門真バプテストキリスト教会 2003年のみことば
あなた方は、恵みの故に信仰に立って救われた。
― エペソ人への手紙 2章8節 ―


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1月 / 2月 / 3月 / 4月 / 5月 / 6月
7月 / 8月 / 9月 /10月 /11月 /12月
毎週教会の主日礼拝で配布される週報に掲載される“ショートコラム”を紹介します。
下記タイトルをクリックされるか、そのまま下へスクロールして、ご覧下さい。

1月 5日    羊という文字   2月 2日   尊い生き方
12日    人生の成功者    9日  「合格通知」
  19日    平安な心   16日  「人生ナビ」
26日    ルールと自由   23日  神のことば

3月 2日  心に神の恵み   4月 6日  神の時
  9日  心の豊かさ   13日  信じる心
  16日  与える幸せ   20日  受け入れる
  23日  戦いの勝利者   27日  神の報い
  30日  救われる道      

5月 4日  「ネオ・コン」   6月 1日  遣わされる人
  11日  黙示録の預言   8日  未来思考
  18日  賛美の原則   15日  真の味方
  25日  神の国   22日  人につまずく
        29日  約束

7月 6日  望みがある   8月 3日  迷信
  13日  罪の意識   10日  守られる保証
  20日  主権在民   17日  ライフライン
  27日  心のデータ   24日  生活スタイル
        31日  幸せ?

9月 7日  信じる力   10月 5日  選ばれる
  14日  心の稽古   12日  潜在能力
  21日  予報   19日  情報通信化
  28日  心を開ける鍵   26日  目的の副産物

11月 2日  イエス様チーム   12月 7日  自己との戦い
  9日  人生の契約   14日  拝む
  16日  目に見えないもの   21日  キリスト者
  23日  仇名   28日  運の良い人新着!
  30日  見本      

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1月5日の一言
わたしは、恵みの時にあなたに答え 救いの日にあなたを助けた。
確かに、今は恵みの時、今は救いの日です。
コリント第2の手紙 6章2節
 
 あけましておめでとうございます。
 新聞やニュ−スによれば、今年の「エト」は「羊」となっていますため「羊」に関する文章がたくさん紹介されています。
「エト」とは 十二支と云う数え方に動物を当てはめて記録する方法から拡がったもののようです。
最初十二支は1年間を12に分けて それぞれの月に動物を当てはめてみました。
使い都合が良いために次は時刻を12に分けて当てはめました。
冬至を含む11月が子(ね)の年、続いて丑(うし)の年、寅が1月であり、暦が変わった最初の時が寅の刻、その前が丑(うし)の刻で、夜中の12時は丑が満ちた刻で丑満つ時で1日が終わります。
それを拡げて1年1年に当てはめて12年を5回巡ると60年、人生一巡りして還暦を迎える年齢61歳として 赤い上着を着せて再出発の年とお祝いします。
方位も同様に再出発する場です。
この数え方は 中国の「イン」の時代の後期に、亀の甲らに文字として刻んだ「甲骨文」に見られます。
この時代に漢字が生まれました。この12に分けて数える原点が見えない神の世界を示す“3”目に見える人間世界を示す“4”を掛け合わせた数字によって成り立っています。
 神に選ばれた民としての12部族から始まり恵みの時代の12使徒と続いています。
また羊は午後の最初の時間であり、再出発のチャンスが備えられている年として期待されて来ました。
それが「神の小羊」によって備えられる神の摂理でもあるからです。
魚に羊を合わせると、鮮やかとなり羊の下に大を加えると「美」となり、君に加えると群となると朝日新聞は羊と云う文字について紹介しています。
 「しん」の次の時代の「周」の次は「秦」で、バビロンに捕らわれた部族の1つが悔い改めて建てた国と考えられています。
彼らは、天地の創造主なる神を拝むために「秦の国」で始皇帝を盛り立てて、新しい中国で 聖書の教えを現す文字を沢山作りました。
それは、頭で理解できた神の恵みを、神の小羊に従って体験するための「表意文字」として残されています。
神の恵みは、神の小羊なるイエス様への信仰に立ってのみ、体験できるからです。
 

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1月12日の一言
イエスは云われた「人は、たとい全世界を手に入れても、
まことの生命を損じたら、何の得になるでしょう」
マタイ福音書 16章25節
 
昨年の年末、テレビ番組で「織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、連続編」で、それぞれの晩年から死の場面を、ダブらせたシーンを見ました。
大事業を成し遂げた人の最期の人生観を比較出来ました。
信長は「人間50年・・夢まぼろしのごとし」と歌い、秀吉は「なにわのことも夢のまた夢」と詠い、家康は「人生とは重き荷を負って遠き道を行くが如し」と書き残させました。
彼らに共通した思いは、どんなに成功を治めても、確かな未来はなく「夢を見た」ようなもので」と実感したことです。
 人類の歴史上最大の成功者と証せられたソロモン王も同じような思いで「知恵ある者も愚かな者もみな同じ結末に行き着くことを知って、心の中で語った、これもまたむなしい」(聖書 伝道者 2:15)と。
しかし聖書は、未来は神の審きの時であると宣告して「一度死ぬことと死んで後審きを受けることは、すべての人に定まっている」(聖書 ヘブル9:27)と宣告しています。                     
 人々は未来の希望のないために、いつも「今」の楽しみや満足を、生き甲斐に感じています。
そしてたとえどんなに厳しく苦しい審きが待っていても、その確かな未来さえ信じないで「何とかなるなるようにしかならん」と、無責任な生き方に心を向け始めています。
この思想こそ、未来は審きを受ける悪魔の武器なのです。
だからこそ悪魔は未来のない「夢」のために、すべてを犠牲にさせる人生に人々を導くために働いています。
これをこの世の知恵と聖書は指摘しています。そして「この世の知恵」は神を発見出来ません。
 イエス様は、神であられた御方なのに私たちと同じ人間となられました。それは、神の考え方を教え、また神の考え方に生きる力と資格を与えるためでした。
それが、十字架と復活によって完成された「救いの道」です。
この道ははまた「永遠のいのちの道」とも呼ばれて、神であるイエス様ご自身が保証してくださる未来に必ず実現する「神の国」に伴う祝福です。
 イエス様はその未来ある道を開くために、ご自身がまず「救いの道」を歩き、そしてイエス様を救い主として信じて「救われた人」を通して、この永遠の未来に備えられる幸いを、神に審かれる人々に宣べ伝えさせるために、彼らを「救い」の見本となるように、恵み祝福してくださっておられます。

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1月19日の一言
イエスは言われた。
「あなたの信仰があなたを救ったのです。安心して行きなさい。」
ルカ福音書 8章48節
 
 私たちの教会出身者で、今マレーシアのカリマンタン(旧ボルネオ島)で文字のない社会に文字を作り、その文字によって、世界のベストセラーである「聖書」を読めるようにと、識字教育のため宣教師として働いている土井圭子(旧姓上岡)さんという人がいます。
土井さんご一家が、カリマンタン島の山奥の部族のために働くようになってから、もう10年以上経過しています。
彼らは4年に一度の日本国内での報告帰国を終えると、まるで自分のふる里に帰るかのように、楽しみながら帰って行きます。
しかし彼らの行く地は、港のある都市から40時間も道無き道を、車がたたきつけられるようにしてたどり着く、山の村です。そこでは、毒サソリが家の中を這い回り、毒蛇が家の周囲の草むらにいるような処です。
そのために村人は、教育のこともあって安全な小さな町にある全寮制の学校に子供を預けて、別居しているほどです。
それでも土井さんたちは「ボーカン語」の文字作りと「ボーカン語の聖書翻訳」のために、いそいそと「山の村」に行き生活しています。何が彼らをそうさせるのでしょうか。
 聖書は「神はあなた方のうちに働いて願いを起こさせてくださる方」であると教えています。(聖書 ピリピ2:13) 
神から願いが起こされた人々は、他の人々が「とてもあのようなことなど出来ません」と思って尻込みするようなことでも、「それをするのは当然なこと」として行なえる、すばらしい神の力に支えられる幸せを知っているからです。
だから大胆に思えるような行動でも、当然視して行える人生を歩みます。
神から願いが起こされる人生、それを聖書では「救われ続ける、平安に支えられた人生」と、紹介しています。
 サーカスの綱渡りの訓練は、綱の先にいる親の見守る目を見つめて渡ることが出来ると教えるそうです。どんな時でも平静な心を保つ秘訣だそうです。平安な心だけが、訓練によって得た体験を活用できます。
 イエス様を救い主として信じる人々は、いつも心の目で「しっかりしなさい。わたしである」と励まし力を与えてくだるイエス様をみつめます。
神であるイエス様との霊の交流が、安心しながら神から注がれる力によって生きることが出来るようにします。
イエス様は私たちと同じ人となり、十字架の死と復活によって保証し救ってくださるからです。

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1月26日の一言
私は、いのちと死、祝福とのろいを、あなたの前に置く。
あなたはいのちを選びなさい。
申命記 30章19節
 
  一昨年前、日本と韓国の教会の指導者たちを案内して北アルプスの立山連峰横断の往復をしました。
韓国にはない3,000メートル級の山が連なる道を散策するだけでも楽しかったその時の思い出を同行した人々から今も時々聞かされています。
その立山連峰の散策の途中、その一年前に同じ立山連峰の鑓岳周辺を散策中に遭難した人々の家族の皆さんたちと出会い、その悲しい話を聞きました。
漕難された人々は皆、中高年の人々でしたが、山歩きは慣れた人々ばかりだったそうです。ところが指定コースから外れて進んだために、危険な難所に迷い込み戻るに戻れなく、夜営した穴に降り積もった雪のために皆さん凍死されたそうです。
安全な散策のための指定コースから離れて自由に山歩きをしたために死に巻き込まれました。
 昔から人生は山登り山歩きのようだと云われて来ました。
山登り山歩きの前提は山のルールに従って自分の身は自分で守ることです。そのために自分の能力と体験に見合った楽しみ方をしないと自分の身を滅ぼすだけでなく多くの人に迷惑をかけたり、悲しい目に巻き込んでしまいます。
 今日多くの人々が自分の楽しみのために身を滅ぼすような生き方を重ねています。
自由を求めて逸脱した生き方をする人々が多過ぎます。その一例が「タバコ」です。タバコの害は吸わない人の健康にまで及んでいることはよく知っていながら、タバコを吸う自由だってあると、うそぶいている若者が続出しています。
同じような自由を出張する人々の生き方の特徴は神のみことばに対する態度にもあらわれます。みことばに従わない自由もあると、多くの人は神の愛を踏みにじる人生を歩いています。
 聖書は神の厳しい裁きは「神のみことば」によって明らかにされるとイエス様は明言しています。
みことばに従うことは、人間が人間らしく力強く生きて行く基本だからです。
みことばに従って生きる時、イエス様の十字架も復活もそして再臨までも、神が私に個人的に伝えてくださった特別な祝福であることを体験させられます。
 自由を神の祝福を獲得するために用いる時、イエス様が備えてくださった神に愛され力が注がれる永遠の命の道を歩く幸いを知ります。

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2月2日の一言
わたしの名で呼ばれるすべての者は、わたしの栄光のために、
わたしがこれを創造し、これを形造り、これを造った。
イザヤ 43章7節
 
 私の机の上に、大きな黒い御影石が磨かれて石一杯に愛と云う文字が刻まれた作品があります。
これは石どころの愛知県岡崎市にある石屋の職人さんが、全国の石彫刻展覧会で初受賞した、感謝の心を現して作った作品を戴いたものです。
その職人さんの勤める石屋さんの仕事は、大部分が墓石作りだそうです。私が戴いた作品の材料もお墓になる石の中から、創造主なる神への感謝をいつまでも現す作品となったものです。
よいもので墓石、悪いものは砕かれて捨てられる。その中で選ばれた材料の1つが、いつまでも名作として大切にされます。
 人間は石とは違って 自由意志が与えられています。
その自由意志をどのようなことに向けるかによって、同じ人間と云う材料がいつまでも大切にされるものか、役に立たないで捨て場にも困るような迷惑な存在ともなってしまいます。
 貧しい材木と穀物商人の子として生まれ育てられたエジソンは、子供の頃から熱中する性格のために、小学校でもいじめられて、数ヶ月しか登校出来ないまま退学させられた子供でした。
しかしエジソンの母親は、そんな我が子エジソンをイエス様のような目で見つめ、祈りをともにして、自分の手で育てました。
だからエジソンの考え方は、どんな状況の中でもチャンスがあり、どんな人でも神の前では同じ人間であるということから離れませんでした。
12才の頃、列車内での新聞売り子をしていた時、耳が悪くなって聞こえなくなりましたが、それでも電信技師となって、すべての人々が同じような生活が出来るようにと発明事業に打ち込みました。
やがて1882年、ロンドンとニューヨークで電燈システムを事業化し、今日も世界の産業界をリードし続ける、エジソン電気照明会社(現在のジェネラルエレクトリック)を創設しました。
エジソンは祈りによって自己開発させられた、神に創られた人間としての生き方を貫いた人でした。
 人の世界に 神の世界を啓示するため人となられた御子なる神イエス様の人としての生き方は、エジソンが母から教え込まれた、人間としての尊い生き方でした。
神に祈り、神を信頼して生きる人の人生に、神は介在して神の栄光を輝かす力を注いで下さるからです。

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2月9日の一言
あなたに命じた全ての律法(神のことば)を守り行え。
それは、あなた方が行く所では、何処ででも、あなたが栄えるためである。
ヨシュア記 1章7節
 
 2月に入り、入学試験のシーズンになって来ました。
日本中の受験生にとっては、大切な時となっています。もし受験に合格すれば自分の人生の方向がボンヤリであっても見えて来る可能性があるからです。
特に最終の学びのコースを受験する人々にとっては合格するか、しないかは、大きな違いがあるようです。
 現実の世界の中では目には見ることはありませんが、支配される主なる神イエス様への信仰の世界にも、合格の規定があります。
それは、神のことばを「私の個人的な生活の指針として与えられたもの」として受け止めて、イエス様が私の救い主なる神であることを体験することです。
その体験こそが「神の国の民、神の子」として合格したと、聖霊がその人の心の中に「合格通知」を送り届けて下さいます。
その時から、全宇宙を支配している神に対して、「私の父なる神様」と祈ることが出来るようになります。
そして、特別に素晴らしいことは、救い主なる神イエス様の「特命全権大使」として、それぞれの生活している場所に、イエスさまから遣わされた存在として、神の取り扱いを受けて生活出来るようになることです。
 私が牧師の駆け出しの頃、ある方の紹介によって、ライシャワーさんと云う方にお会いする機会が与えられました。当時、ライシャワーさんはアメリカ合衆国の日本に於ける大統領の特命全権大使でした。
だから、ライシャワーさんの一番大切な仕事は、まずアメリカ合衆国から自分にどんなメッセージが来ているかを注意深く調べる事でした。その本国からの指令に基づいて、自分の考え方をまとめて実行する時、大使の身分も、生活も全て尊重されると聞かされました。 
 イエス様は、罪に満ちた人間世界に、神の国の特命全権大使として、イエス様の救いに与った人を遣わされます。
その人の特権は、神の言葉によって保証されています。だから神の民達は、まず神の御ことばの中から「私に対するメッセージ」聞いて悟ることを第一とします。
すると、イエス様は聖霊によって、神の民としての素晴らしい恵みを持って生活を導いて下さいます。
これが、御ことばに従う祝福です。

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2月16日の一言
戸をしめて、隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。
そうすれば隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。
マタイ 6章6節
 
先日、同じ日本バプテスト教会連合の牧師の自動車に同乗させてもらいました。その牧師の自動車は新しく購入したばかりの高級車でしたので、最新式のナビゲーターシステムが標準設備されていて、最新式のナビゲーターについていろいろ試して見せてくれました。
同乗させてもらった場所から私たちの教会までは遠いにもかかわらず、どの道を行けば何分で行けるとか、途中の道路でどこから渋滞がどのくらい続いているかなど、目的地に到着するためのすべての情報を教えてくれました。便利な物が出来たと感じました。
 同じシステムで、北朝鮮の核開発施設の様子もテレビ番組で写し出されています。
原因はすべて人工衛星からのカメラを通して写し出していると判ると、科学の力のすばらしさに感心させられます。科学の発展によって、人類は、全宇宙を統治される全能の神さまのことも少しづつ判ってくるようです。
 日本人の神観念は、死んだ偉い人を「神」として祀り、その霊の働きによって助けてもらおうと云う考え方に立っています。小泉首相の総理大臣としての靖国神社の参拝も、日本人の神観念から生まれています。生きている人間が「死んだ人の霊魂の働きに助けを求める」宗教意識は、科学を否定した考え方で、「全知全能の神がすべてを見て正しい審きを歴史を通して実行される」と云う世界的な宗教観に立つ人々から見ると、「幼稚な考え方」で、不思議な国と思われています。
 イエス様は「神は霊である」と教えてくださいました。この全宇宙のすべての霊的な力によって動かされている秩序ある神の働きは、天文学者のすべてが認めているところです。
 この霊的存在である神は、物質第一主義に立っている罪人社会に生きる人々には、見ることも感じることも出来ない御方です。人工衛星のカメラの目が知らないうちに私たちのすべての生き方や考え方を撮り続けているように神はもっと正確に詳細に私たちの一挙一投足を見て記録しています。
それは私たちがイエス様の聖名によって祈るとき、正しい助け方をもって救ってくださるためなのです。
イエス様の十字架によって罪赦された者として、隠れた所で見ている父なる神さまに祈ってみましょう。

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2月23日の一言
心に植え付けられたみことばをすなおに受け入れなさい。
みことばはあなた方のたましいを救うことが出来ます。
ヤコブの手紙 1章21節
 
 もう35年ほど前、和歌山県にある教会の庭に2月になってからチューリップの球根を植えました。
秋に教会の方から「今が球根を植える時期ですから。」と戴いたものを、3ヶ月も忘れていて慌てて植えました。
他のチューリップと同じように芽を出し、葉もりっぱに育ちました。しかし、花だけは咲きませんでした。
私は花の咲かないチューリップを複雑な思いで眺めたのは、言うまでもありませんでした。
一番良い時に球根を戴いたのに、放っておいた失敗を今でも忘れません。
 聖書は「すべての営みには時がある。植えるのに時があり、植えたものを抜くのに時がある。神のなさる事は、時にかなって美しい。」(聖書 伝道 3:1〜2、11)と教えています。
この地球が闇に覆われていた時、「神は【光よあれ】と言われた。すると光が出現した。神はその光を良しとされた。」(聖書 創世記 1:3〜4)
神は創造の時から今日まで、その働きの初めの時「神のことば」をもって働かれました。
神が働かれる一番良い時であることを告知されるための「神のことば」であるからです。
だから「神のことば」を聞く時、すべてのものは「神のことば」を受け入れ「神のことば」に従って活動を始めます。
その結果は「とても良かった」と感動させられます。それが自然界に現れた「神の秩序」となって今日まで時に応じて繰り返されて来ました。
 しかし、人間の罪は、この良き事が悪しきものにゆがめてしまいました。
それでも神はこの地球を「もう一度良いところ」とするために「神のことば」をお語りになられます。それが破壊に続く再創造の時です。
 イエス様はこの「神の国の原則」である「神のことば」をたずさえて人間の世界においでになられました。
そして罪のために苦しんでいる人々に「神のことば」を語りかけられました。
すると、誰も不可能と思っていた悪霊につかれた人やおしや耳しいの人々さえも、その苦しみから解放されて神に感謝し、神を喜ぶ生活を始めたのです。
大切なことは「神のみことば」に応答する柔らかな心を持つことです。そのために、祈りと賛美をもって神は私たちの心を柔らかにしてくださいます。
イエス様ですらも「神のみことば」を求めて従われました。その結果がすばらしいイエス様の生き方になりました。
それは、すべて私たちのための見本です。

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3月2日の一言
イエスは言われた
「わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく
いのちの光を持つのです」
ヨハネ福音書 8章12節
 
 古代の哲学者ソクラテスは「あなた自身を知れ」との有名なことばをもって人々を教えました。
ほんとうの自分を知らない人は、何のために生きているかと云うことも知りません。自分のことを知ることは何ものにも勝って大切なことです。
 地球は、宇宙全体から見れば「小さなお皿のような太陽系宇宙の1つの惑星」と云う存在だそうです。
つまり、すべての光源を太陽から受けている惑星です。そのために大切な自転のバランスである引力も、太陽の影響を受けています。
地球は何ひとつとして、太陽から独立した存在ではありません。しかし、太陽を中心として活動しているからこそ、地球としての活動力も引力によって受けることが出来るのです。
もし地球が太陽から独立しようとすると、その瞬間から地球は宇宙をさすらう流れ星となって消滅する運命をたどります。
木星が爆発した時大部分が惑星群となりましたが、太陽の影響から逸脱した惑星のすべては、太陽の引力からはずれて宇宙のチリとなり、宇宙のかなたに行く先を知らないままさまよい続けているそうです。
 人間は、聖書の啓示によれば「神に似て造られた」存在です。
丁度太陽の引力の影響の下にある太陽系の惑星のすべてが、太陽エネルギーの恩恵を受けながら 太陽の引力によって軌道からはずれることのないように守られているように、神の影響の下に生きる時、神のすべての恵みと力を受けて、人間としての満足ある生き方が保たれるのです。
しかし、人間が神との関係を放棄する時、その生き方を支えるものを失い、何のために生きるのか、生きる目的もなくさまよい続けるのです。
その結果、自分の気持ちに従う偶像を作って 神を否定した生き方を貫こうとするのです。
しかし心の一番深い処では、本当の自分の姿を感じて神に審かれることで恐れが湧き上がろうとしています。それが不安の原因です。
 イエス様が十字架の死の苦しみの中で「父よ彼らをお赦しください。彼ら自身は 自分で何をしているか判らないままにしているからです。」と祈ってくださったのは、イエス様が人間の本当の姿を知っていたからです。
ここから「心に神の恵み」と云う、光が与えられるのです。 

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3月9日の一言
心のきよい者は幸いです。その人は神を見るからです。
マタイ福音書 5章8節
 
 日本が戦争に敗北した後、日本中の戦災地に住む人々に、法定伝染病である「赤痢」が大流行しました。
私たちの住んでいた人口15万人の内の5分の1の人々が「赤痢」に罹り、そのために鉄筋コンクリート建ての小学校の半分が閉校して急拵えの「伝染病院」になって「赤痢患者」を収容しても尚入り切れず、あちこちの「バラック」では、死人が横たわっている家も珍しくありませんでした。
私の家でも妹が死に、その死体の横に母と弟が「赤痢」のために寝かされていました。そんな恐ろしい「赤痢」が大流行した原因は、戦災によって水道管が爆破されて、飲み水にも困り、そのために食器は少量の水で注いだり、なかには食器を手で拭くだけという家庭もあったほど「非衛生」なことと、食糧不足のために栄養が極端に不足していたためでした。
 昔から「心」はその人の人格の「入れ物」と考えられてきました。そのためにどんな時代でも、人々は心を美しくするために、文学や芸術や運動などを楽しんできました。
心を美しく保つ時、その人の人格は「人を愛し、自分と接する人を信じていきる力が生まれてくることを体験し、そこに社会の秩序とバランスが保たれて、心の豊かさが大切な財産となったきました。
しかし現代は「心の豊かさ」よりも、自己満足を求める生き方が最優先して、心の内側よりも外側を飾ることに捕らわれて、心の中味は「欲と悪のバイ菌」が繁殖して、今では子供までが自己満足のために人を殺すことに心の痛みを感じない世の中となっています。だから周囲を眺めても、心を豊かにするために、心のきよさを求める人は見られず、精神的には、私の子供の頃の「赤痢」の大流行した時と同じような、精神的な現象がみられます。
 ダビデは、神から知恵と力を受けて、世界の歴史に冠たる「ダビデ王国」を作りました。
しかしダビデが自己満足を求めた瞬間から、心の豊かさを失って、人々からの信頼なき地獄の道を辿らされました。
その惨めな思いの中で「神よ、私の中にきよい心を作ってください」(聖書 詩編51:10)と祈りました。神はその祈りに応えて、ダビデの心の中にきよい心を造りはじめて、再び神と人々に信頼されるダビデ王国を回復して、ソロモンに王位を託しました。
 イエス様は私たちを愛して、きよき心を造られるために、十字架の上で死に、きよくしてくださるために契約の血を流されました。私たちは証人です。 

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3月16日の一言
イエスは言われた。「あなたがたは行って、弟子としなさい。
見よ。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。」
マタイ福音書 28章19、20節
 
 イエス様は、ご自分の十字架の死と云う代価を払って、救われた人々に「受けるよりも与える方が幸いである」との、ご自分の生き方を大切にするように教えられました。
世の中は、与える人が多いとき幸せな世の中となり、受けることを求めて自分を守ろうとする人が多いとき、不幸な世の中になっていくからです。
そのために与えて生きる人々のために聖霊が働いて、もっと与える幸せに生きられるよう、神が知恵を与えチャンスを与えて、積極的に与える人生を歩む人々を育ててくださっています。
与える人が多いとき、お金の流通が始まり景気は豊かになり、与える人が少なくなるとき、お金の流れは滞り景気は悪くなります。それだけではなく、人と人との信頼関係よりもお金への信頼が強くなって、人の世に愛が冷ややかになります。
 現代は、良くも悪くも老齢化社会と呼ばれています。
65歳以上の老人が、全人口の20%以上となりました。老人が所有しているお金は、すべての流通資金の40%以上と云われています。20年前の老人たちは、資金を不動産や株式の売買や銀行などを用いて財産の増殖を図るなどして、お金の流通の主役でした。
ところが、株や不動産はどんどん値下がりし銀行も信用できなくなって、老人たちの手持ちの資金は減少するばかりです。そのために社会はお金の流通が止まりました。
国は公共事業や国債という借金によってお金の流れを少しでもよくしようと考えたりしています。しかし不安と不信に捕らわれた人々は自分のお金を動かそうとしません。
ここに社会不安が経済面でますます大きくなっていきます。与えることを忘れた人間の知恵がもたらす社会不安は、もう限界に近づいています。
 イエス様はどんな時でもともに生きて神の愛を人々の心に注がれます。
その愛が人間の考え方生き方を変えます。お金も才能も健康もそして家族もすべて神から与えられたもの、とする生き方は、イエス様のみことばのすばらしい証し人の人生を歩ませます。
与えられ与えて、神に捧げて生きる人生は、自ら守ろうとしながらもすべてを取り上げられるむなしさから救われる人生へと変えられます。

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3月23日の一言
思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。
人は種を蒔けば その刈り取りもされることになります。
ガラテヤ 6章7節
 
 アメリカとイギリスその他の国が、イラクに戦争を始めました。世界中の人々は今、どちらの国が悪いかと議論が二分しています。
大部分の人々は「アメリカがなぜ戦争をしかけたか」とアメリカを責めています。しかし世界の歴史の中で繰り返されて来た戦争の中で、どの戦争を取り上げても一方が悪くて一方が正しいと云う戦争などはひとつもないことを忘れてはいけません。
 けれども「戦争のない社会が正しい社会である証し」かと云うとそうでもないようです。
人々は自分の満足のため、人を傷つけ苦しめ、時には平気で人殺しさえ行う人々の住む社会です。
つまり個人的には一人一人が心の中に戦争をしかけたり、戦争をなっているような生活を送っているのです。家庭の中で戦争があります。学校や職場の中で戦争があります。しかしそのような戦争の結果は、法律によって罰せられるためと、法律で罰せられなくてもいろいろな面で損害を受けるために、表面に出ないようにして処理されているだけです。
しかし国と国には、審くべき法律はありません。そのために勝った国が負けた国を審く戦争裁判を行って来ました。
負けた国は大きな損害を受けます。だからそこには社会正義はありません。
 イエス様は、社会から戦争をしかけられました。
社会の指導者達は多数決において勝ち、イエス様を十字架につけて殺しました。そこには 勝った者たちの法律が当てはめられて、イエス様の弟子たちも戦争犯罪人のような扱いを受けたのに愛の心を貫きました。 
 それから30年後、もっと大きな力を持ったローマ帝国によって、エルサレムは陥落し、イエス様に勝った人々はローマ軍によって皆殺しにされました。その後 ローマ帝国もまたモンゴル西征軍によって全滅させられました。
 しかしイエス様の弟子たちは今、全世界に満ちています。自己満足を求める戦争に対して、神の愛によって世の中に勝利して来たからです。
力によって立つ者は力によって滅びる、愛によって立つ者は神の愛によって勝つ、これが本当の勝利者です。

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3月30日の一言
神は、彼に仰せられた
「見よ、わたしはあなたに知恵の心と判断する心を与え、
その上富と誉れとをあなたに与える」
列王記1 3章12、13節
 
 世界の歴史の中で最高の国家的指導者となったソロモン王は、幼少の時から多くの危機に直面して来た人でした。
何度も生命を奪おうとする人々に取り囲まれながらも、遂に世界の歴史の中に類を見ない強大なソロモン王国と、共同的世界平和社会を造りあげた人でした。
ソロモンの成功の秘訣は、神のみこころを知って、神のみこころを実行するための「知恵と判断力」を、いつも創造主なる神に求めたことにありました。
 今世界は、ソロモンのような指導者を必要としています。
何故なら世界は、今自分のために力を求め、その力をもって自己主張と自己満足を求める人々によって、滅びの道を突き進んでいるからです。
その代表的な二人が、アメリカの大統領とイラクの大統領です。
まかり間違えば、このまま世界は神の厳しい審きの時に向かって突き進んで、とりかえしのつかない時を迎える可能性さえも見られます。
 アメリカの力と富と人材の豊かさは、アメリカ合衆国の建国の思想において、明らかにされて来たように、彼らが祈り、彼らが体験して来た、救い主なる神イエス・キリストの栄光のために、励んで来た結果です。
だから大統領就任式の時、聖書の上に手を置いて宣誓して、いつも神からの知恵と判断力が与えられて、神と人々の幸せのために 国家造りを進めて来ました。
創造主なる神もまた、彼らの祈りと信仰に応えて、アメリカ合衆国を豊かな国としてくださいました。
 一方イラクの力と富はどこから来たのでしょうか。
それは、アブラハムの神への信仰による特別な守りと、不思議な方法によって石油の油田を見つけた結果の富の故でした。
アラブ民族の砂漠の中で石油を発見してからの体質は、恐ろしいイスラム主義による戦いから、石油資源による世界平和と人々の幸せと成り、それは彼らの先祖イシマエルが水なき故に死に直面した時、創造主なる神がアブラハムに与えた、約束の成就によって支えられたように、アラブ民族滅亡の危機の中で、水を求めて掘った井戸から石油が湧き上がると云う不思議な神の支えの故でした。
 この神が与えてくださる知恵と判断力、それがすべての人のためにイエス様が十字架の死と云う代価をもって買いとってくださった救われる道です。
この創造主なる神のみこころを知り、実行する力のある知恵を求め続けましょう。

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4月6日の一言
イエスは云われた「時が満ち、神の国は近くなった。
悔い改めて福音を信じなさい」
マルコ福音書 1章14節
 
 今 各地で桜の花が満開です。
桜の花について専門家は「ふしぎな花です」と、口を揃えて紹介しています。
それは、枯木同然のままの木が、ある日突然、花芽がピンク色になってすぐに花を咲かせて、人々をビックリさせたり、楽しませてくれるからだそうです。
 しかし桜の木の立場から見ると、桜は花を咲かせるための内面の準備を冬の厳しい時に着々と進めて来たからこそ、花を咲かせる春の風が吹き始めると「待っていた」と云わんばかりに 次から次へと美しい花を咲かせ、そして花が咲き終わったことを知らせるように葉が大きくなるのです。
植物に限らず全ての神の被造物は、神から与えられる時のために 内面での準備をしっかりと進めています。だから「時が来ると花を咲かせ実を結ぶ」のです。
 ところが人間だけは、神が与えてくださる時のあるのを認めようとしないで、自分の時は自分の力で作ったり引き寄せたりできると考えます。
その考え方が少しでも達成されると「自分は幸せだ」と思います。
逆に自分の考え方がすれ違ってばかりで万事がうまく行かないと、自分は不幸だと思い込んでいます。そのような考え方は、神を否定し、神に対抗する、神を敵とする考え方で、聖書は「悔い改めよ」と指摘しています。
 今、アメリカのブッシュ大統領と戦争推進論者たちは、まさしく「悔い改めるべき」行動を続け、大量殺人をくり返し、イラクの首脳陣も国民をアラーの神の名によって、大量殺人の禍の中に投じようとしています。
それは世界が今「神の時」が近づいて、人々はみな神の前に「悔い改めて」神によって備えられた、神の国のすばらしさを知るべき時を迎えているからです。
人間の考えを押し通そうとする人々は、「神の前に悔い改める」ことによってのみ神が備えている、美しい愛と正義の花を咲かせる時が来ても、それを知ることは出来ません。
 ダビデ王は、王としての権力を最高に使えるようになった時、自分の考えに走って、人殺しと姦淫の罪を犯して、人々からも見捨てられる道を歩みました。
しかし神の人からその罪を指摘され「悔い改め」た時、神によって用意されていた人間の能力に勝った「神の愛の力」は世界の歴史の中で「最高の王」と賞賛される人へと変えられました。

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4月13日の一言
アブラハムは神を信じた。それが彼の義とみなされた。
ローマ人への手紙 4章 3節
 
 桜の花も散って葉が出る頃、農家は稲作のために種もみを蒔く苗代の準備にかかっています。
種もみは品種がどんどん改良されてきましたが、種もみを苗代田に蒔く時期は、昔から変わらないようです。農家の人たちは、収穫はいつ頃と、気象台の長期予報などは無視して刈り入れの時期まで、信じて農作業に励みます。
そこにある考え方は長い歴史の中で繰り返されてきた、自然界を支配する神の摂理の時を信じた働きです。
それ故に、神もまた、農家の人々の信じる心に応えて、収穫の喜びの時を準備されてきました。
これは、農家は神の摂理を信じて種を播き、神は彼らの信じ行動したことを良し(義)とした、と云うことの出来る事実です。
 聖書が啓示する神は、創造主でありまた統治される神であって、日本人の抱いてきた「偶像」なる神ではありません。
それ故に、自然界の中で神の意志を知り神の働きを見て、神の人格的なお姿を信じ、そのみことばに従って行動する時、神はその生き方を見て、まず信じるという生き方に応えてくださる御方です。
自然界の働きこそ神の自然啓示を現しています。自然界の働き以上に、信じることの出来る働きは、神のことばです。
聖書は、神のことばを信じて従う人たちに備えられた神の働きの事実によって、神のことばを神の特別啓示(目に見えることは出来なくても神の働きの事実)として体験できるものとして明らかにしています。
 イエス様の十字架と復活と再臨による審きは、神のことばを信じるか拒否するかによって、その人の人生において明らかな事実となって現れます。
信じて従う人の人生は、神が働いて万事が益となる結果が待っています。
信じようとしないで従うことを拒否する人の人生には、すべてが神を的として満身創痍のうちに信じられない思いによって永遠の滅亡への道に転落して行きます。死の苦しみはそのスタートです。
 アブラハムは、何もかも信じられない環境の中で、神のことばを信じて、ひとり子イサクさえ神のことばに従って捧げました。それ故に神は、アブラハムとその子イサクの生涯を支え祝福して、神が義となさる幸いを、明らかにされました。
この神を信じて従ってみましょう。

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4月20日の一言
神はこのイエスをよみがえらせました。
私たちはみ な、そのことの証人です。
使徒 2章 32節
 
  18日付新聞のスポーツ欄は、アメリカの大リーグ「ドジャース」の石井投手の活躍を「石井復活」と大きく取り上げました。昨年9月、石井投手は強烈な打球に頭を直撃されて頭の骨が砕け再起不能とさえ報じられました。
しかし4月16日の石井投手は、不死鳥のように立ち上がり、パドレスを三安打無失点に押さえて勝利投手となりました。トレーシー監督は「カムバックした彼を誇りに思う」と感激し、チームメイトたちも一丸となって石井投手をもり立ててスパークしたと報じられています。
味方の一人が復活する時、すばらしい結果が生まれます。
 きょうは、イースターです。
私たちの罪の身代わりとなって、十字架の上で贖いの死をとげられたイエス様が、死後三日目に、すべての罪人たちが死後その心と霊魂を送り届けられる「地獄ー陰府」から、救い主なる神として復活されました。
イースターは、このイエス様を祝い、私たちの味方となってくださる救い主に感謝と賛美を捧げる、すばらしい日です。
なぜならば、イエス様の贖いの恵みに与るすべての人は、復活された救い主なるイエス様が、わたしの神として味方して、信じることによる勝利の喜びの時だからです。
 キリスト教会の敵となった社会も人々も、すべてイエス様の復活を作り話として否定して来ました。そして科学者たちも、世界の僅かなことしか知り得ない科学を万能の物指しとして、イエス様の復活を否定し続けて来ました。
しかしイエス様は私たちと同じ人間として生きそして死なれましたが、神として復活されたことを認めたとき、創造主なる神なれば人間として扱うべきでないことを認めるようになりました。
アインシュタインもその一人です。彼らはその心が「永遠なるもの、無限なるもの」を求め始めた時、自分の弱く小さな存在に気づいたからです。その心の中に働きかけられた神は、彼らの心の求めを、そのまま受け入れて神の世界とその原則を体験させてくださいました。
それが「神の愛」体験であり、永遠の命の道を限られた一人の生によって歩むことが赦された幸いでした。
 イエス様の弟子たちでさえも、復活を信じることが出来ませんでした。しかし神への思いがイエス様に向けられた時、彼らもまた復活したイエス様が味方となって、弱さから強さに、愚かさから賢さに、滅びから永遠に生きる人生へと変えられ、証人として歩く人とされました。

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4月27日の一言
キリストは 正しくさばかれる方にお任せになりました。
それは私たちが義のために生きるためです。
ペテロ第一の手紙 2章 23節
 
  私の尊敬する韓国の牧師で林寅植(イム・ミンシュク)先生と云う方は、私の兄のような方ですが、林牧師に接した人が殆んど心酔いさせられるほど立派な方です。
その理由は「信頼して裏切られたことはないばかりか、害を与えた人に対しても親切の限りを尽くす先生」だからです。
現在80才になられますが、今でも韓国ばかりでなく、アメリカ・ドイツ・オーストラリアその他の国の教会から、説教や講演に来て欲しいと招かれ、そのスケジュールは1年先まで一杯です。
そして林牧師を知っている人は「神の素晴らしい報い」が、人から信用される林牧師の姿を、聖書のことばの通りであると、イエス様と林牧師をほめています。
 神は正しく報いる時、悪に対する報いであるとともに、良き行為に対する祝福ある報いであると「人は種を播けば、その刈り取りもする、肉に播く者は滅びを刈り取り、御霊のために播く者は、御霊から永遠の生命を刈り取る。神を侮ってはいけません(聖書 ガラテヤ 6:7、8)」と聖書は明白に宣言しています。信用として現されます。
 クリスチャン新聞の「アメリカのクリスチャンは、なぜ戦争を支持するか」との投稿記事によると、「クリスチャンであるから、正しい判断が出来る」との考え方が、神の名を呼び、聖書のことばを使って、悪の力を追求するための戦争として、イラク攻撃を支持するとのことです。
しかしそれはクリスチャンたちが犯す大きな罪です。
人間はどんな理由があっても、神の立場に立って、人の悪を播くことは赦されないからです。
むしろ人間の弱さが罪を犯すことを知って、罪ある行動をする人々の為に「父よ、彼らをお赦しください」と祈り、悪を行う人々を、神のさばきに委ねて、イエス様の心を心として生きることです。
すると神が働かれた結果を、人々はその目で見るからです。
 ヨセフは警察庁長官の妻から誘惑された時、その妻の考え方に従う前に神の判断を求めました。その結果 無実の罪のために苦しめられました。
しかしその苦しみの中で、主なる神は偕に生きてくださいました。それが神の正しい報いでした。
やがて、当時の世界の支配者から信頼され、全権を把される人となりました。これが生きる鍵です。

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5月4日の一言
信仰は聞くことに始まり、聞くはキリストのことばによる
ローマ人への手紙 10章 16節
 
  最近のニュースを賑わせている「ネオ・コン」には、教会関係者にとっては、教会の2000年の歴史の悪い働きとして「間違っている」と声を大にして叫びたいような心境です。
初め「ネオ・コン」と云うことばを聞いた時「ゼネ・コン」の変形したことばと混同しました。しかし「ネオ・コン」とはネオ・コンサバティブ(新しい時代的な考え方)によって、キリスト教の保守的考え方を力によって実践しようとする働きであり、アメリカの教会で推し進めている「力による伝道」の社会化したものです。
そのためでしょうか アメリカの保守的なキリスト者たちのうち80%以上の人々が アメリカ大統領の決定を「熱い心で支持している」と ニュースは伝えています。
しかし同時に、もしもアメリカ国民がこの戦争で何万人もの死者が出たら、「ネオ・コン」の働きは破局するだろうとも云われています。
つまり、「いのち」の代価を払ってまで実現させる真理の戦いではなく、自己主張・自己満足の戦いである「力」と「ことば」による戦いの信仰です。
 日本でも、いろいろな宗教が「ことばと力」をもって、自分たちの主張を人々の心の中にまで及ぼし、その行きつく先は「争い」であり、理由さえつけば戦争に関わると宗教的政党は示しています。
聖書は「神のことば」であるとともに「人間のことば」です。
そのために「神のことば」であるよりも、人間が自分たちのために利用する「宗教的な力の源泉」として受けとめているキリスト者も多いようです。
「ネオ・コン」的考え方は そこに生まれています。しかしその土台には「いのちの犠牲」はありません。「ことばと力」だけが優先しています。
 キリスト教の根本は イエス様による十字架の犠牲です。
そのために自己満足を求める人間が、試練に直面しながら、イエス様の十字架の死を自分の心の中に受け入れて、心の中に愛の働きを発見します。
その愛が 1つ1つの試練のつみ重ねによって「神の愛」にまで昇華させられて行きます。それが「聖霊なる神」の霊的感化力です。
 人間の知恵とことばによる力の働き、聖書はそれを「肉の働き」と指摘しています。
キリストの十字架の働きが、信じる人々の心の中に始まる時、人々はネオ・コン的「肉の働き」ではなく、古くて新しい「福音によるリバイバル」の素晴らしさに満ちた人生を歩む集団とされるのです。

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5月11日の一言
天は神の栄光を語り告げ、大空は御手のわざを告げ知らされる。
詩篇 19篇 1節
 
  中国から始まった「新型肺炎」や、得体の知れぬ白布集団のニュースの陰で、こっそりと知らされた、世界の終末の危機さえはらんだ、2つの記事を何気なく読んだ人々が多いようです。
その2つの記事とは、「水星」の太陽面の通過と、小惑星の探索機「ミューゼスC」 を乗せたロケット「M5」の成功です。
この2つの出来事は、間もなく地球に黙示録の預言の到来の近いことを知らせるメッセージです。まさしく詩篇の記者が伝えた「大空は御手のわざを示す」できごとで、文字通り、声なき神の声で全世界に響き渡っています。
 1993年11月6日、地球では久し振りの「水星による天体ショウ」が見られました。
太陽面に水星が通過したからです。ところがその観測に当たった日本の海上保安庁では、水星の軌道が計算されていた軌道とは違う軌道であったと発表し、アメリカのNASAも認めました。
それは19世紀にパリ天文台長ルベリエが投げかけた疑問、太陽系の宇宙は静かにゆっくりと進化してきた「再一論動き」ではなく、木星の大爆発から始まる「摂動」による「激変」し続けている、という問いかけへの、宇宙からの答えのようです。
その答えを求めて、小惑星の岩から飛び散った「砂」を探査機「はやぶさ」が持ち帰っ、て調べるために計画されたものです。
「はやぶさ」が持ち帰る「砂」が、予想される木星の大爆発によって生まれた、水星や火星や金星や地球と共通の要素を持ったものであるならば、この太陽系宇宙は、静かな進化を何億年もの間繰り返して来た「神なき世界」ではなく、神の怒りが惑星間の「摂動」による、天変地変を繰り返して、太陽に一番近い惑星「水星」の軌道の変化から始まる、黙示録的終末の警告です。
 聖書によれば、神の怒りはまず、イエス様の十字架の上に現されました。
それは、イエス様の贖いの死を、悔い改めをもって受け入れて救われるための、神の愛による怒りでした。しかしその神の愛による救いを拒否する人々には、「死によって始まる永遠の神の審き」だけです。その永遠の苦しみを象徴する体験が、黙示録的世界の中で味わう終末の苦しみです。
それ故に大きなものは宇宙、小さなものは電子顕微鏡世界で存在する自然界まで、すべての人々に、神の怒りの時が近づいていることを示して、1日も早く救われて欲しいと、声なき声をもっての叫びが、響き渡っています。

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5月18日の一言
するとたちまち、その御使いたちといっしょに神をさんびして言った
 「いと高きところに栄光が神にあるように、
 地の上に平和が、御心にかなう人々にあるように。」
ルカ福音書 2章 13節
 
  梅雨入りも近い頭上の空に一番星が現れます。夕闇に輝く太陽系惑星「木星」です。
木星はその大きさを地球と較べると、堆積は1316倍、質量(重さと考える)は318倍もある大きな星で、人類が長い歴史の中でいろいろな考えを育てられた星です。
1994年7月16日から22日にかけて、シューメーカー・レビー第9彗星が銀河鉄道のように一列に並んで、木星の地球側に、軌道計算通りに見事に激突しました。水爆の10億倍とも云われる大爆発を引き起こした木星を、世界中の天文台は集中的に観測し、その結果を分析して発表しました。
その一年後、アメリカは木星探査機ガリレオを木星に送りました。また、2000年12月30日、土星探査機カッシーニの木星接近時の探査によって、木星は地球と同じタイプの星のようであることが判明しました。
しかし探査をしたアメリカのNASAは、それ以上の内容は秘密にしてきました。従来の学説とは異なった内容であったからです。
 ところが先日5月9日、日本の宇宙科学研究所が、火星と木星の間にある小惑星群の一つから「砂」を持ち帰るための探査機「はやぶさ」の打ち上げに成功しました。
予定通り進めば2005年6月「はやぶさ」は小惑星に到達します。最近の天体科学では、上の「砂」は、木星と同質でありまた地球とも同じではないかと推定されています。もしそうであれば、宇宙は、神の意志に従って神の御心の通り、突然その軌道さえ変化させて、宇宙全体に神のみこころが現されていることが立証されることになります。
 旧約聖書の指導者たち、特にアブラハムは空の星の動きを見て神のみこころを知る人でした。
クリスマスの夜、ベツレヘムへの旅をした東方の三人の博士たちも、突然な星の動きによって神のみこころを知り、喜びに溢れて救い主としておいでになった神イエス様を礼拝しました。神の御心が明らかにされた時、天の御使いは神をほめたたえて賛美したと、聖書は記録しています。それが賛美の原則です。
 しかし今は、神はみこころを「神のことば」によって明らかにされてきました。
御子イエス様の十字架と復活と再臨を、聖霊によって個人的な約束として受けた人々の、神への賛美が溢れる原因がそこにあります。

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5月25日の一言
神の国は あなた方のただ中にあるのです。
ルカ福音書 17章 21節
 
  卓球の世界選手権、個人戦女子シングルス4回戦で14才の天才卓球少女「愛ちゃん」が、“世界ランキングの格上選手に勝って、世界ベスト8に進出!”と5月24日の新聞でその健闘ぶりが報じられました。
心の中に相手を意識するあまり、自分を見失う人々の多い今の社会の中で、自分の良い姿をしっかりと見つめながら試合に臨んでいるからこそ、「愛ちゃん」は国際卓球連盟の関係者から競技マナーの良さまで誉められているそうです。
 誰でも、心の中にその人のすばらしさを引き出させる能力が与えられています。
その能力の働く機会をつかむために、スポーツ選手はいつもイメージトレーニングをしっかりと積んで、練習の結果をゲームに発揮させることが出来るそうです。そこにはどんな時でも感情に負けないで、自分のベストを発揮するスポーツマンシップの良さがあります。
 イエス様が弟子たちに教えた「神の国」を心の中に持つ信仰生活は、神のことばを個人的な約束のことばとして信じて受け入れて、自分の心の中に“イエス様が実現してくださる”と云うイメージを育てて、どんな場合にでもそのイメージを第一として働かせて生きることです。
そこに自分の欲や感情に打ち勝つ聖霊が働く世界が、心の中に始まるからです。
そこには聖霊の働きの証明である、心の平安信仰による確信 ― すべてを神に委ねられる心の豊かさ ― が、自らの努力した体験であっても「イエス様のおかげ」と栄光を神に帰すことの出来る、人間としての美しさが見られるようになります。
 アメリカの大統領は、正義のため、アメリカ国民のためとイラクで戦争を起こし、アメリカのかなりのキリスト者がその決定を支持しています。
それは、1095年教皇ウルパヌスがトルコ軍のエルサレム征服に対して十字軍の呼びかけを時と 同じ姿です。
十字軍を送り出した時、教会の説教は人々の心を動かしました。社会も正義のために行動する人々を育てました。しかし長い戦いの中でトルコを中心とするイスラム社会が十字軍に勝ちました。
そこには「神の国」はなかったからです。「神の国」はイエス様の働く「人の心」にあるからです。
 神の国は、イエス様の十字架から始まります。
人間の失敗させる感情の働きを越えた「神の愛」を貫く心の中に神の国は実現するのです。

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6月1日の一言
神は仰せられた。「わたしはあなたとともにいる。
わたしがあなたを遣わすのだ。
出エジプト記 3章 12節
 
  今世界中で「新型肺炎 SARS」のニュースは多くの人々の心に大きな不安をもって聞かされています。
この肺炎にかかると治療の方法がなく、どんどん死ぬ人が増えるからです。そのようなことがわからなかったので、新型肺炎はまずお医者さんや看護婦さんたちの医療関係者のなかに広がりました。
そこで国際保険機構では「新型肺炎」の病原菌の正体をつかみ、専門家を派遣して人々が「新型肺炎」にならない為の予防を徹底して行うことにしました。
しかし治療の方法が判らない恐ろしい新型肺炎ですので、予防に参加する医療関係者を守らなければなりません。そこで患者のセキやタンが全くかからない様な完全な防護システムに身を包み、また病人も同じようにセキやタンを人にかからないように包むという隔離作戦によって、やっと「新型肺炎 SARS」も鎮静化に向かっています。
この為に命がけで働いた医療関係者に心から感謝を表したい思いで一杯です。
この新型肺炎も2、3年後には治療の方法が発見され、今回の世界的な騒動も昔話として語られる時代がくることでしょう。
 以前、エジプト旅行の時カイロ博物館に行き、昔のエジプト王たちの生活を一つ一つの展示物によって知る機会が与えられました。
旧約聖書の指導者モーセがエジプトで活躍した時代の王の生活は、自己満足を求めることの恐ろしさを教え、人を救う為に神はモーセを遣わしました。
自己満足を求める心は、人を自分の為に人を支配しようとして苦しめ、悲しみの中に突き落としても平気です。
尚強い自己満足の為に周囲の人々を苦しめる様な結果を求めます。まるで治療法のない新型肺炎の病原菌の塊のような人物です。その恐ろしさからの救いがあります。
現代は自己満足を求めて、人を苦しみ悲しみの中に巻き込んでしまう人々は一杯です。
そのような恐ろしい社会の中に、神はイエス様を「救い主」として遣わされました。
自己満足を求める罪をイエス様に告白するとき、イエス様がその罪を全て吸い込んで下さって、罪の力から隔離して神の愛の治療によっていやして下さいます。
そしてイエス様にいやされた人は、イエス様がその人を罪から守って人々を罪の力から救い出す為に遣わされます。遣わされる人はあなたです。

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6月8日の一言
すべての人を照らす、まことの光が世に来ようとし ていた。
ヨハネ福音書 1章 9節
 
  韓国の「ノムヒョン大統領」が、6日来日しました。
その直前、自民党の政調会長という要職にある人が、日本帝国主義時代にとった植民地政策の「極悪政策」の一つである「創氏改正」を、権力によって変えてしまった出来事を「満州にいた朝鮮人の要望に応えた善政であった」との暴言が伝えられました。
従来なら、政府与党の政調会長の暴言に厳しく抗議して、大統領の来日は取りやめになるような重大な問題を含んだ発言でした。
しかし「ノムヒョン大統領」は、過去の問題に捕らわれない未来思考で、韓国と日本の関係を構築したいとの考えを貫いて、来日されされました。未来思考こそは、新しい世界建設の大切な鍵を持つものだからです。
 しかし正しい未来思考は、過去のすべてを自分勝手に水に流すものではなく、過去の事実を正しく精算するところから出発すべきものです。過去の事実を認めて精算するところに、真の新しい未来が生まれるからです。
人々はいつも過去も、人に害を与えた事実も、いろいろな「弁解」という方法で誤魔化して来ました。その代表的な姿が自民党の政調会長の暴言です。
 聖書はこ個人的な未来思考の原点として、「神に対する悔い改めとキリストイエスに対する信仰」(聖書 使徒20:19-21)以外にあり得ないと教えています。
 現代社会は「ポストモダンの時代」と言われています。
自己主張と結果主義による評価によって、絶対の真理を見失い、混迷の出口が見付からない不安の中で、何をどのようにして良いか判らない人の社会となっています。
 それは、モダニズム(近代社会主義)を支えた絶対の真理、子どもに対する親、生徒に対する教師、社会に対する指導者のように、愛の心で犠牲を惜しまない人々に託された絶対者の立場が、自己主張を要求する人々によって、葬り去られてしまったからです。
自己主張の強さが勝利する社会観念が、親子、生徒と教師、指導される者と指導者、国家の間に、腐った根のように拡がって、混迷の社会となり、未来思考さえも消滅させる力となっています。
 聖書は「わたしは真理である」と言われた、イエス様のことばに個人的に自発的に従う人々の中に真理とその事実が生まれると、主張してきました。
この真理であるイエス様は、十字架の贖いの死と、復活のいのちの力をもって、信じる人々による「真理の力」によって、混迷に悩む世界の歴史を、いつも新しく造り変えてこられました。
それは、あなたの心から始まります。

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6月15日の一言
御子を信じる者は永遠のいのちを持つが、
御子に聞き従わない者は、神の怒りがその上に留まる。
ヨハネ福音書 3章 36節
 
 現代は誰が「真の味方」であるかと云うことが、大きな要素をしめています。
「りそな銀行」は 日本と云う国が味方になる道を選択しました。その結果、国は2兆円にも上る莫大な国の費用を注ぎ込んで、破産の危機に瀕していた「りそな銀行」を倒産から守りました。まさに「寄らば大樹のかげ」です。
そのためでしょうか、日本の政府は、不法を行う暴力国のような国、北朝鮮が「核弾頭をつけたロケット爆弾によって日本の重要拠点を壊滅させる」との暴言におびえて、アメリカに味方となってもらうために、アメリカ大統領の言いなりになる法律を、国会で2つも通そうとしています。
そして国民の多数も、北朝鮮の暴力を恐れて理想主義より現実主義を支持しようとしています。
しかし北朝鮮が核弾頭をつけたミサイル攻撃をする時、アメリカ合衆国は本当に味方となって、アメリカ軍人のいのちを賭けた守りをもって、日本や韓国の味方となってくれるか、と云うと答えは残念ながら「ノー」です。
アメリカ大統領は、アメリカ国民である軍人が1,000人死んだら、その戦いから必ず撤退すると明言されているそうです。そのようなことを知りながら、アメリカ軍がいのちを賭けて守ってくれるから日本もまずアメリカに協力すると主張する日本の政治家の発言は、保証のない宝くじに全財産を使うのと同様な愚かです。
 ポストモダンの時代と言われる現代は、本当の味方は誰かを見失っている時代です。
たとえ味方を見つけても「その味方がどんな未来を保証してくれるかを知っていますか」との問いに対して、答えは「ノー」です。
 神は 実にそのひとり子をお与えになったほど この世(私たち)を愛してくださいました。それはイエス様を救い主として受け入れた人々の永遠の味方となってくださるためでした。
そしてイエス様ご自身も、十字架の上でご自分のいのちを捨てて、その約束を実行し、神もまたイエス様を死から復活させて、イエス様を信じる人々の味方となることの保証を確かなものとしてくださいました。
このイエス、キリストによる救いの事実は「きのうも今日も永遠に変わることがない」ことを2000年の歴史の中で実証し続けて来られました。
しかしこのイエス様を受け入れない人々には、神の怒りの下におかれています。
イエス様を拒否する人々にはこの神の怒りからの守りはないからです。

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6月22日の一言
あなたがたを、つまずかないように守ることができる方、
私たちの救い主である唯一の神に、栄光、尊厳、支配、
権威が、世々限りなくありますように。
ユダの手紙 24、25節
 
 今の社会には、人のつまずきとなるような出来事が満ちています。
それは神の守りを無視して、人間の能力を欲と悪のために利用しようとする人間がもたらしたゆがんだ社会秩序の結果です。
しかしこの現実の中で、すべてのものの創造主である神を仰ぎ、神をほめたたえる人々は、つまずき多き社会の中で、神の助けと守りのすばらしさの体験者として、人々に幸せをもたらす役割を果たしてきました。
 1868年、発明家として世界に認められたエジソンは、少年時代人々から拒否されて小学校へ入学して数ヶ月で退学させられました。しかしエジソン少年は、世の中のつまずきにもめげず、母の指導で神の助けと守りのある道を歩みました。
1879年炭素白熱電球を発明し、1882年にはロンドンとニューヨークで電灯照明用配電システムの運転を開始。エジソン電気照明会社は後にゼネラルエレクトリックと云う世界最大の会社になるほど発展しました。この会社の経営でも、人々の人間中心な考え方によってエジソンはつまずきを余儀なくされて退社しました。
エジソンが創造主なる神を相手に抱いた「企業は人々の幸せのために存在する」と云う社会意識は、今では世界中に浸透しています。世につまずき神の愛に生かされた結果でした。
 教会が出発したペンテコステの次の週、祈るためにエルサレムの美しの門を通過したペテロとヨハネに、ひとりの足の不自由な乞食が施しを求めました。
その人は社会から仲間はずれにされ、人間としてつまずき、人をだましてでも金を得て生きていた人でした。
しかしペテロの信仰の力が、その乞食の心と体に注がれた時、彼はつまずきから解放されて神をほめたたえ人の幸せのために生きることが喜びとなりました。
ザアカイと云う税金取りの長も、イエス様によって変えられた時、彼の得た金を提供して人々の幸せのために役立ちたいとイエス様に申し出て「きょう救いがこの家に来た」と喜ばれました。
人々につまずいていた人が、イエス様の愛に触れる時、神によって守り助けられる幸いにより、生き方さえ変わってしまいます。

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6月29日の一言
神に近づきなさい。そうすれば神はあなたに近づいてくださる。
ヤコブ 4章 8節
 
 現代は不安に満ちています。こうすればこうなると云う確かな道が次から次ぎえと崩れて 砂の山を歩いているようです。
 韓国 前大統領の金大中さんは、北朝鮮が食料や電力の不足のために困っているために「太陽対策」を実行するために4憶5千万ドルもの大金を北朝鮮にプレゼントをしました。
その甲斐があって、南北首脳会談が北朝鮮のピョンヤンで開かれ、北朝鮮の金正日総書記が 韓国を訪問することになりました。そのような素晴らしい約束をとりつけた功績により金大中さんは、ノーベル平和賞を受けました。
しかし北朝鮮側はその約束を実行しないばかりか、原子核弾頭の生産再開を宣言して世界中の人々の思いを北朝鮮不信に陥し込んでしまいました。守る気のない約束は、約束のないこと以上に悪い結果である不信感を倍増させてしまうからです。
 聖書は、すべての人々に対して「うそ」の罪を神は厳しく取り扱われることを明らかにしています。
モーセに対して神は「十戒」の中の大切な戒めとして「うそをつく人」をさばくことを命じています。
もし人間同志の同情によって「うそ」をかばう時、神がその社会全体に対してさばかれることを明らかにしています。
そして人類の歴史は繰り返し、神のさばきを経験して来ました。自然の恵みが減少したり、人と人との間に大切にされて来た道徳力が、その効力を失って「こうすればこうなる」と云う確かな道がなくなりました。
そのような現象を社会学者たちは、ポストモダン現象と呼んでいます。
 神はそのような人間ひとりひとりを愛して、助け支えて「愛の社会」を再創造させようと働きかけてくださっています。
その第一の働きは、神の約束を人々の身近な生活の中で確かなものとして、体験できるようにしてくださいました。
最大の神の約束である「救い主」がひとりひとりのために与えられることです。その約束を、救い主として人の世界においでになった御子なる神、イエス様を私のためにと心の中に受け入れる時、神によって救われ続ける人生を発見します。
聖書のことばを、神が私に対する約束のことばと信じて受けとめて第一歩を踏み出す時、神が私の近くにいてくださって助け支えて信頼社会の大切なひとりとなるのです。

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7月6日の一言
前からキリストに望みを置いていた私たちが、
神の栄光をほめたたえる者となるためです。
エペソ人の手紙 1章12節

 私の友人で、東京大学法学部を卒業して、国家公務員のエリートコースを 歩いた人が、思いがけない重病に倒れて、その頼りとしていた学歴と人脈が何の役にもたたない人生となりました。しかし、彼は何も頼れない人生の中から、変わることなき神の愛によって人生を導いて下さるイエス・キリスト様を「私の主、私の神」として信じて立ち上がり、人の弱さをよく知る牧師として、再出発することが出来ました。
人は自分自身の心の中に望みをおける「何か」を探し求めます。
しかし、どんな人でも「どんなことがあっても大丈夫だ」と確信を持って活かすほど、素晴らしい支えはありません。人生の経験を深めれば深めるほど、望みをおけるものは、どんどん遠ざかって行くことを実感するものです。
 日本の与党は、自民党もそして国民政党と自称している公明党までも、自衛隊がイラクに出兵する「イラク支援法案」に賛成して、国会決議を通過させました。
アメリカの協力を得るためでした。日本の国際的な考えはいつも、アメリカ一辺倒です。それはすべてのことでアメリカの支援に望みをかけているからです。
しかし、そのアメリカは、日本の石油事業の中核プログラムである、イラン石油開発に反対し、挫折に追い込んでいることからもわかるように、自国の利益追求が中心的な国家です。
外に望みを持つ人は、いつも挫折を味わせられる人です。
日本の政治家たちは、もっと自分の心の中に「望み」を持てる人々を育てることに力を注ぐ必要があるのではないでしょうか。
ひとりひとりの心の中に、どんなことに直面しても「これが私を支えてくれる」と云う、確かなものによって生きることが大切です。
 イエスさまは、人々に「私のことばを聞いて従う者は、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることが出来る」と、おっしゃいました。
人生にどんな嵐が吹き付けても、土台とした岩であるイエス・キリスト様が、神の力あるみことばをもって、しっかりと支えて下さるからです。
「人が友のために生命を捨てる、これに勝る愛はない」とのイエス様の愛に支えられた人生こそ、どんなことに直面しても変わることなき神の力の素晴らしさをもって、救い続けて下さる人生だからです。

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7月13日の一言
神によって生まれた者はみな、世に勝つからです。
私たちの信仰、これこそ、世に打ち勝った勝利です。
ヨハネ第1の手紙 5章 4節

 哲学者ソクラテスは、自分を殺すために毒杯を飲ませようとさせた人々に「自分自身を知りなさい」と、最後のメッセージを送ったそうです。
ソクラテスの時代から現代は、すべての人々の創造を超えた速さで、社会も人々の考え方も変化しています。しかし人々の本質的な考え方は、まったく変わっていません。何のために、どうしてそんなことをするか判らないまま、人々は行動しているからです。
 長崎で4歳の可愛い男の子を、衣服を剥ぎ取って裸にして駐車場の屋上から放り出すように投げて殺して、大きなニュースになっています。
沖縄でも中学生たちが、後輩を呼び出して、みんなで殴り殺して、墓の裏に埋めたことも、何で殺さなければならないか、誰一人、理由もなく殺しています。
何年か前、神戸で少年が近所の子ども首を切って、学校の門の上に晒したことも同様です。
始めは好奇心の満足が、やがてとんでもないことを当然なことのような思いで、やってしまうのです。見付かるとか見付からないという問題でなく、やっているうちにそうなった、気が付いたら大変なことになった、という心境のようです。
だから、そこには罪責観念などはまったくありません。捕まったのは運が悪かった、だからこれからのために「ごめんなさい」です。
そこには共通の意識がみられます。良心に照らし出された本当の自分の姿を見ようとはしないことです。まして神に対して自分がどんなことをしたか、などは考えようともしない生き方です。
心の中に働きかける悪の力によって、考え方がエスカレートして、悪の奴隷となってしまいます。
 自分の本当の姿をみようとしない人は、常に自分の満足を求めて、心の中で悪の力と戦うことをしないまま、自分の感情のまま生活しています。
 使途パウロは、いつも神の光に照らされて、自分の本当の姿を見て生きた人でした。
だから「私は自分でしたいと思う善を行わないで、したくない悪を行っている。私は本当にみじめな人間です。」と、告白しています。
だからイエス様を心の中に、「私の神、私の主」として受け入れ続けて、イエス様に従う生き方によって、勝利ある人生を生きることが出来たのです。

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7月20日の一言
聖霊によるのでなければ、だれも「イエスは主です。」と言う
ことはできません。
コリント第一の手紙  12章 3節

 大阪の選挙区が生んだ、将来の日本を背負うことので来る数少ない女性政治家と思われていた人が逮捕されたと報道されました。法律に反する行為があったからだと説明されています。
日本は法治国家ですから、すべては法律に照らして処理されます。つまり日本の社会の中では一番高い立場にあるのが「法律」です。この法律によって、総理大臣でも審かれます。
 ところがこの一番権威のある法律が、社会の風潮に流されてないがしろにされています。
その代表的な法律が、憲法第9条と云われています。日本は軍隊を持たないから自衛隊であると主張しています。でもアメリカはその自衛隊を軍隊としてイラクに送れと要求して、小泉首相や公明党まで賛成しました。
日本の法治国家としての原点は「主権在民」、つまり、国民一人ひとりのために法律があるから守らなければならないということです。だから法律を作る立法府、法律を実行する行政府、法律に照らして審く司法府と、日本は三権分立しています。
日本の社会は曲がりなりにも、一人ひとりの幸せを法律に基づいて作りだしてきました。しかしその大切な法律も社会の風潮に流されてどんどん変えられ、今では憲法の改正も考えられるようになりました。
その論議の原因は、世の中が変わってきたからという主張です。主人公である国民一人ひとりのためにという論議は見られません。そしてこれが社会の風潮であるようです。大変なことです。
 主なる神イエス様は、一人ひとりの人を大切にし、世と悪の力から救い続けるために、聖霊の助けと導きによって、教会を起こし、神のことばとしての聖書を制定し、自然界の恵みによって社会を育ててきました。この原則が三権分立による法治国家のモデルとなっています。
 だから人は、教会の中で神の恵みを発見し、聖書のみことばによって救われ続け、自然の恵みに応えて祈りつつよりよき社会習慣を育成し、神を自らの主と崇める幸せを発見します。
それゆえに、キリスト者は、この神のみこころに生きる時、社会の風潮に流されることなく、「一人ひとり」が滅びることのない、永遠の世界の証し人としての使命を果たすことができます。
それがひとり子なる神イエス様を主としてその愛に応える生き方です。

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7月27日の一言
イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも、同じです。
ヘブル人への手紙 13章 8節

 社会は、体験重視の社会からコンピュータによるデータ重視社会に変化しています。
それにもかかわらず古い体験を固執して、社会の変化に心を閉ざして、孤独と挫折に悲しみ嘆いている人々があまりにも多いようです。
素晴らしい体験は、コンピュータもデータによってその結果を明らかにしています。それが時代を先取りする体験として、人々から評価されるようになります。
 コンピュータのデータは、0か1かで判断しますから、答えは簡単明瞭です。それは結果を明らかに示してくれるからです。
それは聖書のみことばによる信仰体験から生まれたものだと云われています。
神のみことばに従う時、心の中に答えが明らかに現れます。平安です。神のみことばに従わない時、どんなに従えない理由があったとしても、心の中に現れる答えは不安です。
平安と云う答えの積み重ねが、確信と云う心のデータとなり、不安はどんな弁解をしても、その答えはもつと複雑な不安として現れます。
この原理は、人類の歴史が始まって以来、少しも変わることはありませんでした。この事実に対して人々は謙虚になって、この事実を受け入れて、確信に支えられた生活を見出すことが必要です。
 7月24日のニュースでは、バルセロナの世界選手権で、日本の北島康介選手が平泳ぎで100メートルに続いて200メートルも共に世界新記録によって優勝したと、大きく報じています。
朝日新聞の「強さの秘密」と云う記事は、北島康介選手の自分のためのコンピュータデータに対する謙虚な態度について紹介していました。その紹介文によれば、100メートルの金メダルを手にする12時間前、日本から北島選手のもとに1枚のファクスが届きました。そのファクスは、泳ぎをコンピュータで解析し数値をグラフ化したもので、日本水連の競泳委員の河合正治のコメントがついていたそうです。
北島選手は科学のヒントを柔軟に受け止め、自信をもって泳いで世界新で二種目優勝する快挙をなしとげました。
 イエス様は聖霊が働かれる時「私のことばを思い起こす」と教えています。
神のことばはコンピュータが評価し続ける信仰のデータに満ちて人生を歩かせて歴史の中で明らかにされています。

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8月3日の一言
イエスは彼らにこう言われた
「全世界に出て行き、すべての造られた者に 福音を宣べ伝えなさい。
信じてバプテスマを受ける者は救われます。」
マルコ福音書 16章 15、16節

 希望のない人々に希望を与えるニュ−スを、「福音」と呼びます。
夏の甲子園に、東京の都立高校「雪谷」が出場権を手にしました。東京で 都立高校が甲子園に出場することは、厳しい進学競争を走らされている日本中の公立高校の球児たちにとって「福音」です。
 昨年の夏、日本中に「福音」のようにニュ−スを賑わした、ハンセン病後遺症に苦しむ人々のために、厚生省は裁判の敗訴を受け入れて、お詫びと賠償金の支払いを決めたことが報じられました。
 私は40年近く前、香川県庵治郡の大島にある「国立療養所」にいる人々の「霊交会教会」に定期的に訪問し、牧師の働きをさせて頂きました。大島の国立療養所は、当時 人々から治らないで苦しみ続ける「天刑病」と恐れられていた「ライ病(今のハンセン病)」のために強制収容されていた島でした。
 私を大島に招いてくださった療養所の総務課長をしていた海老沼健次さんは、
「ライ病は昔は恐ろしい不治の病でした。ところが10年ほど前、かぜ薬を飲んだ人から病原菌が死滅していることが判ったことと、結核の薬を飲んでいる人にはライ病はいないことから、ライ病菌を死滅させる新薬が生まれました。もうライ病そのもので苦しむ人はいません。
しかし恐ろしいことは 日本中の人々が今でも ライ病は恐ろしい伝染病だと信じて、後遺症に苦しむ人々を拒絶している迷信です。
だから先生、この療養所に来て、苦しむ人々に必要な神の愛を教え、迷信でおびえている人々には、絶滅して恐れる必要はないことを伝えてください。」と頼まれました。
 しかし私のような者がどんなに叫び続けても、人々の心は迷信に束縛されて、ライの後遺症に苦しむ人々を拒絶して来ました。
だから裁判の結果は、ライ後遺症の人々ばかりでなく日本中にとって福音です。
 すべての人々は自己満足を求めて、恐ろしい罪の力によって苦しみ続けて来ました。
しかし神は、御子を人の世界に遣わして十字架の身代わりの死によって、罪の力を絶滅させる聖霊の働きによる救いの道を開いてくださいました。
罪の迷信の力から離れて、バプテスマによる神の恵みに立ち続けて、新しい恵みによる福音の事実を人々に知らせるのです。

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8月10日の一言
あなた方を、つまずかないように守ることが出来る方に・・・・・。
ユダの手紙 24章

 甲子園で高校野球が始まりました。
何も高校野球だけでなく、プロ野球も「野球は守ることの美しさが強さ」となっています。投手はどんなピンチに立たされても、チームが一丸となって守り抜いてくれると感じる時、実力以上の力を発揮します。その逆にどんなに頑張ってもバックが失策ばかりして守りが崩れると、素晴らしい実力も見失って、お互いの間に信頼関係は崩れて、不平や不満がが蓄積して、惨めな敗北を喫したりしています。
 いまの社会も同じ惨めさが、爆発の危機が寸前です。
今まで守ってくれるはずの約束ごとが、次から次へと破棄されたり、良くない方に変更される繰り返しです。銀行預金の利子はどんどん下がって、今では定期預金の利子でお小遣いは何とかという生活はありません。老後も昔は50才になればゆっくり生活がと思って年金を納めて来たのに、受給年齢は高くなり年金額は低くなり、老後が守られる約束は、どこにも見付けられません。
不満ばかりで それでも人々は自分を守ってくれると信じて、いろいろな保険に加入しています。健康保険、生命保険、火災や車両などの損害保険と出費は大変。 このような自分を守るための安心料は、全収入の10%が一応の目安でした。
それは、聖書が示している、神さまによって守られていることの最低の感謝の表明である「十分の一献金」からうまれたシステムだそうです。だから複雑な社会の中で守られるための安心料は、もっと高額になるのは当然です。最近は25-30%は安心料として普通の金額のようです。それでも不安は一杯です。それは本当の守りが保証されることがないからです。     
 イエス様は神の守りを信じないで、お金によって自分を守ろうとした金持に対して、神の守りのない生活の哀れさを「自分に対して富んでいても神に対して富んでいない人」の見本として、自分の家で乞食をしていた人の体験した、神の永遠の守りのある人生を、家族のために求めた話をされました。
 イエス様はどんな状況の中にある人でも、ご自分に心を向ける信仰に応えて守ってくださる救い主です。その保証が十字架の死の苦しみの中から復活して、神の守りの素晴らしい事実の証人とされました。
イエス様による守りは今も、復活の力が心に注がれた、信じる人々に提供されています。

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8月17日の一言
イエスはまた言われた
「わたしは、良い牧者です。
 良い牧者は羊のためにいのちを捨てます。」
ヨハネ福音書 10章 11節

 「何のために生きているのか」という自らの人生の問いかけに答えることの出来る人は、幸いな人です。
イエス様はその幸いな人の見本のような人生を歩まれました。
人々の救いのためのイエス様の人生のゴールは十字架の死でした。その結果、父なる神は、イエス様のために復活のいのちの門を開いて、「人の救いのために生きる人々」へのモデルとされました。
 イエス様の歩まれた「人の救いのために生きる道」はまた、人々のいのちの供給源「ライフライン」でもありました。人々はイエス様の歩まれる道をイエス様と共に歩むとき「いのち」ある人生を歩むことが出来るからです。
イエス様自身が「わたしは良い羊飼いです。」と言われた生き方です。
私達は良い羊飼いに育てられる羊のように、イエス様ととのに歩む人生においてこそ、ライフラインにしっかりと保たれた人生を歩むことが出来るのです。
 8月14日夕方、アメリカとカナダの送電機能がストップした為に、大規模な停電がありました。5千万人以上の人が不自由な生活をしました。電気は今では食糧や水とともに人々が生きていくために欠かすことの出来ない重要なものだからです。文字通り生きる力となっています。エネルギーがストップした時、社会はそして人々はどんなことになるか、科学社会の最も進んでいるニューヨークの光景は、世界中の人々に多くの教訓を与えました。
 エネルギーが失われた時、人々は急いでエネルギーの回復を求めます。そうしないと社会はストップし、人々の生活は希望を失い始めるからです。
 現代は、生きていくためのエネルギーを見失っている人々の集団のようです。ニューヨークの地下鉄の線路も、先に立って誘導する人がいたおかげで、人々は安心してその後に従って歩き、地上に戻ることが出来たように、希望のない暗闇の人生には、「これが道です。」と一緒に歩いて下さる方が必要です。
その人生の導き手こそ、「わたしは道です」と、私たちを暗い社会の中で誘導して下さるイエス様です。
このイエス様の存在を人々に示すことが、イエスさまが私たちに託された役目です。

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8月24日の一言
信仰の戦いを戦い 永遠のいのちを獲得しなさい。
あなたはこのために召されたのです。
テモテ第一の手紙 6章 12節

 8月も下旬になって、子供たちは夏休みも終わりに近づき、自由に遊んで生活したスタイルを二学期から始まる通学生活のスタイルに転換するための心の準備にとまどっているようです。それは子供たちの本業は学校生活を中心とした、本来の生活だからです。
だから自由に自分の思うままに生活した夏休みスタイルから、本来の生活に戻るために 生活スタイルを戻す必要があります。そのために自覚し決心し踏み出さなければなりません。
 日本には「いつまでも有ると思うな、親と金」との格言があります。
人は誰でも自分の生きて行く目的があります。しかし未熟なために、親とか教師とか社会が彼らを成長するために保護し、支え育てます。
それは人としての生きる目的に目覚めさせ、自立させるためです。しかし未成熟な人間は保護され支え育てられる生活の中にこそ、自分の幸せがあると思い込んで、自分の生活スタイルを変えることを拒否して、自信のないまま不安な人生を歩き続けています。
そして親に教師に社会に対して自己主張を続けて、ますます不幸な人間関係の中に陥ち込んで行きます。
 昔の人は、生活スタイルを変えさせられる4つの不幸を「自立させられるために生きる時」「自己主張できなくなる老いを感じる時」「思いがけない病気になった時」「すべての人に到来する死に直面した時」と云う、生老病死の苦しみを四大苦と呼びました。
それにともなう八大苦を四苦八苦と表現しました。
それは、自己中心な自己満足を求める生き方から自分に託された目的に目覚めて、目的実現のためにいつも軌道修正を重ねて、本当の目的に向かって生きるために神が与えた試練の時だからです。
 すべての人に与えられた人生の目的、それは永遠のいのちの道を生きることであり、他の人々と永遠のいのちの道を共有して生きることです。
イエス様は、主なる神である立場を捨てて私たちと同じ人間となられたのは、永遠のいのちを見失っている人間に永遠のいのちを知らせ、見せて、共に生きて下さるためでした。
だから人々は、永遠のいのちのない生き方から永遠のいのちの道に、その生き方を転換する「悔い改め」の人生を戦いとって前進する必要があるのです。

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8月31日の一言
私は、主に申し上げました。
「あなたこそ、私の主。私の幸いは、あなたのほかにはありません。」
詩篇 16篇 2節

 先週、韓国と北朝鮮の軍事境界線を一望できる唯一の場所である「オドゥサン統一展望台」に案内されて、漢江対岸にある北朝鮮や開城直轄市の宣伝村を、まるで手に取るように眼下に見物する機会を得ました。
この展望台は、昔から戦いの犠牲になり続けた不幸な人々が住む地と呼ばれ、高句麗と百済の激しい戦いのあった関弥城(広開土大王の碑文にもある)の城跡として有名な地です。
 丁度私が訪れた8月28日は、北京で北朝鮮の政府代表団と、日米ロ中韓の政府代表団との6カ国協議が開かれ、韓国の人々はその成り行きに特別な興味を示していた日でした。
そのためでしょうか。「オドゥサン統一展望台」には、北朝鮮に家族を残して韓国に移り住んだ分断家族の方々が、大型バス10数台に乗って訪れ、北朝鮮に向かって大声で泣きながら叫び続けていました。
現在韓国内には、北朝鮮が故郷である人々が500万人ほどいるそうで、その人々の悲しい声を耳にする時でした。
 私が日本から来た牧師であることを知って「日本の人々は幸せですね」と羨んでいました。日本中の人々は拉致家族のことを思いやり、拉致された人々の未来の為に心を合わせて北朝鮮から帰国できるように働きかけていることを知っていたからです。
幸せとは「素晴らしい未来の実現の為に1日1日を充実して生きること」と、昔の人は言い残していますが、北朝鮮出身の韓国の人々には、日本に住む人々を見て「幸せな人々」と感じたようです。
 しかし、私は一人の日本に住むものとして、外国の人々が思うほど「幸せではない」と断言できます。未来への希望を失っているからです。
また、素晴らしい未来に向かって充実した毎日を送っている人々はそんなに多くはないことをよく知っているからです。
 聖書は、人の幸せとは素晴らしい未来を用意し、導いて下さる神を「私の主」として生きることだと教えています。この神が渡した徒を素晴らしい未来に導くために、神の立場を捨てて私と同じ人間になり、私たちを罪から救って下さるために、十字架の上で身替りとなって罪の代価を払って下さいました。
この御方を主とする幸せをご存知ですか?

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9月7日の一言
信仰は望んでいる事がらを保証し、
目に見えないものを確信させるものです。
詩篇 16篇 2節

 信じる力について、人々は誤解しているようです。信じる力は存在しているものではなく、それぞれの人が自分の内に造り出すものです。
イエス様が「あなたの信じるようになる」と云われたのは、人はそれぞれ心の中に「信じる心」を持っていることを、社会や周囲の人を通して受けることが出来る生活原理に立ったみことばです。
 信仰とは「信じて仰ぐ」と書きます。信じる力は仰ぐ心を持つ人の中に育つものです。
仰ぐと云う、尊敬する心のない人には「信じる力」は育ちません。逆に疑う心がどんどん強くなり、自分自身さえ信じることの出来ないみじめな人生を歩きます。
 イエス様は、人の心の中に「信じる力」を創造し、育てるために、神の立場を放棄して 私たちと同じ人間として生きました。
それは、人々が同じ人間としてのイエス様に接して、イエス様に対する尊敬心を抱くためでした。イエス様への尊敬心を持つ人は、イエス様の神たる働きによって「信じる力」が与えられ、育てられるからです。
 アテネのオリンピック選手の第一号に決まった野口みずき選手は150センチの小さな体で、世界陸上のマラソンで第二位に入りました。新聞によるとその走り方は常識から考えて無謀なものだそうです。しかし野口選手は、練習の中でイメ−ジトレ−ニングをきちんと実施して、そのイメ−ジの通りに走れるよう猛練習をくり返して世界の二位に輝きました。
イメ−ジ通りに行動できるとは、信じた通りに実行出来ると云うことです。コ−チの指導と選手の努力の賜物です。それが「メンタルケア−が充分出来た」と賞賛されるゆえんです。
イエス様は罪と自我のために、信じる力を失い続けている私たちのために、神として持っていた「信じる力」を与えるため、十字架の上で捨てられました。
だから誰でもイエス様の十字架を私のためと受け入れ続ける人は、イエス様の持っていた信じる力を受け、イエス様のように人を愛して、人の人生を「信じて生きる」ことが出来るよう変えてくださる、導き手なる神です。
故に「信仰の創始者であり 完成者であるイエス様」と呼ばれています。
「信じない者にならないで 信じる者になりなさい」とのイエス様のみことばを今日も耳にしたいです。

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9月14日の一言
神によって生まれた者はみな、世に勝つからです。
私たちの信仰、これこそ、世に打ち勝った勝利です。
ヨハネ第1の手紙 5章 4節

 人は誰でも自分の心を支配している思いから出た行動によって生きる者です。
それ故に自分の行動について、どんな理由があったとしても、社会も他人もそして神も、その人の行為として、良き事には賞賛を、悪い事には責任を求めます。
それはその人の心を支配していた思いの結果だからです。
だから人は、心の思いを「幼子」のような純真な思い出、良き思いで心を満たしたいと願うものです。
 イエス様は「幼子のような思いを持つ者が神の国、天国に導かれる者です。」と言われました。
そしてまた聖書は、「誰でもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者です。」と教え示しています。キリストにある人の心は、純真な幼子のような思いで、良き心、美しき心、悪に強き心を求めて生きる人生を目指すからです。
 先週から大阪城ホールで、柔道の世界選手権大会が開催されています。その大会に寄せる興味は、過日の日本選手権で敗退した井上康生選手が100キロ級の3連覇と、おなじみの「やわらちゃん」こと田村亮子選手の6連覇が達成出来るか、ということのようです。私も講道館9段で「体落とし」の名人と賞賛された白井誠一という父の従兄弟の血筋にある者として、この2人には、阪神タイガース以上の興味を持ち続けています。
このふたりが9月8日の「本家で連覇に挑む」という記事での記者の問いかけに「勝つということは、自分に勝ち続けることだ」と答え、「自分に勝ち続けるために、真剣に稽古に励んできました。」と話していました。自分とは違う相手との稽古によって、新しく発見した自分のわざと力をもって、自分の弱さを心のなかから追放できた時、どんな相手にも負けない自身となって、全力を傾けさえすれば勝つと、信じて試合に臨むことが出来るからです。
 イエス様を信じる人生とは、信仰によってキリストが心の中に住んで下さり、十字架の力を受けてキリストの思いに満たされて生きることです。
そのために社会の中で、人相手の信仰の稽古に励みます。祈って人に接します。神を褒め称える賛美に満たされて、人と協力して行動します。
みことばの通りになると信じて、人をサポートします。その心に満ちているイエス様は、働いてクリスチャンには叶わないと、尊敬の念で勝利を認めてくれます。

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9月21日の一言
天は神の栄光を告げ、大空は御手のわざを告げ知らせる。
聖書 詩篇 19篇 1節

 今年の夏は、気象台の長期天気予報が見事にはずれて、連続的な雨のため、暑くない夏となり、短い暑い夏の代わりに、長い残暑が続きました。そのため農作物の収穫は減少し、健康を損なう人々が増えたようです。
しかしそれでも人々は気象台が発表する天気予報を、テレビや気象ニュースなどで受けて、次の予定のための準備資料としています。一時的にはずれても、季節が巡ってくる時、その先にもたらされる「しるし」に基づいて気象台は予報を出して、より安全な生活を保つために準備できるよう、真剣な働きを進めています。
 アメリカの大統領は、最近イラクの回復のために、今までの考えを変えて、アメリカによる占領政策から、国連による多国籍軍の回復政策に向けています。まことに勝手極まるやり方ですが、今までの占領政策を進めると、これからアメリカ兵が何千人も殺されるという予報を受けた結果です。
もしイラクで毎月100人単位のアメリカ兵が殺されるようなことが6ヶ月も続けば、ブッシュ大統領は、来年のアメリカ大統領選挙で、父親よりひどい反対を受けて敗れることが自明の理と言われているからです。
事実に基づいた予報には、心を向けないと、自分の首を自分で絞めるような結果が待っているからです。
 心理学者も医者も、人々が自分のうちに未来の不幸につながる予報を発していることを、繰り返し強く指摘しています。
医学の世界では少しずつ理解して、予防医学が社会の中に認められるようになりましたが、心の世界では相変わらず無視されているために、社会はどんどん悪化し続けて、こどもの世界まで良心の働きが機会を失って、まさに社会は今、絶望状態です。
 聖書は、人々の重要な予防のために「悔い改めてキリストを信じなさい。」と呼びかけ続けてきました。
しかし聖書を拒む人自身が、その予告を無視して、罪を認めず、また悔い改めることを拒否しています。
 イエス様の十字架の死は、人類に対する神の厳しい審きを示したものです。
それ故にイエス様の十字架の死を「私の受ける審きの身代わり」として心に受ける人々は、イエス様の復活の命の力を、聖霊の働きによって心の中に実現されて、聖書の実を結ぶ人生に変えられるという事実の体験者とされるのです。神の予告に心を向けましょう。

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9月28日の一言
私たちを愛してくださった方によって、
これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。
聖書 ローマ人への手紙 8章 37節

 教会の玄関が新しくなりました。
工事をした業者から玄関の鍵を受け取りました。その結果、教会にはいくら教会員でも過去の古い鍵では入る事が出来ません。新しい鍵を使用方法に従って使った時、はじめて玄関から入ることが出来ます。
 現代人は心を閉ざしていて、なかなか人の心の中にまで入りことが出来ないと言われています。それは心を開く鍵を持たないまま、知恵と力によって造られたと、聖書は示しています。
だから人の閉ざされた心は、造られた神によって与えられた「心を開く鍵」を用いない限り、誰も人の心の中に入ることは出来ません。たとえ自分でも、自分の心の中に入ることは出来ないで、悩み悲しんでいます。
人々は、心理学という知恵や、利益という力によって、閉ざした心を開けようと努力してきました。しかし池田市の小学校で多数の小学生を殺した宅間死刑囚のように、心理学者も、良心に目覚めて世の中の人から良い印象を持たれようという利益も、閉ざした心を開けることは出来ませんでした。
人の心を開く鍵は、神の愛に触れること以外にありません。
 初代教会時代の迫害者サウロ青年は、心が閉ざされた人でした。自己主張の人生はそれを現しています。サウロ青年には人を殺すことに悲しみを感じるようなことのない人間でした。だから人々はサウロ青年を恐れました。
しかし、彼の考え方・生き方を責めず、彼の滅び行く人生を悲しんで、彼の罪深い人生を赦して近づかれたイエス様の愛に触れた時、恐れられていた青年サウロは生まれ変わりました。
罪を認めて悔い改め、これが本当の人間であるという、すばらしい神の愛を反映して生きた人生を歩む人とされました。そして過去の人生から新しくされた人として、名前もパウロ(小さな人間)と変えて、愛を語り、神の愛を見せることの出来る人生を歩きました。
そして、「これからイエス様を信じて生きる人々の見本とされた」と、告白しています。
 不信の社会の中で、人々はみな心を閉ざして、暗く不安な生活を送っています。しかし神の愛に触れた人々の心、神に似た者としての愛によって生きる、勝利者の人生が生れます。見本をみて体験しましょう。

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10月5日の一言
人はうわべを見るが 主は心を見る。 
聖書 第1サムエル 16章 7節

 新聞やテレビでは、総理大臣が国会を解散して総選挙の時も近づいていることを紹介しています。
憲法によれば、日本人であればどんな人でも25才以上であれば国会議員になる資格があると明記されています。だからどんな人でも、選挙のために国が使うお金を無駄にしないために、一定の立候補者としての供託金を提供しさえすれば、国会議員になる道は開かれています。
ただ、小選挙区制度になったために選ばれる対象は、立候補する個人だけでなく、国に登録されている政党にも(比例区)として門戸が開かれています。
ただし、政党には推薦名簿の順位に従って、当選者が定められます。
 しかし、いずれにしても選ぶ人は、自分ではなく主権在民と云われる国民です。だから国会議員になろうとする人々は、選ぶ立場にある国民に 自分を選んでもらえるように、考え方や生き方を知ってもらうために 一生懸命です。
 私の友人にも、衆議院に議員として4期選ばれている人がいます。
先日お会いしましたが、「自分の考え方を理解してもらい、受け入れてもらうためには、どんな苦労も惜しくないです」と、一生懸命になっています。
人間は 自分の思っていること、やっていることが人々や社会の中で認められ受け入れられている時は幸せだと思いこみ、その逆となって何をしても認められず、否定される時は不幸だと思い込んでいます。
でも世の中はいつも変わり、人の心も変わります。その結果、どんな人でもいつか孤独と挫折に泣く時が必ず到来するものです。
 しかし人の心や世の中を動かしている御方は、じっと私たちを見つめておられます。その御方はいつも「私のところに来なさい」と招いておられます。そして世界の人口の三分の一以上の人々は、その御方の招きを知って、招かれた幸せを喜んでいます。
 聖書のことばは、すべての人々に対するその御方(主なる神)の招きのことばです。でも 招かれた人すべてが神の国の祝福と、神の子としての特権に与っている訳ではありません。選ばれたと云う事実が必要です。
イエス様は「あなたが私を選んだのではありません 私があなたを選んだのです」とおっしゃっています。
イエス様の十字架を「私のため」と受け入れ、復活したイエス様が、神の約束のことばを語られる時、信じて実行する時、聖霊はその心に神に選ばれた喜びと力を注がれます。

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10月12日の一言
十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、
救いを受ける私たちには、神の力です。 
聖書 コリント人への手紙第1 1章 18節

 オリンピック 女子マラソン金メダリストの高橋尚子さんがおこなっている高地練習について、小出監督が、「ご家族には厳しすぎてとてもお見せ出来ないが、本人はそれでも楽しんでやっています。」と、新聞記事でコメントされていたのを拝見したことがあります。
その過酷な厳しい練習を通して、内に秘められていた潜在能力が発揮出来た実力となるからだそうです。だから高橋尚子さんも厳しくて辛い練習も楽しみながら続け、それが次のオリンピックの金メダルに繋がることを自覚させる、実力となるからです。それ故に死ぬほど辛い練習も楽しみに変わります。
 日本の小泉首相は、改革して日本の素晴らしい潜在能力を発揮出来る国にするために、国民に暫くの間痛みを耐えて欲しいと訴えて、前回の自民党総裁選挙で、国民から大きな賛同を得て、期待されて政権の座に就きました。国民は今まで「日本が変わる」ために痛みに耐えてきました。
しかし「日本を変