混乱が生じるのです。でも進化論では理に合わないのです。
キリンの首が長いのも、象の鼻が長いのも、すべてその時の環境に合わせてそうなったと言うのですが理に合いません。
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「我はその独り子 我らの主 イエスキリストを信ず」
ヨハネ3:16にイエス様は神の独り子としるされています。
そしてイエス様は天国へ案内してくださる方です。(ヨハネ14:6)
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「主は聖霊によりてやどり、おとめマリヤより生まれ、」
マタイ1:18〜20でマリヤは聖霊によって身ごもったと記されています。
こんなことは信じられませんが、マリヤもヨセフも信じる信仰を御使いの御告げによって持たせていただいたのです。イエス様の誕生を喜べない人がおりました。その人が当時の王であったヘロデです。自分がユダヤの王であったので新たなユダヤの王は歓迎できなかったのです。それでヘロデは幼子のイエス様を殺そうとしたけれど、見つからず、その近辺の2歳以下の男子が皆殺されたのです。「むごい」と思いますが、救い主の出現には血の代価が必要だったのです。
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「ポンテオピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ死にて葬られ、よみにくだり、三日目に死人の内よりよみがえり、天にのぼり、全能の父なる神の右に座したまえリ」
よみとは、辞書で調べれば「黄泉」となり「黄泉」は、硫黄のある硫黄の吹き出る所です。昔、奴隷とか囚人は 地下深く降りくだり硫黄を採屈させられたのです。その地下では焼け付くような地熱と硫黄の粉塵に紛れ、息もままならない、まさしく生き地獄のようなところで作業をさせられていたのです。
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「かしこよりきたりて生ける者と死にたる者とをさばきたまわん」
「かしこ」とは遠くを、天国を指す言葉です。
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「我は聖霊を信ず。聖なる公同の教会,聖徒の交わり、罪のゆるし、からだのよみがえり、とこしえの命を信ず。アーメン」
聖霊様は今も私達と共にいて、守り助けてくださる方なのです。そのような証を数々聞きました。
「聖霊様、ご一緒に歩みましょう。」と告白しましょう。「聖霊様、ご一緒に歩みましょう。」と告白するなら聖霊様は私たちと一緒に歩んでくださるのです。
私は今告白したら、聖霊様が臨んで下さって身体が熱くなってきましたよ。
聖霊様は、私達の求めに応じて臨んでくださるのです。いつでもどこでも言いましょう。「聖霊様私と一緒に行きましょう」と。