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イエス様が歩かれた、見本としての信仰の道
2002年6月
聖徒とされる喜びから生まれる誇り
2001年4月
イエス様に従う、誇りをもって生きた使徒パウロ
2000年7月
信仰の喜びを持つ友を持つ幸い
2000年4月
 2004年2月発行メッセージ
神の国に生きるために

門真バプテストキリスト教会 牧師:白井 公郎

  ローマ人への手紙 10章 4〜13節

10:4 キリストが律法を終わらせられたので、信じる人はみな義と認められるのです。
10:5 モーセは、律法による義を行なう人は、その義によって生きる、と書いています。
10:6 しかし、信仰による義はこう言います。「あなたは心の中で、だれが天に上るだろうか、と言ってはいけない。」それはキリストを引き降ろすことです。
10:7 また、「だれが地の奥底に下るだろうか、と言ってはいけない。」それはキリストを死者の中から引き上げることです。
10:8 では、どう言っていますか。「みことばはあなたの近くにある。あなたの口にあり、あなたの心にある。」これは私たちの宣べ伝えている信仰のことばのことです。
10:9 なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。
10:10 人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。
10:11 聖書はこう言っています。「彼に信頼する者は、失望させられることがない。」
10:12 ユダヤ人とギリシヤ人との区別はありません。同じ主が、すべての人の主であり、主を呼び求めるすべての人に対して恵み深くあられるからです。
10:13 「主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる。」のです。

序論
  最近私たちの国でも、カード社会が広まってきました。やがて1枚のカードがあれば大抵のことは用が足りるようになります。だんだん神の国に近づいて来ているようです。
カード社会で大事なことは本人確認です。たとえば私のカードには私の写真が張られています。暗唱番号など他人が使わないためです。私のカードには万一貯金が無くなっていた時でも困らないように、貸してくれる融資額も用意されています。使わなくても本当に便利です。
神の国の本人確認は、正しくイエス様を信じて「義」と認められているかどうかの確認です。神の国に生きる人々が体験する特典について、聖書から学びます。

本論
神の国に生きる人は(6-8節)、

 1.「信仰のことば」が与えられて生きる人とされます。

8節を見ましょう「みことばはあなた・・・にある」ある人は近くにいる人により、ある人は口にあり、ある人は心にあると、神の国に生きる人に神が与える恵みについて聖書は教えています。この「みことば」とは「信仰のことば」のことだと、聖書は説明しています。
イエス様を信じて神の国に生きようとする人は、ある人は口についている「神のことば」、ある人は心に浮かぶ「神のことば」、ある人は接するクリスチャンから聞く「神のことば」によって、自分では出来ないが「神のことば」ですから、イエス様を信じてやって見ようと実行する時、イエス様が働いてその通りになる。これが「信仰のことば」です。
信仰のことばは、実行しない人には道に蒔かれた種のように、その通りになりません。どんな出来ない理由が沢山あっても、しようとしない人にはイエス様が働かない。だから出来ない理由を並べても、「神のことば」の通りにならない。これが神の国の原則です。

 聖書 ルカ1章38節 をご覧ください。
常識的にも、ヨセフと婚約しているマリヤとしては、個人的にも考えられないことでした。しかし「私は神のことばと信じます」との心を持った時「おことばどうりこの身になりますように」と言いました。
神の使いはマリヤの知らないところでヨセフに同意させるために働き、マリヤの信仰を助けました。これが信仰のことばの実態です。だからマリヤは同46節で「我が霊は救い主なる神を喜び頌えます」と、信仰の心をもってやがて実現するすばらしい体験を信じて喜んでいます。
 もう1つ聖書 ルカ5章5節 をご覧ください。
「おことばどうり網をおろしてみましょう」と言って行動しました。すると1匹も採れなかった同じ場所で、採れない時間にも関わらず網が破れそうになるほど魚が捕れました。その原因はイエス様にあることを知った弟子たちは、イエス様の足下にひれ伏して拝んだ」と、聖書は記しています。
なぜ信仰のことばを信じて行動する人のために、イエス様は働くのでしょうか。聖書 ローマ8:31-32には、その理由を、イエス様の十字架の贖いを受け入れた「神が義と認めた人」の行為だからと記されてますす。「信仰のことば」によって生活する人、それが神の国に生きる人です。

神の国に生きる人は、(9-11節)によれば、

2.神の約束を信じて、口で告げる人とされます。

  (10節)信仰のことばを体験する人々は、いつかその体験を他の人に伝えたくなります。心に注がれている神の愛が、同じ苦しみの中にある人を見て、黙っていることを許さないからです。
神に義と認められた人は「あの人もイエス様を信じたら私のように救われる」と感じるからです。だからまず、自分のことばで、イエス様にお願いします。これを祈ると聖書は教えています。
心に信じていることを、まずイエス様に向かって告白する、霊魂から生まれる祈りの体験が、何度も繰り返されるようになります。
 すると必ず、その人にも伝える機会が訪れます。その時、イエス様の救いを受けた自分の体験を伝えます。その時は聖書やキリスト教の説明はいりません。ただ自分の体験だけを伝えます。
聖書 マタイ10章11-13節 には、その時の心得について、その人が聞いてくれたら「救い」はその人に始まります。聞こうとしなかったら、与えられようとしたイエス様による救いは、取り除かれて伝えた人に帰ってくる、と教えられています。
これが神のことばを伝えることです。この自分の事実だけを伝えることが伝道です。私たちが救うのではなく、信じる心のある人をイエス様が助けて救ってくださるのです。

9節に戻ると、イエス様によって救われる「救いの上限」について「私たちもイエス様と同じように「死んで後、復活させて頂ける」ことです。つまり不可能なことは、一つもないということです。それには自分の時を捨てて、神の時に委ねることが必要です。
ここに信仰のテストに合格のしるしである忍耐が必要です。
ここに聖書の実物教育を体験する、教会生活の大切さがあります。
 賞賛された信仰の人々が紹介されている、ヘブル人への手紙11章のなかにアブラハムの体験が(17-19節)に記されています。
そこには死者を甦らされる、不可能を可能とする神を信じたとあります。
だから神の国に生きる人々は「私のために死人のなかから復活されたイエス様」と、告白して祈ります。すると、死を前にした、失望に取り囲まれた人生が、朝日に照らされた霧のように失望が消えて、太陽に照らされた希望と信仰に満たされた人生を発見します。
 もう40年以上も前、私は2週間すると見えなくなると医者に宣告された人に、イエス様の救いを伝えたことがありました。その結果、感謝する信仰を教えました。彼は見えなくなっても、私が信じて伝えた通りの人生を歩いて、天国に帰りました。これが神の国に生きることが出来たからです。

神の国に生きる人は(12-13節)によると

3.「主の御名」によって生きる人とされます。

 (13節)神の国に生きる人にイエス様は「わたしの名」によって生きる道を与えられました。すべてが罪深い自分の名のために生きるのではなく、イエス様のために生きるために「主の御名」によって生きい生きてることが赦されているからです。
 イエス様の弟子たちは、いつもイエス様の御名によって、弱さと戦い、罪深さと戦い、悪の霊と戦いました。それが勝利の約束でした。
そして悪霊や、不従順や不信仰に逃げ込む罪の力、罪深さにも勝利する人生とされました。いつもそこにイエス様が一緒に生きて働いてくださるからです。

おわりに

   私のカードに小さな文字で有効期限が刻印されています。その期限がすぎると利用出来ません。食料品の賞味期限を勝手に変更すると犯罪です。
同じように、神の国体験にも賞味期限があります。エジプトから救い出された神の民に与えられた「マナ」の期限は1日です。だから神の民は、毎朝、イエス様に向かって「あなたは私の主なる神です」と信仰告白によって「神の恵み」の賞味期限を新しく切り替えて頂くのです。

心を新しくして頂いて、みことば、証し、主の御名による新しい神の恵みによって、一足一足、イエス様の信仰によって生きるのです。神の国をです。

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