| 2008年6月8日メッセージ |
イエス・キリストは生きている者の神( マルコ12:18〜34) |
| ベテルキリスト教会 横谷 純子 |
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18〜27節 サドカイ人は「復活はない」と主張しています。「サドカイ人はモーセ5書(創、出、レビ、民、申命記)だけを律法と認めていたので、そこに教えられていない復活の教理は受け入れなかったのです。しかし、イエス様は出エジプト記(3:6)から、「神はモーセに『わたしは、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。』と言っている」と指摘されます。ですからモーセ五書にも載っているのです。 神はモーセより、ずっと以前に亡くなった族長(国の指導者)達と、なお生きたかかわりを持っておられるのです。彼らは死後も神にあって生きており、やがて必ず復活するとイエス様は言われるのです。 又、「天国では男も女もない。(25節)」聖書のどこに書いているのか調べましたら、外典のエノク書104:4、第2バルク51:10にあることが解りました。 イエス・キリストの神は生きている者の神です。今、神様は目に見ることも声を聞くことも手に触れることも出来ませんが、確かに傍にいて私達を守り導いてくださるのです。又主は、私も主人も交通事故より守ってくださいました。皆さんもそういう守られた経験をお持ちと思います。私達は神の中に生き、動き、存在しているのです。(使徒17:27、28) 28〜34節 一番大切な戒め・・・「主は、唯一の主である。」この29節、32節の言葉に初めて目がいきました。 神は唯一なのです。ある人は、神社に行けば、そこの神様、又お寺に行けばそこの仏さんを拝みたくなる方がいらっしゃいます。 イエス・キリストの神と私たちの関係は夫婦のようであり、親子のようなものです。 「夫婦は結婚して一体となる。」夫婦の契り・・・即ち血の契約を結ぶことが契約となります。親は一般にひとり(父母)しかいません。それと同じように神様も一人の方と契約を結ぶのです。それがイエス・キリストを信じるということです。 もし、他の神様を信じていたなら(契約を)破棄すべきです。そうでないと重婚になり、法律で認められません。 ある人がクレジットカードだと得になると言われてカードを作りました。その人は、クレジットカードが嫌いなので、やがて切り刻んで捨てました。そして「やれやれ解放された」と思ったそうです。しかし、何年も経って通帳を見たら、カードの会員代金が毎年引き落とされていたそうです。それを勧めたお店に行きますと「そりゃ、やめますと契約にサインしなければ駄目ですよ。」といわれたそうです。 そのようにイエス様を信じるということは、前の神と契約を破棄しなければ、いつまでも付いてくるのです。 では、前の神との契約書をどうすれば破棄できるでしょうか?それは、イエス・キリストの血潮、お名前のサインです。 「イエス・キリストの血潮によって他の神との契約を破棄します」と言えば、いいのです。まだ、されてない方は、今真剣な気持ちでしてください。 どうして、イエス様の血潮は、そんなに有効なのでしょうか? イエス様は私たちの罪(神の言葉に聞き従わず、自分中心に生きていること)のために、鞭打たれてくださいました。それも、普通の鞭ではなくガラスの破片が9個鉛で固められた鞭なのです。それを39回打たれてくださいました。ガラスの破片が付いているのを屈強なローマの兵隊が鞭打ちますから、筋肉に食い込み、それを又屈強な兵士が引っ張るので、終いには、耳も取れ、鼻もちぎられ、目玉もえぐられたのです。 まことにイザヤ52:14に、「その顔だちは、そこなわれて人のようではなく、その姿も人の子らとは違っていた。」というイエス様の生まれられる700年も前に預言されたとおりになったのです。―それを見た父なる神様は満足されたーとイザヤ53:11とあります。 少し本筋と離れますが、そのような状況で十字架上で語られた愛に満ちた、又権威のある七つの言葉を語られたとは・・・何という精神力でしょうか?神様に違いありません。 特に「父よ。彼らをお赦しください。(ルカ23:34)」とおっしゃるのには圧巻です。 私達は人によく腹を立てるものですが、主は「復讐はわたしのすることである。」と言われます。(ローマ12:19,20) このような苦しみに遭 それから、神の戒めを守ることは、私たちの祝福の源なのです。 そして一番大切な戒めは30,31、33節にあるように『心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ』。次に『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』とあります。 毎週の礼拝で十戒を告白していますが、一から、四の戒めは神様に対するもの、五から十の戒めは隣人のためです。 自分と同じように、というのは、自分がして欲しいと望むことを他の人にもする(マタイ7:7)ということです。しかし、それぞれの仕事などは違いますから、先ず、自分に与えられた仕事を(職場の仕事、教会の奉仕)してから、他の人のために時間を割 自分の仕事も奉仕もほったらかして他の人に仕えることをしても、すべてがうまくいきません。 神様の奉仕は、お金にならないからとなおざりにしないでください。只より恐いものは無いと言いますでしょう。神様のために報いを求めず一生懸命するなら、この世でも祝福され、天国に於いては、家の材料を運んでいることになるのです。 精神的に弱い方は、人に甘えるというか、人を振り回すところがあるので私達は気をつけなければなりません。 とにかく、神様の戒めを守って生きることは祝福になるのです。申命記30章をぜひ読んでください。 すでに、この戒めに違反してしまったこと(盗み姦淫、堕胎など)があるならば、主に赦しを請いましょう。主は十字架の血潮で赦してくださるのです。(第1ヨハネ1:9) ですから、「うしろのものを忘れ、前のものに向かって前進しましょう。」ピリピ3:13
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