信仰何でもQ&A 質問No.003
「福音の光」2000年4月号掲載 
  質問聖書の中に、『主に委ねよ』という文が、良く出てきます。見ることも、触れることも、お話することも出来ない神様に、どうやって悩み、苦しみ、果ては人生まで委ねることが出来るのでしょうか?  

回答 4つの福音書が、イエス様のある1日に起こった事について、記しています。
この日の朝、イエス様は、いとこ、先駆者、そして友であったバプテスマのヨハネの死の知らせを聞かれます。(マタイ14章1〜13節)
悲しみと、ヘロデ王の言葉(ルカ9章9節)のために、イエス様は寂しい所へと、退かれます。この時、宣教に遣わされていた弟子たちが帰って来て、神が共にいてなされたことを、報告します。(マルコ6章30節)
この後すぐ、男性5000人+女性と子供たちが、彼らを追ってやって来ました。人々の出入りが多くて、食事をする時間がなかった程です。(マルコ6章31節) そしてこれらの群集への5つのパンと2匹の魚による養いはこの後に起こります。(ヨハネ6章1〜13節)
 4つの福音書が、この1日に起こったことを、そろって書いているのには、意味があると想います。それは、イエス様が、病気の痛み苦しみ、人の弱さ、人生の困難さ等を分かって下さるお方だ(イザヤ53章2節)というだけではなく、私達の周りの1日の間に起こり得る様々な事柄、死、悲しみ、計画の変更を余儀なくされること、また、押し迫ってきている人々の要求に応えなければならないというプレッシャー等などを、みんな知っておられるということです。
 ヘブル書4章15節では、イエス様は『すべての点で、私達と同じように、試みに会われたのです。』と、あります。イエス様自身が、私達の経験する全てにおいて、死までも、完全に、同じ経験をされた。と語っているのです。何故でしょうか? 私達の弱さを、苦しみを分かって下さるためです。聖書が語っている神様とは、『見ることも、触れることも、お話することも出来ない神様』ではなく、生きて働いておられて、私達のことを本当に良く分かって下さっている神様なのです。私達もしたことのないこと、髪の毛の数さえも数えて知っておられるお方なのです。(マタイ10章30節) そして、私達の必要なものを全て知っておられるお方なのです。(マタイ6章32節)
 重荷、悩み、そして、人生そのものまでも主に委ねるとは、このイエス様に信頼して、祈り、それらを知らせること(ピリピ4章6節) 思いや計画をお任せするという事(箴言16章3節)です。つまり重いリュックサックの荷物を、イエス様に担いで頂くことなのです。
神様は生きて働いておられますから、約束の御言葉のように、必ず、平安を与えて下さり、重荷を一緒に担いで下さるのです。(ピリピ4章7節・マタイ11章28節)
 どうか、このイエス様を信じ、深く知っていくようになって頂きたいと思います。
 
 

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