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| メッセージとクリスチャンの証 | ||||||
いいわけの多い人生 |
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| メッセージ : 羽鳥 明 牧師 |
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| 私は帝国陸軍で、つぶさに一兵卒の辛酸をなめましたが、軍隊というところは一切のいいわけを許さない所でした。 「でも時間がありませんでした。」「しかし、○○○上等兵殿にこうしろと言われたのです。」 「でも・・・」「しかし、・・・」と言いわけを言ったトタン、ビンタがとびました。 ![]() 言いわけが多い いやなことも沢山でしたが、私は軍隊で、「人間って言いわけが多いな、それも正当な理由もないのに自分のことばや行動を正当化しようとするいいわけが実に多い」と反省されられました。 心の底では、「正しくない事だ」「祝福される考えではない」「清いことでも潔いことでもない」「愛の原則に反している」と分っているのに、いろいろと理由をつけて正当化してしまうのです。 例えば・・・
危険な言いわけ人生 いいわけは人生は危険です。“なぜか火山の噴火口の下に家を建てたり”、“ナイヤガラの滝壷の20m川上でボート遊びをしたり”、“ガソリン・タンクの中を、マッチをつけ点検するようなもの”だからです。 聖書は言います。 「思い違いをしてはいけません。神は悔られるような方ではありません。人は種を蒔けばその刈り取りもすることになります。 自分の肉のために蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、御霊のために蒔く者は、御霊から永遠のいのちを刈り取るのです。(ガラテヤ書 6章7〜8節)」 「罪から来る報酬は死(ローマ 6章23節)」なのです。 誰でもやっているから 誰でもやっているからという言いわけは、もっとも危険なわなです。 イエス・キリストの有名なことです。 滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そしてそこから入っていく者が多いのです。(マタイ 7章13節)」 パウロも言いました。 「この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何かすなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。(ローマ 12章2節)」 神は人間の祝福のために、私たちの心の底に、不変不動の、聖の原則、義の原則、愛の原則を刻み込んでいて下さるのです。私たちはそれを他人に押し付け他人をさばき、自分では無視するようなことをしてはなりません。 言いわけを止める むしろきっぱりと言いわけを止めて罪を認め、罪を悔い改めて、神がイエス・キリストの十字架の血潮に於いて、罪をゆるし、心も人生も新しくして下さる恵の中に飛び込んで、祝福された新しい道を歩みだすべきです。 「罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちのイエス・キリストにある永遠の命です。(ローマ 6章23節)」 言いわけの多い偽りの人生を捨て、いいわけのない神の恵みに生きるまっすぐな道を歩みたいものです。 |
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まとはずれの人生から |
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| 証:寺谷 智子 |
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| 幼い時から、身近に教会へ行っている人が何人かいました。 彼らは美しく清らかに見えたので、密かに憧れを持っていました。しかし、その力強い感じやいつも穏やかで満足している様子など、自分とはかけ離れていて、一緒にいると自分の劣っている所が目立ち、プライドを傷つけられるという恐れもあり、彼らとはなるべく離れていることにしました。 ![]() 目を世の中に向けて行く時に、権力や楽しみに心が向き、次第に自分以外の人を愛せなくなりました。 そんな時に高校の授業で提出したノートに、クリスチャンの先生が、「感動がなくなったら、悲しまなければなりません。」と書いてくださり、それまでの生き方に、待った!が、かかったような気がしました。 しかし、受験という波に押し流され、そのまま突っ走りました。大学に入り、それまでの目的がなくなるなると、次は好きなロックのバンドをつくり、夜は仲間と共に音と酒に酔い、気ままな生活を楽しんでいました。 そんな時に教会に誘われ、話のタネにという思いと何かを求める思いとがあり、行ってみました。 そこでは罪の話がされていて、罪には「的はずれ」という意味があると言われた時に、それなら私は罪人だと認めることが出来、イエス・キリストを心に受け入れました。 後に聖書の中に「人の目にはまっすぐに見える道がある。その道の終わりは死の道である。」という箇所を見つけた時、今までの自分の歩いて来た道振り返って見るような気がしました。 又、「目で見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、人の心に思い浮かんだことのないもの。神を愛する者のために、神が備えて下さったものは、みなそうである。」 この希望に満ちた聖書の言葉を体験して、とても喜んでいます。 |