信仰何でもQ&A 質問No.005
「福音の光」2000年6月号掲載
最初は、神の存在を信じていましたが、今はこじ付けのように思えます。どうしてイエス様でなければならないのでしょうか!?
イエス・キリストを自分の罪の救い主とはっきりと信じ、受入れられたかどうかは、質問からは分かりませんが、少なくとも神様の存在を信じておられたようですね。
しかし、今そのような信仰さえも疑わしく思えるという事でしょうか。また多くの宗教の在る中で「何故、イエス様、キリスト教でなければならないのか」という疑問が出てきたように感じられます。
私達が神様を信じて、従って生きて行こうとする時、この世が私たちを憎み、迫害をする可能性がある事を、イエス様は話されました(ヨハネ15章18〜23節)。何故なら、この世は神様を無視し、神様など要らないと言って生きているからです。そして、神様を信じ生きる人に対してその信仰がなくなる様に働きかけてくるのです。
学校、大学等で自分より賢く経験を積んでいる先生、教授等によって無神論的考え方が尊重され、教えられています。
職場でも神様を中心とした生活を送ろうとすると、すぐに反発や問題が起こって来ます。そのような中で信仰に対して疑問がわいてきたのかも知れません。
「こじ付けなのかもしれない」という表現の中に「科学的ではない」という意味が込められている様にも受けとめられます。
聖書と科学は相反する対立関係にあるのではなく、聖書は科学を証明するために存在している事を覚えていて欲しいと思います。
聖書の創世記第一章は、天地創造を記していますが、今から3500年余り前に書かれたその順序が、科学によって真実であると、近年になって証明される事となっています。進化論もただの一説に過ぎないと見なされる時代がやがて来ると思います。聖書は、人の心の頑なさが神を、そして、神の存在を認めなくさせているとあります(ローマ1章19〜32章)。
私達は、神様を知る事が出来るのです。どうやってでしょうか?
イエス様を通してです。イエス様こそ神様と、はっきりと示して下さったお方なのです(ヨハネ1章18節)。
「どうしてイエス様でないといけないのか」という質問の答えはここにあるのです。他の宗教は、人間から始まっていますが、キリストは神が人となられたお方です。イエス様は、ご自分を神であると宣言されています(ヨハネ10章30節、14章9節等)。
イエス様のみが、私たちの罪の身代わりとなって死んで下さったお方です。イエス様の死からの復活は、イエス様が神であることの証明であり、信じる者がイエス様が再びこの地上に来られる時に、復活することを保証するものなのです(第コリント第1.15章20節)。
イエス様の救いは、この様に過去、現在、そして未来まで全てに及んでいるのです。あなたも、神様が生きておられる事を体験して下さい。
Copy right (C) 1999 Kinpouden. All Rights Reserved..