本書の記事は13節から続いています。イエスが復活された日の午後、二人の弟子がエルサレムから60スタディオン(約11km)ほど離れたエマオと言う村に向かっていた時のお話しです。
1.目がさえぎられていた
この弟子たちは、イエスの復活の出来事について話し合い、論じ合っていたと言います。彼らは、墓に行った女の弟子やペトロやヨハネたちの語ったことについて話し合っていたのでしょう。すると、復活されたイエスが一緒に歩きながら二人の会話に入ってこられたのです。それからイエスが主導権をもって話し始められました。
それでも、彼らにはその話しておられるのがイエスだとは分からないのです。わたしたちも、友人と信仰について話し合っているとき、祈っている時に、そこにイエスが共にいてくださることに気付かない場合が多くあります。注意して下さい、復活されたイエスは、あなたが気付かなくても信じる者といつも共にいてくださるのです。
2.目が開かれた
心の鈍い弟子たちも、一緒に話しているお方がイエスであることに気付く時が来ました。イエスがパンを取って賛美の祈りを唱えてパンを裂いてお渡しになった時です。この姿は最後の晩餐の席でイエスがなさったのと同じだったのです。
ここでわたしたちは、すなわち聖餐式の大切さを教えられます。わたしたちの、霊の目が開かれるのはイエス・キリストの十字架を覚え、受け留める時です。わたしたちも、もう一度キリストの十字架を仰ぎ霊の目を開いていただきましょう。
3.心が燃えた
霊の目が開かれた弟子たちは心の燃えるのを覚えました。そして、イエスとの会話のことを振り返ってみると、イエスの語られる言葉に聞き入っていた時、聖書の話しを聞いているときに心が燃えたのです。
わたしたちは、毎日、聖書を読み、学び、イエスとの会話である祈りをささげるとき心が燃やされます。それは、イエスと話し、イエスと歩いているからです。毎日十字架のイエスを見つめつつ、復活の主と共に心燃やされて歩みましょう。
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