礼拝説教宣教要旨 2007年3月度
3月11日  「万軍の主を仰ぎ見た」
18日  「その名はインマヌエル」
25日  「神に望みをかける」
 
礼拝説教宣教要旨 2007年3月11日 教会礼拝
  題  : 「万軍の主を仰ぎ見た」  宣教: 福田 勝敏 牧師
 聖書 : イザヤ書 6章1節〜13節

   今日は神学生方3人のショートメッセージがあり、十分な恵をいただかれていると思いますが、イザヤ書のみ言葉を紹介させていただきたいと思います。
 ウジヤ王は16歳で王になり、52年間王位にありました。「彼は、父アマツヤが行なったように、主の目にかなう正しいことをことごとく行なった」(代下26:3,4)と聖書が評価しています。しかし、そのようなウジヤが、晩年思い上がり、堕落し、傲慢になって神にさばきを受け額に重い皮膚病を発症し、死んでしまったのです。
 イザヤが尊敬もし、慕ってもいたウジヤ王が神の裁きのために重い皮膚病で死んでしまった時、大きな悲しみと、神の裁きの厳粛さに打たれ、神殿に入って神様に祈りました。イザヤはその時このすばらしい幻を見せられたのです。

1.万軍の主を仰ぎ見た
イザヤは、ウジヤの死からさまざまなことを教えられたのでしょう。神殿に入って祈っていました。そのとき神様を見たのです。神様はわたしたちが真剣に祈る時、身近に御臨在を示してくださいます。

2.罪はゆるされた
 イザヤは、神を見たとき自分の罪を示されました。わたしたちも神様が身近にいてくださると実感できた時、自分の汚れを示されます。しかしイザヤは祭壇の炭火を唇に触れられた時、罪が取り去られたとの約束をいただきました。わたしたちには、イエス様の十字架の血潮によって罪赦される約束があります。

3.誰を遣わすべきか
 神を見、罪赦されたイザヤに神が語りかけて下さいました。「誰を遣わすべきか」と、それに対して「わたしを遣わしてください」とイザヤは答えたのです。
 しかし、この答えは、わたしたちクリスチャンは誰でもがするべき答えです。直接伝道者になるための答えもあるでしょう。また、誰でもみんなここから社会に遣わされるのです。
ここからわたしたちは、困難な社会にもみ言葉を携えて遣わされて行きましょう。あなたを愛し、あなたを護り、あなたの罪を赦してくださる万軍の主を仰ぎ見ながら。祈りましょう。
 

* 当教会の礼拝は、新共同訳聖書、讃美歌21を使用しています。
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礼拝説教宣教要旨 2007年3月18日 教会礼拝
  題  : 「その名はインマヌエル」  宣教: 福田 勝敏 牧師
 聖書 : イザヤ書  7章10節〜17節

   本章は、ウジヤ王の孫アハズ王の治世のことです。このアハズ王は20歳で王になって16年間ユダを治めましたが、ウジヤ王(傲慢になって堕落する以前の)、父王のヨタムのように神様に従わず、頼ることをしないばかりか、敵国の力により頼んで同盟を結ぼうとしたり、偶像に犠牲をささげて拝むという愚かなことを繰り返していました(王下16:1〜4、代下28:1〜26) 。

1.落ち着いて、静かにしていなさい
 アハズ王は神様に頼らず、アッシリア王国に頼り、同盟を結びました。そこに北王国とアラムの連合軍が先制攻撃をかけてきたために、アハズ王とユダの人々は大変恐れて、風に揺らぐ森の木々のように動揺しました。
 しかし、そのようなアハズ王に対しても神様はイザヤを通して、保護の約束を与えられました。しかしアハズ王は神様の申し出を退け、アッシリアを頼みにしました。

2.その名をインマヌエルと呼ぶ
 イザヤは、アハズ王が神を拒絶したことを受けて鋭い語調で語ります。「わたしの神にももどかしい思いをさせるのか」と。ここで気付くことは、11節では「あなたの神」と言っていたのに、13節以降では「わたしの神、わたしの主」と言っています。
 わたしたちは、常にわたしの神、わたしの主として神様により頼むものでありたいと思います。そしてこの神は、御子イエス・キリストをこの世にお送りくださり、南王国ユダに留まらないで、全世界、全人類の救いの道を開いてくださったのです。
 インマヌエルとは「神は我々と共におられる」という意味ですが、わたしたちは常に共にいてくださるお方を見上げ、このお方を目当てに生活したいものです。

3.背きの結果
 イザヤの神様からのメッセージに背き続けたアハズ王とユダの人々は、自分たちが頼みとしたアッシリアの王にも裏切られ、その国土は荒廃することを宣言されます。
 神のご愛と、寛容に背く時、神は厳しい裁きをもって臨まれます。しかし、インマヌエルの神は、今も悔い改めるなら、あのおとめマリアから生まれ、十字架にかかってくださった主の十字架のゆえに赦し、救いに与らせてくださる愛のお方です。
 

* 当教会の礼拝は、新共同訳聖書、讃美歌21を使用しています。
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礼拝説教宣教要旨 2007年3月25日 教会礼拝
  題  : 「神に望みをかける」  宣教: 福田 勝敏 牧師
 聖書 : イザヤ書 8章16節〜23節

   8章の内容は7章からの続きです。すなわち北王国イスラエルとアラムの連合軍が攻めようとしている時のことです。
 神様はこの危機に至っても、全能の神様を認めないで、アッシリアの軍事力に依り頼んでいるユダに対して、イザヤを通して重ねて危機と希望を語っておられます。

1.マヘル・シャラル・ハシュ・バズ(分捕りは早く、略奪は速やかに来る)
 「救い主がおとめから生まれる」との預言も、「アッシリヤの王によって大きな苦しみを受ける」との預言も、アハズ王には何の感動も信仰の覚醒も与えなかったようです。そこで神はイザヤの家族を用いて警告を与えられました。
 女預言者と呼ばれるイザヤの妻が、産んだ次男の名前を通して、アッシリヤに略奪されるユダを預言しています。
 当時のユダ王国はイザヤの語る言葉に従おうとしないのですから、大きな困難があったと思われますが、イザヤの家族は一家挙げて喜んで主に仕えていたのでしょう。

2.インマヌエルの神
 イザヤの忠告の預言に聞き従わないユダの民に対して「アッシリヤがまるでユーフラテス川の大洪水が、氾濫して町々を飲み込むように滅ぼすようになる」と語っています。しかし、それでも尚、インマヌエルの神が護ってくださることを語っています。どこまでも寛容な神様の姿を見せられます。現代のわたしたちのためにも、神様はどこまでも寛容に赦し励ましてくださいます。しかし、その実現は、わたしたちの人間的計画ではなく神様のご計画が実現するのです。

3.万軍の主をのみ、聖なる方とせよ
 インマヌエルの民であるはずのユダの民が、王をはじめとして国民の多くまでが主を信頼するよりも、人間の力を頼みとしていたのです。したがって、イザヤの預言も人々の賛同を得られませんでした。それどころか、非国民、王への反逆者とも思われたのですが、神はイザヤに励ましの言葉をもって力づけて下さいました。
神様は、信じる者にとっては万軍の主であり、背く者にとっては裁きの主なのです。わたしたちは人を恐れず、神のみを畏れて、聖なる神の御前を歩ませていただきましょう。
 

* 当教会の礼拝は、新共同訳聖書、讃美歌21を使用しています。
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