礼拝説教宣教要旨 2007年11月度
11月 4日  「神を待ち望む人」
11日  「幼子の賛美」
18日  「命に溢れる生涯」
25日  「主は正義の神」
 
礼拝説教宣教要旨 2007年11月4日 教会礼拝
  題  : 「神を待ち望む人」  宣教: 福田 勝敏 牧師
 聖書 : 詩編146編1〜10節

   本編から詩編最後の150篇までは「ハレルヤ詩編」と呼ばれています。ハレルヤで始まって、ハレルヤで終っているのです。口語訳聖書では「主をほめたたえよ」と訳されています。
クリスチャンの生涯は神様をほめたたえる一生でありたいものです。人生の始まりにハレルヤとは言えないでしょうが、最後はハレルヤで終りたいものです。
本日は「聖徒の日」です。なんと多くのクリスチャンが「ハレルヤ・主をほめたたえよ」で生涯を締めくくって天に凱旋されたことでしょう。
 それでは、クリスチャンが常にハレルヤと言える秘訣はどこにあるのでしょう。

1.自分の姿を知る  1〜4
 「霊が人間を去れば、人間は自分の属する土に帰り」と言われているように、わたしたちは神様に造られた被造物に過ぎないのです。どんなにきれいな人もこの皮の下には骸骨があるのです。そしてやがて土に帰る存在です。
 またわたしたちは、人の罪を裁き、ひとのたりなさを責めることが多くありますが、わたしたち自身お互いが元々罪人でイエス様の十字架のゆえに罪赦された者に過ぎません。「恐れるな、虫けらのようなヤコブよ、イスラエルの人々よ、わたしはあなたを助ける。」(イザヤ41:14)とのお言葉はわたしたちに対して語られる言葉です。

2.神を待ち望む人
 罪人であったわたしたちも、神は助け祝福をしてくださるのです。わたしたちは、この天地を造り支配し、完全な裁き主でもあるお方様に守られ、導かれています。
 このような罪人も、赦し、愛し、永遠の命を与えていただきました。もはやわたしたちはキリストの再臨と、永遠のみ国を待ちのぞむ者にしていただいています。

3.永遠の神を信じ続ける
神様は、とこしえに王だと言われます。わたしたちは永遠にこの神様だけを信じ続けるのです。先に天にお帰りになった方々と共に天でもこの真の神様に仕えるのです。あなたを支配し、あなたを守り、あなたを豊かにしてくださるお方はあなたを救い、愛してくださる神様以外にありません。 
 

* 当教会の礼拝は、新共同訳聖書、讃美歌21を使用しています。
【ページのトップへ】
 
礼拝説教宣教要旨 2007年11月11日 教会礼拝
  題  : 「幼子の賛美」  宣教: 福田 勝敏 牧師
 聖書 : マタイによる福音書 21章12〜17節

   イエスの時代の神殿の一番外側には異邦人の庭と呼ばれる場所がありました。そこには鳩を売る人や両替人がたくさんいました。鳩は貧しい人たちが献げ物として購入するためです。また、両替人はギリシャやローマの通貨をユダヤの通貨に両替するためにいましたが、彼らは当時の祭司たちにわいろを贈って、本来献げ物にならないものでも売っていたようです。また両替人たちも法外な手数料を取って祭司たちと共に私腹を肥やしていました。それで「強盗の巣にしている」と言われたのです。

1.祈りの家
 イエスは、神殿を「祈りの家と呼ばれるべきである」と言われました。わたしたちも、教会は常に祈りの場であることを心すべきです。親睦や交わりをしてはいけないのではありません。神様を信じる神の家族が共に集う所ですから楽しいことも幸いです。しかし、教会の存在意義の第一は、神を礼拝し、十字架にかかって死なれ、よみがえり、今も父なる神にとりなしてくださるイエスによって祈ることです。

2.不思議な御業
 イエスは、当時の社会からは見捨てられた状態にあった、身体的に不自由な人々、貧しい人々、弱い立場の人々たちに常に目を向けておられました。当時の人々の心の中には、弱いこと、不自由なことは悪いことのように考える習慣がありました。
 現代も、豊かで、健康で、美しくて、知恵のある人は立派な人で、そうでない人は余計な人、いらない人、邪魔な人のように考える人がいます。イエスはいつも弱い立場の人々に近づいていって癒しの不思議な御業を行われたのです。

3.幼子の賛美
 イエスのやさしさに触れた人々と共に幼子たちも「ダビデの子にホサナ(栄光があるように)」と賛美をはじめました。祭司長や律法学者たちは自分たちの不遜さを棚に上げて、幼子の賛美をやめさせようとしました。
 わたしたちも、大人の都合で幼子の純粋な信仰を止めていることが無いかどうか注意する必要があります。イエスは言われます「はっきり言っておく。心を入れ替えて子供のようにならなければ、決して天の国に入ることはできない」(マタイ18:3)。 
 

* 当教会の礼拝は、新共同訳聖書、讃美歌21を使用しています。
【ページのトップへ】
 
礼拝説教宣教要旨 2007年11月18日 教会礼拝
  題  : 「命に溢れる生涯」  宣教: 福田 勝敏 牧師
 聖書 : 詩編 92編2〜16節

   この詩編に7回も使われている「主」と言う言葉はヘブル語で聖四文字と呼ばれる、ヨード、ヘー、ワーウ、へーからなります。これをエホバと言う人、またヤハウェ、あるいはユダヤ教の伝統にのっとってアドナイと読み替える人もあります。そしてこれらの呼び名は「存在する」という言葉から来ています。モーセに対して神が「わたしはある」と言われたことが記されています(出エジプト3:14,15)。

1.共におられる神
 わたしたちは、朝毎、夕毎に神様がいかにわたしたち人間に対して、忠実な愛のお方であるかをほめたたえつつ生活すべきです。「愚かな者」はそれを知ることができません。ここでの愚か、あるいは無知な者とは、知的能力に乏しいことではなく、神を恐れる敬虔さと信仰の無い人のことです。このような人々は、悪が栄えるのを見ると、まるで神が悪に対して無力であるかのように思い、悪しき人へのねたみさえ持ちます。しかし、実際悪によって栄えた者はみな、神によって滅ぼされています。

2.神のさばき
 神に敵対する者は滅び、悪を行なう者は散らされていきます。「角を上げる」と言うのは、あまり良いことに使われません。むしろ高慢な人、傲慢な人に対して使われますが、ここでは神に従う者は祝福と共に、豊かな油、すなわち聖霊に満たしていただくことができることが語られています。

3.永遠の神の祝福
 今日は収穫感謝礼拝です。神がこの地上の物をすべて創り、支配し、わたしたちを養っていてくださることを理解し、信じ、感謝を捧げる日です。また、わたしたちは、年齢を重ねても祝福の実を結び、日々成長し、霊的に生き生きとして伝道に生きることができることが教えられています。
 わたしたちが、自分は強い、大丈夫だと思っているときに思いがけない失敗をすることになります。わたしたちは唯一で、ただ一人確実に存在しておられる神様の前に弱さを認めつつ、朝毎、夕毎に神をほめたたえ、讃美しつつ、永遠の祝福に満ちた信仰生活を送らせていただきましょう。 
 

* 当教会の礼拝は、新共同訳聖書、讃美歌21を使用しています。
【ページのトップへ】
 
礼拝説教宣教要旨 2007年11月25日 教会礼拝
  題  : 「主は正義の神」  宣教: 福田 勝敏 牧師
 聖書 : イザヤ書 30章18〜26節

   真実な神の愛は、裁きの中にも正義を示し、憐れみ深く、恵み深いお方であることを示してくださいます。
わたしたちの不信仰、不従順を裁かれる神は同時に、恵みを与えようと待っていてくださるのです。ルカによる福音書15章の放蕩息子を待つ父親の姿のように。

1.エルサレムに住む
 「シオンの民、エルサレムに住む者よ」は「まことに、民はシオン、すなわちエルサレムに住む」と訳した方が良いと言う学者もいます。
確かに、神を待ち望む者、神様のあわれみにあずかる者は、主の臨在の場に住む者としていただけるのです。深い悔い改めと信仰をもって主に求めれば「主はあなたの呼ぶ声に応えて、必ず恵みを与えられる」のです。

2.主を見る目、声を聴く耳
 わたしたちが、このお方様と共に歩み、お方様から祝福と恵みをいただこうとするならば、わたしたちの目はこのお方様を見続けるのです。またわたしたちの耳は背後から聞こえる主のみ言葉に耳を傾けるのです。
わたしたちは、大切な岐路に立つ時、よく考え、いろいろな人に相談をします。しかし、何よりも大切なことは、わたしたちが信頼して裏切られることの無いお方に目を注ぎ、お方の声を聞く耳を持つべきです。それは、このお方の前に祈ることであり、聖書のみ言葉を読み蓄えることです。

3.主はいやされる
 わたしたちの生涯は傷つき、痛み、苦しみ、悩み、つらく、悲しいことが多くあります。しかし、そのような中から主を見上げ、呼び求める時、主はいやしてくださいます。そして、その傷が重ければ重いほど癒された時の喜びは大きいのです。
 「月の光は太陽の光になり、太陽の光は七倍になり、七つの日の光となる」とはなんとすばらしい約束ではありませんか。増し加わる程度ではありません。月が太陽のようになり、太陽は七倍に輝くのです。
 今苦しんでいる人たち、泣いている人たち、喜んでください。大きな祝福と恵みをもって神は待ち構えてくださいます。本気で信じて祈りましょう。 
 

* 当教会の礼拝は、新共同訳聖書、讃美歌21を使用しています。
【ページのトップへ】

ホームページへ