礼拝説教宣教要旨 2007年5月度
5月 6日  「主を畏れ敬う霊」
13日  「救いの泉」
20日  「最後の審判」
27日  「サタンの裁き」

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礼拝説教宣教要旨 2007年5月6日 教会礼拝
  題  : 「主を畏れ敬う霊」  宣教: 福田 勝敏 牧師
 聖書 : イザヤ書  11章1節〜10節

   預言者イザヤは前の章で、神様がイスラエルの不信仰のゆえにアッシリアを用いて裁かれたが、あまりに残酷でしかも自分の力のみを誇るアッシリアを最後の場面で退けられ、倒されることを預言しました。
 本章ではさらに鮮やかな選民イスラエルの回復の預言が述べられています。

1.エッサイの株
 前章で、アッシリアは森の茂み、レバノンの大木にたとえられていますが、本章でイスラエルは切り倒されてわずかに残った切り株にたとえられています。
 しかし、繁栄を誇り強さを誇る森であり大木のようなアッシリアが完膚なきまでに滅ぼされ、滅ぼされて何も無くなったかと思える切り株から新芽が出て成長して、やがて実を結ぶことを預言しています。
 これは、歴史的なイスラエルの滅びと回復の、現実に起こって記録として残る出来事であり、信仰的回復の歴史でもあります。

2.主を畏れ敬う霊
 先に、切り株から芽が出て成長するイスラエルの姿、また信仰的な祝福回復の姿があるといいましたが、この切り株から出た芽はエッサイ(ダビデの父)の家系から出現されることになっている救い主のことも預言しています。
 すなわち、この切り株は神の独り子イエス・キリストのことを指しています。このお方こそ神の御子でありながら、父なる神の霊に従って歩まれ、あくまでも僕となってくださったお方です。 御子イエスがそうであれば、わたしたちはなおさら、神を畏れ敬いつつ生活するべきです。

3.栄光に輝く国
 この6節からの表現は、エデンの園で人が罪のために失ったものの回復を指しています。主を畏れ敬う霊に満たされた者は、このような表現の許される平安と祝福をいただくことが出来ます。さらにこの表現は、黙示録21,22章に実現してくださる新天新地も指しています。
わたしたちは、この世における霊的祝福をいただき、永遠のみ国に入れていただける望みを抱きつつ歩ませていただきましょう。
 

* 当教会の礼拝は、新共同訳聖書、讃美歌21を使用しています。
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礼拝説教宣教要旨 2007年5月13日 教会礼拝
  題  : 「救いの泉」  宣教: 福田 勝敏 牧師
 聖書 : イザヤ書  12章1節〜6節

   イザヤ書7章14節に「見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み その名をインマヌエルと呼ぶ」と語られ、9章5節には「ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた」さらに11章1節では「エッサイの株からひとつの芽が萌えいで その根からひとつの若枝が育ち その上に主の霊がとどまる」と続きます。これらは救い主がおいでになることの預言が鮮やかにされているみ言葉です。
 「詩編150編をハレルヤ・コーラスと表現するなら、このイザヤ書12章こそ内容的にはインマヌエル・コーラスと表現されるべきである。」と言った信仰者がいます。そのように、救い主の来臨と救いの預言をしたイザヤは、12章に至って神様の大きな救いを感謝の歌としたのです。

1.わたしの歌
 「その日には」とは当然、主の救いが成し遂げられる日、神の怒りが去った日のことです。12章は、インマヌエルと呼ばれる救い主がおいでになって、神の怒りが去ったことに対する賛美で始まっています。
 絶対聖なるお方が、怒りをわたしに向けることなく、御子イエス・キリストに向けてくださり、当然裁かれるべきわたしが赦されたのです。なんという感謝、なんという喜びでしょう。わたしの救いとなってくださったお方を心から賛美しましょう。

2.救いの泉
 この救いは、わたしだけのものではありません。「あなたたちは喜びのうちに 救いの泉から水を汲む」ここで言う「あなたたち」はすべての人々を指しています。
 救いは、一部の人々の特権ではありません。「国々はそれを求めて集う」(11:10)とあるように、全世界に与えられる救いであり喜びの賛歌です。

3.ただ中にいます大いなる方
 この救いをもたらせてくださるお方は、わたしたちのうちに住んでくださるお方なのです。「あなたがたの内におられるキリスト、栄光の希望です」(コロサイ1:27)は、正にこのイザヤの預言の成就と言えるでしょう。
 わたしたちも、賛美しつつ、喜びつつ、信仰生涯を歩ませていただきましょう。
 

* 当教会の礼拝は、新共同訳聖書、讃美歌21を使用しています。
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礼拝説教宣教要旨 2007年5月20日 教会礼拝
  題  : 「最後の審判」  宣教: 福田 勝敏 牧師
 聖書 : イザヤ書  13章6節〜10節

   5月17日は、イースターから数えて40日目であり、復活されたイエスが弟子たちの目の前で、雲に迎えられて昇天された記念日でした。
 本日は、イエスが天にお帰りになった後、120名ほどの人たちが、エルサレムの家の上の部屋で、毎日熱心にお祈りをしていた頃にあたります。
 さて本日の聖書の箇所は、イザヤがバビロン帝国の滅亡を預言した箇所です。ただバビロンはイザヤの時代から約100年後に力を持ち、さらにその100年後に滅ぼされた国です。イザヤはそうした未来のバビロンの姿を預言したのです。

1.旗を立てる
 戦いの時には、人々の目に付くところに旗を立てました。ここでの旗は、万軍の主の旗であり、主が聖なる軍隊を召集されることを表しています。
 神は、終わりの時代に聖別した人々を召集してくださいます。現代の悪い時代にあっても主の聖霊の力に満たされた聖徒が、福音の戦いのために召集されます。

2.主の日が近づく
 主の日とは、神が支配される日ということですが、神が主権をもってこの世を裁かれる日です。聖徒たちが主と共に働くのですが、戦いは主が戦って下さいます。
 そして現代のわたしたちも主が完全に支配される日が近づいていることを信じ、自分に今与えられている奉仕に真剣に取り組ませていただきたいものです。

3.その日
 バビロンの滅びを預言するものですが、同時にこの世の最後の審判の預言とも取れます。現代の日本も世界も道徳的に、宗教的に堕落し、悪を行なうことがあたりまえのようになっています。神はいつまでもこの姿を見過ごしにはなさいません。必ず終わりの時がきます。しかもその日は遅れることはないといわれます。
 イエスの昇天された時、弟子たちに天の使いが「あなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになる」(使徒1:11)と言われたように、イエスはやがてこの地上に再びおいでになります。「その日」はここで言われる「その日」に共通するものです。祈りつつ、主のおいでを心待ちに出来るような日々の歩みをしましょう。
 

* 当教会の礼拝は、新共同訳聖書、讃美歌21を使用しています。
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礼拝説教宣教要旨 2007年5月27日 教会礼拝
  題  : 「サタンの裁き」  宣教: 福田 勝敏 牧師
 聖書 : イザヤ書  14章12節〜15節

   イエス・キリストが復活された日から40日目、イエスは弟子たちの見ている目の前で天に昇って行かれました。その日から10日後、すなわち復活から50日後、イエスが十字架前夜に約束されたとおり、聖霊なる神がおいで下さいました。
 弟子たちは、イエスの十字架を目の前に見ました。復活のイエスと親しく語ることもありました。しかし、イエスは「父の約束されたものを待ちなさい」(使徒1:4)「あなたがたの上に聖霊が下ると、あなたがたは力を受ける」(使徒1:8)と言われたとおり、弟子たちはここから力を受けてキリストの証人として活動し始めたのです。
 本日の聖書の箇所は、バビロン帝国の滅亡を預言しています。ここに、信仰者の復興も預言されているのです。

1.再びイスラエルを選び
 かつてイスラエルをエジプトから導き出されたように、再びバビロンから救出してくださるのです。わたしたちも、十字架によって救われ、神の子とされていたはずなのに、またサタンの誘惑に負けて罪の世界に迷っている場合がありますが、神はわたしたちを再び選んで救いの恵に与らせてくださるのです。

2.天から落ちた明けの明星
 明けの明星はサタンを現していると言われてきましたが、直接的にはバビロンでしょう。しかし、その行動や野望の背後に、神に反逆する高慢と人々を意のままに支配する横暴さを持ったサタンの姿を見ます。
 神に逆らう高慢なサタンの力がどれほど強くても、万軍の主に勝利することは出来ないのです。「滅びの箒で、掃き清める」ように、天から落とされてしまうのです。

3.神が定められること
 旧約のイザヤの時代に働かれた主は、今もその立ててくださった計画を必ず実現して下さいます。これを阻止するものはひとりもいません。そして、信じる者に約束どおり聖霊を与えてくださいます。
今一度、十字架と復活の主の前に、真剣な悔い改めと明け渡しをする時に、神様は必ず約束を実行してくださるのです。
 

* 当教会の礼拝は、新共同訳聖書、讃美歌21を使用しています。
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