信仰何でもQ&A 質問No.004
「福音の光」2000年5月号掲載
  質問クリスチャンの友達が、教会のことでつまづいています。教会へ行ったら、人は、本当に変わるのでしょうか?  

回答 「教会へ行ったら、人は本当に変わるのかどうか?」という質問は、実は根本的な事を問いかけているのです。
つまり、あなたは「教会に行っている人達がクリスチャンであるならばこうだ、こうするはずだ」という考え、期待があって、あなたのその期待に反した姿をその友達のつまづきを通して見ることになってしまった、という事態が想定されるからです。
それで、「教会って一体なんだろう、教会に行ったら、人は本当に変わるのだろうか」という疑問がわいて来たのではないでしょうか。もしかしたら、教会内の人間関係というものが躓きの原因となったかもしれませんね。とにかく、クリスチャンの友達の躓きは、あなたに素朴な疑問を抱かせた訳ですね。
 確かに聖書は、クリスチャンの交わりを特徴づけるものは、愛し合うこと(ヨハネ13章35節)、赦し合うこと(エペソ4章32節)、互いの重荷を負い合うこと(ガラテヤ6章2節)、励まし合うこと(ヘブル10章24〜25節)、等としています。
教会とは本来このような所であるべきなのですが、実際は金持ちとか貧しさとかという見かけで判断したり(ヤコブ2章1〜4節)、言動によって人を傷つけたり(エペソ4章29節)、自分中心、虚栄に走ったり(ピリピ2章3節)、分裂分派、果ては、ノンクリスチャンでさえ、しない事までしてしまったりする事があるのです(第1コリント5章1節)。
 このような例は、クリスチャンになったからと言ってすぐに聖い人になるとか、行いが正しくなるという訳でないことを示しています。クリスチャンとは、イエス様の十字架の死が自分のためであった事を、信じ受け入れ、イエス様と一緒に生きている人のことを言うのです(ガラテヤ2章20節)。
 新約聖書の半分近くを書いたパウロという人も、自分は完全にされているのではなく、キリスト・イエスが私を捕らえて下さっているのだと書いています(ピリピ3章12節)。
つまりクリスチャンとは、救われた罪人であり、教会とは、その人達が集まっているところなのです。
 しかし、イエス様を信じていることは、信じているものを変えないではいません。新しい人に造りかえるのです(第コリント第2.5章17節)。クリスチャンになった人は、霊的に成長する必要があります。教会はその成長を助けるために、霊的食物を供給する所でもあるのです。
個人個人の成長の仕方にも、違いがあります。そのような同士の交わりの中で、躓きを与えたり、与えられたりするのです。
長く教会に来ていても、知識をつんでいても、まだ、赤ちゃんのような人もいるのです。
人に躓いた時、聖書はまず、赦すことを勧めています(コロサイ3章13節)。あなたの友達に、もう1度教会に戻る様に勧めてみて下さい。教会の交わりの素晴らしさを教えられる事と思います。
 
 

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