信仰何でもQ&A 質問No.006
「福音の光」2000年7月号掲載
  質問子供のためを思って神様に祈って来ましたが、勉強で責め、子供に嫌がられ、落ち込んでしまうのです。
どうすれば良いのでしょうか。
 

回答 子供たちが学校から帰宅して母親が先ず聞く事に、「宿題は?」という質問があります。
何を物語っているかというと、母親の関心が何処にあるか、を示しているのです。本来ならば、母親の関心は、“子供がどういう一日を学校で過ごしたのか”とか、“どうゆう気持ちでいるのか”ということであるはずなのに、ただ、勉強というものに集中しているのです。
 何がこのような質問をさせるようにしているのでしょうか。
子供たちが置かれている教育事情を良く反映していると共に、母親が任されている責任についても認識させる言葉でもあります。一見、全然問題のないような言葉に聞こえますが、子供にとって一体、何が大切なのかを把握し切れていないところから来ている言葉ではないかと思われます。
 世の中は、幸せ=良い教育、お金に不自由しないこと等、としています。また、知識、学歴のみを重んじ、能力によって人間の価値を決めようとしています。クリスチャンの家庭までこのような考え方に左右され過ぎているのではないでしょうか。
それと共に、子供の将来への期待が時として、親が子供を勉強へと駆り立てることともなります。世の中の競争に負けないようにと、必死に子供に学問を詰め込んでいくのです。
子供の教育は、特に母親に任されていますから、余計に必死に詰めこもうとします。
 しかし、子供のためという名目が、実は自分の見栄のためにやっていることが良くあります。神様に喜ばれるために一生懸命努力して来られたとのことですが、その努力の方向が間違った方を向いているのではないでしょうか?
人間には、物質的、精神的必要がありますが、霊的な必要もあるのです。親として神様が一人一人の子供を愛しておられること、そして救われることを願っておられることを知らせる必要があるのではないでしょうか(マタイ19章14節他)。
 聖書の箴言22章6節では、子供に聖書を教えることは、その子の人生の基準となることを語っています。クリスチャンの親として神様から与えられていることの第一の義務は、子供たちに神様を伝えることです(申命記6章4〜7節)。クリスチャンの親として、幸せに対する固定観念の変換が必要です。あなたは、何が子供にとって一番必要だとお考えになっていますか。
 信仰とイエス様の愛の素晴らしさを親の生活全部を通して示して下さい。子供を神様にとって大切な存在であるとの観点から見守り、必要を満たし、慰めと励ましを恒に与えられるようになって下さい。
 
 

ホームへ信仰何でも質問コーナー表紙へ戻る


Copy right (C) 1999 Kinpouden. All Rights Reserved..