信仰何でもQ&A 質問No.028
「福音の光」2002年5月号掲載
叔父の葬式で「クリスチヤンだから」と言ったところ、家族から日曜礼拝やテボーションを禁じられてしまいました。どのように対処していけはよいのでしょうか。
家族、親族の葬式は、クリスチヤンに信仰上の大さな問題を投げかけます。日本では、葬儀は結婚式と同様に、家の宗教の問題として取り扱われているからです。個人の意思や信仰が無視されがちなのてす。
質問の文面だけでは、判断しがたいのですが、葬式の時にクリスチャンだと言っただけで、家族から、礼拝出席やテボーションを禁止されるとは、よほどキリスト教に対する反対感情があるのではないかと思われます。
人々は、特に最近、宗教そのものに対して懐疑的になっていることも事実ですが、キリスト教に対する誤解や偏見というものが、ご家族の方々にあるののかも知れませんね。
また、家の宗教とは違った宗教を信じているというので、呪いや祟りがあるなどという迷信に捕らわれているのかもしれません。
もしそうだとすれば、先ずあなたがすぺきことは、その様なキリスト教に対する誤解を解くことだと思います。
家の宗教に従わないことは、家族を大切にしない事とは別問題であること、また、亡くなった叔父さんを仏として拝むことが出来ない事と、叔父さんを尊敬していた事とは両立することであること等、を言葉と態度で表すことです。
また、イエス・キリストを信じていることは、家や家族に災いをもたらすものではなく、幸いと救いをもたらすものてす。(使徒16章 31節)
天地万物を造られた本当の神様に、執り成しの祈りをする者が起こされ、家族一人一人のために祈るわけなのですから、家族の中に良き変化か現れないはずがありません。
ただこれは言葉で説明しても分かってもらえるものではなく、私達の隠れた所で執り成す祈りを通して自然に家族の一人一人にも感じられていくように神様がして下さるのてす。
私達のクリスチヤンとしての家族、親族の一人一人に対する常日ごろの態度、執拗な執り成しの祈り、裏表のない真実の証しを継続していく時に、やがて家族の方々にイエス・キリストの素晴らしさが理解されていく様になるのだと思います。
ただ、どんなに真実を尽くしても理解されるまでには、時間がかかります。
異教方式での葬式についてですが、イエス・キリストのみが、あなたや私のために十字架で罪のために身代わりの死を遂げて下さり、復活し新しい命を与えて下さったお方なので、このお方以外を礼拝することは出来ないのです。
遺体に向かって合掌や焼香等の偶像礼拝にあたる行為には、断固たる態度を取るべきでしょう。
旧約聖書のダニエルと三人の友達の偶像崇拝と祈りに対する毅然とした態度こそ、私達が見ならうべき姿勢であると言えるでしょう。(ダニエル3、6章)
しかし自分の行為の説明を予めしておくことは、誤解と反発を避ける事にもなり、遺族の方々とのつながりの継続ともなるので、大切な点です。
私達は消極的、否定的に葬式を捕らえるのではなく、良き証しの機会と変えられる様に神様に祈り、勇気を持って臨んでいくべきでしょう。
Copy right (C) 1999 Kinpouden. All Rights Reserved..