門真バプテストキリスト教会 2004年のみことば
神に認められ、福音をゆだねられた。
― テサロニケ第1の手紙 2章4節 ―


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1月 / 2月 / 3月 / 4月 / 5月 / 6月 / 7月 / 8月 / 9月 / 10月 / 11月 / 12月 
毎週教会の主日礼拝で配布される週報に掲載される“ショートコラム”を紹介します。
下記タイトルをクリックされるか、そのまま下へスクロールして、ご覧下さい。

1月 4日  信仰チーム   2月 1日  特権
11日  人生の見本    8日  名前
  18日  恵みの時   15日  救いの人生
25日  権威のことば   22日  選ばれる
        29日  一緒に

3月 7日  ベストな準備   4月 4日  愛のオリジナル
  14日  楽観的   11日  イースターの一言
  21日  自信   18日  拘束からの解放
  28日  愛の支援   25日  弱さ

5月 2日  人生のコーチ   6月 6日  励ましの力
9日  人生の旅  13日  良い知らせ
  16日  愛の厳しさと絆   20日  苦しみからの脱出
  23日  真の勝利者   27日  危機から一転
  30日  救われる      

7月 3日  未来を見て   8月 1日  ベストを尽くす
  11日  罪赦される    8日  罪を認める
  18日  後悔と反省   15日  救いのトンネル
  25日  ボランティア   22日  心の元気
        29日  信じて行動する

9月 5日  信頼関係   10月 3日  人生の伴走者
  12日  恩赦   10日  確率の高さ
  19日  救いを受ける   17日  罪と戦う
  26日  目を離さない   24日  励まし
        31日  いのちの尊さ

11月 7日  お金との戦い   12月 5日  信仰人生の監督
  14日  人生のオーナー     12日  ウソ
  21日  育つ     19日  愛の心
  28日  追っかけ     26日  再生医療
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1月4日の一言
福音は、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。
ローマ人への手紙 1章 16節
 
 インターネットのニュースを提供している「アサヒ.コム」によれば、世界最高のモータースポーツであるダカールラリー「第26回テレフォニカ・ダカール2004」は、1月1日にパリをスタートし、ダカールをゴールとする1万1千163キロを18日間失踪する自動車レースとして、世界の最高レベルの自動車とドライバーとサポートチームがそれぞれ組んで参加したそうです。
フランスのグランド・アールからナルボンヌまでの396キロはプロローグで、出発順番を決めるためのレースですが、1月2日のニュースは、そこでの1位は97年の王者でもあり、 昨年は大怪我をした日本の篠塚建次郎(日産ピックアップ)で、4位には昨年2連勝して、東京スポーツ記者クラブからも2003年度の最高のスポーツ選手として表彰され、今年のバリ・ダカでも3連覇を狙う増岡浩が三菱パジェロに乗って、素晴らしく良い位置を確保したそうです。
モーター(自動車)ショーが、世界中の人々を引き付けているのは、最高の技術によって作り出された自動車、コース・メカ・ドライバーまでも何もかも知り尽くしたサポートチーム、そしてどんな思いがけないトラブルにも一瞬のうちにひらめくインスピレーションによって得た対処法を駆使できるドライバーの素晴らしい組み合わせの妙が、何十回いや何百回と繰り返されながら、自動車を走らせ続けることからのようです。
そこには想像を超えた「力の躍動」が人々の心に響いて、自分達もファンとなって、同じ感動を共有したいと思わせるものが満ちています。
 現代社会の特徴は、純粋な気持ちでひとつになりたいとの思いを持っている人がどんどん増え続けていることです。
しかし恐ろしいことは、その気持ちを積み木くずしのように、次から次へと人々の純粋な気持ちを砕いて失望させる見物人とされてしまっていることです。それが自己主張による非協力的な、孤立した無責任な生き方になっている人が続出しています。
 イエス様は、弟子達が自分の都合ばかり主張して、どんどん弱く消極的な生き方となっている背後に、この世の神サタンの働きのあることを指摘して、弟子たちのために祈り支えられました。
その結果、ペンテコステの恵みによって、イエス様を信じる人々を、福音の力の素晴らしさを共有する信仰チームの一員に育てられました。信仰の車に乗って、福音の感動を与えるには私です。
新しい年、私達の福音号もさあ出発です。がんばりましょう!
 

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1月11日の一言
今後彼を信じて永遠のいのちを得ようとしている人々の見本にしよう
テモテ第1の手紙 1章 16節
 
 トヨタ自動車のカローラが、世界一の販売台数を回復したと、新聞は報じています。長い間世界一の販売台数を維持していたカローラが、一昨年はホンダの自動車フィットに販売台数世界一の座を奪われました。そのために昨年はどちらが世界一になるかと、人々が注目していたようです。
 なぜトヨタの自動車が世界中の人々からそんなに高い評価と信頼を得ているのでしょうか。専門家は、トヨタの新車は故障が極めて少ないからではないかと言っています。
自動車に限らず、機械類はすべて、先ず完成品を作ります。そして色々な検査の結果、大丈夫だと、その完成品を見本にして、見本と全く同じものを型にして、製品を作ります。その製品は見本と何一つ違わない、見本通りのもので、これを製品と呼びます。購入者たちは見本通りに製品を使うことになるわけです。
もし購入者が使っているうちに故障する時、見本が悪かったか、見本通りに製品が作られていなかったかのどちらかの原因があります。トヨタ自動車は、その前身である「豊田自動機器」の時代から、製造のための技術者を育てるために努力した会社として有名でした。だからカローラだけでなく、すべてのトヨタの車は、耐用期限内の製品による事故が殆どないと思われて、高い評価と信頼を得て、世界一との評判となっています。
 人類は、その長い歴史を通して、人間としての見本を探し求めて来ました。
偉人探しはその象徴です。そしてその時代やその環境の中で、それぞれの分野で偉人を探し出して、見本として紹介して来ました。
重要無形文化財、人間国宝と呼ばれる人々は、それぞれの分野での見本的な人々です。しかしどの人々も、その時代その環境の中での見本となることが出来ても、時代を超え環境を超えて、すべての人々に対して永遠の見本となることは出来ませんでした。それは自我と欲望との罪によって、信頼を失って滅んで行きました。
 聖書は使徒パウロの自己紹介のことば「私は今後イエス・キリストを信じて永遠のいのちの道を歩む者の見本とされた」と伝えています。
そこには彼を赦して愛し続けたイエス様の寛容と、彼を見本として育てた聖書のすばらしい働きがありました。この信仰こそ、そべての人々が証人となれる道です。
 

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1月18日の一言
神は言われます。「わたしは、恵みの時にあなたに答え、救いの日にあなたを助けた。」今は恵みの時、今は救いの日です。
コリント第2の手紙 6章 2節
 
  パソコンの基本ソフト(OS)ウィンドウズを世界で独占販売しているマイクロソフト社が、パソコン以外の機器にも世界で最も広く使われている日本の国産基本ソフト「トロン」をすべての家電製品に使えるようにするために「トロン」との共同組織に参加すると、1月15日の朝日新聞は報じています。
 「トロン」を考案して、世界中の人々に無料で提供したのは、東京大学の坂村健教授で、昭和59(1984)年、今から20年前でした。たちまち日本のメーカーだけでも140社以上がトロンで動くパソコンを試作し、誰でも簡単に使える分かり易い基本ソフトとして、世界中で大評判となりました。世界中でトロンが使われるのはもうすぐ、との印象さえ生まれました。
 ところが平成元(1989)年、15年前、アメリカはウィンドウズのソフトによる世界制覇のために、輸入制限や報復関税の制裁措置を武器にして、日本のメーカー各社にトロンパソコンからの撤退を迫り、実現させてしまいました。
 窮地に追い込まれたトロン・プロジェクトチームの坂村教授と技術者たちは、逆境の中で、携帯電話、デジタルカメラ、カーナビゲーションなどの製品を動かす基本ソフトとしてのトロンを作り上げて、時のくるのを待ちました。
とうとう昨年9月マイクロソフト社のビル・ゲイツは、トロンに対して共同開発の申し入れをしました。共同研究に参加して僅か4ヶ月、トロンを用いるための共同開発に参加する事を決定しました。
 どんな努力も、どんなすばらしいものであっても、人の力を超えた醸成させる時が必要です。その時が訪れると、積み重ねた働きが花を咲かせ実を実らせます。時の背後に神の配慮のあることを教えています。
 イエス様が人として生まれた時、それはイスラエル民族が2000年の準備の時を重ねた結果でした。教会が誕生したペンテコステの日もまたイエス様のみことばを信じた弟子たちの40日の祈りの結果でした。
同じようにイエス様を信じる人々のために、神の恵みの時が「主の日、聖霊が働く日、神の声を聞く日」として備えられたのが、聖なる日曜日でした。
イエス様が復活して不可能と云う壁を打ち破られた記念の日は、安息日の土曜日から、神の恵みが注がれる聖日として教会に集まる人々のためにイエス様が備えてくださいました。日曜日は恵みの時です。

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1月25日の一言
神は仰せられた。
「わたしはあなたとともにいる。これがあなたのためのしるしである。」
出エジプト記 3章 12節
 
  権威のことばは、人々の思いや社会の働きさえも変えてしまう、大きな力のあるものです。
アメリカ大統領ジョージ・ブッシュは、去る1月14日年頭教書に続いて月面基地建設などを盛り込んだ、壮大な新宇宙計画を実施すると発表しました。
アメリカ航空宇宙曲はこの発表直後、即座に新部局を設置して、専任の次官補を任命し、本腰を入れて出発することとなりました。ブッシュ大統領の年頭教書として、大統領の権威の下に伝えられた「ことば」に“NASA航空宇宙局”は従い、第1歩を踏み出したのです。
この計画によると、月に基地を造って火星の有人探査を行うとのことです。そのための準備的経費として今後5年間で120億ドルを計上するそうです。これは日本が負担するイラク復興支援予算の1.6倍程度の金額であり、戦争を重ねて多額のドルを使って来たアメリカ国民にとって、明るい夢の実現を示すニュースです。
 宇宙は今、科学者たちも予測すら出来ない、幾つかの不明解な現象にさらされています。
そのひとつが昨年ノーベル賞を得た小柴博士が岐阜県神岡鉱山の中に造った「カミオカンデ」でキャッチしたすべての物体を通過する不思議な素粒子「ニュートリノ」であり、もうひとつは自然環境を左右する地球温暖化や不規則地震の発生や、人間の脳内時計もずらしてしまう「光フォトン」の存在です。
このふたつの調査研究は、世界でNASAだけが詳しく行って実現するならば、1700億ドル以上の費用が使われることになります。日本を始め世界中の科学者や技術者たちの動員と資金の調達も各種の産業に活性化するため施しをとのことですが、それでもアメリカがアフガンとイラクのために使った戦争のための費用の3分の1程度です。
平和と夢の実現のために、アメリカ大統領のことばが、大統領の権威のもとに責任をもって達成されることを期待したいものです。
 アメリカ大統領のことば以上に、世界の歴史の中で夢と希望を与え、新しい力を生み出して来たことばがあります。それが「神のことばである聖書のみことば」です。
イエス様の十字架と復活と臨在が実証する「神の権威によることば」です。このことばに従う人々には、人を救う神の力がともないます。

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2月1日の一言
この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。
ヨハネ福音書 1章 12節
 
  いつの時代でも、特別な権威の与えられる資格は尊重されるものですが、特にグローバル(国際)化された世界では、なおさらです。
その一例が、日本の自動車運転免許の資格です。この資格を持つ人が外国に行くときに受けられる、自動車運転免許国際証明書は、アメリカやイギリス、ヨーロッパ各国のみならず、世界の各国で認められています。私たちも実際にアメリカ、イギリスなどで使用し、今後も使用することができます。
 もっと世界の国々で受け入れられている大切な資格は、大学が授与する学位です。
大学が世界に向かって最高の学術と経験を持っている人として賞賛して紹介する名誉博士、最高の学問を学び実証した博士として認める学術(論文)博士、最高の学問を修めた修士、学問として学び卆えた学士の4つの学位を与えるために、学位授与式を行います。この学位授与式を卒業式と呼んでいます。日本の卒業式はそれぞれの学びを修業し終えた式で、世界各国の学位授与式とは異なっているようです。従って学位を授与する大学そのものがどのように社会の中で評価されているかが大きな鍵となっています。
 最近、国会議員が選挙の時に提出したアメリカで学んだ大学の名前と卒業したかどうかで、日本式の論議が繰り返され物議を醸しています。しかし国際的に高い評価を受けている名前を使われたその大学は、学位を与えていないと明確なコメントを発表しました。
学んだかどうかは問題ではない、私たちの大学は一番低い学士の学位をも与えていないと云っているのです。これが国際社会に対する回答です。もし学位を出しているならば、コピーなり証明書を発行してくれます。これが世界へのその大学の答えでした。
 世界でもっとすばらしいことは、貧しい人でも、能力の不足している人でも、イエス様の十字架の死が私のためと受け入れて、罪を悔い改めてイエス様を救い主として信じて従うならば、そのスタートの時から、罪が赦され、聖霊の働きに支えられ、死を超えた永遠の世界の中で、神の子として認められて新しく生きる資格が、神によって与えられたと公表されていることです。そしてただ資格があることだけでなく、生きて体験できる特権です。

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2月8日の一言
「その名をイエスとつけなさい。
 この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。」
マタイ福音書 1章 21節
 
  毎年、その年に生まれた赤ちゃんにつけた名前のベストテンが発表されます。その一つ一つの名前に親の愛情の深さを憶えさせられます。
誰でも愛する我が子の未来に幸あれと願いを込めるのは当然です。ところが何年か前、とんでもない親が出現して、人々を驚かせました。それは、自分の子供の名前に「悪魔」と付けようとした人がいたのです。いくら親の自由とは云え、受け付ける市役所側も、子供の将来のために何とか名前を変えるようにと働きかけたことから、テレビの話題にもなりました。
一人の人の名前は、名付ける親だけでなく、付けられる子供も、そしてその子を取り巻く人々にも影響があるからです。
同じようなことが、プロ野球の「近鉄」にも生まれました。金儲けのために「球団の名前を一定の契約期間内だけ売ります」と、持ち主の球団社長が新聞発表したことです。
「近鉄」については現在に至るまでの間、他のプロ野球球団のように専用の球場を持たず、日生球場をノンプロの日本生命と共に使い、やがて藤井寺に専用球場を持つようになりましたが、あの大きな近鉄を親会社に持つ割には、お金をかけない球団でした。それでも草魂投手の鈴木や仰木監督などの活躍によって、ファンに愛されて来ました。
そんないきさつもお金のために利用しようと云うのですから、文句続出も当然なことでしょう。名前のように近畿日本鉄道沿線の人々とともに歩んで欲しいものです。
 イエス様の弟子となったシモンは、落ち着きのない人生を送った人でした。
だからイエス様はシモンに向かって「ペテロ」という新しい名を付けて呼びました。「ペテロ」とは、“人の土台石”という意味です。
イエス様は、ペテロのために人の土台石となれるよう、色々な能力に目覚めさせ、育て強めて下さいました。失敗を赦し、励まし、強められたペテロは、ペンテコステの日から教会の中心的指導者となってその名前の通りの人生を歩む人となりました。
イエス様ご自身が、その名前のように救い主として、十字架と復活の力によって、今も働き続けておられるように、ペテロも聖書を学ぶ人々に対して、イエス様を信じて救われる人生の見本となっています。
 イエス様を信じる者は、神様を信じて救われる人生の見本となっています。イエス様を信じる者は、神の国において、イエス様の御名を受けた人として大切にされているからです。

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2月15日の一言
トマスに言われた。
「信じない者にならないで、信じる者になりなさい。」
「見ずに信じる者は幸いです。」
ヨハネ福音書 20章 27、29節
 
 人生における最高最大の財産は、信じることの出来る相手を得ることですとは、歴史を貫いて絶えず繰り返されて来たことばです。
 今、日本と北朝鮮の政府は、お互いの過去の経験に捕らわれて、信じられない自分たちの理由をぶつけ合っているようです。しかし不信感から脱皮して一日も早く、両国が新しい信じることの出来る道を発見して、餓死寸前の北朝鮮の子供たちが飢えから守られるようになって欲しいものです。
 人が不信感から脱出する唯一の道は、相手に向かって信じますと告げ続けることです。たとえ心の中では信じられない理由を一杯抱えていても、「私はあなたを信じます」と、神なるイエス様に向かって告げ続けるならば、イエス様は神の力を働かせて、相手に対する不信感を乗り越えさせてくださいます。
それが「私も神に赦された」と云う体験です。
神に赦されるとはことばだけの軽いものではなく、“罪の代価を十字架の死によって払って戴いた”と云う、“イエス様の十字架の死によって赦された”と云う、大変な事実による赦しです。だから神の赦しの深さが、信じる力に比例すると云われています。そのためにいつもイエス様に赦しを感謝する「ことば」をもって告げるのです。
 トマスは、イエス様を人間としてすばらしい方であるとよく知って、イエス様の弟子となりました。
しかしイエス様が神であることが判ったのは、イエス様がトマスの失礼な態度やことばを責めないで、赦してトマスに近づいてくださった時でした。だからトマスはすぐにイエス様に向かって「私の信じる神、私のより頼む主」と告白しました。
すると心の中で、イエス様を信じて生きて行こうとの思いがどんどん濃く拡がっていく幸せを感じました。その状態を聖書は、神に義と認められた喜びの結果と教えています。
 今日、多くの人は考えてばかりいて、信じる力を失っています。だからこそ、まずイエス様の十字架の赦しに感謝のことばを告げることが大切です。すると聖霊はその心の中に信じる力を注いでくださいます。
この、イエス様を信じることを告白し続ける幸いこそが、救いの人生です。

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2月22日の一言
あなたがたがわたしを選んだのではありません。
わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。
それは、あなたがたが行って実を結び、その実が残るためです。
ヨハネ福音書 15章 16節
 
 バブルの時代、若者達は収入を得るために「フリーター」として働く人が多くいました。
しかし、最近では殆どいません。職業として働くために就職します。そのために自分の希望する仕事を得るために試験を受けます。その結果選ばれた人だけが職業を持ち、その職業によって収入を得ることが出来ます。フリーターとは逆の選ばれる立場に立たされます。その代わり、選ばれた人々には、契約通りの収入が提供されて、保証された生活が用意されます。
 先日の内閣府の発表した10〜12月期の国内総生産額の前期比がプラス1.7%で、年に換算されると7%という高い成長を示しているとともに、失業率も大幅に改善されて、就職を考えている人々、特に若い人々にとって明るくなる朗報となっていることが、ニュースとして伝えられていました。
若い人々が希望する職種に選ばれる可能性が高くなったからです。選ばれることは、喜びであり、生活も充実してゆくからで、フリーターとは違います。
 現代人は、神の特別な恵みによって、ゆとりのある世界を体験した結果、自分の生活費について、「何とかなる」というフリーター的考え方が通用すると思い込んでいるようです。
それは養われていた「こどもの考え方」です。
そういう人たちの神は、「苦しい時の神頼み」的な気休めの神で、何の保証もありません。いつか、どんなに苦しんでも何ともならない、いつまでも続く永遠の苦しみの時が待っています。目的無きフリーター人生の結果です。
 神はすべての人の心に永遠への思いを与えて下さっています。その思いに沿って生きるとき、「人間らしい生き方考え方」が育ってきます。その思いを満足させることの出来るお方は、イエス様だけです。
イエス様は先ず、十字架の死によって私達の罪の代価を払い、罪無き者として考え生きることの出来る「救われ続ける聖霊の助け」を以って、私たちの人生を導き支えて下さるお方です。その事実を聖書のことばが約束しています。
そのためには、自己中心に満ちたフリーター的考え方や生き方を悔い改めて、イエス様にある生き方を求めることが必要です。
イエス様に期待して、そのみことばに従う人を、イエス様は選び実を結ばせて下さいます。

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2月29日の一言
喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい。
ローマ人への手紙 12章 15節
 
 3月に入ると、各地の大学で合格者の発表があります。そこでは合格した人のために一緒に喜んでくれる「お祝い屋さん」が大活躍している光景がテレビなどで放映されます。
合格者を取り囲んで「合格おめでとうございます。バンザイ、バンザイ」と一緒になって喜んでくれます。合格者が男子の場合には、胴上げをしてお祝いしてくれるところもあるようです。
 「人が喜んでいる時、一緒になって喜ぶことは一番難しいことだ」と昔から云われて来ました。
むしろ悲しんでいる人に、同情して、一緒に泣いてあげることは易しいものです。優越感が満足できるからです。
しかしいずれであっても一緒の気持ちになれる人は、幸いな人です。
 アメリカのニューヨークでは、ヤンキーズとメッツに“松井”と云う日本人の大リーガーが大変な歓迎を受けています。
二人の松井選手の家族や友人でもない、たくさんの日本の人たちもそのニュースを自分のことのように喜んでいるそうです。なかにはアメリカに行く前には関心のなかった、にわかファンも随分増えたようで、幸せが日本中に拡がっています。
それ以上に幸せな人は、当の二人の松井選手たちです。一緒になって喜んでくれる人がどんどん増えているからです。大リーガーたちがファンを大切にしてサービスに励むのは、この心から生まれます。
 イエス様は、イエス様を信じて救われた人と一緒に喜ばれる救い主です。
人から嫌われ者とされていたザアカイと云う取税人が、少しでも人に喜んでもらえるために生きようと決心した時「きょう救いがこの家に来た」と、ザアカイと一緒に喜んでくださいました。
このイエス様の喜びを知った時、ザアカイの心の中にイエス様の助け「聖霊の働き」を体験して、決心したことが実行できる人とされました。
 イエス様の十字架の贖いによって、誰でも聖霊の働きを受けることが出来ます。
イエス様に喜んで戴く生活に向かって第一歩を踏み出す人だけが体験する「救いの力」です。
 イエス様は「聖霊を求めなさい」とお命じになりました。聖霊を受けて生活する時、その人の生き方はイエス様の証し人としての人生を歩む人とされるからです。
そこには一緒になって喜んであげられる心、泣いてあげる心を持つことが出来た幸せが始まるからです。

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3月7日の一言
堅く立って、いつも主のわざに励みなさい。
あなたがたは自分たちの労苦が、
主にあってむだでないことを知っているのですから。
コリント人への手紙第1 15章 58節
 
 今年も大学受験の時が来ました。中には浪人して受験に挑戦している人もいるでしょう。しかし主なる神イエス様の聖名によって祈りながら、自分なりにベストを尽くして準備したことは、長い人生から見ると、全てが益になることを、自分ではなく他の人々が認めてくれるものです。
田舎で牧師をしていた時、教会に来ていた受験高校生が8人もいたときがありました。
その中で、一人だけ失敗して、次の年浪人受験した貧しい農家の長男の子がいました。次の年、教会員達は全員で祈りました。そして彼は京都大学の農学部に合格しました。彼は大学受験に失敗した浪人生活が、まず聖書を読み、祈って始めるイエス様とともに生きる生活を大切にした時、イエス様が助け支えて下さるベストな準備の時となったことを知りました。そして今、生命科学の世界で生きる人生を歩いています。その背骨を強くする習慣は、浪人生活の中で身につけることが出来ましたと、浪人生活が無駄に終わらなかったと、嬉しそうに話してくれたことがありました。今も彼は人々に認められる人生を歩いています。
 今年のアテネオリンピックを目指したマラソンの高橋尚子さんも、東京女子マラソンで失敗しました。しかしそのベストな準備を重ねた過去の実績はきっと、選考に当たる人々も無駄にしないでしょう。
 イエス様はいつも、準備にベストを尽くす人々のために、助け支えてその一つさえも無駄にしないで、豊かな実を結ぶよう導いて下さる神です。
初代教会にとって最も恐ろしい人物は、迫害者サウロと呼ばれた、ユダヤ教の若きエリート指導者でした。サウロは情に流されることなく、世の中を混乱させるキリスト教徒たちを追放することが世の中を健全にすることだとの信念に立って迫害しました。しかし復活のイエス様にお会いして、罪と弱さの結果を神に審かれる人間が、真に世の中を良くすることは出来ないことを知りました。そして罪の身代わりの贖いと、イエス様が永遠にともに生きて、助け、支えて下さる最高の人生を歩きました。サウロの迫害者時代の純真な生き方さえもベストを尽くした準備として、イエス様は無駄にされませんでした。神の栄光の顕れと人々の救いのために、神なるイエス様は逆に大切に効果的に用いて下さいました。
そこに感謝の泉がありました。

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3月14日の一言
信仰の戦いを勇敢(楽しく)に戦い、永遠のいのちを獲得しなさい。
テモテ第1 6章 12節
 
 賀川豊彦はアメリカのクリスチャンたちから「プロテスタント教会が生んだ聖人」と呼ばれた人でした。
極度の貧しさ、死を味わった病気、友人たちから受けた裏切りと、賀川豊彦の人生には「辛酸」と云うことばがそのまま当てはまる辛いことが次から次へと立ちはだかりましたが、彼はどんな時でも明るさをもって辛さを乗り越えた人でした。
主なる神、イエス様が自分を支えて下さっていることをいつも実感しながら人生を歩みました。
 最近ニュースで長嶋茂雄さんの病気のことが毎日のように報じられています。今年アテネで開催されるオリンピックの全日本野球の監督として金メダルも可能な成績を上げられる指導者として「長嶋以上の適任者はいない」と云うのが、長嶋さんを気遣う人々の思いにあるからです。
プロ野球の名選手として大活躍し、後に巨人の監督を追放されても、また求められてカムバックし「ミスタープロ野球」とまで言われるほど人々から愛される秘密は、暗くなりがちな勝利の世界を「長嶋カンピューター」とか、ヒマワリの花などと評される、明るく人をその気にさせてしまう人柄にあるようです。選手を引退した際の後楽園球場での「巨人軍は永遠です」と云うことばは「明るく生きた長嶋は永遠です」と置き換えても通用するほど、人々の心に残っています。
 使徒パウロは、イエス様に支えられて生きる人生を「すべてのものを豊かに与えて楽しませてくださる神に望みをおくように」(テモテ第一6:17)と、愛弟子テモテに教えています。
自分の罪の性質も、弱さや性格故の失敗も、主なる神イエス様の前に悔い改めて明け渡す時、イエス様の十字架の痛みと苦しみの中に受けとめられます。その幸せをパウロは愛するテモテに体験して欲しかったからです。その救われた喜びが、どんなに辛い中に巻き込まれても、「イエス様がどのようにして私を助け支えて下さるか楽しみに自分を眺めていよう」と云う、信仰による楽観主義者にします。
辛くてもゴールに向かって、楽しい心で走り続けるマラソン選手のような心境にさせます。
 自分の限界を知りながらも、不可能を可能にしてくださるイエス様と一緒になって、そのコーチを受けながら走る信仰人生は、勝利の確信に支えられながら、主の助けを楽しみに走る、人が羨む人生です。

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3月21日の一言
神を愛する人々、
すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、
神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、
私たちは知っています。
ローマ 8章 28節
 
 前回のオリンピック女子マラソンの金メダル保持者で、世界記録も作った高橋尚子さんが、東京国際女子マラソンでの体力調整の失敗のために2位になって、アテネオリンピックの出場資格を得ることが出来なかったニュースは、日本中の人々の関心を呼びました。
今まで出場した6回のマラソンの全てで優勝するという快挙を遂げた高橋尚子さんが、(オリンピック出場選手の)3人の内の1人にもなれなかったのですから当然です。
しかし多くの人々は高橋さんと小出監督のコンビでオリンピック出場よりも、ビッグニュースになるような快挙を上げることになるだろうと、お互いの心に言い聞かせているようでした。記者会見での高橋尚子さんと小出監督の話の中に滲み出てくる自信のような思いに、納得させられたからです。
彼らの自信が、オリンピック落選の経験をもっとすばらしいものに変えることが出来ると信じられたからです。
 昔の人は「風が吹くと桶屋が儲かる」ということばを残してくれました。
風が吹くと、直接桶屋が儲かることではなく、風が吹くと子供が泣き出し、子供が泣き出すと母親が怒り出す、母親が怒ると猫を蹴飛ばす、蹴飛ばされた猫が暴れると茶碗やお皿が割れて、桶屋に桶を買いにくる人が増えるから、風が吹くと回り回って桶屋が儲かる。だから、普段あまり売れない桶屋であっても、一生懸命良い桶を作っていれば、いつかは必ず良い時が来る。という教訓です。
大切なことは、たとえ失敗した時でも自信を持っていれば、必ず良い時は廻ってきます。だからいつもベストを尽くして自信を持っていることが必要です。
 イエス様は、「あなた方は心を騒がせないがよい、神を信じ、また私を信じなさい。(ヨハネ14:1)」と弟子たちに教え諭されました。
しかし弟子たちは自分自身には自信などありませんでした。不信仰で自我の強い罪人であることを、いつも思い知らされていたからです。しかしその弟子たちがペンテコステの時から別人のような自信に満ちた人々と変えられました。
聖霊にその心が満たされた時、「人には出来ないが、神には出来る」という、十字架によって罪赦された人だけが心に注がれる信仰のゆえの自信に支えられて、事実が生まれます。
ここに十字架の赦しが人の生き方を変えてしまう信仰の素晴らしさがあるのです。

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3月28日の一言
望みを抱いて喜び、患難に耐え、絶えず祈りに励みなさい。
ローマ 12章 12節
 
 春分も過ぎた3月の第4週は、大きなニュースがテレビや新聞誌上をわかしました。その中で某テレビのワイドショーが発表した今週のニュースベストテンで堂々1位に入ったのは、高知競馬場での競走馬「ハルウララ」と搭乗騎手 武豊による106連敗のニュースでした。
 勝って(1着)幾らの世界で、敗北し続けること実に106回、それでもハルウララと武豊騎手のレースを一目見ようとはるばる高知まで遠路、駆けつけた人々も含めて、当日高知競馬場は1万2千人の入場者を数えたそうです。
競走馬は4才馬から5才馬がピークだそうですが、ハルウララは88才馬とのことです。負けても負けても尚、一生懸命に走るその健気さと、めったに当たらないと云う「ことば合わせ」による遊び心を求める人々の期待を背に今回もやっぱり勝てませんでした。
そこには血なまぐささに満ちた現代社会の勝利者を越えた心温まる愛の支援者たちの結集された美しさが溢れていました。
 キリスト教がイスラエル・ユダヤ人の世界から生まれたのは、紀元30年のペンテコステ(五旬節)と呼ばれた日でした。
二階座敷に心細い思いを持って集まったキリストの弟子たちの祈りの中に、主なる神イエス様が約束されたとおり、三位一体の神「聖霊」が彼らの心の中に注がれました。聖霊に満たされたイエス様の弟子たちはイエス様の思いと力を携えて「イエス様を救い主として信じ受け入れよう。」と人々に呼びかける「宣教の働き」のために立ち上がり世界の各地に散って行きました。
 それから25年後には、東はギリシャのアレキサンダー大王でも越えることのできなかったインドのインダス河を越え、小乗仏教が消えたインド仏教発祥の地からベンガン湾のマドラスにまで主イエス様の弟子トマスやマタイの働きは拡がり、タクラマカン砂漠から天山山脈の西域の北にまで進展し、西はローマ帝国全体にまでパウロによって拡大され、文字通りキリスト教は唯一の世界宗教として開いた愛による救いの道が開かれました。
 罪と自我のために失敗を重ねていたイエス様の弟子たちが、その心に始まった信じる人々のための応援団長でありコンサルタントであり神の力さえも注がれる「聖霊」に支援された道でした。
神の暖かな愛に応えた人生こそ、十字架の死による罪赦され救われたキリストの証人たちでした。

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4月4日の一言
私がキリストを見ならっているように、
あなたがたも私を見ならってください。
コリント第1 11章 1節
 
 ノーベル賞は独創的な発見をした人だけがその受賞の対象となるそうです。
しかし、独創的であっても決して「ひとりよがり」ではなく、沢山の世界中の人々がその発見によって素晴らしい結果をともに受けていることが最も必要な条件だそうです。
 アテネのオリンピック選手の派遣について、テコンドーの岡本依子選手のことがニュースになっています。岡本依子選手は門真出身ですから、前のオリンピックで銅メダルを獲得したことで門真市広報でも大きく紹介されました。市民の皆さんは今でもテコンドーというスポーツは知りませんが、岡本選手の名はみんな知っています。
岡本依子選手はオリンピックに出場する資格があるのに、二つのテコンドー競技団体が争っているために、日本オリンピック委員会としては、岡本選手を派遣できない事がニュースの原因だそうです。
メディアが岡本選手へのインタビューで、争っている競技団体に対して、不満とか怒りを現させようとして、色々な誘いのことばを投げかけたにもかからず、岡本選手から返って来たことばは「テコンドーをしていて幸せになった。だからアテネに行ってメダルを獲得して、応援して下さった人々にお礼がしたい」という、心の美しさを反映することばのみでした。そのことで、聞いている人々は、何も知らないテコンドーというスポーツに関心を寄せた人が沢山出現したようです。そして9万5千人もの人々から署名を集めた、岡本選手のお父さんの態度から、岡本選手の考え方のオリジナルは、お父さんの考え方に反映していることを、沢山の人々が感じたようです。その結果、応援する人が更に増えました。
 聖書は週末時代のしるしとして「不法がはびこるので、人々の愛が冷ややかになる」と明らかにしています。
人間としての愛のオリジナルを見失ったことが、自分を正当化させようとして人を攻撃する生き方となって、世界中に拡がり大人からこどもにまで伝染しています。
 人間としての愛のオリジナルは、神が人間の心に与えて、愛に生きることの幸せをイエス様の十字架によって顕してくださいました。それはまことの愛を見失って、自己満足のために争いの社会と化した人々へ、愛のオリジナルを見出すためでした。
だからイエス様のことばを受け入れる人は、その心に神の愛が注がれて、神に愛されている幸せを反映する人々となるのです。

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4月11日の一言
神は(あなた方が十字架につけてつけて殺した)このイエスをよみがえらせました。私たちはみな、そのことの証人です。
使徒の働き 2章 32節
 
 世界の歴史は、神が救い主を人類に与えた時から新しくされ、AD(主イエス・キリスト様が支配する治世の)何年という記号が全世界で使われています。
その保証としてイエス様は死によって閉ざされていた古い人間社会に、永遠の神の世界から、死の壁を打ち破って復活して、神と共に死の門の彼方に用意された神の国に通じるいのちの道を開いて下さいました。
 イエス様が死の壁を打ち破って永遠の世界に通じる神の国を歩くというすばらしい人生を全世界に知らせる使命を、イエス様から託されたのが教会です。
 教会はペンテコステの日に誕生した時から、イエス様が復活によって開いて下さった「神の国」を、全世界に伝えて来ました。
その1人が復活したイエス様から「信じない者にならないで、信じる者になりなさい。(ヨハネ20:27)」と教え諭された弟子トマスです。
トマスはすぐそのイエス様のことばを伝えるために、東の国に旅立ちました。その道はヨルダンのアンマンから、王の道の分岐点ザルカーからバクダット街道を東に進み、ペルシャからパルテヤ、そしてバクトリヤから西域の諸国の各地から、インドの東ベンガル地方から南の端に及び、AD45年にはインドに350以上の教会を建設しましたが、妬んだ仏教徒の手によって、53年マドラスで殉教しました。
その後、伝道熱心ではあったのですが、信仰の戦いを逃避するお人好しの2世クリスチャンたちが、十字架の死による滅びから救う福音を、インド的な考え方によってすり替えて、復活のイエス様を十字架なき大日如来とかアミダ如来と呼ぶことを認めてしまいました。
 その結果、AD50年頃パクトリヤから出てガンダーラそして、インド全土を支配したクシャーナ王が、76年シャカ王国を建設した時、分裂消滅していたシャカの開いた仏教を、再臨する救い主の約束を、新しい仏教的神、如来にすり替えて、如来の再来を待つ人々の教えの仏教として復活させました。
 使徒トマスの歩いたアンマンからバクダットへの道を、善意が悪魔には通じず裏切られた辛い経験をした人々が、先週のニュースに登場した3人の日本人でした。
十字架と復活のイエス様は、神の知恵と力によって、死の壁を打ち破り、悪魔に勝利の道を開かれました。
故にハレルヤ!と賛美するのです。

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4月18日の一言
キリストは、自由を得させるために、私たちを解放してくださいました。
ガラテヤ 5章 1節
 
 人は誰でも自分の考え方に束縛されて生きています。そのためいつも心の弱さを感じています。中にはタバコや酒の中毒になって、肉体どころか心までも傷つけて苦しんでいる人も多いようです。中毒になると気持ちがどのようであるかとは関係なく、タバコや酒を要求する思いに従わされてしまうところに、その不幸の根があります。
 2週間ほど前、ヨルダンからイラクのバクダットにタクシーで向かった3人の日本人が、イラクのテロ集団に拘束されました。そのテレビ番組に、関係者だけではなく、日本中の人々が驚き慌てさせられました。
3人がどのようにされるかは、テロ集団の思いのままだからです。それだけに3人が解放されたとのニュースは、拘束された3人の関係者ではない殆どの日本人の気持ちから暗い思いを吹き払ってくれました。
1人の人が自由にされることは、社会全体に明るい気持ちが拡がるものだと云うことを、教えられたことでした。
その背後にテロ集団の人々の心を動かす力を働かせた人々の功績を見落としてはなりません。本人たちや家族や関係者たちと供にその人たちに「ありがとうございました。」と日本人全体の感謝の気持ちを表す事を忘れないようにすることが大切です。
それがイラクの平和をもたらす働きが進み、世界の平和が実現する一歩でもあるからです。
 聖書の中で、悪例によって苦しめられて周囲の人々にまで不幸に巻き込んでいた人がイエス様によって悪霊の拘束から解放された話があります。
喜んで「イエス様のお供をしたい」と申し出た人に「自分の家族のもとに帰って、悪霊から解放された感謝を持って家族に仕えなさい。」とイエス様はお命じになられました。
自由になったから自分のやりたいことをすると云うのではなく、感謝の心を持って人に仕える事こそ、拘束から解放された人の生きる道だからです。
 イエス様は、弱さと自我と欲によって拘束されて、罪と悪を行って、自分だけではなく周囲の人々をも傷つけ苦しめている私たちを解放して自由な者として下さいました。
それが十字架の贖いによる救いです。故に罪と自我の拘束から解放された人は、神と人々のために感謝の心を持って仕えて生きるのです。そこに真の人生があります。

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4月25日の一言
私はキリストのために弱さに甘んじています。
なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いのです。
コリント第2の手紙12章 10節
 
  アテネオリンピックに派遣される選手たちは皆「7月に向かって充分練習を積み重ねて、もっと強くなってオリンピックに出たい」と語っています。
強い選手と思われる人ほど「きっちりと練習をしてオリンピックには最高の力を発揮できるようにしたい」と云っています。
イラクで拘束されていた3人に続いて、残った2人も釈放されました。その1人は「もし私たちが武器を持っていたら殺されていたでしょう」と述べていました。
今のイラクで武器を持たないと云うことは、戦いをしない、イラクの人を傷つけないと云うことです。だからそのことが判ってから大切にされたそうです。
 強いことを誇る人は、しばしば人を傷つける人です。戦わない人は、自分の弱さを知る人です。このような人々は社会で大切にされます。必要な人だからです。
イエス様は「平和をつくる者はさいわいです。その人は神の子どもと呼ばれるからです。」(マタイ5:9)と教えられました。
 イエス様は強い立場に立とうとする人々に対して、無抵抗な弱い人として生き歩きました。
十字架につけた人々に対しても戦おうとしないばかりか「十字架につけよ」と叫んだ人々のために「父よ彼らをお赦しください」と祈られました。そのイエス様は人間としては弱さに徹した道を歩かれたのです。
しかし歴史を支配されている父なる神さまは、このイエス様の内に神の栄光の力を注いで、人としての弱さのために死なれたイエス様を、死人の中から復活させ、すべての人々が「主イエス様」と仰ぐべき御方とされました。
弱さの中で神に委ねて生きる御方を、御子なる神救い主として引き上げてくださったのです。それ故にイエス様の弟子たちは、強さを求める人々に対して「私たちはキリストの復活の証人です」と証して生き歩みました。
 私たちは弱いのに強くあろうとして苦しみ悩みます。
強くありたいと神さえも信じられないと否定して生きようとしています。
弱さを認めて自分に合った練習を重ねる選手のように、神を信じて生きる練習を繰り返しながら、神の不思議な力を体験する人々を、弱さに勝利する復活したイエス様の証人と云います。

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5月2日の一言
たいせつなのは、植える者でも水を注ぐ者でもありません。
成長させてくださる神なのです。
第1コリント 3章 7節
 
 今、自然界は花盛りです。 次から次へと美しい花が咲き、やがて目に映える青葉の季節中で、それぞれの木の枝には小さな実を稔らせようとして、蜜蜂や蝶などの昆虫が花粉を運んで、花から実に結びつけるために働いています。
そこには、神の配慮によって成長している、自然界のすばらしい光景が見られます。
 人間の社会では、自然界の神の配慮された働きを「コーチ」と云うかたちで、幸せな生活の実を結ばせようとしています。それを現代社会では、コーチングシステムと呼んでいるようです。
 スポーツにおけるコーチングシステムの摘要の方法として、すばらしい成果を現しているグループがあります。アテネで開催されるオリンピックで、水泳の平泳ぎで金メダルと世界記録が期待されている北島公介選手のためのコーチ陣営です。
ありとあらゆる分野の情報を集めて、北島選手の平泳ぎに活用できるものは、何でも取り入れて、その結果を北島選手が出すと言うシステムです。
北島選手の平泳ぎにかける純真な気持ちが、コーチの提供する情報を次から次へとマスターして来たこと、今までの努力が実を結ぶことを期待して応援しています。
 イエス様は、罪と自我のために不可能と思われた「神に似て創造された人間として回復して生きる」人の生き方の中に、愛と聖さと正義と真実をもって実現してくださいました。それを十字架の道によって実証して下さいました。
イエス様が開かれた道は、イエス様を信じて生きた人々がそれぞれの人生における実体験となりました。イエス様を信じて生きる人々は、すべての人々の生き方のコーチとして、それぞれの人々が、神に似た美しく、強く、豊かに永遠の世界の実を結ぶために、神によって用意された人々です。
 使途パウロは、「私がキリストを見ならっているように、あなたがたも私を見ならってください。(第1コリント 11:1)」と奨めています。
神に似た者とされた体験者はすべて神によって遣わされた、私たちのコーチだからです。
聖霊に満たされて美しい花を咲かせるためのコーチは、教会に備えられています。

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5月9日の一言
イエスは言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。」
ヨハネ福音書 14章 6節
 
 昔の人は、人生を旅に例えました。旅には3つのものが必要です。現代的に表現すれば、興味とそれを高める資料とその必要とする資金です。
人生を旅する人々にとっては、興味と道しるべと生きる力です。その3つを聖書は「確かな道」「普遍の真理」「支える続けるいのちの力」と教えています。
 今年のゴールデンウィークは、久し振りに長期間の休暇が得られて、海外にまた家族連れで旅行した人が多かったとニュースは報じていました。その結果さらに旅行への興味が高まり、資料を集めお金を蓄えるために励む人も増え、充実した人生を送る夢を楽しむ人が増えるでしょう。
 しかしゴールデンウィークのニュースの中で、もうひとつ小さな記事がありました。太平洋をひとりで手漕ぎボートで出発し、低気圧の北海道沖で遭難信号を発信した人のニュースです。私たちの人生は、手漕ぎボートの冒険旅行のように、自分だけのひとり旅を、人や社会の好意に支えられて続けながらも、最後は個人でその責任を負わなければならない、文字通り自己責任を負って旅する人生です。そのひとり旅の人生の中で、人は道を教える宗教に挫折し、自分の無力を嘆きつつ、永遠の滅びのゴールに向かって押し出されていきます。
そこには、死を乗り越えて生きる興味も、その資料もいのちの力もありません。あるのは明るい気休め的人生観が破れ、未来に横たわる暗闇の中に滅びる道だけです。
 2000年の間、聖書はイエス・キリスト様が人の心に住んで人生を供に生きて下さる御方であることを明らかにしてきました。
しかし人々はいつも聖書のメッセージを否定し、人生は自分を信じて生き、孤独からの救いを家族や社会的好意に求めて、幸せを期待して生きるものを主張してきました。
 しかし今や、イエス・キリスト様の十字架の贖いと復活のいのちの力による保証に支えられた証し人たちが世界中に拡がり続けています。それは教えとしての宗教ではなく、イエス・キリスト様の人格と、その死を超えて生きるいのちの力が、1人1人の霊魂の中に働いた結果です。
このイエス様にある死を超えた人生に興味を持ち、聖書のことばが生きる資料となり、永遠のいのちの力に支えられて生きる人生の旅こそ、まことの幸せの道です。

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5月16日の一言
神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、
私たちもまた互いに愛し合うべきです。
第1ヨハネ 4章 11節
 
 5月11日、大阪駅前の映画館で「パッション(神の受難)」と云う映画を観ました。アメリカでは1ヶ月間で34万人がこの映画を観るために映画館に足を運んだ映画です。
キリストが私たちの罪の身代わりとなって、いつか神によって受けるべき罪のための私たちの苦しみが容赦なくイエス様に襲いかかる苦しみと痛みは、とても正規できるものではありませんでした。メル・ギブソン監督が「キリストが私たちの罪を贖うために味わった恐ろしい苦難を目撃することで、私たちの心の奥深くにまで、神の赦しによる希望、愛、いやしのメッセージを届けたかった。」とこの映画の制作した目的を紹介しているように、罪の支払う代価として永遠の死がもたらす苦しみ痛みは、そのまま受けるならば実に残酷な、そして恐ろしいものなのです。
その苦しみ、痛み、悲しみのすべてを一身に負ってくださった御方が、十字架の上で苦しみ罪の代価を1つ残らず払われたイエス様です。そこには罪に対しては厳しく、またイエス様の愛を体験した人々には暖かな眼差しが見られました。
 5月14日、女子バレーボールアジア予選で、日本チームは同じ無敗同志の韓国チームと戦って3−0で勝ち、見事アテネオリンピックの出場権を手に入れました。
色々なテレビ局で、日本の女子バレーの柳本監督が日本女子の有望選手の大山さんに愛のトレーニング振りを紹介していました。
見ていて「あんなひどいことまでするの」と思ったのは私だけではなかったようでしたが、大山選手はその厳しいシゴキにも監督を信じ遂に弱点を乗り越えて、日本女子チームの喜びの輪の中の一員となりました。
そこには「甘え」が人間をダメにすることを知っている人の本当の愛の厳しさと、それに応えて生きて強くされた愛の絆による心の美しさがあります。
 イエス様は「誰でも十字架を負って私に従って来る者でなければ神の国に生きることは出来ない」とおっしゃいました。
イエス様の受けられた苦しみを「私の身代わりの苦しみ」として受けとめる時、私たちの心は 神の愛を信じて生きる豊かな強さをもって、イエス様のように他の人々の救いのために自らを提供する勝利の人生とされるのです。

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5月23日の一言
世に勝つ者とはだれでしょう。
イエスを神の御子と信じる者ではありませんか。
第1ヨハネ 5章 5節
 
 チャンピオンになるような人には共通の境地になるようです。的は自分の心のうちに存在するという心境です。だから自分の力を出し切ることが勝利に繋がると信じて相手に対してベストを尽くして勝利を獲得しています。
  先週、岡本依子さんが、テコンドー競技に個人としてアテネオリンピックへの出場資格について、世界テコンドー連盟から許可が出た、とニュースで報じられました。本来ならば岡本選手のオリンピック出場の母胎となる日本のテコンドー連盟が、1つになって推薦するべきなのに、内輪もめが高じて分裂して、推薦どころではなくなって互いに相手を攻撃しあっています。
アジアでチャンピオンになった岡本選手のオリンピック出場の最大の敵となってしまいました。しかし岡本選手は分裂している連盟の指導者たちへの批判的なことばは一言もありませんでした。ただオリンピックに出て金メタルを手にして応援してくれた人にお礼をしたい、と繰り返すばかりでした。
それはすべての人々を味方に付けてしまった、勝利者の姿でした。
 力によってヨーロッパを支配したナポレオンは、その晩年にセントヘレナの孤島で、外の人と戦うことなく心の中で愛の勝利を治めたイエス様こそ、全世界の人々の信頼と愛による応答お獲得された真の勝利者であると、賞賛したそうです。
イエス様は「敵を愛し迫害する者のために祈れ」と弟子たちに教えられ、その力を聖霊によって人々の心の中に注がれました。
弟子たちは全世界に出て行って、イエス様の証人として、イエス様の約束のことばが事実その通りであることを明らかに証明されました。だから弟子たちは「信仰によってキリストが心の内に住んでくださるよう」信じた人々を、イエス様とともに生きる人生に導きました。
私たちの心には、味方になって支えて下さるイエス様が送られた聖霊が住んで下さるだけでなく、恐ろしい私たちの敵となって私たちを傷つけ苦しめる悪魔の送り込む悪霊も働きかけるからです。
 大切なことは、私たちがどちらの思いに従うかに懸かっているのです。
イエス様は苦しみの中で「もし救い主であるならば、十字架から降りて自分を救え」と叫ぶ人々の中で、父なる神を仰いで祈られました。勝利でした。

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5月30日の一言
人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。
ルカ福音書 19章 10節
 
 去る22日日本の小泉首相は、北朝鮮に拉致されていた人々の家族8人を連れ戻すために、「首相が来なければ渡さない」と云う北朝鮮のヤクザもどきの手法の故に、ピョンヤンに行きました。
残された2家族の子供には命令として首相に同行帰日させたのに、曽我さんの家族だけは、本人の考えに委ねたため、連れて帰ることは出来ませんでした。その北朝鮮のやり方には、きっと小泉首相自身が一番やりきれない思いをしたことでしょう。
それでも、とにかく5人で一緒に帰ることが出来たことは嬉しかったことでしょう。その気持ちを一番強く受けとめた人は拉致されていた2組の両親たちでした。彼らは北朝鮮がどんなに恐ろしい国であるかをよく知っていたからです。だからこそ大きな感謝の思いを小泉首相に抱いたことでしょう。
 聖書の中に同じような話があります。一匹の羊が恐ろしい狼のわなに掛かって、羊飼いの保護の中から迷い出て谷底に落ちてしまいました。傷ついた羊は、保護されることのない谷底でただ苦しみ鳴く以外に方法がありませんでした。
しかし羊が迷い出たことを知った羊飼いは、恐ろしい狼の群の中に、自分の生命の危険さえも考えずに飛び込んで、食い物になっていた迷える羊を救い出し、肩に乗せて99匹の家族の許へ連れて帰りました。
その良い羊飼いはイエス様のことです。
 聖書は告げています。全人類は人格をもった悪の霊の首領である悪魔に捕らえられている存在だと。
悪魔は利用価値のある間はさんざん利用して、利用価値が無くなった時、暗闇の世界の中で誰の手も届かないかたちで始末してきました。どこかの国と同じようです。しかも悪魔に支配されている本人たちは、それほど自分が不幸だとは思っていません。しかし自由になって二つの生き方を冷静に比較できるようになると、恐ろしい支配から解放してくださった方に対する感謝は、ことばでは言い表せない大きいものです。
 イエス様が神の立場を捨てて、悪魔の働きにご自身を委ねた十字架の苦しみは、私たちを罪の力と永遠の神の刑罰から救ってくださるためでした。悪魔から自由になった者たちの感謝の生活がそれです。
救い出された私たちはイエス様にもっと感謝の思いを抱く必要を感じさせられます。

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6月6日の一言
なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです。
コリント第2の手紙 12章 10節
 
 昔の人は「柳に風折れなし」と云うことばを残しました。
幹にしっかりとつながった柳の枝は、風が吹くとその風に抵抗しません。柳の枝ごと風に吹き飛ばされません。しっかりと幹が枝を守っているからです。
しかし、樫の木の枝は、自己の存在を示すために、枝として風に抵抗するため、幹も枝を支え切れず風と戦って裂かれます。
心がしっかりと神に支えられている人は、自己主張しない為に心ない世の中の風によって、心まで傷つくことがありません。自分の弱さをよく知って、弱さを支える方法をよく知った生き方が出来るからです。
 北朝鮮に拉致されていた三家族のうち、二家族は全員帰国しました。しかしあとの曽我ひとみさんの家族は取り残されました。その上北朝鮮と交渉する外務省や官房副長官たちは政治家的方法で一任を取り付けたとして、北朝鮮の金総書記の考え通りに進めようとしました。
おそらく日本中の人々は、全員曽我さんの応援をしているでしょう。それは、弱く無力な曽我さんが「私の人生は何て変な変な人生でしょう」と嘆きながらも頑張っている姿に、逆に日本中の人々が大きな励ましを受けたからです。
そこに自分の弱さをよく知って、決して自己主張しようとしない曽我さんの生き方が、力と力のぶつかり合いによって傷つけ合っている現代人の心の傷をいやしてくれる「励ましの力」を認めたからではないでしょうか。
 イエス様は神でした。しかし全人類の救いのために人として生きた時、立場的にも、そして肉体的にも弱い私達と同じ姿で生きました。
その結果、十字架の苦しみに合わされて死なれました。イエス様の十字架の上のお姿は、弱い人そのものでした。
しかし心は、父なる神様にしっかり支えられて「あの方こそまことの神の子であった」と立会っていた役人に口走らせたほど、傷ついた人々の心をいやすことばと生き方でした。それは、私たちのためでした。
自己主張こそ自分を守る生き方であると云う罪人の人生観を見事に覆して、人々を励まし支える救い主としての姿でした。
曽我さんが頼りとしている日本の首相も十字架を背負って曽我さん一家を責任を持って支えて、弱くても自己主張しない人を大切にする方であって欲しいと願います。

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6月13日の一言
良いことの知らせを伝える人々の足は、なんとりっぱでしょう。
ローマ人への手紙 10章 15節
 
 今年ギリシャのアテネで開かれるオリンピックのために、世界中の人々がすべての工事が完成するだろうかと、心配しているようです。とくにオリンピックのハイライトとなるマラソンコースの道路の状態は、マラソンの戦いの古戦場の跡に作られるスタジアムから取り付け道路までの橋が出来ていないようです。
しかしギリシャ政府は、マラソンからアテネへのマラソンコースの道路は、文字どうり「全世界に向けて平和のメッセージを託された、良い知らせを伝える人々の走る道」ですからきっと完
成させることでしょう。
 マラソンからの良い知らせは、ギリシャの滅亡の危機を賭けた戦いのニュースを知らせる人々がいのちがけで走った道でした。
 ペルシャ戦争の起こりは、世界に平和を造るために、アッスリアの大軍団による侵略方針を用いて軍費調達のために自滅したネブカデネザル王の政策を採用したクセルクセス王の野心からでした。
 ネブカデネザル大王が驚いた、ユダヤの信仰3青年が育てた、神への信仰による平和作りの「傭兵騎馬軍団」を用いたクロス王とダリヨス王は、ダニエルの神の啓示によるアドバイスによって、西はエジプトからインドまで平和な社会を造り上げました。
しかし後継者に指名されたクロス王の孫クセルクセス王は、その平和の政策を捨てて自ら絶大な権力を持つための、ネブカデネザル大軍団方式によるの侵略戦争方式を採用し、最初の戦いのために全軍を動員したのが、ギリシャのマラソンでの戦いでした。
そのためにアテネの人々は少数の軍隊を支えるために自ら重量武器を持った歩兵市民軍を作り、ペルシャ軍を殲滅させました。その知らせをアテネの公園に待つ市民に「我らは勝った」と知らせて息絶えました。
その良い知らせを伝えるために走ったコース40kmプラス2.195kmを加えた距離が公式のマラソンの距離となりました。
 使徒とパウロはギリシャからローマの教会に、キリスト者の信仰生活を教えた時、この出来事を例にして「キリストにある神との平和」を伝える人々を「良いことを知らせる足」呼びました。それは永遠の滅びからの救いの道を十字架の死によって開かれたイエス様の福音を伝える人々を誉める言です。

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6月20日の一言
私たちの信仰、これこそ、世に打ち勝った勝利です。
ヨハネ第1の手紙 5章 4節
 
 ニューヨークでは今年、17年蝉の話題で一杯のようです。17年間も真っ暗な世界で生き抜いて、地上で自由に空を飛び、そして恋をして卵を産む。その卵がまた地下で17年を過ごすために、暗やみの地中の虫となる。
今年はその17年目に当たり、ニューヨークの人々は17年蝉の大出現に、その生き抜く生命力に触れて楽しんでいるようです。きっと17年間も暗やみの地中でから脱出した楽しみを得ていることでしょう。
苦しみの中で、希望ある未来を楽しんで生きる生命力こそ現代人が求める道ではないでしょうか。
 苦しみの暗い道と云えば、拉致被害者の曽我ひとみさんですが、曽我さんは私たちの考え方に「それで良いのですか」と、優しく呼びかけられるような、励ましのメッセージを沢山の人々の心に送り届けたようです。
 曽我ひとみさんには、いつまでも続くご自分の置かれた悲しみの壁を乗り越え、希望を持って生きる道を、いつまでも歩いて頂きたいものです。ニュースの地インドネシアには、心温かなリバイバルされたキリスト者がいます。親子4人の幸せな生活の線上で、永遠のいのちの道を歩く人々に接して、何があっても消えない勝利ある希望に満ちた道を見出されるよう祈ります。
 イエス様は、十字架上で殺されるために逮捕される直前、弟子たちに「あなた方はこの世にあっては悩みがある。しかしわたしはすでに世に勝っている」と語られました。世に勝つとは、自分を取り巻く環境の影響に負ける自分自身に勝つだけではなく、その環境さえも勝利の世界に変えてしまうことを意味していることばです。
イエス様の勝利は、霊的には十字架の苦しみの絶頂の中から「すべてが終わった」と勝利の宣言をして神にご自身を委ねた時から始まりました。
しかし私たち人間にも勝利となるために、イエス様は、この世の権威を持ったローマ皇帝の封印さえも破って墓の中から復活して、その道を歩くことが出来るための助け主なる神を人の心に送って下さいました。
それが弟子たちの心の中から始まった信仰によるペンテコステのみわざでした。イエス様の勝利が、イエス様を信じる人々の勝利となった一瞬です。
その時から外見は迫害やその他の苦しみに囲まれていても、主を喜ぶ勝利者の道は開かれたのです。

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6月27日の一言
神は霊ですから
神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません。
ヨハネ福音書 4章 24節
 
 先週、日本中を範囲とする大型台風が襲来しました。何でも6月の台風としては気象台始まって以来の記録的台風のようでした。
しかしその大型台風であったのに被害は極めて小さく、逆にニュースには報じられませんでしたが全国の飲料水の水源地となる「水瓶」は、梅雨前線によって集められていた雨雲も巻き込んでどこでも充分な飲料水で一杯、まさに恵みの台風でした。
 私は牧師になる以前、土木技師として災害復旧を担当していたことがあります。台風の直撃する現場に出ないで、河や海岸の堤防が崩壊し洪水が氾濫して流入するのに立ち会いました。
その思いで今回の台風を大阪南港のテレビを見ました。限界一杯で鉄筋コンクリートの堤防に守られて、大阪ゼロメートル地帯への洪水濁流を防いでくれていました。
充分な備えではありませんでしたが、それでもよかったと喜びました。
しかし「災害は忘れたころにやって来る」油断は大敵です、危機とスレスレの地ですから。
 イエス様がサマリヤの町を訪れた時、人生の危機に直面している女性に会いました。
彼女は5人の男性と結婚しましたが、いずれも不幸な結果に見舞われ、生きる力を失ったばかりでなく、生活そのものも閉ざされる寸前でした。そのような人生最大の危機の中で、彼女はイエス様に出会いました。
イエス様は彼女との出会いを「礼拝の時」として受けとめて、彼女の心に神の愛を注いで下さいました。その結果、町の人々が彼女のことばを信じて、イエス様のところに来ました。そして神の力によって信じる力を回復した彼女は、恐ろしい破滅の危機にも町の人々にも支えられて救われました。
 そこに礼拝を守る祝福があります。
「霊とまことの心」をイエス様は、人々の心に注いでそこに神の働きを推し進めて、危機に備えさせて下さいます。
礼拝を「霊とまこと」をもって守る人生こそ、まさに「備えあれば憂いなし」です。
 イエス様は、私たち罪人から礼拝されるべき御方として、神が人となられました。
人々の救いのために疲れ果てるまで祈り働かれ、そして十字架の上で私たちの罪の身代わりとなって、神の厳しい刑罰を受けて下さいました。
しかしイエス様は、復活されて今も生きておられます。それは、罪深い私たちの礼拝を受け、守り支えて下さるためです。

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7月4日の一言
主は、ご自身が試みを受けて苦しまれたので、
試みられている者たちを助けることがおできになるのです。
ヘブル人への手紙 2章 18節
 
 先週、オリンピックに出場する女子バレーの壮行練習試合が、あの日本女子バレー発祥の地日紡貝塚のバレートレーニングセンターで開かれました。
壮行会に先立って、柳本監督は「オリンピックにはまだ50日もある。だからしっかりと準備して、運も味方にするチームを作って、金メダルを取ってきます。」とコメントしていました。
 この柳本監督のことばには、筆舌にも表現できない苦しみを、未来を見つめて乗り越えて来た内面の強さをめざす人の実感が込められていることを強く感じさせられました。だからチームを委ねられたとき、主将に目的を持って苦しみに挑戦する33歳の吉原選手を起用し、選手の団長にかつての東京オリンピック金メダリストの主将、河西昌枝さんに依頼しています。また目の前の出来事に一喜一憂して、自分のうちに秘められた素晴らしい能力を見失う大山加奈選手を、どんな失敗をも未来につなげる心に育てるために、厳しく訓練したことをテレビ番組によって、全国の人々は知らされて、柳本監督に対する信頼は日毎に高まっているようです。それは柳本監督が苦しみの乗り越え方をよく知っている人であるからです。
 今、日本は世界の中で1人当たりの工業生産額も、また個人の収入の高さも最高の数字を示しており、文字通りの経済大国となっています。そのために人々は「苦しさは不幸」と思い込んで、自分の子どもには、辛いこと苦しいことを遠ざけて、楽しい生活を提供して来ました。
その結果、人を苦しめても自分が楽しむ生き方が、子供たちの世界に浸透しています。それが道徳破壊を生む日本社会の現実です。
 イエス様は、苦しむことは不幸だと教えず、むしろ苦しむことによって、人や社会の中に「苦しみを乗り越えた喜びの世界を造り出す」生き方を明らかにして、人々にその道を歩くよう導かれました。それが十字架には復活の栄光があることの聖霊体験です。
十字架の苦しみは、人を罪と自我と永遠の滅亡から救うために不可欠です。それ故にイエス様は「自分の十字架を負って私に従って来なさい」と、信じる人々に呼びかけています。
苦しみに会うことは目的ではなく希望をもって苦しみを乗り越える証しこそ、主を信じる人生の目的だからです。

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7月11日の一言
聖霊は私たちが御国を受け継ぐことの保証であられます。
これは神の民の贖いのためであり、
 神の栄光がほめたたえられるためです。
エペソ人への手紙 1章 14節
 
 7月10日、日本中の人たちがみんな待っていた「曽我ひとみさんたち家族の再会」が実現して、皆喜びました。
でも曽我さんにはまだ大きな難問が待っています。夫ジェンキンスさんがアメリカで「脱走兵としての罪」に問われるため、小泉首相の説得にも関わらず、日本に来ることを拒否しているからです。今、ジェンキンスさんが頼りとしている北朝鮮はアメリカと一日も早く良い関係を結びたいと熱望しています。だからもうジェンキンスさんが邪魔になっています。
 小泉首相や日本政府は、もしもジェンキンスさんが「アメリカ人としての罪を認めるならば、どんな交渉をしてでも、日本で安全に住めるよう準備している」ようです。問題はジェンキンスさんが、自分の身を北朝鮮の手で守って貰えると信じて、日本政府からの救いの手を拒否していることです。
 日本政府は曽我さんのために、夫ジェンキンスさんの罪の代価を払ってまで救いたいと願っている今が、罪が軽減され赦される絶好のチャンスなのです。このチャンスを活かすならば、ジェンキンスさんは罪赦されたアメリカ人として、曽我さんとふたりの娘を連れて、世界中どこにでも旅行する事も可能です。罪の代価を日本政府が払う故に赦されるからです。
 この論理がアメリカ社会を支えているキリスト教の論理です。ジェンキンスさんはその論理を良く知っています。自分の小さな殻の中に閉じこもった考えから脱皮して、心の目を開いて罪赦される救われる道をと、願う者です。
 このジェンキンスさんと同じような心の目を閉ざして、自分と身近に生きる人々を苦しめ悲しませている人々は、日本の社会に満ちています。「死をも超えた未来まで私は大丈夫だ」とは保証されない人生に怯えながらも「私には神による救いは必要がない」と虚勢を張って生きている人々ばかりです。
 イエス様は、そんな私達を愛して救うため、神の立場を捨て人間となって、私たちの罪の代価を、十字架の死を以って払って下さいました。その愛のみわざの故に審判主なる父は赦してくださいます。
イエス様の十字架を見上げて心の目が開かれた人は、それを知って救われ、そして伝えるのです。

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7月18日の一言
神によって生まれた者はみな、世に勝つからです。
私たちの信仰、これこそ、世に打ち勝った勝利です。
 第1ヨハネ 5章 4節
 
 7月14日 USJホールディングス(旧東海銀行 三和銀行と東洋信託銀行の合弁会社)は東京三菱銀行に統合を申し入れて受け入れられたと、新聞やTVは報道しました。これで日本の銀行も健全な方向に向かい、預金者も銀行が倒産して財産を失うと云う心配が消えて一安心です。
USJが統合を申し入れた理由は多額の不良債権を隠し、ゴマ化し続けて何とか生き延びようとした不正なやり方が金融庁に指摘されてゴマ化し続けることが出来なくなったことのようです。
 かつて日本の銀行は、日本政府と一体になって銀行はつぶれないと云う神話を造りました。その神話に立って、不動産(土地)動産(株)の購入資金をどんどん貸して、莫大な利益を挙げるのみか融資した会社に人材を送ってそれらの会社の経営権まで握って、バブルを破裂まで追い込んだ張本人となりました。
だから世界の経済の中で孤立し、外国に進出した日本の銀行は、どんどん信用を失って撤退しました。そして金融再編の嵐の中で、銀行と供に日本社会全体が自信を失ってしまいました。
 東京三菱銀行は、世界の為替を扱う東京銀行と不良債権部門での利益を追求する事を避けた三菱銀行が合弁したもので、健全さの故にバブルにも勝ち抜いて、まもなく世界一の銀行になろうとしています。
昔から、主なる神は歴史の中でお審きになる方と云われて来ました。しかし不思議なことに歴史は、人間の知恵を失敗に終わらせ、後悔と反省の時を与えます。後悔と反省をしない人々は、厳しい審きを受けて苦しみつつ滅んで行きます。
 イエス様は神である方なのに、十字架上で死なれた時権力者たちはイエス様に勝ったと思いました。しかし彼らはそれから30年後同じ方法によって全滅しました。それがユダヤ人に対する神の審きでした。
 しかし僅かなイエス様の弟子たちのユダヤ人は、悔い改めて反省してイエス様の十字架は私の救いのためと、心に受け入れました。そこから始まったのが、キリストの愛の教えに立つ国造り思想です。
そして国家も個人も、この十字架の救いに立つ時、神の審きさえも、自らを健全な者とする神の導きとして立ち上がる勝利者の道を発見出来たのです。

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7月25日の一言
あなた方の間に、この恵みのわざにも富むようになってください。
(命令するのではありません。)
第2コリント 8章 7節
 
 先々週から先週にかけて、新潟県や福井県では、百年に一度の大雨によって起こった濁流で川の堤防が切れて大洪水が町の中に流れ込みました。そのために雨がやんでも、人々は大量の泥や瓦礫が家の内にも外にも山のようになっているのを見てただ呆然として疲れた体でたたずむだけでした。
 そんな人々を励ましたのは、学生たちのボランティアでした。近隣の中学生や高校生、そして専門学校生や一般の人たちもボランティアとして次々に被災者の家を訪問し、家の中一杯の泥を運び出したり家具や食器を洗うのを手伝ったりと、麗しい光景をテレビのニュースは見せてくれました。
そのニュースを見て各地からボランティアの人々がどんどん来て水害のため心も疲れ果てている人々を励ます役目を果たしています。中には神戸からも地震の時のお礼にと駆けつける人たちもあり、こうした人々の善意は暗いニュースばかりに覆われていた日本中に明るい灯をともしてくれました。
町の人たちのボランティアへの感謝の言葉に対して彼らは「お礼を言われるようなことではありません。私たちの出来ることをしただけです」と微笑んで応えたことでしょう。
「私たちのしなければならないこと」をする。これが出来る人は幸いな人です。しなければならないとは思うが、しない人。しなければならないとも思わないで自分のしたいことで頭が一杯になっている人ばかりの世の中です。
 イエス様は人類の歴史を、神の立場で見、神の立場で助け支えて来られました。
しかし人間の社会はどんどん苦しみが悪化して不幸になるばかりでした。それは恐ろしい罪の力が人を自己満足の奴隷にする歴史を重ねてきたからです。だから神の立場を捨てて、私たちと同じ人となって、罪に苦しむ人々とともに生き、その罪の身代わりとして十字架の死をもって罪の代価を払って、罪の苦しみから救ってくださいました。
それのみか復活して、ともに生き支え続けて、神に似た心の持ち主として生活できるよう、助け主なる神聖霊を信じる人々の心に注いで、神の恵みを確かな救いの道としてくださいました。
このボランティアはキリスト者から始まり全世界に拡がった心の働きです。

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8月1日の一言
彼らの生活の結末をよく見て、その信仰にならいなさい。
ヘブル人への手紙 13章 7節
 
 かつて、ヘルシンキのオリンピックに出場した水泳選手の中に、高校時代よく一緒にプールで練習した友人がいました。
オリンピック出場が決定してからは、長い間の疲れをとるためか、ゆっくり休養をとって体力を回復し、ベストコンディションを保ってオリンピックに出場して、200メートル自由形で銀メダルを獲得しました。100と200の自由形でメダルは獲れると私たちも想像していましたが、誰もその鈴木弘選手に「メダルをねらう」と言わせないよう、周囲の人も心がけていました。
 アテネのオリンピック迄に もう3週間しかありません。しかしテレビでも新聞でも、オリンピックに出場する人たちに「メダルを」とプレッシャーをかけ続けています。
本人たちも「メダルをとります」と、自分自身にプレッシャーをかけて答えています。時代の変化なのか、プレッシャーに強い人たちが選手となったのか、いずれであっても、オリンピックゴールを目指してベストを尽くしているのですから、その結果がメダルであって欲しいと、応援しています。
ゴールを目指してベストを尽くす時、諦めや挫折を乗り越えて生きる美しさがあるからです。
 イエス様の人生の美しさは、十字架の先に備えられた「人々の救い」を目指す強い生き方の中に見られます。
逃げたり、苦しみや悲しみを宣伝して人々の同情や尊敬を求めたりする「弱い生き方」ではなく、罪の身代わりの死の道をしっかりと受けとめた勝利の先に、父なる神の備えた復活による「救いの完成」を目指して、祈りつつ神のみことばの実現のために生きた、まことの人としての生き方でした。
それ故に十字架の苦しみの絶頂の中で「すべてが完成した」と宣言されて、ご自分の霊を父なる神にお委ねになりました。
 ペンテコステの日、イエス様のことばに従って二階座敷に集まった120人の弟子たちの心に注がれた聖霊は、イエス様が約束された「助け主なる神」でした。
心弱くいつも挫折を繰り返していた弟子たちは、注がれた聖霊に助けられて、やがて来臨されるイエス様に迎えられる者として、美しくベストを尽くして、その人のために神が備えている「メダル」を受ける人とされました。私たちも弟子たちに続く者として、ベストを尽くしましょう!

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8月8日の一言
その方が来ると、罪について、義について、さばきについて、
世にその誤りを認めさせます。
ヨハネ 16章 8節
 
  北朝鮮に拉致された曽我さん親子の娘ひとみさんが帰国して、1年9ヵ月後、曽我ひとみさんの二人の娘と夫のジェンキンスさんが、やっと日本の地に生活を移すことになりそうです。 ところが大きな問題を抱えています。それはジェンキンスさんはアメリカの軍人として「脱走兵その他」の罪に問われていることです。
日本の政府は、アメリカの軍人の犯罪には関わることの出来ない立場にありながら、曽我さんの幸せのために、何とかジェンキンスさんが、自分の罪を軽く出来ないかと、努力してきました。あとは、ジェンキンスさんが自分の罪を認めて軍法会議の判決を受け入れることだけが残っています。そうすればジェンキンスさんは曽我さんの故に特別な配慮を受けることが出来るのです。
多くの人々は曽我さんのためにジェンキンスさんが罪を認めて、曽我さんの故に備えられている幸せの道を1日も早く送れるよう、声なき呼びかけをしています。
 イエス様が人として誕生された最初のクリスマスの夜、神の御使いたちは全世界の人々が、イエス様の故に備えられた素晴らしい神の特別な恵みである「罪からの救い」を羊飼いたちに伝えました。
御使いたちの賛美の歌をもって呼びかけられた、神の特別な恵みは、“彼らの心を支配していた「恐れ」の原因である神に対する罪を認めて、イエス様を拝むならば、どんな人でもイエス様の故に神の特別な恵みによって、罪なき者として、いつも自由に、神に祈ることが出来るだけでなく、聖霊を通して神の助けを受けることが出来る”という信仰によって生きることが出来るからです。
だから御使いたちは一生懸命に賛美を歌って、神のメッセージを伝えました。
羊飼い達は神の特別なメッセージを信じて、喜びと賛美に満ちた幸せな人生を歩んだと聖書は教えています。
使徒パウロも、神の特別な恵みを、罪を認めて悔い改めた時、体験して救われました。
だから一生懸命に「神に対する悔い改めとキリストイエスに対する信仰」を持つよう、人々に伝えました。
そこにはイエス様の十字架の故に神に特別な恵みある人生が用意されているからです。
 御使いたちと共に賛美の歌を歌いつつ、呼びかけ続けたい者です。

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8月15日の一言
イエスは彼に言われた。
「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。
 わたしを通してでなければ、
 だれひとり父のみもとに来ることはありません。」
ヨハネ 14章 6節
 
  今年も民族大移動のシーズーンが来ました。テレビでは連日のように高速道路の大渋滞が紹介されています。特に吹田から始まる中国自動車道は30キロから40キロの渋滞が続いています。それでも人々は高速道路を走ります。その道以外には故郷に帰ることが出来ないからです。
同じような道が奈良県から紀伊半島を縦断する国道168号線です。
ところがこの道が先日、大きな山林の地滑りのため、大塔村で道路ごと50メートル下の 十津川にずり落ちてしまいました。そして今回復工事で大変です。この道以外に西吉野から紀伊半島を下る道がないからです。
そこでまず電話回線を回復させて、人々の連絡が出来るようにして、次は電気の配線を回復して生活が出来るようにし、最後に物資を運ぶ道を回復しています。しかし道路の回復はまだ先が長く長期戦のようです。それでも必ず回復出来ると信じていますから辛くても辛抱することができます。
でももし回復の見込みが無ければ大変です。道無き道を迷い歩いて遭難する人さえ出ることでしょう。
 すべての人たちは、希望が叶えられる道が崩壊して、その人生は迷い込んで遭難の危機が待っている人々のようです。
誰1人として行く先が「この道を行くならば大丈夫ですよ」と、苦しみで崩壊された人生「死」で閉ざされた道でさえも保証される道を、見つけて教えてくれる人はいないからです。
 イエス様は「私は道である」とご自分を示され、その道は永遠に変わらない真理の道であり、神に受けいられる「いのちに至る道」と仰いました。
イエス様は人間が神と人に対する罪の生活によって崩壊させた道を回復させるための救いのトンネルを造って下さいました。人間の側からのトンネルとしての十字架と、神の側からのトンネルとしての復活によって、崩壊したいのちの道を回復して、その保証として聖霊によってイエス様が一緒に生きて下さる人生として下さいました。
 イエス様はこのいのちの道が回復されたことを、信仰によって「死」を乗り越えた人々を証人として、いのちの道が崩壊したために迷い続けている人々に宣べ伝えて欲しいと、救われた人々の神の愛と力を注がれておられます。

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8月22日の一言
それは、あなたがたの心が元気を失い、
 疲れ果ててしまわないためです。
ヘブル人への手紙 12章 3節
 
  谷亮子、野村忠宏の両選手の金メダル獲得によって、日本中に拡がったアテネオリンピックは、多くの日本人が失いかけていた心の元気を一変に回復させました。
その象徴的な人が谷亮子選手でした。8月21日の朝日新聞の天声人語には、かつて暁の超特急と呼ばれた日本人オリンピック選手で、陸上100mに出場したこともある吉岡隆憲氏が、東京オリンピックの800mハードルの依田選手のコーチとして手記に書いた「オリンピックに出る選手なら誰でも自分との戦いに心を傷つけているものだ」ということばが記載されていました。
心に受けた癒しがたい深い傷を、競争の中でどう癒すかは、始動するコーチに与えられた使命でもあります。
柔道の世界選手権で12連覇し、オリンピックでも金メダルを獲得した谷亮子選手に対する日本中の期待は、時には彼女の心に大きな傷を負わせたりします。それ以上に、今回は、直前に柔道にとって最大の武器でもある右足首から指にかけても怪我で、大切な事前練習さえ出来なかったために、心ない人々の妬みから発せられた批判のことばにも傷つけられたことでしょう。
しかし、谷亮子選手はその心身共に傷ついた大きな弱さを、心の元気を保つことによって、アテネオリンピックの金メダル獲得第1号となって、人々を元気づけてくれました。
 人間とは、自分自身でも不思議に思えるほど外見と内面が違う者です。そしてやがてみんなダメ人間になって、そんなダメ人間が集まってダメ社会となっていきます。
大事な、心の元気を取り戻すコーチが必要です。
 イエス・キリスト様は、全ての人々のコーチとなるために、心の傷、体の傷を受けて苦しみと悲しみの人生を歩かれました。このイエス様を「私の神、私の主」として心の中に受け入れることが必要です。
 オリンピック選手がコーチのことばにひとつひとつ従って行動できるようになるまで、コーチは競技の最中にも声をかけて心の元気を持続させるように、イエス様は、私達に心の中から声をかけて下さいます。
大切なことは、聞いて理解できることではなく、どんな事情の中でもイエス様のみことばに徹底的に従うことです。
そこに心の元気を回復し、勝利する秘訣があります。

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8月29日の一言
神は霊ですから、
神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません。
ヨハネ福音書 4章 24節
 
  アテネオリンピックの女子マラソンで、小柄な野口みずき選手が大きなスライドでアテネのオリンピック道路を駆け抜けて、見事金メダルを獲得しました。心からおめでとうと賞賛します。
 アテネのオリンピックでは、高橋尚子でなければ勝てないと云われながら、世界最高記録を塗り変えたばかりの長身のラドクリフ選手、世界大会では見事な抜かれ方で2位に下落されたヌデレバも出場するオリンピック。
関心は抱いても期待はされなかった野口選手の金メダルは、女子水泳800m自由形の柴田亜依選手とともに日本中の人々の驚きと喜びとなりました。
 日本陸上連盟の理事でもある、かつての名マラソンランナー増田明美さんは 2人の女性選手の輝かしい栄誉の理由を、「指導者の緻密な作戦をそのまま信じ込んで全精力を注いで実行した結果であった」と朝日新聞で評価しています。そしてシドニーの時の高橋尚子選手の時も同じであったと紹介しています。
野口選手に「30キロ過ぎて集団で走るなら勝てない。だから25キロからの上り坂でラストスパートをかけろ」と指示された通り、17キロもの長い距離をスパートし続けた野口選手の監督の指導を信じての走りにはただ感動でした。
 現代は、これだけ相手をしっかりと観察して、出来る限界を指示する指導者は少なく、また生命がけで指示されたことを実行すれば出来ると信じて行動する人も少なくなっています。お互いが甘え、もたれ会っているために日本中総無力化時代となっているようです。
 イエス様は、救うはずの人々から裏切られて十字架につけられて殺されました。しかしイエス様の思いである「主を信じて実行すれば出来る」と死を越えた復活、昇天後も祈り続けて「見ないで信じる者は幸いです。」とトマスに語られたことばをすべての人々にも約束し指示しています。だからこそ信じて救われる福音信仰の導き手であり完成者と、聖書はイエス様を仰いで生きることを求めています。
 イエス様を信じて実行する心を「まこと」と呼び、その心にイエス様は神の霊を注いで達成者の喜びを支えます。そこに礼拝があります。

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9月5日の一言
すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます。
ヘブル人への手紙 12章 11節
 
 8月30日、17日間ギリシャのアテネで繰り広げられ、盛り上がったオリンピックも閉会式を迎えました。そこには満面の笑みに溢れたシンクロナイズスイミングの井村雅代コーチの姿をカメラは紹介していました。
柔道、水泳、マラソン、体操などのメジャーなスポーツの中で、シンクロが宣伝される機械は他のスポーツに比べ決して多くはありませんでした。しかしシンクロは、デュエットも団体も揃って銀メダルを獲得しました。その始動を重ねてきた人が井村雅代さんでした。しかも8回のオリンピック選手の指導をし、その半数はメダルを獲得した実績を持ち、今回のオリンピックについては「するべきことは全て出来た」と有終の美を飾るときと決めていた大会にふさわしいものとなりました。
井村雅代さん、本当におめでとうございました。そしてご苦労さまでした。
 シンクロナイズスイミングは、プールの水の中で2人または8人が音楽に合わせて、一糸乱れずに踊る美しく厳しいスポーツです。そのために、指導者と選手が互いに尊敬し信頼し合って、厳しい訓練を重ねて作り上げて行く芸術的スポーツでもあります。
しかも選手は全員水の中で踊っています。指導者はプールの外から指導します。
水の中で一生懸命に踊っている選手に、外からの声が本当に聞こえるのだろうかと不思議に思っていましたが、真剣に水の中で踊っているならば、コーチの声はよく聞こえるそうです。そして、その井村さんが指導する日本のシンクロがオリンピックの大会衆を感動させたのです。
 先週、九州の西の涯、平戸から天草にキリシタン殉教の地を訪問したとき、その美しくて力強い生き方が人々から賞賛されていたキリシタンの生き方に触れることが出来ました。その原因は、イエス様を仰ぎ、イエス様を受け入れ、イエス様に従ったキリシタンたちに、イエス様は彼らの信仰の創始者として教え導き、完成者として彼らの信仰を温かくも厳しく訓練されたイエス様との信頼関係の深さが、美しく強い人生によって多くの人々に感動を与える生き方となりました。
キリスト者の人生は、イエス様との信頼関係が辛く厳しい人生の中で、神の愛を体験する幸いな訓練として美しく力強い人生を歩ませて下さいます。

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9月12日の一言
幸いなことよ。
 そのそむきを赦され、罪をおおわれた人は。
幸いなことよ。
 主が、咎をお認めにならない人、心に欺きのないその人は。
詩篇 32篇 1〜2節
 
  連日大きなニュースの中で、新聞の片隅に「ジェンキンスさん、11日に米軍の座間キャンプに出頭」と小さな記事を見つけてほっとしました。
アメリカ軍人として4つの大きな罪に問われていたジェンキンスさんが、アメリカの特別な法律的配慮である「司法取引」の適用を信じて、アメリカの軍法会議で審かれる為に出頭したことを大変喜んでいます。
 この「司法取引」とは、罪を認めて悔い改める人に対して、悔い改めの度合いによって、聖書の原則に立って赦しが用意される恩赦で、キリスト教文化によって構成されているアメリカならではの独特な方法です。
ジェンキンスさんがこの「司法取引」に応じて軍法会議の恩典ある裁きに服するとき、今まで沢山の日本の人々や日本政府や小泉首相などが一生懸命に味方になろうとして支援して来たことが、すべて支障なく実現します。
そればかりでなく、ジェンキンスさんが一生かかっても絶対に実現しなかった故郷アメリカにも、曽我さんと家族連れで帰郷することさえ出来る様になります。彼はもう罪に問われない人として扱われるからです。
しかし彼が罪を認めようとしないで、曽我さんに寄せる同情を利用しようとするならば、拉致という不幸な道を悲しみ苦しんだ曽我さんに対する日本人や日本政府の同情がどんなに大きくても、アメリカの法律は日本にいるアメリカ人には適用されますので、同情だけで力になることが出来ません。ジェンキンスさんは罪が裁かれる立場の人間だからです。
 ここに罪が赦されることの尊さがあります。聖書は驚くべき神の恵みを受けていながらも、神に感謝しない人々への神の裁きの恐ろしさについて「永遠に救い無き滅び」として啓示しています。その神の裁きを予知する良心は、いつも不安に怯えています。
しかしそのすべての身代わりとして神の裁きを十字架の死の苦しみによって受けて下さった御方がイエス様なのです。
 そればかりか、イエス様は神の力をもって味方となって働いて下さいます。
私達が聖霊の助けを受けて、すべての人々に対して、罪の悔い改めとイエス様による赦しの救いを伝える働きの尊さがそこにあります。

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9月19日の一言
見てごらんなさい。神のいつくしみときびしさを。
ローマ人への手紙 11章22節
 
  何年か前に沖縄の教会から招かれた時、その中の1日を楽しみの日としてアメリカ軍の牧師の招待で基地内のボーリング場に行き、生まれて初めてボーリングを楽しみ、1日基地内のレジャー施設で楽しい時を過ごしました。 そこは厳しい戦いの場にいる兵士達のための施設でした。
 曽我ひとみさんの夫、ジェンキンスさんが自分の罪を認めて、その罪に服するために座間キャンプに出頭したことに対するアメリカ軍の処置ぶりは、テレビや新聞で報じられたように、思っても見なかった扱い振りでした。もっと早く出頭していればよかったと思っているに違いありません。
しかし、 ジェンキンスさんが日本政府の保護を頼りとして、アメリカ軍人としての罪を認めようとしなかったら、いつ政府の考えが変わるか、心配する日々となったことでしょう。
アメリカ国防省は、ジェンキンスさんと同じ罪を犯す軍人を出したくないからです。
 佐世保で小学校の仲良し同級生を殺した少女について、厳しい処置を下したことがニュースに報じられました。罪として認めず、傷つけた家族や殺した友達の家族の悲しみを受け入れようとしなかった故に、再犯の恐れが充分にあるとの理由でした。
 いつか教会で、パッションの映画鑑賞会を開きたいと思っています。
“イエス様が十字架につけられて死ぬ1日”が克明に画かれた映画です。そこには、私の罪の為に身代わりとなったイエス様に対して、私の罪が神の前でどんなに強い怒りを受けているかを知るのにふさわしい映画だからです。
聖書は「神は罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは私たちが、この方にあった神の義となるためです。(第2コリント5章21節)」と教示しています。ここに神のいつくしみと厳しさがあります。
一生神に裁かれる時を心配して生きている人々が、罪を悔い改めて、罪のつくないのためにイエス様を信じ頼って生きるとき、大罪人であったジェンキンスさんが、生命をかけて戦う兵士たちのために用意された、素晴らしい施設での喜びと感謝をもって楽しむことが許されるのです。
 だからイエス様の救いを受けた人々は、神に対する悔い改めとイエス様に対する信仰を持つよう、一生懸命に人々に伝えるのです。

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9月26日の一言
なすべき正しいことを知っていながら行なわないなら、
それはその人の罪です。
ヤコブの手紙 4章17節
 
  今、世界中の野球ファンが熱い気持ちで見守っているイチロー選手の出身地は愛知県です。 今まで愛知県出身者は、地味でコツコツ「するべきことをするだけです。」のお人好し人間のために世界的な人は出ないと言われて来ました。
ところがその愛知県人から、豊田自動車の会長に続いて「イチロー」の活躍に愛知県人は両手を挙げて大喜びです。「イチロー」の場合は、同郷や日本人という問題を超えて、世界中の野球ファンが大感動です。
野球は投げたボールを打って走るというだれでも出来るスポーツです。だから小さな子供でも楽しむことができます。
でも大切な原則があります。ボールから目を離さないことです。すると目で見たボールに神経が反応するからです。 神経に体が従う時、どんな人でもボールを打つことが出来ます。しかし神経に体が従わない時、体は無駄な労力を使って疲れます。また神経も不愉快になります。だからボールから目を離さないように神経を集中させて、体を神経の反応するままに動けるよう、頭と体を訓練して鍛えた人が、名選手となれるのです。「イチロー」は、それを世界中の人々が見ている前でやってのける人なのです。
当たり前のことを当たり前にやって、結果的には記録に挑戦する「イチロー」の姿を見て、世界中の人々は感動するのです。
 人を愛するということは難しいことであることは誰でもよく知っています。
しかしイエス様は「7回を70倍するほど赦しなさい」と教えて下さっているます。それも難しいことではなく「私があなたを赦したように赦しなさい」と、イエス様に赦された幸せな心を使うことを教えておられます。
そして「赦さない者は、赦された幸せを持つことが出来ない」ことを指摘されています。
「どんな理由を挙げても絶対に赦されることのなかった私を、イエス様は赦して下さった。この感激をもって、私に害を与える人を赦す」
そこに人には出来ない神の愛(アガペー)をもって愛することの出来る幸せな人生が始まります。
「誰でも出来る愛の心を用いる人生」は、イエス様を信じて生きる信仰人生の原則「みことばから目を離さない」で、人を赦す訓練を重ねる時、聖霊が助けて実現させてくださる「恵みの証し」なのです。

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10月3日の一言
信仰は望んでいる事がらを保証し、
目に見えないものを確信させるものです。
ヘブル人の手紙 11章 1節
 
   驚きました!アテネで開かれている障害者のパラリンピック第10日目の9月26日、全盲の視覚障害者のマラソンで、高橋勇市選手(東京出身)が見事42.195キロを走り抜いて金メダルに輝いたからです。
マラソンの体験も走り方の知識もない者にとっては、信じられない出来事でした。だって全盲の見えない人が全力で走ることが出来ること自体が驚きだからです。ゴールに入った直後、高橋さんは真剣な顔をして、20キロまで一緒に走ってくれた伴走者「神原さんに早く伝えたい」と語ったそうです。
その日の高橋さんはスタートの時から調子が良くなくて、苦しみあえぎました。しかし20キロまで、手と手をロープで結んで走りながら声をかけて励ましたり、指示しながら走ってくれた神原さんが、不調の高橋さんを回復させて20キロで中田さんと伴走を交代した時には、最高潮の状態で「ロープを持っていないような気持ちよい感じ」で走れるようになり、27キロ地点でついにトップになりました。そして疲れ切りながらも、金メダルに輝きました。
高橋さんをリードした2人の同伴者と一緒になって3倍の喜びとなったと新聞は伝えてました。
だからこそ、不調の中から回復させてくれた同伴者とも、この喜びを早く共有したいと思ったのでしょう。
 昔から人生は何が起こるか判らない手探りの人生だと云われています。
その中で人々は過去の経験を頼りとして未来の暗やみに向かって生きようとします。また人々のことばを聴いて参考にしようとします。
しかしイエス様は「盲人が盲人を手引きしても、思いがけない出来事に2人一緒に落ちるだけだ」と、そうおっしゃいました。
「私は世の光である。わたしに従う者も暗い人生に光を持つ」と。
イエス様は愛をもって人々を助け支え救って下さった「人となられた神」でした。しかし社会は
そのイエス様を「十字架につけよ」と叫んで殺しました。自分の立場を守り、自分の罪を認めようとしない暗やみの世界を支配するサタンに従った結果でした。
現代はまさに暗やみの世界です。しかし罪の身代わりとなって死なれたイエス様は復活して、信じる人々のために、神の愛のロープで結んで、一緒に人生を励ましたり指示したりして、勝利者の道を走らせて下さいます。

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10月10日の一言
信仰の戦いを勇敢に戦い、永遠のいのちを獲得しなさい。
第1テモテ 6章12節
 
  アメリカの大リーグの「イチロー選手」が遂に、83年前に樹立された前人未踏の年間安打記録を破って、262安打の記録を樹立しました。
「イチロー選手」は、その真面目な人柄に裏付けされた人格的な美しさも伴って、想像できないほどの人々の心を魅了して、みんな「イチロー」はすばらしいと絶賛する声が、日を追って拡がっています。
アメリカの大リーグでは「ホームラン」という華やかな一発勝負が歓迎されてきたのに比べ、「イチロー選手」は、緻密な計算に基づいたヒットによって後続の選手に希望を与える選手だそうです。その芸術的な野球を展開してアメリカの近代野球の見事さに目を開かせ、新しい
野球ファンを多く生み出しました。「イチロー」こそ歴史の中で近代野球の功労者として名を止めるだろうと、賞賛するスポーツ記者も多く出ているそうです。
 力の野球の本場アメリカに渡った「イチロー選手」の弱点は、体が大きくなく迫力に欠けていたことでした。その中で「イチロー選手」は、練習に練習を重ねて、自分の思った処にボールを打つことの出来る打撃技術を身につけて、700回バッターボックスに立って、262回ヒットさせて後に続く選手に希望持たせる野球によって、700回で65回ホームランを打っても後の選手に関係ない野球との比較によって、野球を見る人にも面白いことを教えた選手でした。一発勝負の力とともに、確率の高い芸術的な勝負の魅力とを再認識させたところに「イチロー選手」に対する、底の深い評価があります。
 世界の中でのキリスト教に対する評価も「イチロー」的です。 ことばだけの社会の中で、しなければならない時、キチンと出来るキリスト者の生き方に触れて、キリスト教は嫌いでもキリスト者は好きだ、と言う評判を獲得して来ました。そこには絶えざるイエス様による自己訓練によって、怠惰や弱さに逃げる自分に、信仰によって勝利して、確信をもって生きる素晴らしさがあるからです。
それがイエス様によって永遠に保証されているのです。
 イエス様はいつも「わたしに従って来なさい、人間を(信用によって)獲得する漁師にしてあげよう」と呼びかけています。
神に祝福される確率の高い人生を歩んで、イエス様に従う人生の勝利の素晴らしさの証人となりましょう。

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10月17日の一言
あなたがたはまだ、罪と戦って、
血を流すまで抵抗したことがありません。
ヘブル人の手紙 12章 4節
 
  先週、韓国の浦項市で二人の方と会いすばらしい対談の時を持ちました。
お1人は今、韓国の教育界で驚きの目をもって注目されている韓東大学の総長 金泳吉博士。そしてもう1人は世界最大そして最新の技術を擁する浦項製鉄の会長・社長以下経営役員の3分の2以上の人々の信仰によるアドバイザーとして、経済危機に直面した韓国経済を基本生産事業から回復させた指導者である、浦項中央教会の除伝重牧師です。
 このお二人に共通していたことは、心の内面で「罪と徹底的に戦ってイエス様が勝利を与えて下さる」と云う生き方を貫き、またその生き方を人々にも妥協することなく教え導いておられることでした。
人間として生きる時、いつも悪魔が巧妙な手段を持って自己主張させようとして働いていることを体験的に知っていました。悪魔は更に罪に陥らせ、罪の中に閉じこめようとして働いている事実を彼らは自覚し、イエス様により頼んで生きて来ました。
 金泳吉博士が総長をしている 韓東大学は設立されて10年足らずの新設大学です。でも今年の韓国教育部の評価では200以上ある大学の中で4位以内、中にはソウル大学よりも高い評価を得て一位となった学部もあるそうです。
そして入学する学生は60%程度がキリスト者ですが、世界中から入学するキリスト信仰に未知な学生たちも導かれて、主の証し人の自覚をもって卒業する学生が今年は総数の90%以上であるとのことです。
 金泳吉博士は、アメリカのスタンフォード大学院で博士号を得て後、アメリカの航空宇宙局(NASA)で世界的先端の科学技術者として研究した方です。その金博士の生き方を決定的に変えたのは、NASAで毎日のように開かれている200人以上の人々が集まって開く祈祷会に出席し、内なる罪の力からイエス様の勝利の中に迎えられことでした。
 その後、金博士はイエス様が聖書のことばによって語られるみことばによって、心の内側に働く悪魔の働