礼拝説教宣教要旨 2007年6月度
6月 3日  「神の主権」
10日  「神の公平と正義」
17日  「造り主を仰ぐ人」
24日  「見ておられるお方」
 
礼拝説教宣教要旨 2007年6月3日 教会礼拝
  題  : 「神の主権」  宣教: 福田 勝敏 牧師
 聖書 : イザヤ書  15章1節〜9節

   本日は2006年度、神様が導いてくださり祝福してくださったことへの感謝を捧げるべき総会があります。祈りと喜びをもって、神様に導いていただきましょう。
 さて、本日のテキストはモアブという国の裁きについて書かれています。

1.モアブの罪
 「一夜のうちに」との繰り返しから、モアブの裁きが突然望むことが強調されています。モアブはアブラハムの甥ロトの子孫に当たる民族ですが、イスラエルとはたびたび対立を繰り返していました(民数記22〜24章、士師記3:12〜30)。
また、ある時はモアブの娘たちの誘惑にあったイスラエルの人々が、偶像バアルを礼拝したことで、2万4千人が裁きにあったこともありました(民数記25章)。モアブの最大の罪は偶像礼拝でした。わたしたちも神様よりも大切なものを偶像としていないか点検しましょう。

2.裁きは突然にくる
 そのようなモアブが、全能者であり、一切の主権者である神によって、突然裁かれることになりました。嘆き、叫び、悲鳴といった言葉が繰り返し使われています。
 この主権者である神様の、この世の裁きも突然行なわれることが示されています(1テサロニケ5:1〜11)、人々が「無事だ。安全だ」と言っているそのやさきに、突然破滅が襲うのです。イエスはマタイ24章を通しても再臨に伴う審判を預言しておられます。

3.信仰の備え
 わたしたちもイエス・キリストを心から信じる者として、再臨の間近いことを覚え、信仰の備えをさせていただくことが大切です。「信仰と愛を胸当てとして着け、救いの希望を兜としてかぶり、身を慎んでいましょう」(1テサロニケ5:8)と語られ、また「主はわたしたちのために死なれましたが、それは、わたしたちが、目覚めていても眠っていても、主と共に生きるようになるためです。
ですから、あなたがたは、現にそうしているように、励ましあい、お互いの向上に心がけなさい。」(1テサロニケ5:10,11)とも言われています。
罪を犯し続けていたモアブが突然の裁きに慌てふためいたように、わたしたちも慌てふためかないで、いつでも「アーメン、主イエスよ、来て下さい」(黙示録22:20)と、神の主権によるキリストのご再臨を待望する者にしていただきましょう。
 

* 当教会の礼拝は、新共同訳聖書、讃美歌21を使用しています。
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礼拝説教宣教要旨 2007年6月10日 教会礼拝
  題  : 「神の公平と正義」  宣教: 福田 勝敏 牧師
 聖書 : イザヤ書  16章1節〜5節

   花の日は、年間通して花の多いこの季節に、神様を愛し人々を愛する思いを神の家族である教会のみんなが持たせていただくよい機会だと思います。
また、今日は「こどもの日」でもあります。ある方は、「子どもは世界の宝です」と言われました。そして、教会の子どもたちは文字通り「教会の宝です」この宝を大切に育て、この殺伐とした世の中にあって、光り輝く、貴重な宝に成長していただけるように祈っていきましょう 。

1.羊の貢ぎ物
 モアブのメシャ王が、イスラエルの支配下にあった時、多くの羊や、羊毛を貢ぎ物として収めていた時代がありました(王下3:4)。その後イスラエルから独立していたモアブでしたが、相変わらず神にそむき続け、再度さばきを受ける預言が語られています。今度は南王国ユダの支配下に置かれることが預言されています。

2.神の公平と正義
 神に敵対して、罪のとりこになっていた者が神のもとに来るとき、救いと平安が与えられます。イザヤはここでもまた、救い主の預言を語っています。「治める者が、まことをもって座す」とは、神の裁きの座のキリストの光景でもあります。
 わたしたちは、神の裁きの前に立たされ、神の公平と正義に照らされる時、断罪されるよりありません。しかしキリストの十字架はその裁きから救ってくださいます。神の公平と正義がキリストの十字架のゆえに完成されたとみていただけるのです。

3.偶像礼拝の虚しさ
 モアブは、イザヤの預言を無視して高ぶり、高慢に振舞います。その結果大きな裁きの刈り取りをすることになります。それでもモアブは、自分たちの偶像に祈ることをやめませんでした。主の警告を無視することがどれほど悲惨な結果になるかを、モアブの悲劇を通してユダは知る機会を得ましたが、その教訓を役立てないで、歴史の中でユダもまた滅びの道を進んでいくことになります。
 わたしたちはこの教訓をしっかり心に覚え、イエス・キリストの十字架と復活の福音に生きる者としていただきましょう。
 

* 当教会の礼拝は、新共同訳聖書、讃美歌21を使用しています。
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礼拝説教宣教要旨 2007年6月17日 教会礼拝
  題  : 「造り主を仰ぐ人」  宣教: 福田 勝敏 牧師
 聖書 : イザヤ書  17章7節〜11節

   今日は「父の日礼拝」です。父の日は1910年(明治43年)にアメリカ・ワシントン州のドット夫人が、男手ひとつで育ててくれた父親を想い、自分の通う教会で父の日礼拝を開催してもらったのが始まりだと言われています。その後、アメリカの国民の祝日になったのは1972年(昭和47年)です。十戒は「あなたの父母を敬え」(出20:12)と言っています。わたしたちは、「このような父母を敬え」との条件はなくて、「父母を」とあることに目を留め、神が備えられた父母を敬いましょう。
イザヤの預言の対象であるダマスコ(アラムの首都)とエフライム(イスラエル)は、全地の造り主である神を離れ、自分たちの手で造った偶像礼拝をしていました。

1.像礼拝の結果
 栄華を誇ったダマスコに人が住めなくなるという裁きが預言されています。「愚か者は悪だくみを楽しみ、英知ある人は知恵を楽しむ」(箴10:23)と言われています。わたしたちは、愚かな者(神を認めない者)にならないで英知ある者(神を信じる人)となリ、すべての知恵の源である神を信じていきたいものです。

2.造り主を仰ぐ人
 主が裁かれる日、ようやく多くのイスラエルの人々は造り主である神様を仰ぐようになります。しかしそのときはすでに裁きが実行され、エルサレムの町々は荒廃していました。イスラエルの人々は、この大きな裁きを経験してようやく、天地創造の神と人間の手で造った偶像との差を知らされたのです。わたしたちはこのことは十分知らされている者です。常に、いつでも霊の目をまっすぐに造り主に向けましょう。

3.神の放任
ローマ1:24,25と同じように、神は「それなら、お前の好む神々に」と言われます。これは神に放任された姿です。神に敵対する行為をしていて、なんの罪意識も感じないでいるとしたら、それは神に放任された状態でしょう。しかしそれはやがて、主の裁きのときに大きな嘆きに変わるでしょう。
 新約のわたしたちにはキリストの十字架と復活という立ち返るべき道が備えられています。信じている人は心から感謝をしましょう。
 

* 当教会の礼拝は、新共同訳聖書、讃美歌21を使用しています。
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礼拝説教宣教要旨 2007年6月24日 教会礼拝
  題  : 「見ておられるお方」  宣教: 福田 勝敏 牧師
 聖書 : イザヤ書  18章1節〜7節

   神はイザヤ書を通してアッシリヤ、エジプト、クシュ(エチオピヤ)という当時の世界で繁栄と力を誇った国々がやがて、次々と裁かれる様子を預言されています。

1.羽の音を立てている国 1〜2節
クシュは現在のインド洋に面するソマリヤ、紅海に面しているジプチ、エリトリア、エチオピヤ、スーダンという広い地域を指しているようです。
この地域は、現代はエチオピアの飢餓などに代表されるように、飢えと貧しさの地域のように思われますが、当時は水路が豊かで、「羽こおろぎの国」と言われるほど多くの生物が住み、多くの国々から強国として恐れられていました。
このクシュの国は、エジプトを滅ぼし、アッシリヤをも飲み込もうとする勢いがありました。現代のわたしたちも、成功者、勝ち組と言われる人は、経済的に豊かな人、権力をもった人を指すことが多くあります。しかしそれも神様の前には空しいことであることをイザヤは預言しています。

2.見ておられるお方  3〜6節
 クシュが力を誇り、世界にその勢力を伸ばそうとしている様子を、主は天からじっと見ておられ、ぶどうの花が終わり実が熟すまで待って、反逆者が自分の力の絶頂を誇る時に俄然裁きを行い、神こそが世界の王であり、主であることを明らかにされました。わたしたちの社会も、財のある者、知恵のある者、権力のある者が成功者のように見えますが、真の主を心からあがめ、聖霊と愛とに満たされていなければ必ず厳粛な裁きの前に立たされるのです。主はわたしたちのすべてを見ておられます。

3.神を認める  7節
 神が立ち上がり裁きを行なわれた時に、強大な権力を誇ったクシュが万軍の主の主権を認め、エルサレムの神殿に貢ぎ物を納めに来るようになるのです。自分の力を誇るようなわたしたちは、常に神に栄光をお返しするものでありたいものです。
新約の主は、裁きの目ではなく愛と慈しみの目をもってわたしたちを見てくださっています。あの独り子イエスを十字架に架け、死人のうちからよみがえらされた父なる神を見上げつつ信仰の歩みを続けさせていただきたいものです。
 

* 当教会の礼拝は、新共同訳聖書、讃美歌21を使用しています。
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