イザヤ書5章は、裁きの書、罪の指摘の書ともいえる箇所です。「災いだ」で始まる文章が6回も出てきます。ここで、わたしたちはイザヤを通して語られる裁きの原因を学んで、反面教師として心に留め、神の祝福を得る者としていただきましょう。
1.ぶどう畑の歌
イザヤは豊作を祝って歌われる歌をもじって歌ったと考えられます。一生懸命に育てたぶどうが、外側ばかり立派で、酸っぱいぶどうであったと言うのです。
ここで言う「酸っぱい」は、「悪臭を放ち、忌み嫌われる」(箴言13:5、出エジプト7:18)の意味です。神に愛され、手をかけられ、良い実を結ぶように期待されたのに、酸っぱいぶどうで、悪臭を放ち忌み嫌われる存在になってしまったことを歌っています。
2.災いだ
災いを指摘しています。「家に家を連ね」これは、隣人を省みない貪欲の塊のような存在を語っています。「朝早くから濃い酒をあおり」は、快楽主義に心を奪われた者の姿を指摘しています(ガラテヤ5:19〜21)。
「むなしいものを手綱として」は、神を無視して、罪や咎を引き寄せ、神に対して「早く事を起こさせよ」と侮辱的にふざけるように語っているのです。「悪を善と言い」正義、善、真実を尊重するように言いながら、不利益になるとき、自分のすることは全てが正しい。他人のすることは全てが悪であるとする人がいます。
「自分の目には知者であり」真の知恵は神が認知されるのであって、自分で決めるのではありません(フィリピ2:3、箴言16:18、26:12)。「酒を飲むことにかけては勇者」今一度、快楽主義を戒めています。
3.神の審判
先の罪の羅列を踏まえて「それゆえ」と言っています。ここでの主の裁きは切って落とされた。という表現がぴったりなように一挙に裁きが行なわれる様子が記されています。ここまで、イスラエルの罪の姿勢を見、主の裁きを見せられたわたしたちは、彼らと同じ道を歩んではいけません。
私たちはキリストの十字架と復活による永遠の命と、祝福をいただいています。彼らの失敗を反面教師として主に喜ばれる歩みをさせていただきましょう。
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