信仰何でもQ&A 質問No.019
「福音の光」2001年8月号掲載 
  質問
拒食症が治らないのです。どうしたら良いでしょうか?
 

回答 この質問に関しては、「ぜひ良い病院を見つけて出来るだけ早いうちに診てもらって下さい。」また、すでに病院で診てもらっている方には「治療計画を再度聴き、必要とあらばさらに良い病院を紹介してもらってください。」ということを、先ずお勧めさせていただきたいと思います。
なぜなら、この紙面の性格上、医療面に関して安易なことをお答えできないからです。
さらに摂食障害の中でも拒食症は命の危険性に至る可能性を持っているからです。
(活発に動いていても危険なのが拒食症です。)
 以上のことを前提とした上で理解を深めていただくために幾つかのことをお伝えしたいと思います。
 拒食症は外面的に「食べられない」という現象と共に内面的な要素が大きく関わっています。一言で言えば認知の歪み、つまり考え方、感じ方、物事のとらえ方が偏っているということです。
「食べることに恐怖感を持つ。」「何が怖いかと言えば太ること。」」「太ったら人が自分のことをどう見るかが怖い。(蔑む、馬鹿にする等)」。だから食べない。このようなパターンが続きます。
しかし、ここで当人が考えている理想の自分(スリムな自分?)とはどのようなものなのでしょうか?
理想の自分でなければ本当に人は受け入れてくれないのでしょうか?
しかし商業主義に満ちた宣伝や「自分は自分」といった自立した発想に立てない未成熟さが症状に拍車をかけます。完全主義、欝的症状、低い自己認識、周りの偏見や過度な要求、依存し合う親子関係等が、状況をさらに悪化させています。またそれらのものが原因と考えることも出来ます。

 さて症状に対する治療とケアーは当然必要ですが、それと共に内面的部分でのケアーも必要とされます。
幾つかの提案としては...

1.安全な交わりの場の確保
そんな病気になるのは不信仰だ。クリスチャンは心の病になるはずはない。もしなったとしても祈りと信仰で回復するはず…。
このようなことばは、発言している者の心を満足させるだけで悩んでいる人には何の助けにもなりません。実際に持っている感情を正直に出して分かち合うことの出来る安全な場が必要です。
また孤立してゆくと症状が悪化することはあれ、良くなることは少ないのです。

2.健全な自己認識を持つ
これは一言で言うなら「創造主なる神が私を見ていて下さるように自分自身を見てゆく」ということです。
理想の自分、理想の信仰者像など、理想の姿は決して悪いものではないけれども、創造主なる神が見ておられる姿というよりも、周りの声やイメージ、願望によって作られ、しかも到達不可能な要求であることが多いのです。
もしも理想に到達することが目標となると、一体誰を満足させようとしていることになるでしょうか?
主の恵みによって罪赦され救い出された私たちの生涯は、主が私を見ていて下さるように、自分を見て行けるようになっていくプロセスではないでしょうか。
それがキリストを深く知ることであり、そのようなことの出来る場として主イエスは教会と聖霊を地上に置いて行かれたのではないでしょうか?

病気の辛さはどんなに大変なことかと思います。しかしこの試練の時期、今まで味わうことのなかった主イエス・キリストの豊かな慰めと御愛を味わう時ともされますよう 、お祈りいたします。
 
 

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