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「祈りとは神への会話である。」とある人が言われました。会話とは神から人に与えられたコミュニケーションです。
人々はそれぞれの国の言葉で会話をし、交わりを通して日々生活をしているのである。それと同じように神への会話と交わりも大切なのです。一緒に住んでいる家族や、また人との会話がないと砂漠のようになるのとおなじく、神との会話とか交わりがないと、魂と心が砂漠になってくるのです。
【祈りの種類】
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神への感謝の祈り
「ありがとう」と言う感謝の祈りが必要です。家の中では母さんありがとう、父さんありがとうと子供たちや夫婦で互いに言って感謝している家庭は幸いです。神様に対してもそのように感謝をささげている家庭は、国民は幸いなのです。(1テサロニケ5章17節・・・ 絶えず祈りなさい。)
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神への願い、嘆願の祈り
自分の必要(いやしを求め、幸いを求め、また家族、隣人のためのとりなしの祈りなど)があります。
特に家族、親族、兄弟姉妹、社会の為に祈る行為、行動は愛がないとできないことです。それは愛のあるところにまた心もあるからです。私の娘と孫は今アメリカに住んでいますが、私の心もアメリカにあるのです。
イエスの父なる神への祈りを見てみよう。(マタイ26章36-46節。ルカ22章39-46節)
イエスの祈りの場所はいつもゲッセマネの園であった。あなたは祈るとき祈る場所を決めておられますか?
私たちの一生は自分ではわからなくても、イエスのご自分の一生はすべて知っておられました。そのキリストの一生は決して楽な道ではなかったのです。人々のキリストに対する求めとは相反するものであったのです。人々はこのキリストをこの世の王にしようとした時がありました。キリストもそのほうが良いと思われたことでしょう。しかし、父なる神のみ旨はそうではなかったのです。全人類の命とわが子、御子の命を測られた時、全人類の命を尊重されたのでした。
63年前、日本人は日本国民を守る為にわが子をお国の為にと言って政府に差し出しましたが、本当にそうであったでしょうか。わが子を助けたかったが、軍の命令でわが息子を差し出さざるをえなかったのが現状であったのです。人の子も可愛いがそれ以上にわが子をいとおしく思うのは本当の親子の情です。神は人々をわが子イエス以上に愛されたのです。ここに神の本当の、究極の愛が人々に現されたのである。
イエスはひれ伏して祈って言われた。「わが父よ、できますならこの杯をわたしから過ぎさせてください。」この杯とは十字架における苦難の杯です。しかし私の願うようにではなく、あなたのみこころのようになさってください・」キリストは自分の思い考えとは違っても、神のみ心を第一に求められたのです。ここに神を父とする者の信仰者の姿勢があるのです。
自分の思いどおりにいかないと神に不平不満を言う人々よ。それが自分にとって好ましくないことだと思っても神のみこころを第一に求めていきたいものです。
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賛美の祈り
賛美の捧げもの、感謝の捧げものなどがあります。また祭典、お祭り、歓迎のことば、ホサナ、ホサナと礼拝においてもキリストを歓迎することばが必要です。全人類の贖いの業を終えられたキリストが、今聖霊となって教会に家庭に兄弟姉妹のうちに来てくださるのです。聖霊様を歓迎するところに力があり、力強い信仰が生まれてくるのです。今、北京でオリンピックが開催され多くの若者が競技を競い合っています。素晴らしい事です。キリスト教会は聖霊を歓迎して神の祭典が大いになされるところであります。
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主の祈り
これはキリストが弟子たちにこう祈りなさいといって祈りを教えられたところです。いつも教会で告白していますが、神は心の伴う祈りと賛美を神は喜ばれるのです。
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