真実な神の愛は、裁きの中にも正義を示し、憐れみ深く、恵み深いお方であることを示してくださいます。
わたしたちの不信仰、不従順を裁かれる神は同時に、恵みを与えようと待っていてくださるのです。ルカによる福音書15章の放蕩息子を待つ父親の姿のように。
1.エルサレムに住む
「シオンの民、エルサレムに住む者よ」は「まことに、民はシオン、すなわちエルサレムに住む」と訳した方が良いと言う学者もいます。
確かに、神を待ち望む者、神様のあわれみにあずかる者は、主の臨在の場に住む者としていただけるのです。深い悔い改めと信仰をもって主に求めれば「主はあなたの呼ぶ声に応えて、必ず恵みを与えられる」のです。
2.主を見る目、声を聴く耳
わたしたちが、このお方様と共に歩み、お方様から祝福と恵みをいただこうとするならば、わたしたちの目はこのお方様を見続けるのです。またわたしたちの耳は背後から聞こえる主のみ言葉に耳を傾けるのです。
わたしたちは、大切な岐路に立つ時、よく考え、いろいろな人に相談をします。しかし、何よりも大切なことは、わたしたちが信頼して裏切られることの無いお方に目を注ぎ、お方の声を聞く耳を持つべきです。それは、このお方の前に祈ることであり、聖書のみ言葉を読み蓄えることです。
3.主はいやされる
わたしたちの生涯は傷つき、痛み、苦しみ、悩み、つらく、悲しいことが多くあります。しかし、そのような中から主を見上げ、呼び求める時、主はいやしてくださいます。そして、その傷が重ければ重いほど癒された時の喜びは大きいのです。
「月の光は太陽の光になり、太陽の光は七倍になり、七つの日の光となる」とはなんとすばらしい約束ではありませんか。増し加わる程度ではありません。月が太陽のようになり、太陽は七倍に輝くのです。
今苦しんでいる人たち、泣いている人たち、喜んでください。大きな祝福と恵みをもって神は待ち構えてくださいます。本気で信じて祈りましょう。
|