礼拝説教宣教要旨 2006年3月度
3月5日  「神を喜ぶ生活」
3月12日  「恵みの賜物」
3月19日  「キリストと共に」
3月26日  「万物の完成が迫っている」
 
礼拝説教宣教要旨 2006年3月5日 教会礼拝
  題  : 「神を喜ぶ生活」  宣教: 福田 勝敏 牧師
 聖書 : ローマ 5章1節〜11節

  本書の5章以下は義と認められたクリスチャンたちが、信仰生活をどのように過ごすべきかを語ると共に、信じる者の内に働いてくださる聖霊の恵みを語っています。

1.神の栄光にあずかる希望
 神は全能、神は絶対、神は愛であると信じるとき、わたしたちは神からすばらしい恵みをいただきます。
第一に神との平和です。絶対者なる神と罪人でしかないわたしたちの間の隔てを取り除いてくださいました。第二は、神の備えてくださる栄光に入れていただけるというのです。自分が何かをして獲得するというのではありません。一方的な恵みの栄光です。第三は、欺かれることのない希望に与れるのです。この世の希望は、残酷にも欺くことがしばしばあります。しかし神が与えてくださる永遠の希望は絶対に欺くことがありません。
何故、そんなことが言えるのでしょうか。それは全能の神が、わたしたちのために御子イエスを十字架にまでかけてくださったからです。さらに、よみがえらされた御子を信じる者には、この復活こそ、永遠の命の保証だからです。しかも、豊かな神の愛は、聖霊によって今も注ぎ続けておられます。

2.十字架の意味
 神がこのように与えてくださった十字架の救いは、わたしたちに何か値打ちがあったからではありません。わたしたちが弱く、罪ばかり犯し、神に敵対しているときに、神はわたしたちを救うために御子を十字架に付けてくださったのです。
ここに、罪人が神の怒りから逃れられるという、絶対愛が表されています。

3.神を誇りつつ生活する
 御子の命によって救われ、神と和解させていただいたお互いは、心から神を喜ぶ生活になるでしょう。「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい」(テサロニケ一5:16〜18)とありますが、神を誇る者には常にこの喜びの生き方が当たり前になるのです。そうすれば当然、救われた自分が何者かのように誇るのではなく、常に救い主なるお方を誇ることになるのです。
 

* 当教会の礼拝は、新共同訳聖書、讃美歌21を使用しています。
【ページのトップへ】
 
礼拝説教宣教要旨 2006年3月12日 教会礼拝
  題  : 「恵みの賜物」  宣教: 福田 勝敏 牧師
 聖書 : ローマ 5章12節〜21節

  パウロは「人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっている」 (ローマ3:23) つまり、人は例外なく罪人であると言い、さらに、ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して「神の恵みにより無償で義とされるのです」(ローマ3:24)とも語り、義とされることも例外なく信じる者には与えられるものであると教えてきました。

 さらに、人が例外なく直面する問題が「死」の問題です。この死の問題は古代から多くの人々の課題です。ある人は、肉体が永遠に死なない方法を研究しましたが、それをだれも手に入れることはできませんでした。
 ある人々は、「肉体は所詮物質に過ぎない、死は無になるだけである」と、言い聞かせようとします。しかし、死はやはり厳粛にすべての人に臨みます。
 では何故、人は死を厳粛に思い、時には恐れるのでしょう。「人間にはただ一度死ぬことと、その後に裁きを受けることが定まっている」(ヘブライ9:27)ことの現実を、無意識のうちにすべての人が知っているからです。
 しかしパウロはこの人類永遠のテーマとも言うべき「死」の問題に解決を与えてくださいました。

1.死からの開放
 死の最大の問題は罪の裁きです。
始祖アダム以来の罪は、全人類に及びましたが、キリストの十字架の死によって滅ぼされすべて信じる人を罪と死から開放しました。

2.恵の賜物
 罪と死を滅ぼされた神は、それに代えて恵みの賜物を提供してくださいました。それは、永遠の命であり、神の子としての身分です。「この霊によってわたしたちは『アッバ、父よ』と呼ぶのです」(ローマ8:15)

3.永遠の命
 わたしたちは、神の前に引き出されるとき自分の罪深さに愕然とします。しかし、その罪を深く認識し、罪を深く悲しめば悲しむほど、キリストの十字架の赦しがありがたく、嬉しくなるものです。
「罪が増したところには、恵みはなおいっそう満ちあふれました」(20)。
 

* 当教会の礼拝は、新共同訳聖書、讃美歌21を使用しています。
【ページのトップへ】
 
礼拝説教宣教要旨 2006年3月19日 教会礼拝
  題  : 「キリストと共に」  宣教: 福田 勝敏 牧師
 聖書 : ローマ 6章1節〜14節

  ローマの信徒への手紙は、コリント一、コリント二、ガラテヤと共に「パウロの四大書簡」とも言われています。
 本書で何が優れているのかと言えば、パウロが本書を通じてキリスト教の真髄を示し、今日のキリスト教教理の根幹となるべき内容を要約しているからです。

1.キリストと共に
 「罪の中にとどまるべきだろうか、決してそうではない」「罪を犯してよいということでしょうか、決してそうではない」と繰り返されています。これは、信仰義認が説かれるところでは、いつも問題になる箇所であり、「罪を犯しても赦されるのであれば、罪を犯し続けても良いではないか」という意見に対して、「決してそうではない。罪に対して死んだわたしたちが、どうして、なおも罪の中に生きることができるでしょう」と言っています。
ハイデルブルグ信仰問答の第64問でも、同様の論法で信仰義認を語っています。わたしたちは、バプテスマに象徴されているように、キリストと共に死にキリストと共に復活させていただき、生かされているのです。

2.罪に対して死んだ者の生き方
 「キリストと共に十字架につけられた」とは、全く罪を犯さない死人になると言うのではなく、「もはや罪の奴隷にならないためである」 また「死んだ者は、罪から解放されています」とあるように、今までのように罪に支配されて、そこから離れられないのではなく、罪を犯すことよりも、神を喜ばせることを第一義の生き方をすることができるようになるのです。

3.感謝の生活
 キリストの十字架にあって罪に死に、キリストの復活によって新しい命に生かされた者は、「キリスト・イエスに結ばれて、神に対して生きているのだと考えなさい」と言われています。口語訳では「認むべきである」と「考えなさい」よりさらに強く言っています。
 わたしたちはキリストと共に十字架に死に、キリストと共に生かされた者です。消極的に、罪を犯さないように防御しながら生きるのではなく、積極的に、神様に感謝をささげつつ、善を行い、義に生きる者でありましょう。
 

* 当教会の礼拝は、新共同訳聖書、讃美歌21を使用しています。
【ページのトップへ】
 
礼拝説教宣教要旨 2006年3月26日 教会礼拝
  題  : 「万物の完成が迫っている」  宣教: 鍋島 猛 師
 聖書 : ペトロの手紙一 4章7節〜11節

  「万物の終わりが迫っています。だから、思慮深くふるまい、身を慎んで、よく祈りなさい。」(7節)
あいさつ:教区関係では、いつもひとかたならぬお世話になり、また個人的には長男の結婚式を貴教会にて挙げさせて頂き、感謝に堪えません。

 導入:兵庫教区長を四年間務めさせて頂きましたが、もしこれがいつまで続くのか、いつ終るのか分からないなら、確信のない不安な日々を過ごさねばならなかったでしょう。しかし、幸い四年の任期、つまり終わりがはっきりしていましたので、平安と確信をもって任期を終えさせて頂きました。

 万物(の):万物、つまり自然界(宇宙、地球、そこにあるすべての物質と生き物、人間とその人生も含めて)と世界(政治、経済、教育など)と霊界(宗教、死と死後、永遠、天国と黄泉、神の計画とサタンの働きなど)は、とめどもなく時空をさ迷うのでも果てしなく、同じところを虚しく繰り返すのでもありません。

必ず、終わり(が)くるのです:この「終わり」は、イエスが十字架の上で、「成し遂げられた」「完了した」と言われたのと同じ言葉です。つまり、「完成する」ということです。
 自然界は、秩序を回復し完成します。人生の意味と目的はすべての人に明白となり、実を結びます。世界は神の統治となり、平和と公平と英知が満ちあふれるでしょう。霊界もまた完成します。すべての偽りは滅ぼされ、すべての真理は明らかになり、永遠の命と神の国(計画)は完成するのです。

 近づいている:天国は近づき、主イエスの再臨が近づいています。去年より今年、昨日より今日、完成の日は、十字架と三界と世界宣教とに証しされて時々刻々近づいています。

 よく祈りなさい:努めて祈りなさい。
  ・思慮深くふるまい:軽率でなく、情に流されず、決心と継続を大切に。
  ・身を慎んで:欲望に流されず、怠惰に陥らず、
   自己管理・節制を良くして、生活全体において祈りを第一に。

愛に生き、恵の良い管理人として奉仕に勤しむ者であらせて頂きましょう。
 
* 当教会の礼拝は、新共同訳聖書、讃美歌21を使用しています。
【ページのトップへ】

ホームページへ