教会礼拝メッセージ要旨


 
 2008年5月25日メッセージ

いのちを与えるのは御霊です

ベテルキリスト教会  牧師 横谷 誠一
 
ヨハネ6章63節 「いのちを与えるのは御霊です。肉は何の益ももたらしません。・・・」とありますように、人間は生まれつき肉の性質を持っています。その証拠に赤ちゃんが覚える最初の言葉は「マンマ、マンマ」です。人も動物も体はすべて食べものによって維持され支えられているからです。
特に人間には、肉体、心、霊の3つがありますが、肉体はやがて死に土に帰っても、心と霊は不滅です。この心と霊が本来の私でありまたあなたなのです。なぜなら、この人の心と霊には神のいきがかかっているからです。だから不滅なのです。

ヨハネ6章40節 「事実、わたしの父のみこころは、子を見て信じる者がみな永遠のいのちを持つことです。わたしはその人たちを一人ひとり終わりの日によみがえらせることです。」
ですから、復活のいのちを与えて下さるのは、御霊なのです。イエス様の御霊がいのちを与えてくださるのです。
ですから我々は死んだら、仏壇や墓に入るわけではありません。我々は皆、死後においてすべてが終わりではなく、どんな人でも神の前に出る時があると聖書は言っています。そのときある人は右に、ある人は左に行くように分けられるのです。右は神の恵みの祝福を受ける場所であり、左は神の祝福から遠く離れた迷いの人生で、行く先は恐ろしい所だそうです。
ある宗教では、大変な修業をして高い地位に就く人がいます。この世で立派であっても、修業を通して天国に入れるわけでもありません。天国に行けないのです。イエス様を信じる信仰者だけが天国へ行ける神の約束なのです。その代価はキリストが十字架を通して、成してくださいました。
  1. 玉子には、有精卵と無精卵があります。有精卵の卵はひよこになりますが、無精卵は、いくら温めてもひよこにはなりません。そのようにイエス様を持っている人だけが有精卵で生きていけるのです。そのように御霊によって生かされている人だけが復活の命に預かることができるのです。
    神様は、すべての人に御霊を注ぎたいと望んでおられますが、私たちが、キリストを信じ受け入れるのでなければ、主は御霊を注ぐことをなさりません。
     
  2. 我々は、イエス様を信じる者は神の子とされたのです。
    聖書に賢い5人の乙女と、愚かな5人の乙女の話があります。賢い乙女は花婿がいつ来てもいいように、油を用意していました。愚かな乙女は油を用意していませんでした。昔は電気が無いので油であかりをつけていたのです。油を余分に持っていないと、ランプの中の油が無くなって、灯は消えて暗くなってしまいます。花婿がこられた時。愚かな乙女達は油を買いに行っている間に 花婿が来て油を用意していた乙女と共に部屋に入り戸は閉じられてしまい、愚かな乙女達は叫びます。ご主人様開けてください。と叫んでも。門は堅く閉じられて、開けて貰えなかったのです。
    ですから、私達は主の前にいつも聖霊の油を用意しなければなりません。その為に聖日礼拝を休まないようにし、日々キリストとの交わりをおろそかにしないことです。この忠実な歩みが大切なのです。
     
  3. 我々の命にスペアは、ありません。
    昔はよく停電したものです、しかし今は電気は停電しません。それは工事する時も災害の時にもすぐ復旧できるように、高圧電線が2系と、3系とあるから停電しないのです。コンピユ−ターにおいても同じです。アメリカの国防省のパソコンは、一台故障しても問題ないように5台のスーパーコンピュターを使って国の安全を守っているのだそうです。
    人間には「私は罪深いから、もう一つ別のいのちを使おう」ということは出来ないのです。いのちはひとつです。私達は信仰と祈りと聖霊によって生かせて戴きましょう。
     
 

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