この質問は昔からあります。戦争そのものが人類の歴史の中で必ず附随していることを、歴史の中に示しています。
さて戦争とは何でしょう。戦争とは、一般に人種、部族、民族、国家あるいは政治団体など各種の集団間相互において、行われる武力による闘争を言います。
1.どうして戦争は起こるのか。
戦争の原因はいろいろあると思います。領土の拡大を求めて、国境線の拡張を目ざす戦争、そこには侵略と略奪が常に伴っており、また異なる人種間の争いもありますし、宗教的問題の対立もあります。
しかし、どんな戦争も、経済的な要因があったことは見逃せないと思います。特定の軍需産業の、武器販売による金もうけも隠れていました。
2.聖書と戦争
聖書全体から見ると、戦争は積極的に肯定されてはいません。
しかし、戦争は人間が神から離れた罪の結果であり、人が欲望のままに生きることに始まります。
人は神によって創造されました。最初の人間アダムが罪を犯してから、人類に罪が入りました。そして早速アダムの家族に殺人が起こりました。以後連綿として人類は奴隷となって来ました。それはパウロが言うように、人類の手は血に染まっているのです。
平和を知らず、いつも争いが絶えなくなったのです。
旧約の十滅においては「殺してはならない」とあり、戦争が常に相手を殺すことであることを思えば、確かに戦争は、殺人との関連で考えられるべきです。
しかしまた、その同じ旧約律法が、そのすぐ後のところで死刑を命じているのです。
旧約聖書には、戦争の記事が多くあります。イスラエルの民の戦争は、神の命令によって、行われた戦争であったと考えられています。
しかし、だからといって聖書がどんな戦争でも肯定しているわけてはありません。旧約には戦争の記事が多くありますが、歴史の記録として事実を記しているのです。戦争の正当性の擁護のためではないのです。
新約の山上の説教に見られるように、無抵抗の絶対平和主義を主張しているようでもあるし、クリスチャンは平和に生きるように勧められています。
確かに私たち人間は、戦争と何らかかわりを持たずに生きられないのです。
3.クリスチャンの戦争への態度
初代教会は、戦争に対しては否定的で平和主義であったと言えます。
また、クリスチャンは社会では少数派であって、迫害を受ける中で、困難ではあったが兵役につくことを拒否したのです。
アウグスティヌスは、地上に完全な平和を期することはできないと考え、キリスト者個人としては、地上の戦争に巻き込まれることは避けられないとし、正義と平和を目指す戦争を、必要に迫られてのものならという条件付きで認めました。
私たちが戦争の問題に関して考える時、この罪の世に対し、
全くの武力の行使なしに正義を保持することができるかどうかを考えておかなければならないと思います。 |