教会礼拝メッセージ要旨


 
 2008年1月13日メッセージ

「あなたの信仰があなたを救ったのです。」マルコ10:32〜52

ベテルキリスト教会  横谷 純子
 

32節:   イエス様と弟子の一行がエルサレムに上るとき弟子たちは恐れたとあります。それはイエス様がユダヤ人達から石打の刑にしようと何度も遭われたからです。(ヨハネ8:57〜59、10:31〜33)
それから十字架に架けられ3日後に、よみがえることを言われます。イエス様がご自分の受難を言われるのは、これで3度目です。(8;31,9:13)しかし弟子達にはさっぱり解らないのです。(ルカ18:34)
その当時私たちが弟子であっても、同じように解らなかったのではないでしょうか。なぜなら病人を癒し、何千、何万という人に食べ物を与え、その教えに皆驚嘆し、イエス様の行くところには、今のタレントの取り巻きのように大変な人だかりだったからです。そのように群集から慕われ尊敬されている方が、どうして神に呪われた者が架かる十字架にかかることがあろうか・・・ということです。

35〜45節:聖書は、聖い書物と書きますが、人間の醜さも隠さずに載せています。この箇所がそうです。一番良い席に座ろうとした弟子達・・・「世界でたったひとつの花」という歌がありますが、人はみんな一番になりたがります。その原因のひとつは今の学校教育にあると断言します。
私の子供の頃から、序列がありました。もう一つの原因は、神様がしっかり心の中に入っていないからだと思います。神様と結びついていない不安から自分は「1番になって」とか、「目だつ」ことによって自分のアイデンティ(自分の存在)を確立しようとするのでは、ないでしょうか。
けれど聖書では私達は身体のそれぞれの器官である(Tコリント12:14〜21)といっています。
ですから、人より偉くなろうとか、商売でも1番の店になろうとか思わなくていいのです。
♪花屋の店先に並んだ〜♪とありますように、ナンバー・ワンでなくオンリー・ワンでいいのです。それが、人も他人も共に生きる道だと思います。

46〜52節 はバルテマイという盲人の乞食の話です。今は盲人でも針灸治療士や、声楽家と生計を立てる道があります。又福祉の充実している国は、障害手当てなどがあって、道ばたに座って物乞いをしなくてもいいでしょう。
しかし、2000年前は大変だったと思います。バルテマイはイエス様は「全能の神、きっと治してくださるでしょう」と思ったのでしょう。そして、「イエス様 憐れんでください」とイエス様がいるらしき方向に向かって叫び始めました。人々は、汚い乞食、身分の低い、何の役にも立たない者、そのような者を高貴なイエス様には無用だと思ったのか黙らせようとしました。私達がなにかしようとする時、阻止する内と外の声があります。
特に信仰に立とうとする時です。たとえば、聖会や、教会に行きたくない思いと周囲の反対、その時、これは、さたんのの策略だと思って立ち上がると「行ってよかった」と恵まれます。
イエス様は「あなたの信仰があなたを救ったのです」と言われました。
いくら、イエス様にお願いしても、「治る」「実現する」という思いが大切です。その時願いが聞かれるのです。
医学でも、「自分の思いで脳が働く」という説が唱えられています。「自分が元気だ」。と思うと脳は活発に指令を出すそうです。
祈りも実現してなくても、「そうなりましたから感謝します」と言えば、何でも聞いていてくださるイエス様は「えらいこっちゃ」と急いで、そのようにしてくださるのです。
その証をします。

韓国のソンシン聖会に行った時の話しです。
そこでは、多くの人が天国へ行かれます。日本から来たA先生(開拓されています)も天国に行ってイエス様に会われました。イエス様は「聖餐式の容器を100人分用意しなさい」といわれたそうです。
ソンシン聖会ではキリスト教専門の店に連れて行ってくださいます。そこでその人は200人分買ったそうです。その晩 聖会の後、また天国へ行きイエス様と会われました。イエス様は「わたしは忙しくなるよ」とおっしゃったそうです。
そのように積極的、肯定的に信仰すると どこでも聞いていらっしゃるイエス様は「あっ実現したのか、こら急がなくては・・・」と急いで実行してくださるのです。
 

最後に旧約の箴言のみことばをご一緒にお読みしましょう。
・・・死と生は舌に支配される。どちらかを愛して、人はその実を食べる・・・18:21

   
 

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