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神について、神とは示すへんに申すと書きます。示しは神への祭壇をあらわし、申はことば、神からの語りかけを意味します。すなわち神の言葉を聞き、また神に我々が申し上げる、という意味でもあるのです。
「我は有りて有るもの」「初めにことばがあった。このことばは神と共に有った」といわれた神は今、聖書を通して私たちに語りかけられています、また父なる神とキリストは私たちの言葉、すなわち、祈りと賛美、礼拝を受けるにふさわしい方でもあるのです。
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愛について。ノとツは炎(神のご臨在)を現し、ワ冠は(家、教会)、建物の中を現します。そして心がその中心にあり、続いて人の字ですが大きい人、小さい人を重ね表している字でもあります。すなわち神はすべての人を愛しておられる、それは大いなる者も小さい者も、名のある者もそうでない者も、神の愛の包括された、ただその中に人々はいるという意味です。又どんな時にも心が中心であることを意味しています。
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罪について:罪とは四つの非と書き、四つの非とは十戒から来ています。四つまでが神についての戒めであり、あと六つが人に対しての戒めです。またイエス様の戒めは「心を尽くし、思いをつくし、知性を尽くしてあなたの神である、主を愛せよ」「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」(マタイ22;37,38)です。
すなわち四つの非とは傍線を引いてある四つの事がらでしょうか。皆さんは神にも人にも喜ばれることをされていますか。
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人とは支えあっていくものの字です。人は誰かに支えられています。または人を支えている字でもあります。本当は神が人々を支えてくださっているのだが、それを知ったら平安があり、決して私たちは倒れることはありません。
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幸福の福も幸せという意味です。福という字は、示す辺ですがこれは神への祭壇を表し、右の字はつぼを表す字でもあります。昔はつぼを用いて貯蔵しました。大きいつぼ、小さいつぼ、いろいろなつぼが作られました。その中に米、麦、豆、すなわち五穀物を入れる器です。また水、ぶどう酒、油を入れる水物。金、銀、宝石を入れる物ものもありました。これらの器が満ちていることは,豊作、豊かさ、繁栄を現した字でもあったのです。すなわち神に対していろいろ感謝のささげ物ができることは幸せであるという事なのです。
創世記26章12節〜14節
「イサクはその地に種を蒔き、その年に100倍の収穫を見た。主が彼を祝福してくださったからである。こうしてこの人は富み、ますます栄えて、非常に裕福になった。彼が羊の群れや、牛の群れ、それに多くのしもべたちを持つようになったので、ペリシテ人は彼をねたんだ。」
収穫するには4つの行程があります。
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土を耕すことです。豊かな豊作を願うなら手間はかかります。人の心を耕すにも手間はかかります、人に話しかける会話が必要です。すなわち話をしている間にその人の心は柔らかくなって来るからです。ですから、挨拶をかわしたり、会話をとおして、その人との親しい関係が必要なのです。
- 御言葉の種を蒔くのです。
- 雑草は取り除くのです。不信仰、不従順、憎しみ、ねたみ、傲慢などの雑草です。
- 最後の収穫は主がなさることです。私たちが主の前に出たとき、私は主の前になすべきことをしただけです、といえばいいのです。
主の祝福がありますように。
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