信仰何でもQ&A 質問No.018
「福音の光」2001年7月号掲載
仕事をクビになり、外出も出来ない状態です。
もう死んでしまいたいと思うのです。
どうすればいいのでしょうか。
バブル崩壊以後、日本社会はすさまじいリストラの荒波にもまれ続けて、いつこの状態がおさまるのかだれにも未だに先が見えない状況です。
そしてリストラによる解雇がいつ自分の身に及ぶか不安にかられながら働いている人々が大勢いることもマス・コミなどで報じ続けられています。
実は今回の回答を担当している私も質問者と似たような状況に置かれております。私は一昨年前より、これまで経験したことのない開拓伝道を始める事になりました。
50代も半ばに一から始めるということは容易な事ではないと覚悟したことであり、その現実の戦いは今も最中にあります。
そういうわけで質問者のお気持の少しでも理解できる立場にある者として、参考にして項ければ幸いです。
旧約聖書申命記8章5節に、「あなたはまた人がその子を訓練するように、あなたの神、主もあなたを訓練されることを心にとめなければならない」とあるように、信仰者は主の試みの中に置かれるということを常に覚えておかねばならないようです。
聖書に信仰者として描かれているどの人物も、失敗や苦難、孤独や裏切りに会うといった、苦渋の経験を人生の途上一度ならずとも味わっております。
もちろんこうした経験は別に信仰者でなくても多かれ少なかれ経験することですが、信仰者との違いは、これらの試みの体験を信仰的に受け止めるかどうかによるのです。
未信者がこの試練としての体験を信仰的にとらえる時、後にその試みは神の導きとして“あかし”されていくのです。
また信仰者にとってその試みは神の導きを一層強く覚える体験となるのです。
例えば旧約聖書のヨセフ物語では、ヨセフは兄弟に裏切られ、エジプトに売られて行き、侍従長ポティフアルの妻に濡れ衣を着せられて獄屋に入れられるという波乱万丈の生き方をします。
しかし後にエジプトの宰相となり、裏切った兄弟たちを飢饉の中から助け迎え入れます。
この時のヨセフの言葉は「わたしはあなたがたの弟ヨセフです。あなたがたがエジプトに売った者です。しかし、わたしをここに売ったのを嘆くことも、悔やむこともいりません。神は命を救うために、あなたがたよりさきにわたしをつかわされたのです。」
試練を最後まで袖に委ねて乗り切ったヨセフの勝利宣言でした。
すべての訓練は、当座は、喜ばしいものとは思われず、
むしろ悲しいものと思われる。
しかし、後になれば、それによって鍛えられる者に、
平安な義の実を結ばせるようになる
聖書 ヘブル人への手紙 12章11節
聖書が試練の中にある者に与えている希望の力ある言葉です。
昔も今も生ける神様は試練の中にある者に目を注いで下さっていることを覚えて、今ある困難を乗り切ろうではありませんか。
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