信仰何でもQ&A 質問No.024
「福音の光」2002年1月号掲載
  質問
人の性格は変えられるのてしょうか?
 

回答  お正月には良く、年頭の決意というものをします。
自分でしようと決意した事でも、実行して行くのは、そう簡単ではありません。
自分の性格を変えるというのはどれほど難しい事か。
性格とは、その人の感情や意思の動きに表れる特有の傾向という意味ですが、それが変わるためには、その人に生まれつき備わっている気質、たち、性分、つまり性質か変わらなけれはならないのてしょうか。
 聖書の中で、ニコデモという老人が、イエス様の所に来たという話があります。彼は「人間の罪という性質は、自分の力によって変えられるものなのか」という疑問を解いてもらうために、イエス様の所に来たのでした。
何とか自分を変えたいが、正直な所、それは自分には出来ない事だと思っていたのです。彼は人の目には、品行方正な立派な立場にある人でしたが、心の中では、それで神様の前に正しい人間であるとは、どうして思えなかったのです。
 聖書の言葉は、「人の心は何よりも陰険で、それは直らない」
人のどんなに正しい行いでも 神様の前には、不潔な着物のようだ、と根本的な所で人は変わらない罪を持っている事を示しています。
 アウシュビッツのユダヤ大虐殺の主犯者の一人の正体を確認するために、あるユダヤ人が行きました。彼はあの冷血残酷に見えた指揮官が、余りにも凡人化している事に驚愕しました。
そして、彼は人の罪深さに気が付かされたのてす。立場が違っていれば、自分も同じ過ちを犯したかもしれないと。
 私達の日常の中にも、毒々しい言葉、ののしり、欺く口があり、ねたみや争いのために奔走する足があり、他人の事を顧みるよりも、自己の関心事を生活の中心におく目があります。
神様に対する畏れが無いのです。
「罪から来る報酬は死です」とは、聖書の言葉です。
 パウロという人は、この自分の罪性に気づかされた時「誰がこの死の体から私を抜い出してくれるのでしょうか」と叫びました。
 イエス様は、人は新しく生まれなければならないと言われました。つまり、十字架の上で、罪の問題を私達人間一人一人の身代わりとなって死ぬ、ということによって根本的に解決されたイエス様を、自分のためであったと信じ、受け入れる事によってなのです。
 罪の問題か解決された時、「その人は全く新しく造られた者となる」と聖書は約束しています。
あなたも、この神様が備えて下さったイエス様を信じ受け入れることによって、新しい創造を自分のものとして下さい。
 
 

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