信仰何でもQ&A 質問No.022
「福音の光」2001年11月号掲載
  質問祈りが答えられないのは、自分の信仰が足りないからでしょうか?  

回答  聖書の中で、息子が死にかかっていた王室の役人が、イエスのもとに来て、息子を癒して下さいと願った時、「あなたの息子は直っている」とイエス様から告げられました。彼はそのことばを信じて帰ってみると息子は直っていたのです。
イエス様は「何でもほしいものを求めなさい。それがかなえられます。」 (ヨハネ15章7節) と約束されました。
そしてイエス様を信じている人は「絶えず祈りなさい」(第1テサロニケ5章7節)と励まされているのです。
 しかし払たちには祈ったのに答えられないことが現実にあります。
祈りが真剣であれば失望も大きく、神への疑いが出てきます。
サタンは「神はいないよ」と心にささやき、私たちを神から引き離そうと働きます。
しかしサタンの声を退け、自分の信仰のどこに問題があるのかと、問われたのは幸いです。
祈りが答えられなかった経験は信仰の成長の機会となるからです。
 祈りが聞かれない理由は第一に「祈る人の態度」にあります。
自分の楽しみを満すためならば、神はその祈りを拒まれます。(ヤコプ4章3節)
また二心があってはなりません。祈りは神を第一とする信仰が前提です。海の波のようにあれこれと揺れ動く一貫性のない祈りに神はお答えになれません。(ヤコプ1章6節)
 祈りに答えられない第二の理由は「神のみこころ」にあります。
祈りの答えには神の時があることです。祈りとは逆のことが担っても、落胆しないで神の時を待つ必要があるのです。
また神は人の弱さの中にご自分の力を示されることもあります。
パウロは「肉体のとげを取り除いてください」と祈りましたが聞かれませんでした。神は、不都合を残すことによって、栄光を現わそうとされたのです。
イエス様は十字架の道を前に「わたしの願いでなく、神のみこころをなさってください。」と祈られました。
 米国のニクソン大統領はウォーターゲート事件で辞仕しましたが、もう一歩で信仰告白というところまで来ました。
彼は少年の時代、敬虔な祖母から教えられた祈りを思い起しました。 「リチヤード、祈りの目的はね、神様の声を開くことであって、神様に語りかけることではないことをよく覚えておくのだよ。」
そして朝食祈祷会で語りました。
「神に語りかけようとする傲慢でなく、神が望んでおられることを知りましょう。そうすれば正しいことを行うことができます。」
 神のみこころを知り、それに従おうとする人の祈りに、神は答えてくださるのではないでしょうか。
(聖書 第1ヨハネ5章14節)より
 
 

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