デボーションの助け
 ディボーションとは、聖書を通して神様の御言葉に耳を傾け、
祈りを通して神さまとの交わりをもつことです。
 
聖書を読むための助けです。
まず、神さまに「心に語りかけてください」と、お祈りしてください。
聖書をお読みください。
そして、この「デボーションの助け」を読んでください。

2004年5月のデボーション
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2004年5月1日(土) 聖書の箇所:歴代志上8章1〜40節/ 年間通読:士師記9〜11章
「ウラムの子らは大勇士で、よく弓を射る者であった。彼は多くの子と孫をもち、百五十人もあった。」(40節)
 ベニヤミン族の系図であるが、後半はサウル王の系図である。普通の歴史で考えれば、サウル王家は、ダビデ王朝に変わったときに滅ぼされていたはずである。
しかしむしろ力も数も祝されている。これはサウルの子ヨナタン(22節)による。ヨナタンはダビデを愛し、苦難の時に「神によって彼を力づけた」(サムエル記上23:16)。
また神様から離れている父に、真実に仕えることも大変なことであったろう。主は今も全てを委ねて主に仕える者を求めておられる。
“私を救って下さった神様。あなたにお仕えしたいです。私の全てを献げます。アーメン”
 

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2004年5月2日(主日) 聖書の箇所:歴代志上9章1〜44節/ 年間通読:士師記12〜14章
 「その領地の町々に最初に住んだものはイスラエルびと、祭司、レビびとおよび宮に仕えるしもべたちであった。」(2節)
 ここに神の宮に仕えた人々の系図が記されている。この宮での奉仕には、祭司やレビ人はもちろんであるが、他にも多くの人々が役割をになっていた。
私たちの教会も多くの人々の奉仕によって、なっている。私たちは自分の賜物を知り、それを用いて主に仕えているだろうか。
またその奉仕の中心は礼拝であり、主をほめたたえ、自分を献げることである。
宮の奉仕者はエルサレムに住んで奉仕に備えていた。私たちも主日の前に心を備えよう。
”神様。心整えられて主を礼拝し、賜物をもって奉仕できますように。アーメン”
 

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2004年5月3日(月) 聖書の箇所:歴代上10章1〜14節/ 年間通読:士師15〜18章
「それで主は彼を殺し,その国を移してエッサイの子ダビデに与えられた。」(14節)
 サウロの滅びが記されている。“主にむかって犯した罪のために死んだ”(13節)とあるが、
それは第一に主の言葉を守らなかったという罪であり、第二に口寄せに問うこと(13節)をしたということである。
私達も御言葉を守って,主に従うことが大切である。
また、口寄せに問うということであるが、これは悪霊に聞くことである。
これは神の御言葉に従わないことから来る結果といえる。
“主よ、あなたの御言葉に素直に,従順に,喜んで従うものとさせて下さい。アーメン”
 

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2004年5月4日(火) 聖書の箇所:歴代上11章1〜47節 / 年間通読:士師19:〜21章
「彼らはイスラエルのすべての人とともにダビデに力をそえて国を得させ、主がイスラエルについて言われた言葉にしたがって,彼を王とした人々である。」(10節)
 ダビデはイスラエルの国を良く統治し、周りの民族を征服し、民からも愛された素晴らしい王であった。
その秘訣は勿論、ダビデが主を愛し、主の御言葉に従ったからであった。それと共に、主の言葉に従って彼を王としたとあるように、主にあって、ダビデを命をかけて助け、支える多くの勇者が与えてられていたからでもあった。
”主よ、あなたに従うものと共にあなたの教会に仕えさせて下さい。アーメン”
 

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2004年5月5日(水) 聖書の箇所:歴代上12章1〜40節/ 年間通読:第1コリント1〜4章
「ダビデを助ける者が日に日に加わって、ついに大軍となり、神の軍勢のようになった」。(22節)
 多くの大勇士がダビデのもとに日に日に来て仕えた。それが神の軍勢のようになったというのである。
更に、“主はきょう、イスラエルの王国を裂き、もっと良いあなたの隣人に与えられた”(上サムエル15:28)というサムエルを通しての主の言葉の実現として、各部族から多くの武装した軍隊がダビデのもとに来たのである。
これはキリストを信じて、素晴らしい賜物が与えられた人々が教会に集うのを髣髴させる。
“主よ、このように多くの方々がキリストに、教会に集うようにして下さい。アーメン”
 

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2004年5月6日(木) 聖書の箇所:歴代上13章1〜14節/ 年間通読:第1コリント5〜8章
 「主はオベデ・エドムの家族とすべての持ち物を祝福された」。(14節)
  ここには、“主は彼に向かって怒りを発し、彼を撃たれたので、彼は死んだ”(10)という神の審きがあり、また、上記の御言葉のように神の祝福とがある。
神の箱はレビの子たちのうちのコハテの子たち(民数4:1)が垂幕でおおい、更にジュゴンの皮でおおい、その上に総青色の布をうちかけ、環にさおを入れて、運ぶことになっており(民数4:5,6)、触れると死ぬ(民数4:15、)とある。
自己流(歴代上15:13)では祝福どころか、審きを招くのである。 
“主よ、あなたの御言葉に従って、キリストに仕えさせて下さい。アーメン”
 

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2004年5月7日(金) 聖書の箇所:歴代上14章1〜17節/ 年間通読:第1コリント9〜12章
 「遠回りしてバルサムの木の前から彼らを襲いなさい。バルサムの木の上に行進の音が聞こえたならば、あなたは行って戦いなさい」。(14、15節)
  ダビデは主が自分を王とし、イスラエルのために国を盛んにされたことを悟り(2)、そして、戦いにおいても神に問い(10)勝利を得て行った。
更に、彼は、ペリシテびとが再び攻めて来た時、前に勝利を得たと同じようにしないで、“再び神に問うた”(13)のである。
バルサムの木とはその都度神に問うことの大切さと神による戦いの秘策を表すものと言える。 
“主よ、問題の度ごとにあなたに問い、あなたの秘策を教えて下さいアーメン”
 

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2004年5月8日(土) 聖書の箇所:歴代上15章1〜29節/ 年間通読:第1コリント13〜15章
「ダビデはダビデの町のうちに自分のために家を建て、また神の箱のために所を備え、これがために幕屋を張った」。(1節)
 神の箱は神の臨在を現し、新約のイエス・キリストを現すものである。ダビデは自分の家を建てただけでなく、神の箱のために所を備えたのであった。
これは私達に何を問いかけるのであろうか。自分の住むところも大切である。と同時に、神のため、キリストのために、場所を備えることはもっと大切なのである。
“主よ、あなたを真中にお迎えする場所を、私達の心のうちに、生活のうちに、教会のうちに備えさせて下さい。アーメン”
 

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2004年5月9日(主日) 聖書の箇所:歴代上16章1〜43節
年間通読:第1コリント16章、ルツ1〜3章
「そのみ名にふさわしい栄光を主に帰せよ。供え物を携えて主のみ前にきたれ。聖なる装いをして主を拝め」。(29節) 
 神の箱を迎えるにあたり、楽器が奏でられ、歌が歌われ、そのために指揮者が立てられ、専門にそれをする者もおこされたのである(15:22、16:5,6)。
ここには“ふさわしい栄光を主に帰せよ”とあるが、このような賛美がふさわしさの一つであり、そして、“感謝の供え物を携えて、また、聖なる装いをもって主を拝する”こともそうである。 
“主よ、あなたのみ名にふさわしい栄光をあなたに帰させて下さい。アーメン”
 

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2004年5月10日(月) 聖書の箇所:歴代上17章1〜27節
年間通読:ルツ4章、サムエル上1〜2章
 「わたしは彼を長くわたしの家に、わたしの王国にすえおく。彼の位はとこしえに堅く立つであろう。」(14節)
ダビデとその子孫に対する神様の祝福の約束である。もちろんこの中にはダビデの子孫になるイエス・キリストにおける究極の、揺るがない王国の確立とその位の永遠性を暗示する。
私達は日本国に住む日本人である前に、キリストの揺るがない王国に迎え入れられたキリスト人とされていることに感謝したい。
そこでは王としてのキリストが永遠に治め、公義をなし、平和と祝福、そして永遠のいのちを彼につく民たちにもたらすのだ。キリストが支配されているその国に留まり続けよう。
“あなたの支配の中に留まり、あなたからの豊かな恵みを享受する者としてください。アーメン”
 

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2004年5月11日(火) 聖書の箇所:歴代上18章1〜17節/ 年間通読:サムエル上3〜6章
「主はダビデにすべてその行く所で勝利を与えられた。」(6節)
 神の約束の如く、ダビデの快進撃はとどまるところを知らなかった。次々と近隣の列強国を打ち破り、支配下に置き、領土を拡大していった。ぺリシテ人、モアブ人、ツォバ、アラム、アラム、アンモン人、アマレク、エドムと、撃破し向かうところ敵なしだ。
我らの主、キリストもわれらにその行く所々で勝利を与えられるお方だ。“死”という最大の敵を滅ぼし、代わりに永遠の命をわれらに与え、実生活の中においてもさまざまな困難、難題に必ず解決と乗り切る道を開き、すべてが最善になるという、“勝利”を与えられる。
“主よ、あなたこそは私達を究極の勝利者としてくださいますから、感謝いたします。アーメン”
 

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2004年5月12日(水) 聖書の箇所:歴代上19章1〜19節
年間通読:サムエル上7〜10章
「勇ましくしてください。われわれの民のためと、われわれの神の町々のために、勇ましくしましょう。どうか、主が良いと思われることをされるように。」(13節)
 ダビデの使者たちに対するアンモン人の恥辱的な扱いに端を発したアンモン人・スリヤ人連合軍との戦いと、その完全なる勝利が記されている。戦いの勝利の背後には必ず周到な準備と、霊的な祈りによる準備がある。どのような戦いにも主に対する祈りを怠らなかったダビデとその勇士たちの姿勢が伺える(13)。
私達も日常の働き、歩みにおいてどのような些細なことにおいても祈り、大きな困難には、大いなる祈りを持って、それぞれの戦いに霊的な備えをまず第一としたい。
“主よ、祈りの備えをまずなすものとしてください。アーメン”
 

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2004年5月13日(木) 聖書の箇所:歴代上20章1〜8節
年間通読:サムエル上11〜13章
「これらはガテで巨人から生れた者であったが、ダビデの手とその家来たちの手に倒れた。」(8節)
 ダビデが倒したガテ人ゴリヤテの兄弟ラミが登場する。また6節にも巨人との戦いが記されている。これらの者は有名なゴリヤテと同じく強靭な肉体を持つ、巨大な兵士であったろう。しかしいずれもダビデ側の兵士に討ち取られている(5,7節)。
どのような巨人であろうが、豪傑な兵士であろうが、神の前には赤子同然であり、主は主を信ずる者に勝利を与えられるのだ。
私達の目の前にある難問、困難が大きな巨大闘士のように立ちはだかったとしても、神の手とその神を信ずる者たちの手によって、信仰によって敵は倒れていくのだ。
“主よ、あなたがわれらの前に出て、困難を打破してください。アーメン”
 

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2004年5月14日(金) 聖書の箇所:歴代上21章1〜30節
年間通読:サムエル上14〜15章
「わたしはこの事を行って大いに罪を犯しました。しかし今どうか、しもべの罪を除いてください。わたしは非常に愚かなことをいたしました。」(8節)
  人間的な“数の力”の誘惑にかられたダビデは兵卒の数を数えさせ、陳腐な“安心”を得ようとした。この神への背徳的行為が主の怒りを呼んだ(11〜12)。
この失敗に気づいたダビデは真実なる悔い改めをもって神の前にでた。オルナンの打ち場で祭壇を作り、神の前に身を低くするが、そこが神殿建設の場となっていくのはなんとも不思議だ。
真実な悔い改めを主は軽しめられない。そしてそこからも主の最善がなされるということも主にしか出来ない業であり恵みだ。
“失敗を益に代えてくださる主に感謝します。アーメン”
 

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2004年5月15日(土) 聖書の箇所:歴代上22章1〜19節
年間通読:サムエル上16〜17章
「金、銀、青銅、鉄もおびただしくある。たって行いなさい。どうか主があなたと共におられるように。」(16節)
  主によって神殿建設の任に当たることを許されなかったダビデはせめて資材を集め、後継者に激励をすることでその任の一端を担おうとした。
ダビデのソロモンへの励ましは神への徹底的な信仰の喚起を伴ったもので、実際的なアドバイスはこの霊的な激励の後である。
どんなに目に見えるものに豊かであっても、この世的な保障と安全に囲まれていても、主が伴い、守り、導き、祝福しなければ、この世的な準備や保障はちりにすぎない。
まずは主が伴ってくださることの最善を深くかみしめ得るわれ等でありたい。
“主が人生を共に歩んでくださるこの最上の祝福を感謝します。アーメン”
 

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2004年5月16日(主日) 聖書の箇所:歴代上23章1〜32節
年間通読:サムエル上19〜21章
「また朝ごとに立って主に感謝し、さんびし、夕にもまたそのようにし、・・・」(30節)
ダビデは晩年において神殿完成後の奉仕分担まで綿密に整えようとした。その中でレビ人にとっての大きな奉仕は朝ごと、夕ごとのいけにえの際の賛美であった。
それは決して片手間の奉仕ではなく、重要な使命であった。
信仰生活の中で感謝と賛美(主をほめたたえることはともすればないがしろにされやすい要素ではないか。主への感謝と主の栄光をほめたたえていくことが、私達の生涯に潤いと神の力を与えていく大切な要素であり、主が求められていること(第1テサロニケ5:17〜18)だという事実を再確認しよう。
“主よ、つぶやきやすい私を許し、いかなる時にも主への賛美と感謝を忘れない者にしてください。アーメン”
 

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2004年5月17日(月) 聖書の箇所:歴代志上24章1〜31節
年間通読:サムエル上22〜24章
「これは、彼らの先祖アロンによって設けられた定めにしたがい、主の家にはいって務をなす順序であって、イスラエルの神、主の彼に命じられたとおりである。」(19節)
 祭司であるアロンの子孫たち、また神の宮で奉仕するレビ人たちがくじによって分けられ、順序が決められていった。
主の救いに与った私たちは、自由に、伸び伸びと主に奉仕をする。また聖霊によって新しい発想が与えられる。だがその時には、神様からの順序、秩序を重んじることも大切である。
バラバラな思いではなく、心が一つになると、一人ではできない主のみ業を仰ぐことができる。 
“神よ。新しい命の喜びを、皆と心を一つにして分かち合う者として下さい。アーメン”
 

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2004年5月18日(火) 聖書の箇所:歴代志上25章1〜31節
年間通読:サムエル上25〜27章
「彼らおよび主に歌をうたうことのために訓練され、すべて熟練した兄弟たち」(7節)
 ヘマン、エドトン、アサフとその子たちは、主に歌をうたい、賛美するのが努めであった。彼らには音楽の特別な賜物が与えられていた。しかし神様に賛美を献げるために、日々「訓練」されて、「熟練」して、主に仕えていた。
私たちが主に奉仕するときにも、どうしたらよく奉仕できるか、どうしたら上達し、熟練するのかも大切なことである。そのために様々な訓練を受け、身につけ、時に新しいことにチャレンジしていくことも必要である。
最愛のキリストを下さった神様に、最高の奉仕を用意し仕えていこう。 
“主よ。感謝と賛美をもって最高のものを献げます。アーメン”
 

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2004年5月19日(水) 聖書の箇所:歴代志上26章1〜32節
年間通読:サムエル上28〜31章
「オベデ・エドムの子たちは、、、神が彼を祝福されたからである。」(4節)
 門衛として任じられた中にオベデ・エドムの一族がいる。彼らは、神の箱を守ったことで祝され、有能な人々、力ある人々であった。
主イエスも忠実に仕える者は、賜物が増し加えられて、祝されることを語られた。
私たちは、主の恵みの管理人である。私たちに与えられている救いの恵み、また奉仕の賜物を忠実に守っていきたい。
忠実とは、単に与えらた賜物を守ることではない。託した方の思いをくんで、その方が喜ばれるように用いていくことである。(マタイ25章)
“父よ。恵みと賜物に感謝します。ますます主に忠実な者として下さい。アーメン”
 

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2004年5月20日(木) 聖書の箇所:歴代志上27章1〜34節
年間通読:サムエル下1〜3章
「彼らは皆、王の財産のつかさであった。」(31節)
 この章には、月ごとの王に仕えた人々、12部族のつかさたち、王の財産を管理する者たち、大臣たちが記されている。それぞれが、定められた月に、あるいは、定められた場所で、それぞれの賜物を用いて、王に仕えている。
私たちの人生は、自分のために生きているようであるが、実は神様からの賜物を預かり管理しているのである。
神様は、私たちのすべてをご存じで最善の時に、それぞれの賜物に応じて用いられるのである。人と比べるのでなく、主の思いに目をとめよう。
“神様。主の備えられた時、主の備えの場所で、主に心からお仕えできますように。アーメン”
 

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2004年5月21日(金) 聖書の箇所:歴代志上28章1〜21節
年間通読:サムエル下4〜7章
 「あなたの父の神を知り、全き心をもって喜び勇んで彼に仕えなさい。」(9節)
  ダビデ王がその子ソロモンを諭した言葉である。ダビデは、本当に心探られた(9節)人であった。多くの艱難の中で自分のむなしさと主の慈しみを知り、失敗を通して自分の底なしの醜さと主の絶大な赦しを教えられた。だからこそ神に仕えることを諭した。
私たちもまず自分が心深く探られ、十字架の愛と赦し、復活の望みを味わいたい。
この神様は他と比べられない真実な方と心からの確信を持って仕えよう。そしてこの喜びと重要性を、子供達や友人にも分かち合っていく者とならせていただこう。
“主よ。もっとあなたを知って、仕え、伝える者として下さい。アーメン”
 

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2004年5月22日(土) 聖書の箇所:歴代志上29章1〜30節
年間通読:サムエル下8〜11章
「民はそのみずから進んでささげたのを喜んだ。」(17節)
  神の宮を建てるために、ダビデが多くの献げ物をし、また民も「自分の身をささげる者のように」(5節)心から喜んで献げた。しかしダビデが語っていることは、すべての栄光と力は神様のもの(11節)、どんなに喜んで献げたとしても、人ははかない存在であること(15節)、献げ物は元々神様から出た物であること(16節)である。
神様は、創造者、統治者として存在そのものが栄光である。私たちはさらに御子をも惜しまない愛を知って、神様をほめたたえる者、喜んで身も宝も献げる者でありたい。
“主よ。その栄光と力を覚え、喜んで自分も宝をお献げします。アーメン”
 

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2004年5月23日(主日) 聖書の箇所:歴代志下1章1〜17節
年間通読:サムエル下12〜13章
「あなたに何を与えようか、求めなさい。」(7節)
 神様が、夜ソロモンに現れて、尋ねた言葉である。ソロモンは、富や宝、名誉、敵の命、長命を求めず、王としてイスラエルを治める「知恵と知識」(10節)とを求めた。これは神様にとても喜ばれた。
今も主は、何を求めるのかと聞いておられる。
自分がほしいものは何か。この世の財産、名誉、快楽、長命を求めてはいないだろうか。
何が真実かわかりにくい時代、自分と世界の未来についてわからない私たち。
神の知恵を求めよう。主を求めよう。主は私たちを使者として、この世に神の国を示すために立てておられる。 
”神様。神の使者にふさわしい知恵を下さい。アーメン”
 

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2004年5月24日(月) 聖書の箇所歴代下2章1〜18節:/ 年間通読:サムエル下14〜16章
「われらの神はすべての神よりも大いなる神だからです」。(5節) 
   これはソロモンがツロの王ヒラムに語った言葉である。レバノンから織物、彫刻などに巧みな工人ひとりと香柏、いとすぎ、びゃくだんを送ってくれるように頼んでいる。それは神の家を建てるためであるとその目的を明確に告げ、また自分たちの神についても語ったのである。
それに対して、ヒラムは「天地を造られたイスラエルの神、主はほむべきかな」と応えている。
世界の神、大いなる神という信仰に基づいて、そのように証ししていく中で、それが受け入れられているのを知ることができる。 
“主よ、私たちもあなたについていつも語らせて下さい。アーメン”
 

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2004年5月25日(火) 聖書の箇所歴代下3章1〜17節:/ 年間通読:サムエル下17:〜19章
「ソロモンはエルサレムのモリアの山に主の宮を建てることを始めた」。(1節) 
 モリアの山はアブラハムがそのひとり子イサクを献げた所である。そこに神殿を建てるということは、神は一千年以上前に既に、決めていたと言って良い。はるか、はるか先の将来を見通しておられる神なのである。
私たちはこのように歴史を導かれる神を知る時、この神は私の歴史、即ち、私の人生をも導いて下さることを信じることができるのである。
”主よ、私たちの人生をあなたに明け渡し、ゆだねさせて下さい。アーメン”
 

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2004年5月26日(水) 聖書の箇所:歴代下4章1〜22節/ 年間通読:サムエル下20〜22章
「ソロモンはまた青銅の祭壇を造った」。(1節)
 祭壇は供え物を載せるものである。神に近づくには供え物が必要であった。
供え物とはヘブル語でコルバン(マルコ7:11)というが、これは近づく(カーラブ)と言う言葉から来たものである。供え物とは“神に近づかせるもの”ということなのである。
神を礼拝するために近づくのであるが、そのためには祭壇に供え物をしなければならなかったのである。
新約においては、祭壇は十字架(の贖い)であり、供え物はイエスさま御自身なのである。
“主よ、イエスさまによって、あなたに近づくことができますことを感謝します。アーメン”
 

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2004年5月27日(木) 聖書の箇所:歴代下5章1〜14節
年間通読:サムエル下23、24章 第2コリント1章
「雲はその宮すなわち主の宮に満ちた」。(13節)
  契約の箱が運び込まれて、至聖所のケルビムの下におかれ、ラッパを吹く者と歌うたう者とがひとりのように主を賛美した時に、雲が満ちたのであった。
雲は神の臨在を現すものである(レビ16:2、歴代下6:1)が、ここでは神の宮が神に受け入れられ、神が降られて、そこに住まれることを意味しているのである。神の宮はそこに神が臨在し、住まわれる所である。
この神殿は新約では、イエスのからだ(ヨハネ2:21)或いはイエス御自身を意味するのである。
“主よ、イエスさまにおいて、神に近づき、礼拝することができることを感謝致します。アーメン”
 

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2004年5月28日(金) 聖書の箇所:歴代下6章1〜42節/ 年間通読:第2コリント2〜5章
 「あなたは、あなたのすみかである天から聞き、すべて他国人があなたに呼び求めるようにしてください」。(6節)
  ソロモンの祈りであるが、寛大な大きな心が表れている祈りである。イスラエルの神は全世界の神、他国人の神でもあるといことである。エルサレムの神殿はまた他国人の神殿でもあるということである。
私たちの神は、未信者の人の神であり、わたくしたちの救い主は彼らの救い主であるということと同じである。
私たちはこの救いを独り占めしないでひとりでも多くの人に分け与えるべきなのであるのである。
“主よ、あなたを知らない人にこの福音を伝えさせて下さい。アーメン”
 

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2004年5月29日(土) 聖書の箇所:歴代下7章1〜22節/ 年間通読:第2コリント6〜9章
「今この所にささげられる祈にわたしの目を開き、耳を傾ける」(16節)
 神殿での祈りに対して、主が聞いて下さると言う神の約束である。神の御心の中において、キリストの御名によって祈り、悔い改め、感謝するなら、それは必ず聞かれるのである。
旧約時代以上にその祈りは、確実に聞かれるのである。正に、神は目を開き、耳を傾けて下さるのである。
この確信をもってイエス・キリストの御名により、御霊の導きにしたがって、祈ることが大切である。
“主よ、あなたがイエスの御名による祈りに確実に答えて下さることを感謝致します。アーメン”
 

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2004年5月30日(主日) 聖書の箇所:歴代下8章1〜18節
年間通読:第2コリント10〜13章
「ソロモンは廊の前に築いておいた主の祭壇の上で主に燔祭をささげた」。(12節)
 主の家と自分の家を建てること以外のソロモンの事業である。彼は町を建て直し、また町を攻め取り、また、外国との貿易をもした。このような忙しい中において、毎日の信仰生活を守って行ったのである。
それはモーセに従い(13)、ダビデに従って(14)なしたもので、決して、自己流のものではなかったのである。そして、レビ人と祭司を用い、その勤めをなさしめ、彼らは王に従ったのである。
“主よ、どのような忙しさの中でも、あなたを礼拝し、御言葉に教えられ、祈る者として下さい。
 アーメン”
 

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2004年5月31日(月) 聖書の箇所:歴代下9章1〜31節/ 年間通読:列王上1,2章
「あなたの神、主はほむべきかな。…あなたの神はイスラエルを愛して、とこしえにこれを堅くするために、あなたをその王とされ、公道と正義を行われるのです。」(8節)
  ソロモンのその無双なる賢明さと富にシェバの女王は圧倒され、驚嘆の声を上げた。その感動の故に、彼女はイスラエルの神の御名を称えずにはおれなかったのだ。
ソロモンと同じ神を信ずる私達、クリスチャンも生活のあらゆる部分において霊的かつ実際的な神の祝福が豊かに与えられるよう、真剣に祈るべきだ。
それは自己満足のためではなく、確かに私達の存在を通じて、神の存在と愛が世に向かって明らかにされていくための祝福である。
“あなたの愛、恵み、知恵に満たしてください。アーメン”
 

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