教会礼拝メッセージ要旨


 
 2008年5月18日メッセージ

人の物は人に、神の物は神に返すこと

ベテルキリスト教会  横谷 純子
 
聖書 「マルコ12章1〜17節」イエス様の邪悪な農夫のたとえ話

ぶどう園のあるじがぶどうの収穫に僕(しもべ)を農夫たちのところに遣わした。けれど、農夫たちは僕(しもべ)を袋叩きにした。
・・・これは、ユダヤ人の祭司長、律法学者達が旧約の預言者たちに耳を傾けないで、かえって迫害したことを指しています。(ヘブル11:35〜エレミヤ、ゼカリヤ、イザヤ、その他名も無い預言者たち) イエス様は、どんな口調で話されたのでしょうか。エペソ4:15では「愛にあって真理を語り」とありますから、きっと優しく、しかし、はっきり語られたのでしょう。そして彼らが悔い改めるのを望んだのでしょう。しかし彼らは悔い改めずにイエスを捕らえようとしたのです。(12節)

旧約時代に戻りまして、こんな残酷なことが起こった原因は何なのでしょう。真実が見えないからでしょう。私達は心の目がはっきり見えるように(エペソ1:18)求めましょう。嘘つきでだますサタンに惑わされないようにしましょう。偶像を取り除きましょう。(第2コリント4:3,4)

10節は詩篇118:22,23の引用です。これはイエス様の十字架と復活を意味します。
同時に「何の役にも立たないと思った石」とは人間的に見て価値の無いような人でも主の手にかかると大切な存在となるのです。ですから、人を自分の価値判断で決めるようなことはしないでおきましょう。

13節:群集に人気のあるイエス様に対してねたみに燃え上がったパリサイ人やヘロデ党をが、罠にかけようとやってきます。

14節:パリサイ人は、「ローマに税金を納めることは神に服従するのでなく、ローマに服従することである」と考えて嫌いました。ヘロデ党(ヘロデ王家再興させるためにローマに積極的に協力し納税も勧めたユダヤ人の一派)は納税に賛成していました。
どちらに答えても一方が反論するように、なっています。イエス様の答えは、素晴らしいもので「カイザルのものはカイザルに。神のものは神に返しなさい」というものでした。

この答えは、今の私どものクリスチャン生活にも適用します。
カイザルのもの・・・すなわち、税金とか、いろんな支払いです。それを滞(とどこお)っては、なりません。

また、神のものとはなんでしょう。聖書は明確に示しています。(マラキ3:8〜12)神様は全世界の創造者ですから、不足はありません。しかし、神の国の拡充を私達と共にされるお方です。神様は私どもの心を見られるのです。献金は教会の必要を支えますし、それだけでなく、やがて行くべき国(天国)において、家の材料となるのです。クリスチャンは、世の中の支払いと教会の献金で大変と思われる方もあるかもしれません。けれどその分、無駄遣いをしなくなります。主はいつも見ておられ、半にありあふれる祝福をくださる方なのです。
「人は神のものを盗むことができようか。・・あなたがたはわたしのものを盗んでいる。・・『どのようにして、私達はあなたのものを盗んだ・・?』それは十分の一と奉納物・・である。あなたがたはのろいを受けている。あなたがたは、わたしのものを盗んでいる。・・十分の一をことごとく、宝物倉に携えて来てわたしの家の食物とせよ。・・わたしがあなたがたのために・・あふれるばかりの祝福を・・注ぐ・・」(マラキ3:8〜10)
又、献金と伝道は、天国に私達が住む家の材料となるのです。
主の命令に忠実に歩み、今の世と後の世で祝福された者となりましょう。

 

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