証し集 ― 30周年記念に寄せて ―  

門真バプテスト教会 教会員 他の方々。
 

 私が教会に来た頃と今

玉 置 寛

 「昭和42年(1967年)10月10日火曜日第1回体育の日、京都丸善書店にて求む。玉置 寛 23歳」
これは、1冊目の聖書の裏表紙内側に記された銘であります。
「人の生とは何か、道とは、愛とは、この世に生まれて来て何をなすべきか・・?」と魂の奥にある叫びの回答を求めて、書を読み、授業をさぼっては京都の寺寺の静寂の中に座していた大学2年生の時であります。
 「カール・ヒルティ」との出会いにより、「この魂の叫び」への回答が「神さま」にあることが示され、自分自身で直接、「神様の言なる聖書」に触れたくて、購入したものです。   
 私が初めて教会に足を踏み入れた、いや、“神様によって教会に導かれた”のは、昭和42年(1967)10月末の頃、34年前と記憶しています。
同窓生の平田謙介兄が、我が下宿の本棚の中より上記の聖書を発見したことがきっかけでした。当時は、山辺兄弟姉妹や佐藤のおばあちゃんと平田兄を中心とした数名の群れの教会でした。
 聖日礼拝は、大阪聖書神学校のノードストロム師と数名の神学生の奉仕により守られ、平日の教会は佐藤 義姉の奉仕で守られ、祈祷会は佐藤姉と山辺兄姉達数名により守られていました。昨日の事のように思い出されます。
 昭和43年(1967年)4月7日の早朝、白井牧師御一家を門真にお迎えし、家財を運び込んだ事を、今もありありと覚えています。
 昭和43年11月24日に、門真教会第1回目のバプテスマを4名の兄弟姉妹と共に受けました。以来34年に成ろうとしています。
 昭和44年卒業、S45年(‘70年)6月結婚と同時に群馬県高崎市へ移転、前橋教会に出席、S46年(’71年)9月長男真生誕生、S48年(‘72年)泉南市新家に移転し、門真教会に復帰、S48年(’72年)12月再就職、S50年(‘75年)5月次男道生誕生、S56年(‘81年)8月今の城山台に移転、S56年(’81年)11月三男証誕生、S58年(‘83年)4月再々就職、平成9年(’97年)長男結婚、‘98年初孫「実結」誕生、2000年10月2人目の孫「時也」誕生、2001年3月次男道生結婚、2001年4月証の高校卒業・大学入学・・・・・・・等々。
昭和42年(‘67年)、私一人で、教会に導かれて以来34年目の2001年現在、嫁二人、孫二人の計9名のファミリーと成りました。
 最良の我が骨の骨(創世記 2:23)を与えて下さり、一人が二人に、二人の間に3人の息子が、その息子に二人の嫁と二人の孫が与えられ、ただ今9人の大家族にまでにさせて頂きました。
家内と共に歩んだ31年間。信仰的にも、いろいろな試練の内を通されました。時には山や谷を、ある時には火の中、水の中を潜らさせられましたが、常に、主が共にて下さいました。日々の生活においても、家内に知恵を与えて下さり、過不足なく満たして下さいました。

「不真実と偽りとを私から遠ざけて下さい。
貧しさも富も私に与えず、ただ、私に定められた分の食物で、私を養って下さい。私が食べ飽きて、あなたを否み、「主とはだれだ」と言わないために。また、私が貧しくて、盗みをし、私の神の御名を汚すことのないために。 」(聖書 箴言 30:8〜9)

主の御業は何と素晴らしいことか!!!

この34年間は、あっと言う間に過ぎた時であると同時に、様々な信仰上の又身辺上に展開したドラマを思い起こす時、そこにある大きく、重みを持った時々の流れでもありました。
わが主は、何時も、その御手の中に、私たち小さき者を支え続けて下さいました。言葉に言い表すことが出来ないこの主の深き御恵みに対し、ただただ、感謝でいっぱいであります。

{ わが魂よ。主を誉め讃えよ。

私の内にあるすべてのものよ。聖なる御名を誉め讃えよ。
  わが魂よ。主を誉め讃えよ。

主のよくして下さった事を何一つ忘れるな。 }
聖書 詩篇 103編 1〜2

教会としての34年間にも、いろいろな変遷がありました。
  昭和43年(‘68年) 4/7:白井牧師御一家門真に入る。
  昭和45年(‘70年)2/9:第1回改築・献堂式と「門真伝道所」の開設
  昭和46年(‘71年)10/18:「教会設立宣言」
  昭和51年(‘76年)5/23:第2回目改築・献堂式
  平成12年(2000年)10月からH13年3月:会堂改装工事
を経て、現在の容姿が整えられました。
 この間、二人の牧師夫人の召天、牧師の大病、教会員の転出等、教会存続にかかる試練を通されましたが、主は、残り人を愛し生かし用いて下さって御恵みの内に支え続けていて下さいます。
ああ!何という主の御恵みであることよ!
 この34年間、主は、門真に集められる子羊を牧する為に、「主の選びの器」として、白井牧師を備えて下さった事に対し心から感謝をしています。
どんな状況の内にも、常に、主に、全てを委ね切って、主に頼られる信仰の姿を通して、また、白井師のメッセ−ジを通して、弱き信仰者である私達は、この34年間の信仰の道を歩むことが出来ました。
 主と白井牧師と夫人に対し、心から感謝を申し上げます。
これからも更に、主の御用の為に大きく用いて下さる事を祈ると共に、仕えて、励んで、生きます。
 門真伝道30周年記念誌の発刊に当たり、過ぎし34年間の主の御恵みに心から感謝し、もう一度、御名を誉め歌います。

{ わが魂よ。主を誉め讃えよ。

私の内にあるすべてのものよ。聖なる御名を誉め讃えよ。
  わが魂よ。主を誉め讃えよ。

主のよくして下さった事を何一つ忘れるな。 }
聖書 詩篇 103編 1〜2

2001年7月 記

 

 私が初めて教会に行った頃

平 井 直 樹

   数年前の私は、いろいろな事に悩み、それに自分自身が押しつぶされそうになっていました。
心の重荷を下ろす所が私にはありませんでした。
 教会に誘われて行ったのは、そんな重荷を軽く出来るかもしれないといったかすかな期待からでした。
行ってすぐに軽くなった訳ではありません。しかし、話を聞いていくうちに、聖書の言葉が心に入ってきて、気持ちが軽くなっていったのを覚えています。
言葉は、私に、自身を与えてくれました。そして、教会のクリスチャンの方々の笑顔も忘れることが出来ません。
 今の私があるのも、教会に行かなければ、なかったでしょう。
自信と勇気を与えてくれた言葉とクリスチャンの方々、そして、教会に今でも感謝しています。

ア ー メ ン
2001年7月 記

 

 30周年記念に寄せて

岩 垣 辰 男

☆ バプテスマ:S42.7.23 (滴礼:S32年)

 今まで、苦しかった事、辛かった事が自分にとって必要な過程であったと思える様になった。顔全面と首の皮膚病、腰痛もそれぞれ長期であった。時間もなくお金もなく、同僚との付合いも出来なかった。病気もあった。振り返れば順調に推移した事は少ないように思う。仕事優先で家族は犠牲にしてきた。全てが普通の状態で推移していたら、今以上に自分勝手で傲慢な者であり、我が儘で辛抱の出来ない者であったと思います。
 今、大きな事から小さな買い物に至るまで神様に導かれている思いで一杯であります。
神様は、日々、共に歩んで下さっております。耐えさせて下さった神様に感謝です。

 

岩 垣 加 世 子

☆ バプテスマ:S41.8.17 

 主にある歩みを振り返る時は、いつも聖霊様の忍耐深さを思わずにはおられません。
主の大きな、深い御目的のため、主の大いなる証のために召された私たちであれば益々主の御手のもとで訓練を受け御心に歩む事が出来るよう、肉を十字架に付けて砕かれた砕かれた魂となり、救いの完成を目指したいと切に願っています。
 「罪過の中に死んでいたこの私たちをキリストと共に生かし、―――――
キリスト・イエスにおいて共に蘇らせ、共に天のところに座らせて下さいました。それは、後にくる世々において、この優れて豊かな御恵みを明らかにお示しになるためでした。」( 聖書 エペソ:12章5節〜7節 ) 

 

私が教会に来た頃から今日まで

守 屋 丈 夫

☆ バプテスマ : 昭和35年11月15日
☆ ひとこと   : 忍耐を養う
 平成6年2月2日の朝の家屋焼失のため、資料がなく、記憶も定かでなく、その時には、白井牧師をはじめ、教会員の皆様方と多くの方々に心からのお祈りと励ましとお情けを頂きました事、涙をもって心よりお礼の言葉もありません。
 娘の結婚も先方にお断りしましたが、若い二人で少しずつ築いていけば良いとの先方の言葉を受けて、結婚式は娘達でしてくれましたので無事に終えるが出来、感謝しています。
また、家内の身内よりの多くの援助を受け、家内は入院中でしたが私も精神的、肉体的に弱っていました。家を建てることを諦めていましたが、元の場所に再び家を建てることが出来るとは思ってもいませんでした。それが出来たことは夢のようでした。
 私が教会に来た時は、白井先生のメッセージもなかなか良く、教会員の方々も家族連れが多いなあと思いました。この教会ならば長く続けられるのではないかと思っていました。
それから白井先生の大病に続き、夫人の召天、教会員の離散の悲しみを味わい、「悲しむ者は幸いなり。喜びを見るであろう」と聖書の御言が私の心に、魂に確信をもたらしました。
苦しみと悲しみの試練は、私に忍耐と信仰の成長を与え、神への愛と感謝に心を振るわす時が与えられました。 

 

 30周年記念に寄せて

柴 崎 伊 代 子

☆ バプテスマ : 1971.11.28

 30年、私達人間の側では、いろいろな事があったけど、イエス様は「昨日も今日も変わらない」と言われています。

「何時も喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。全ての事について感謝しなさい。
 これがキリストイエスにあって、神があなたがたに望んでおられる事です。」

聖書 テサロニケ1:5:16

ハイ! わかりました。イエス様。今日も元気に生きています。

2001年7月 記

 

 教会へ来た頃の私

松 井 一 夫

☆ 生年月日  :1948年9月23日
☆ バプテスマ:1968年7月21日
☆ 愛唱さんび:461 405 533
☆ 信仰信条 :イエス様と兄姉に愛された幸せを教会に仕えることで感謝を表したい。

 昭和五十八年に現在の住所に引っ越して参りましてより、門真市内の教会へ転会する願いを持っておりまして、そんな状況の折りにドアーのポストに門真バプテストキリスト教会の案内が入りました。教会の皆さまとは初めてお目にかかる方々ばかりでしたが主にある兄弟姉妹としてお交わりを頂きましたので、家族一同心易く教会生活を継続させて頂くことが出来ました。感謝で一杯です。 第二子の翼が生まれまして間もなくの頃でしたので毎日がてんやわんやの有様でした。当時私どもと相前後して岩垣兄姉、守屋兄の出席される姿に接しましてより今日に至っております。私どもの信仰と教会生活は門真キリスト教会への転会を通してようやく確かなものとなり感謝致しております。白井牧師をとうして神様の御旨を教えられ、聖霊に満たしていただくメッセージに与らせて頂いて参りました。礼拝の民として毎聖日を目指して夢中で過ごして参りました。その間私どもの周りではいろんな事が起こりましたが、それでも感謝して恵みを求め次を目指して進んでまいりました。年を重ねることで期待が大きくなることもあり、又 逆に自由の利かない事にも出合いました。身体的な事は争えないものと思うのですが、信仰と霊性の世界では、日々の戦いに勝利する・・事は大切な事であり疎かに出来るものではありません。御霊の働きかけによって初められた罪からの救いの恵みと喜びを誰にも奪われることなく、イエス様に再びお会いするその日まで真実を見失わずに歩ませて頂きたいと願わされております。時にはその真実を見失って慌てふためく私ども一家一同であります。何でこのようなことで慌てふためくのかと思われるようなことであっても、愚かしいばかりになって「主よ 主よ」と只、呼びかけを繰り返すような者であります。
 それでもです、私どもは「主」を呼ぶことを知らされておりますので、主の助けを期待し待ち望むと言う幸いに与らせて頂き感謝です。イスラエルがエジプトを脱出し、荒野を長きに亘って旅しましたが、道中には希望もあり失望もし、信仰の高揚の時不信仰の露呈や叱責を受けるなど・・全く持って心定まらずの様子を見るにつけ 弱い心根の者を堪え忍んで下さるお方であるイエス様とその十字架の贖いに心強められ驚異の思いを抱かされるばかりです。一度は壊れた土の器のような私のこころにこのような宝を預けて下さっているイエス様のお約束のみことばを片時も忘れ ず、自分を見失わず又、信仰の創始者であり、完成者であるイエス様から目をそらすことのないものでありたいと願うものです。

 

 門真教会に導かれて

滝 本 五 月

主が行われた“くしき御業”を思い起こせ(聖書 詩編 105:5)。
1975年8月25日、門真市石原町に神様は私の家族を移して下さった日です。
 神様からの試練を背負って・・・・、何ケ月が経ったある日、買い物の帰り道、教会堂の上に建てられた十字架が私の目に飛び込んで来ました。
「神様・・・・」。 私は、そこに、立ち竦んでしまいました。
静かに、祈りの教会の前をゆっくり見て帰りました。幼子を連れて、乗り物を3回乗り換えての教会出席・・・? 祈りの内にありました。
「エホバ、エレ」
 それからは、味方を得た祈りが続きました。子供の手を引いて訪れた門真教会第1回目の礼拝、恰も、その日は特別伝道集会でした。
「宣教 古山洋右牧師」と記されていました。
賛美・・・、祈り・・・と、もう私は神様の恵みの満たしに泣きじゃくっていました。
母を案じる幼子の顔がありました。その日の日記帳のいっぱいの恵みの中からの証です。
何度かの祈祷会の夜、会堂の外に立ちました。
あの日から早いもので25年の年月が経ちました。神様と共に歩ませて頂いた日々です。
 30周年記念を感謝する時、深く思わされます。神様の御愛を教会に、そして、我ら一人一人にと。
 「私は、あなたを選んで捨てなかった。恐れるな。私はあなたと共にいる。」 (聖書 イザヤ 41:9〜10)
 喜びと祈りと感謝をもって主にある兄弟姉妹と信仰生活を共に進み行くことが出来ますように。

平安、感謝。

2001年7月  記

 

イエス様に出会って

宮 本 清 子

☆ バプテスマ : 1974年9月15日

 門真教会が発足して30年経ったという事で、自分の人生をも振り返ってみなした。
 昭和40年に結婚し、門真市大倉町からスタートして11年住み、守口市に転居して現在に至る訳ですが、私が初めて教会に行ったのは、長女が7歳、長男が3歳の子育てで頑張っていた49年(1974年)の初夏、一枚トラクトを持って外国の人(故ノードストロム先生)が来られました。
 そのトラクトの文面に「あなたは病気が直りたくありませんか」というニュアンスで、もう記憶が薄れてしまったのですが、その頃、毎日の生活で体力が落ち、毎日病院通いの日々でした。慢性の病気もあり、よく風邪を引き心身共に疲れていて、病気と仲良くしていた時でした。
 自分の意志でもなく見えない誰かに促されるような感じで、生まれて初めて教会の門をくぐりました。
洋画に出てくるような教会とは似ても似つかない一軒の民家の中で集会が行われていました。礼拝時には、襖を外して大広間にてし、イスを畳みの上に並べて、準備も皆、一丸となっていた感じで、今は、懐かしい情景です。
先生の話はさっぱり記憶に残っていません。その後、伝道師の木下明子先生(御坊教会牧師夫人)が再三訪ねて下さって、イエス様の十字架の贖い、罪のこと、聖書の内容など、耳に新しい事ばかりでした。
一緒に祈って下さったり、祈り方を教えて下さったり、いろいろフォロ−があったから今日まで続いて来られたのだと感謝しています。
 その内、病気の事より、罪の悔い改めが先決だと、イエス様を受け入れ、罪を言い表し、祈った時、溜まっていた涙がどっと溢れ、顔を洗う程で、あの感情は今、思い出しても目頭が熱くなります。26年経っても、ボ−フラのような浮き沈みのある信仰生活ですが、悔い改め、祈るということで、自分を見つめ直し、ストレスが解消されて元気を取り戻すことが出来、日々、感謝の毎日です。
 この世にあっては、悩みがあり試練は絶えることがありませんが「いつも喜び、絶えず祈り、全ての事に感謝しなさい」(聖書 テサロニケ 1:5)
この御言を守って、イエス様に委ねて、いつも明るく歩んで行きたいと願っています。
 願うことなら、この教会が、地域に根ざし、“心の寂しい人々の憩いの場になれば”と主に願っているこの頃です。

 

 私が教会に来た頃と今日

石 岡 文 子

 昭和五十九年、五十七才で教職を退職してからは、主人と暮らすかたわら、篤子の家事の手伝いや孫らの面倒をみていました。
 その頃から教会へ通いはじめました。白井牧師が、わざわざ門真のマンションに出向いて来られ、丁寧に聖書の手ほどきをして下さいました。
 昭和六十三年、還暦の年にバプテスマを受けました。夏の盛りの暑い時で、窓からさし込んで来る光に、水槽から来る光がきらきらと輝き、孫たちが不思議そうに覗き込んでいるのが印象的でした。その時白井牧師が、「キリストはあなたの身替りになって、十字架につかれた事を信じますか」と問われ、「はい」と何げなく答えたことを、今でもはっきりと覚えています。後になってだんだんに、この意味の深さが解って来るようになりました。
 それからは、『日々のみことば』によって毎日聖書を読むようになりました。平成七年十二月第一回目の立証を、平成十二年十一月には二回目の立証をしました。この時は「ルツ記」にひかれていましたので、何度も読み返して、証の軸にしました。
 自分の信仰はまだまだ浅く、未だに一人の伝道をしていない事を恥ずるばかりです。
 しかし今日の自分があるのは、イエス・キリストの恵とあわれみのおかげであって、決して自分の努力や力ではないことが解り、謙虚な気持ちになることができました。
 また人に対しても、やさしい心でつきあい、嫌な言葉はなるべく聞き流し、相手のためにとりなしの祈りも出来るようになりました。主を信仰する道に入って本当に良かった、と思います。
 これからの晩年の人生にも、いろいろな大波がやって来ると思われますが、聖書をよく読み、そのみ言葉に耳を傾けて、一歩一歩あゆんで行きたいと思っています。 

 

 証 し

田 口 芳 信

バプテスマ : 1975年5月25日
愛唱賛美歌 : 聖歌521「キリストにはかえられません」
愛 唱 聖 句

: エレミヤ記 29:11
「わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。 −それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに 将来と希望を与えるためのものだ。」

 特別伝道集会の看板作りは青年会が担当していました。我々青年会のメンバーは期日まで仕上げるために「あーでもない」「こうでもないと」七転八倒しながら、もうこれでよし半ばあきらめて、これで完成と思ったとき、時の青年会長が残業を終え帰宅途中に教会に寄り、看板を見るなり満足出来ないのか自ら手直しをしている光景は、私が教会に来た頃でした。
 初めて教会に足を踏み入れのは、1974年10月の秋の特別伝道集会で、通勤途上に掲げた一枚の看板に ”神は愛なり−あなたの人生に生きがいを与えます” その様な内容に心が引かれたのは、ある意味で妥協しない看板作りに使命感をもって、作成する青年会のメンバーに神さまの導きを感じました。
又 教会のイメージはと云うと想像していたものとは、ほど遠い一軒家でふすまを取り外して会堂を作るといったもので会堂の真ん中に細い柱が会堂を支えていた事を称して、当時の会計執事で長身で細身の方であると言われていたのが昨日の様に思える、何とも言えない暖かみのある家庭的な教会の印象でした。
当時は青年会主導型の躍動的な教会で青年会のメンバーが多く活動的な中にキラリと光る信仰の姿があり、教会の周辺のアパートには青年会のメンバーが集まり、あたかも牧師夫人は寮母さんの如く 、私たちの面倒をみてくださり、カッターのアイロンを掛けてくださり、体が不調な時には、「野菜が不足しているのでは」と野菜ジュースを作って下さったことは今でも忘れることはありません。
わたしが独身の頃、教会のすぐ前のアパートに住んでいたのですが、教会の2Fの牧師館からはいつも笑い声が絶えなく、特に夫人の甲高い笑い声は印象的で、開拓時期の苦しい中にも”絶えず喜びに溢れた”証しをかいま見る事が出来ました。青年会の活動を通じて又暖かみのある教会に守られて私の信仰が育てられたことは感謝でした。 
 現在、4人の子供が与えられ喜怒哀楽な生活を送っています。
「神の国と神の義をまず追い求めなさい。そうすれば、あなた方の必要をすべてそなえられます。」
これからも、神さまの導きと助けの中に活かされた者として生きたい者です。

 

 30年を振り返って

大 江 静 子

 13歳の頃、母に連れられて高砂日本キリスト教会へ行きました。
そこで終戦をむかえました。
23歳で結婚、長男がお腹に9ヶ月の時に、主人が結核で入院、長男が幼稚園へ行く時期に、私は多発性リュウマチと腎臓で入院していました。
 その後、京都より門真へ引越して、教会を探していた7年間、やっと巡り会えた教会の前を、行ったり来たりして、やっと入った事を覚えています。
結婚して13年間、放浪の旅のようでした。1969年36歳の時、バプテスマを受け神様が私を見出してくださり、嵐の時も凪いでいる時も私を支え養い、時には訓練や試練を与え、多くの恵みを与えられて、今日まで、来る事ができました。

「我はぶどうの木汝はその枝なり」 (聖書 ヨハネ15:5)

 苦闘の日々であったようでもあり、私にとっては、信仰生活54年は、あっというまの日々であったようです。

「主は我が牧者なりわれ乏しきことあらじ
 我が世にあらんかぎりはかならず恵みとあわれみと
 我にそそぎたらん
 われはとこしえに主の宮に住まん。」

聖書 詩編 23編
 

教会のあれこれ(今昔)

高 瀬 緑

*主の御名を賛美致します。
 私のバプテスマには、親族代理としてお友達のピアノの塾講師の方が出席して下さいました。あれから十数年の月日が流れました。
門真教会は、今年、その伝道30周年を迎えることになりました。現在は会員の方々の大半が、転勤やその他の理由により入れ替わり、教会の形式がすごく民主的な運営になり前進しております。
 最近はルミエール集会が、月一度(第三週の日曜日)に持たれ、賛美歌、説教、紙芝居映画、等々多角的に発展しています。尚、他教会からの交流もあり異なった環境で、運営されている教会、並びに牧師先生の説教には力強さがあります。
 16年前、田原先生に導かれて教会を訪れた折り、午後の部で、丁度、山田先生の女性合唱の指導の日でした。発声練習、パートのより分け等、熱心なご指導振りがうかがえました。現在は昔とかわり、混声コーラスとなり、新しく男性数名が加わりました。尚婦人部主催の俳句の会は、2年目を迎えます。
 教会の更なる発展をお祈りつつ、感謝いたしております。

アーメン。 

 

 私が教会に来た頃と今

玉 置 純 子

 門真教会30周年、心から神様に感謝します。
私が初めてこの教会に導かれたのは、今から33年前の3月最後の聖日でした。
バプテスマを受ける決心をし、大阪で OLとして初めて勤める事になった時、母教会の三橋牧師に紹介して頂いたのが門真教会でした。
 当時の教会は、無牧の教会で、平屋の一戸建。佐藤 義姉が平日教会の留守を守り、聖日はノードストロム師(連合の宣教師、当時の大阪聖書神学校教授)、枚方教会の田辺牧師がメッセージの御用をして下さいました。7、8人の兄弟姉妹、神学生、求道中の人達が礼拝を守っていました。
 教会に行った初めてのその日は、坂下神学生の送別会の日でした。同郷の坂下神学生は私に、突然、予想もしなかった事を告げたのです。「来週から日曜学校を手伝ってね」と。
 その頃、教会の周辺には空き地も所々あり、多くの子供達がCSに集まっていたのです。かくして私の教会生活が始まりました。
 一年後、白井牧師御一家が御坊から門真に移られ、しばらくして、教会建物も2階建となり、門真教会が新しくスタートしました。
その後、主人と結婚に導かれ、群馬県高崎市に3年半住み、前橋教会に通いました。
その後、大阪府泉南市新家へ、続いて、今の城山台と住居は変わりましたが、今日まで、愛する門真教会で礼拝が、信仰生活が守られました。
 主を第一として仕えられた登志子夫人、寿美江夫人との悲しい別れもありましたが、主は、まさみ夫人を与えて下さり、牧師と共に教会や私達を愛し、執りなして下さり、牧して下さる事、心から主に感謝です。
 また、住む所所で、25年間近く続く家庭集会も、牧師夫妻の祈りと奉仕により守られて来れましたこと、心から感謝します。
 去る6月7日は、満31周年の結婚記念日でした。二人から今は、9人のファミリ−になりました。主は、私たちと息子一家3代が門真教会で礼拝を守れる霊的喜びを与えて下さっています。
21世紀30周年迎えられた事に感謝し、兄弟姉妹と心一つに、教会に多くの救われる人々が起こされるよう祈り続けます。
  「主は私の羊飼い。私は乏しい事がありません。」 ( 聖書 詩篇23:1 )

ハレルヤ!!
2001年7月 記

 

 教会に来た頃と今

松 井 篤 子

   早いもので私たち家族が門真の教会に来てから、はや17年の歳月が経ちました。
その間いろいろな事がありましたが、石岡の母が受洗に導かれたこと、また、結や翼も信仰の決心をし、現在は稗島のお母さんがルミエール集会に導かれていることは、大きな恵みの一つです。
 しかし私の信仰といえば、17年という年月を経ましたが未だにその原点を見失うことが多い弱いものです。そんな私を主は憐れみ、主の御言を悟らしめて下さり、きちんと靴を脱いで、正面から主の御言を受け止め応答し、全てを委ね主の愛に飛び込んで行くことの大切さを教えて下さいました。
 今、与えられている私の大好きな聖歌を紹介します。

聖 歌 422番
1.

罪思い出さする 涙の世よゆけ 笑みと感謝の日々を 我は待てり
我は病みて裸  目に光なけれど だだ君見上げつつ 我ゆかまし

2.

地の宝、快楽 見るだにいとわし ただ慕いまつるは 主の十字架
嵐よはやくゆけ 安きよ来たれとく かなたの光へと 我ゆかまし

3.

主のよみしたまわぬ 手の業我捨てん 主の御心にのみ 我従わん
古き我身ならで 主と共に死したる 新たなる姿に 我ゆかまし

 また私たち家族の歌も頂きました。

聖 歌 590番
1.

救い主イエスと共に行く身は 乏しきことなく恐れもあらじ
イエスは安きもて心足らわせ ものごと全てを良きになしたもう

2.

坂道に強き御手をさしのべ  試みの時は恵みを賜う
弱き我霊の渇く折しも    目の前の岩は裂けて水湧く

3.

いかに満ち満てる恵みなるかや  約束しませる家に帰らば 
我霊は歌わん力のかぎり     君に守られて今日まで来ぬと

 これからも、この主のい愛に生き、与えられた信仰の道を、一歩一歩あるいて行きたいと思わされております。引き続き祈りの援護、宜しくお願い致します。

 

 門真教会に導かれて今日まで

花 田 智 子

 二十歳の頃、門真教会に導かれ、バプテスマを受けてから今日まで、あっという間のことであったような気がします。けれども、息子達がすでにその頃の私の年齢前後になってしまっている現実を見ると、決して短い期間ではなかったのだとも思わされます。そう思うと、短く感じることも感謝だし、長い期間に色々な恵みがあったことを思い起こせることも又感謝だと思います。でも私自身の信仰の成長は、と聞かれれば、甚だお恥ずかしいこと限りないのですが、
ただ「イエスさまは、確かに生きていて、力強い御手で愛をもって御支配して下さっている、真の神様である」ということだけは、年々心に刻みこまれてきたと思います。
 そのイエスさまの尊い御愛にお応えできることのあまりにも少なすぎた私の歩みでしたが、今も尚、イエスさまは忍耐の限りを尽くして愛して下さっていますことを本当に感謝しています。
 又、つらい時、悲しい時、苦しい時、教会は魂の故郷、帰るべき所という、安息の地であることも本当に感謝です.
 今日の日まで、小さな私共を祈り支え続けて下さった、白井先生ご夫妻はじめ、多くの兄弟姉妹の方々に改めて心から感謝申し上げます。

 「すべてのことはあなたがたのためであり、それは、恵みがますます多くの人々に及んで感謝が満ちあふれ、神の栄光が現れるようになるためです。」

 聖書 第2コリント 4章15節
 

 30周年に寄せて

宮 崎 麗 子

   門真教会30周年を迎える年となりました。私達も初めて訪れてから転勤という間はありましたが、15年の年月を数えますから、半分の15年の関わりを持たせていただきました。考えると、週1度の礼拝と交わりを重ねてきただけですのに、世の交わりでは決して得ることのできない特別な家族のようなやすらぎを与えられました。悩みの時、惑いの時、深く沈んだ時、その淵からひきあげられ、新しくさせていただいたのは、教会に属する者の神様の特別な恵みである事を、感謝するばかりです。
「私たちは真実でなくても、彼は常に真実である」 聖書 第2テモテ 2:13
1年1年の歩みが30年を数えるように、私も小さな者ですが1歩1歩主により頼んで歩んでいきたいと思います。

 

教会と我が家の歩み

宮 崎 晴 夫

 今から15年前の1986年、岐阜から大阪への転勤で、1ヶ月ほど教会を探していました。その中の1つが門真バプテスト教会でしたが、 寿美江先生が私達と同じ保守バプテストの出身であることから、親しみを感じ、礼拝に続けて出席するようになりました。住宅の密集地の中にある門真教会に迷わず訪れることは初めての人にはなかなか難しいのは今も昔もかわりません。案の定、私達も初めて来た時、道に迷ってしまいました。時間も11時をまわってしまい、ほとんどあきらめかけたとき、たずねたお店の人に教えてもらい、なんとかたどりつくことが出来ました。あの時もしあきらめていたならば二度と門真教会に来ることはなかったかもしれません。主の導きに感謝しております。あれから毎週の礼拝を守りながら、15年の月日がたちました。30周年の半分を経験したことになります。
大阪に来た時、堅太と3人家族でしたが、その後 文が生まれ、淡路島生まれの言葉が加わり、5人家族となり、淡路での4年間の生活が終わり再び門真教会にもどって来ました。1995年のときでした。淡路島から戻ってきたとき、私自身の仕事の内容も大きく変わり、多くの迷いの中、毎週の礼拝や交わりは私にとって大きな支えとなっております。初めてこの地に来たとき道に迷っていた私たちを門真教会に導いてくださった主は、この教会を通して今日まで導いてくださいました。この主を信じこれからも歩んでいきたいと思います。

 

 教 会

宮 崎 言 葉(9歳)

  教会は、とっても楽しい。なかったらさみしかったな。
お友達の光ちゃんととてもなかよしだ。教会の先生はとってもやさしい。
去年のクリスマスの時リコーダーで「きよしこのよる」をふいて楽しかった。
まちがえずにふけた。おねえちゃんとふいたから安心してふけた。
教会はやっぱり楽しいな。

 

 わたしと教会

宮 崎 文(13歳)

 門真教会は小さい時からいました。昔のことは全然おぼえていませんが、もう中学一年生です。
小さい時は「大人の礼拝」の席にじっと座っていられませんでした。
聖書や賛美歌の意味もサッパリわかりませんでした。
でも今はちゃんと座って話を聞けるし、聖書などの意味もなんとかわかります。
小学六年生の時から飛び入りしていたジュニア会。今では正式メンバーとして加わりました。やっぱり子供会より少し大人っぽくて交わりも楽しいです。
私にとって教会は何かよくわかりませんが、一週間来ると来ないではなにかがちがいます。
なんというかやさしくなるというか。当たり前のように教会に来れる私は幸せです。
 これから大きくなっても教会生活を大切にしていきたいと思います。 

 

 教会30周年におもうこと

玉 置 真 生 ・ り 抄 子

 門真の教会が30周年を迎えるにあたって、ふと気がつけば、私たち夫婦も30歳を迎えようとしています。
思い起こせば1990年(約11年前)「ルイス・パラウ大会」で、り抄子と共に導かれて救われ、信仰生活をおくるようになりました。今までの人生の三分の一を主と共に歩んできたことになります。
その間結婚し、「実結」と「時也」が与えられ、今では、家族4人、主の守りと導きの中で生活しています。
ここ数年、世の中は不景気の波にのまれていますが(もちろん我が家も)、その中でも不思議と平安が与えられ、必要が満たされ、家族が守られているのも、すべては主によるものだと確信しています。
 『すべてを主にゆだねる』この一言が、我が家のテーマです。
 個人的にも、ヨハネ14章1節のみことば『あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。』は、様々な場面で与えられました。その度に思い煩いが消え、すべて主にゆだねることが出来ました。
 これからもその繰り返しではないかと思います。主はその度に導いてくださることに感謝します。
教会も30歳、私たちの年齢も30歳。今までも、そしてこれからも、共に歩んでくださる主に感謝しつつ、教会と共に歳をとっていきたいと思います。 

 

 門真教会に誘われて

後 地 勇

  私が和歌山県の南紀勝浦から進学の為 大阪に出てきた時、その年の南紀聖書キャンプで「平田さん」という青年に出会い、彼から門真の教会においでと誘われたのがキッカケでした。彼はとても楽しい好青年で誰からも愛されていました。
 それから門真での教会(信仰)生活が始まりました。
まだ二十歳になったばかりの私は、クリスチャンとしても一人の人間としても未熟な者でした。いつも失敗だらけの恥ずかしい思いをする事の連続でした。
けれど、とても輝いていて生き生きした本当に楽しい信仰生活を過ごす事が出来ました。
それは神様の前に何度も何度も涙して悔い改めの祈りをしたか分かりません。
けれどこんな私を神様は愛し、赦し、守り支えて下さいました。何度も失敗の中から引き上げられ、気が付くと、いつのまにか自分が変えられ少しずつ、でも確かに神様の恵みの中に生かされている事を知ることが出来ました。
 その当時の人々は多く田舎から大阪へ出てきておりました。私は都会の雑踏の中で息が詰まるような思いでした。のどの渇きを潤す為の水道水はカルキ臭くてそのままでは飲むことが出来ません。
天を仰いで空を見ても晴天であるのにスモッグのため、灰色がかっていました。また人間関係の煩わしさにも胸が詰まるような毎日でした。
そんな中、一週間の終わりに、新しい聖日を、安息日の日曜礼拝を守る事が喜びでした。
それは疲れ弱った心と体に、新しい神様の恵みで満たされる「魂のオアシス」としての『門真教会』でした。 田舎から出てきて一人暮らしで淋しい思いをしていた私でしたが,同じ教会員というだけで大事な親戚の一人のように暖かく迎えて下さった「大江さんご家族」、よく夕飯をよばれたり、お茶を頂きながら楽しくお交わりして頂きました。
 また教会の中では、まだ若い私の為に八木兄は礼拝の後によく祈って頂きました。教会の父親のような存在でいつも安心して頼る事が出来ました。
それから谷阪さんの家庭集会では,谷阪さんの生きた証しを聞く事ができ、ご本人がとても大変な人生を歩んで来られたのに,いつもイエス様に感謝を捧げて、喜んで生きてる姿を見させて頂き、また祈る時、真心から神様に親しく喜びながら祈っておられる谷阪さんを通して、「本当の信仰の素晴らしさ」を教えられました。
 伝道者として神様の為に働いておられる白井牧師の為にと、いつも心から喜んで支え仕えておられた敬愛する林兄をとおして、教会員の姿を教えられました。林さんは私の事を、まるで自分の弟のように親しく、また面倒を見て下さいました。
 その頃の私達は、まだクリスチャンとしては欠点の多い失敗をくり返しているようなものたちでした。けれどその分、弱い自分を神様の前に真剣に祈り、悔い改める真実な信仰心を持って傷つきながらも、喜んで神様に従っていきました。神様の恵みの中、互いに祈りあい助け合って幸せな教会生活をおくることが出来ました。
その中で私達は白井先生ご家族との暖かな交わり、また信仰の雑談のなかで、素晴らしい神様の恵みに 聞く皆が目を輝かせていた事を思い出します。そんな心温まる取り扱いを与えて下さった神様に心から感謝を捧げたいと思います。そんな信仰時代があればこそ今日の自分があるこを憶え、思い出すたびに心が暖かくなります。 今も生きて働き、恵みをもって小さな者の生涯を祝福してくださる神様にハレルヤ感謝!

 

 御恵みに支えられて

林 恵 美 子

第2コリント 5:17
「誰でもキリストの内にあるならその人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って 、見よ全てが新しくなりました。」
1968年 初秋 宣教師の開いた英会話教室の聖書の時間に初めて聞いた御言です。

ヨハネ黙示録 2:10
「あなたが受けようとしている苦しみを恐れてはいけない。・・・・死に至るまで忠実でありなさい。そうすればあなたの命の冠を与えよう。」
1970年3月22日 香川県坂井白金キリスト教会櫛田節夫牧師によりバプテスマを受けた時与えられた御言です。

ヨハネ 11:25
「私は蘇りです。命です。私を信じる者は死んでも生きるのです。」・・・この事を信じますか。
1980年4月15日 主人の交通事故の時病院で手術の終わるのを待っていた時与えられた御言です。7時間かかりました。人間の力ではこれ以上はどうする事も出来ない状況の時、御聖霊様も共にうめきをもって祈って下さり、私の心の中に次々と御言で語りかけて下さり御言の宴会場として下さいました。

詩篇 32:10
「・・・ しかし、主に信頼する者には恵みが、その人を取り囲む。」
1984年 夏 三ツ島団地へ入居出来る時与えられた御言です。主人の父親が退院先から住む所が無くなった時神様が御配慮下さって感謝でした。

第一サムエル 1:27〜28
「この子のために私は祈ったのです。主は私がお願いした通り私の願いをかなえて下さいました。それで、私もまた、この子を主にお渡し致します。この子は一生涯、主に渡されたものです。」
1993年 主人召天(4月27日)の年の3地区合同夏期キャンプの時、神様は長男 恵を召命なさいました。かって、彼の献児式の時に白井牧師の祈られているのを聞きながら心に響いた御言ですが、この時もまた心に蘇って来て、彼の直接献身への道を信仰者としての立場と母親としての立場の間で揺れ動く心を確信へと移して下さった御言です。

 これからも、御恵みに応える為にイエス様はどの様に取り扱って下さるかを自己吟味させて頂きながら生活したく願っております。 

 

門真キリスト教会30周年に寄せて

治 部 千 代 子 

「全地よ。主に向かって喜びの声を上げよ。
 喜びを持って主に仕えよ。
 喜び歌いつつ御前に来たれ。」

(聖書 詩篇100 1節、2節)

 三十周年記念おめでとうございます。私がイエス様を知ったのは中学三年の時でした。
 それは奄美大島の名瀬市のホーリネスの教会でした。それは中学時代でした。
十八歳の時、大阪池田市石橋の兄の所に来る事になりました。一年経って少し大阪にも慣れてきた頃、メノナイト・ブレザレン(略してM.B)石橋教会に行く事になりました。聖書のお話においても田舎の時とは違ってよく分かるようになつてまいりました。そこで田舎で滴礼を受けていましたが新たに浸礼を受けました。青年会の方々も大勢いて私も共に過ごさせて頂きました。こうして私の青年期は結婚するまで石橋の教会で続きました。
 結婚して守口に住むようになり、主人共々門真の教会にお世話になることになりました。救われていなかった主人も救われバプテスマをうけさせて頂き、又この時、聖名子も生まれました。
又、白井先生をはじめ多くの兄姉のお世話になりました。本当に思い出多い教会です。門真の十周年の時、白井先生手作りの湯呑を頂いたのを憶えています。あれから早二十年が経ち 、三十年を迎えられたわけですが、時がたつのは何とも早いものです。
 門真の教会で過ごした時は壮年期で、今は老年期になっているわけで、時代は変わり所は変わっても私はいつも「キリストにあってみな一つ」だと思っております。先日五月十三日でしたが石橋の教会も五十周年を迎えました。久方ぶりに石橋へ行ってきました。昔の青年会メンバーの何人かの方々にお会いしてなつかしい再会でした。私がお世話になった教会が、三十周年、五十周年とそれぞれ迎えられたことは本当に感無量です。いずこの教会にいてもイエス様を共に信じていけることは本当に素晴らしいことと思います。
白井先生はいつも詩篇一篇のみことばを用いていらしゃったのを憶えています。 

1.幸いなことよ、悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人。 

2.まことにその人は主の教えを喜びとし、昼も夜もそのおしえを喜びとし、
昼も夜もその教えを口ずさむ 

3.その人は、水のそばのに植わったきのようだ。時が来ると実がなり、
その葉は枯れない。その人は何をしても栄える」 ( 詩篇 1:1〜3節 )

ほんとうに水路に植わった木のように神様のみことばで信仰がうるおい、養い育てられてこれからも歩みたいと思っています。
門真の教会の白井先生はじめお一人お一人の皆様の上にこれからも神様の愛と恵みが豊かにございますように祈ってやみません。

 「谷川の流れを慕う鹿のように、我がたましいも、あなたを慕う
  あなたこそ我が盾、あなたこそ我が力、我が望み 我は主を仰ぐ」

(リビングプレイズより)

2001年 主にありて

 

「空を見上げてみると 何時の間にか心が澄んで来る。
 きっとあなたがいると感じているから・・・・・・
 あなたが優しく見守っている。そう思うと自然に笑顔がこぼれてくる。
 心から喜びがこみ上がる。
 いつもあなたを思い続けられたら・・・・。
 すぐ忘れてしまう私達に、あなたは見捨てずに祈って下さっている。
 そう思うと自然に賛美(歌)がこぼれてくる。 」

 林 香

 この詩は高校生の時に書いた詩です。学校帰りに、ふと空を見上げたら浮かんで来ました。その空があまりにも美しく澄んでいるので、イエス様の心の中はこの空のように澄み切っているんだなァと思いながら帰っていると、急に私の心の中に喜びが湧いて来て、いつの間にか顔が笑顔になっていました。
心の中で、後に振り返ってみると、今までの私の行いはなんと愚かだったのだろうと思いました。
 でも、イエス様はこんな私をも、みんなにも祈って下さっている事を思うと、詩がこぼれてきたのです。詩って不思議ですネ。

 

 門真教会に導かれて

白井 まさみ(旧姓:宮元)
門真バプテストキリスト教会 教師

☆ バプテスマ:1986年11月6日
☆ 愛唱賛美歌:332

 1992年3月末、関西聖書神学校からの奉仕神学生として遣わされて初めて門真教会へ来ました。2年生の時です。「ここにはイエス様がおられる!」今でも記憶の中に鮮明に残っている門真教会についての第一印象です。
 イギリスでイエス様にお出会いし、幸せなクリスチャン生活を送っていたところから献身。一転して日本での神学校での学びと訓練の生活に入って1年が過ぎたところでした。
日本とイギリスのクリスチャンまた教会の違いからか、あるいは慣れない奉仕生活の忙しさゆえであったのか分かりませんが、ずいぶん霊的に枯渇していた私は、”イエス様がおられる”門真教会で再び満たされたのです。
 もう一つ。イギリスにいた時に宣教報告会に出席するために訪ねたあるバプテスト教会は古く小さな教会でした。でも内側の壁には送り出した宣教師の額入り写真がいくつも飾ってあり、小さいながら何人もの宣教師を送り出し祈り支えてきた信仰の力を秘めた教会の歴史を 、かいま見た気がしました。このイギリスのバプテスト教会を思い出させるような、“小さいながらも力(あるいはエネルギー)に満ちた教会”というのが門真教会に対するもう一つの印象でした。
 私は教会奉仕の経験が全くないまま神学校に入り2年目で奉仕神学生として遣わされてきたのですが、ある執事の方は「一体どうなることやら」と密かに心配されたそうです。そんな私に白井牧師夫妻は声をかけてくださり、1995年3月関西聖書神学校卒業後、門真教会は補教師として受け入れてくださいました。白井牧師が年初の阪神淡路大震災の働きで倒れ入院中のことでした。教会を支える寿美江夫人を助けると云うにはあまりに微力でしたが、その寿美江夫人が病を得、さらに1年後には召されると云う誰にとっても思いがけぬ事態が起こって、門真教会での奉仕も2週間が2ヶ月、1年、2年と続いていきました。
 夫人を天に送られ自らも健康に困難を抱えた白井牧師が、伝道牧会の働きを続けてゆくためには助けが必要であることは誰の目にも明らかであったと思います。未熟ながらも同労の徒として身近にいた私にも手に取るようにその必要が分かりましたが、何事においても主イエス様のみこころのみがなされるようにと祈るばかりでした。やがてイエス様はある兄弟の死を通して、白井牧師が働きを続けるため私が助けとなることがみこころであることを示され、白井師との結婚へ導かれました。
 今も助けと呼ぶにはあまりにも足りない、むしろ足を引っ張るばかりである我が身であります。
しかし振り返ってみると、門真教会への導きがこの小さな者の上に主なる神イエス様が現して下さるご計画の一部であったことをあらためて覚えさせられ、ご真実なるイエス様の聖名を崇めて感謝致します。

「あなたが右に行くにも左に行くにも、あなたの耳はうしろから『これが道だ。これに歩め。』と言うことばを聞く。」

聖書 イザヤ 30:21
 

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