- 人の目。我々は関心のあるものに目が向くものです。
いつも、どこを見ているでしょうか?ある人は悪いところや、人の欠点ばかり見ている人もあります。
人の良いところを見るようにしたいものです。
- 神様を心の目で、信仰の目で 霊の目でいつも、見るようにしたいものです。
旧約聖書の創世記にアベルとカインが、ささげ物をした記事があります。
カインは心を込めず適当に捧げましたが、アベルは心からの捧げ物をしました。それでアベルの捧げ物に神は目を留められました。いつも神様に喜ばれることを考えて、献げ物をしたいものです。それは、祈りにおいて賛美において、献金においてもです。
- 人はどう思うか、どうみるか?を気にする人がいます。
人を気にしないで神様を喜ばせるようにしましょう。礼拝は賛美の時も自分が立ち上がりたい時は廻りを気にせず、立って賛美したらいいのです。
献金も、多く持っている人は多くささげたらいいのです、しかしお金がない人は、こんな額では人に笑われるとかではなく、レプタ2枚を捧げた人のように、捧げる気持ちが大切なのです。
主は「心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして神を愛せよ」といわれます。
パリサイ人、律法学者達は神に仕える者ですけど、イエス様から「偽善の律法学者、パリサイ人」と叱られています。心が伴わない見せ掛けは主は喜ばれません。又、主は兄弟姉妹が一致することを好まれます。
神は一人ひとりに目を注ぎ、愛してくださっていますが、従順な素直な気持ちの人を喜ばれます。
- 私たちは、礼拝の時は良いけれど家に帰った後、いろいろなことを聞いて腹を立ててしまいます。
私たちは分別することが、大切です。どうでもいいことは聞き流し、聞かなければならない大事なことは、しっかり信仰と、みことばは受け留める必要があります。
- サタンは神の赦しなしに人に手をつけることは出来ません。
サタンは訴える者、人を神から引き離そうとさせ、人を信仰より引き離そうとさせるものです。
たとえ、問題があっても、自分の感情に左右されず、サタンの惑わしだと思って礼拝を守ることが大切です。
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先週行って来た韓国の証ですが、交通事故で到底歩けない車椅子の方が、按手によって歩けるようになる奇跡が起こりました。その人に祈って、「立って見なさい」と言うと、その人は信仰を持って立ち上がって歩き出したのです。何事においても信仰によって一歩踏み出すことが大切です。神様が力、知恵、方法を与えてくださいます。
- 「アブラムよ。恐れるな。(創15:1、b〜)アブラムのところに自分の名前を入れて言ってみて下さい。
「わたしはあなたの盾である。」盾とは、あらゆるものを防ぐものです。
「あなたの受ける報いは非常に大きい」報いは、神の恵みです。
- 祈りを忘れないように、しましょう。
私たちは、イエス様にあって、勝利者です。いつも健康があり、いつも希望があります。
腹立つことや、劣等感から解放されましょう。私たちはイエス様と共に復活に預かるのです。
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