デボーションの助け
 ディボーションとは、聖書を通して神様の御言葉に耳を傾け、
祈りを通して神さまとの交わりをもつことです。
 
聖書を読むための助けです。
まず、神さまに「心に語りかけてください」と、お祈りしてください。
聖書をお読みください。
そして、この「デボーションの助け」を読んでください。

2004年7月のデボーション
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2004年7月1日(木) 聖書の箇所:エズラ記4章1〜24節/ 年間通読:歴代誌下11〜14章
「われわれだけで、イスラエルの神、主のために建てるのです。」(3節)
 クリスチャンの生き方には、この世の人々を愛し受け入れていく面と、信仰のゆえに人々と決して妥協できない面とがある。この神殿の再建もユダヤ人だけですべきことであった。しかしそこには必ず妨害も起こってくる。その地の民が妨害を始め、王の返書と「腕力と権力」(23)とをもって主の宮の工事を中止させた。大いに落胆させられるところである。
私たちも信仰を貫いていこうとするときに、悪魔も必死で働く。一時道が閉ざされる時もある。だがあきらめてはいけない。主のみ業は人の力で止めることはできない。
“神様。この世と妥協しないように助けて下さい。アーメン”
 

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2004年7月2日(金) 聖書の箇所:エズラ記5章1〜17節/ 年間通読:歴代誌下15〜18章
「そこでシャルテルの子ゼルバベルおよびヨザダクの子エシュアは立ちあがって」(2節)
  主の宮の工事は約18年間も中止されてしまった。しかし、主の言葉を受けた預言者ハガイとゼカリヤが預言した。そしてユダヤの指導者ゼルバベルとエシュアも立ちあがった。民も皆立ちあがった。
私たちが様々な妨げのためにあきらめていることはないだろうか、あるいは罪に負けて、神の言葉や信仰の歩みから離れていることはないだろうか。
それがどんなであったとしても、今も御子の血潮は注がれている。
どこまでも共に歩んで下さる主を見上げて、立ちあがろう。
“父よ。あなたを見上げずにいたことをおゆるし下さい。主を見上げ立ちあがります。アーメン”
 

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2004年7月3日(土) 聖書の箇所エズラ記6章1〜22節:/ 年間通読:歴代誌下19〜22章
「人々は、喜んで神のこの宮の奉献式を行った。」(16節)
 ついに神の宮は完成した。ボズナイ達の様々な妨げは、不思議にも、彼らの意に反して協力に変えられた。神様の力強いみ手がなければ、到底完成しない働きであった。この神様の前に、イスラエルの民は喜んで、奉献式を行い、また過越の祭りを喜んで祝った。
私たちの信仰の歩みも神様の力強いみ手なくしては完成することができない。しかし私たちには、まことの過越の子羊であるイエス・キリストが与えられているので、罪の赦しと同時に、救いの完成をあらかじめ知り、喜ぶ恵みが与えられている。
“主よ。み国の完成を待ち望みつつ、主を賛美します。アーメン”
 

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2004年7月4日(主日) 聖書の箇所:エズラ記7章1〜28節
年間通読:歴代誌下23〜25章
「あなたがたはまたこれを知らない者を教えよ。」(25節)
 律法学者であり祭司であるエズラがバビロンから上ってきた。不思議にも主がペルシャ王の好意を得させられたからであった。このペルシャ王の口を通して命じられていることの一つが律法を教えることであった。
私たちは、どれほど神の言葉である聖書を知っているだろうか。知らないのに知っていると思っている者も多い。またその言葉は、ただ知っていればいいものではなく、どのように実践するかが問われる言葉である。
主の御言葉を第一とし、実践する生活に変えていこう。知らなかった恵みが注がれる。
“神様。御言葉を第一として実を結ばせて下さい。アーメン”
 

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2004年7月5日(月) 聖書の箇所:エズラ8章1〜36節/ 年間通読:歴代下26〜29章
「そこでわたしは、かしこのアハワ川のほとりで断食を布告し、われわれの神の前で身をひくくし、われわれとわれわれの幼き者とわれわれのすべての貨財のために、正しい道を示されるように神に求めた」。(21節) 
  これからエルサレムに向かっていくのに先立って、準備のために、アハワ川のところで断食をして、神の助けを求めた。大人の男性が1,496人、レビ人258人で女性と子供を合わせて、五千人ぐらいの数であったと思われる。神の民として証しできるように真剣に祈ったのであった。
“主よ、私たちもへりくだりと断食とをもって神に求めさせて下さい。アーメン”
 

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2004年7月6日(火) 聖書の箇所:エズラ9章1〜15節/ 年間通読:歴代下30:〜32章
「ああ,イスラエルの神、主よ、あなたは正しくいらせられます。われわれはのがれて残ること今日のとおりです。われわれはとがをもってあなたの前にあります」。(15節)
 イスラエルの民は奴隷の身でありながら、ペルシャ王の目の前で神からいつくしみを与えられたにもかかわらず、雑婚をして神の戒めをまた破ってしまった。エズラは驚きあきれて、断食をもって、神の前に出て祈ったのであった。
エズラは神の正しさを確認し、自分は罪を犯さなかったが、民の罪をわが罪として、「われわれはとがをもってあなたの前にあります」と祈ったのである。
”主よ,私たちもこのような真のとりなしができるようにして下さい。アーメン”
 

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2004年7月7日(水) 聖書の箇所:エズラ10章1〜44節/ 年間通読:歴代下33〜36章
「エズラが神の宮の前に泣き伏して祈り,かつざんげしていた時,男、女および子供の大いなる群集がイスラエルのうちから彼のもとに集まってきた。民はいたく泣き悲しんだ」。(1節)
 イスラエルの男だけでなく、女も、また、子供までもがエズラの泣き伏す祈りに集まってきて、その祈りを共に我が祈りとし、「立ち上がって下さい。このことはあなたの仕事です。われわれはあなたを助けます。心を強くしてこれを行ないなさい」(4節)と励ましたのであった。
難問であったが、それを実行に移したのであった。 
“主よ、あなたの御言葉に従って、痛みが伴なう聖別に耐えさせて下さい。アーメン”
 

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2004年7月8日(木) 聖書の箇所:ネヘミヤ1章1〜11節/ 年間通読:エペソ1章〜4章
 「すわって泣き、数日のあいだ嘆き悲しみ、断食して天の神の前に祈って言った」(4、5節)  
 ネヘミヤがユダから来た者たちに、「エルサレムにいるユダヤ人は大いなる悩みとはずかしめの中にあり、城壁は崩され門は焼かれたままである」と聞いた時のネヘミヤの態度が上記の御言葉である。そして、彼は、とりなしの祈りをしたのであった。「われわれはあなたに対して大いに悪いことを行い」(7節)と、イスラエル人の罪を自分の罪として、とりなしているのである。そして、神の恵みと王のあわれみを祈っているのである。
“主よ、同胞の為に,このような祈りをお与え下さい。アーメン”
 

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2004年7月9日(金) 聖書の箇所:ネヘミヤ2章1〜19節
年間通読:エペソ5、6章、エズラ1、2章
 「わたしの神が良くわたしを助けられたので、王はわたしの願いを許された」。(8節b)
  ネヘミヤの祈りは聞かれて、王の許しを得、王から特別に軍の長と騎兵をつかわしてもらった。彼はまず反対派に気づかれないように、夜のうちに調査をし、仲間に語ったのである。そしていざ取り掛かろうとしたら、「何をするのか,王に反逆しようとするのか」と言って(19節)、邪魔が入ったが、「天の神がわれわれを恵まれるので、そのしもべであるわれわれは奮い立って築くのである」(20節)と言って、反対する人たちを退けたのであった。 
“主よ、御業を妨げる者を退けさせて下さい。アーメン”
 

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2004年7月10日(土) 聖書の箇所:ネヘミヤ3章1〜32節 / 年間通読:エズラ3〜6章
「馬の門から上の方は祭司たちが,おのおの自分の家と向かい合っている所を修理した」(28節。
 城壁の修理には大祭司、知事、金細工人や商人も、また、ここにあるように、祭司もそれを分担したのであった。
あらゆる階層の人や、あらゆる仕事及びあらゆる地位の人々が手分けし、修理箇所をそれぞれ決めて、これにあたったのである。
教会もあらゆる人が、その賜物を生かして、一体となり、一致して、分担して、教会を建て上げ、その破れを繕う事にあたるべきなのである。
“主よ、われわれの教会もこのようにして、破れが繕われ、また建て上げられるように。アーメン”
 

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2004年7月11日(主日) 聖書の箇所:ネヘミヤ4章1〜23節/ 年間通読:エズラ7〜9章
「そして、わたしも,わたしの兄弟たちも,わたしを護衛する人々も、われわれのうちひとりも、その衣を脱がず,おのおの手に武器を執っていた」。(23節)
  城壁の高さが半ばまで達した時、敵は相計り、激しく攻撃をしてきたのであった。彼らは、すきを狙って入り込んで、工事をするものを殺そうとし、また、敵の近くにいるユダヤ人は滅ぼされると恐れたのであった。そこで、半数は工事をし,半数は武装して守り,荷を運ぶものは片手で工事し,片手で武器を執ったのであった。
“主よ、御業の為に,わたくしたちも真剣な取り組みをさせて下さい。アーメン”
 

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2004年7月12日(月) 聖書の箇所:ネヘミヤ記5章 1〜19節
年間通読:エズラ10章、ピリピ1〜2章
「わたしは彼らの叫びと、これらの言葉を聞いて大いに怒った。」(6節)
  城壁修復の途中で大きな問題が表面化してきた。構造的な貧困である。ごく少数の裕福なユダヤ人らが貧しい同胞に農地を担保に金を貸し、支払不能の場合は土地を搾取し、彼らを農奴にするという無慈悲な行為により、貧困層のユダヤ人の生活は破綻していた。
苦しむユダヤ人らからの必死の訴えを聞いたネヘミヤはこの不義に対して怒る。ネヘミヤがこの経済的悪習慣にメスを入れることにより、状況が改善されていく。
主も私たちの苦しめられるのを良しとしない。愛する者を陥れるいかなるものに対して、義なる怒りを持ってその状況に介入し、主の救いを全うされる。
“正義の主の具体的な守りと救いを感謝します。アーメン”
 

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2004年7月13日(火) 聖書の箇所:ネヘミヤ記6章1〜19節
年間通読:ピリピ3〜4章、ネヘミヤ1〜2 章
「われわれの敵が皆これを聞いた時、われわれの周囲の異邦人はみな恐れ、大いに面目を失った。彼らはこの工事が、われわれの神の助けによって成就したことを悟ったからである。」(16節)
 城壁の再建には多大な労力が伴うものだったが、それと同時にさまざまな妨害、内面的な問題との戦いの連続でもあった。それでも主は城壁の再建を完成させてくださった。
私達も大小さまざまな問題に直面する。気力を失い、萎えてしまう時があるかもしれない。しかし、ネヘミヤのごとく、力強い祈りを持って、神にある確信に満たされ、直面する問題に当たっていきたい。
問題を越えて私達のビジョンと使命を全うしてくださるのは主である。
“負と思える状況を乗り越え、物事を全うしてくださる主に感謝!アーメン”
 

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2004年7月14日(水) 聖書の箇所:ネヘミヤ記7章1〜72節/ 年間通読:ネヘミヤ3〜5章
「バビロンの王ネブカデネザルが捕え移した捕囚のうち、ゆるされてエルサレムおよびユダに上り、おのおの自分の町に帰ったこの州の人々は次のとおりである。」(6節)
 門にとびらがつけられ、城壁が完成した。ユダヤ人のエルサレムへの移住政策のための系図を編纂する過程の中で、ネヘミヤはバビロンの捕囚から解かれたユダヤ人たちの系図を発見した。
私達はバビロンという国には捕縛されてはいない。しかし罪、罪から来る“壊れ”の中に閉じ込められていたものであったが、主の血潮が私達を解放し、真の自由人としてくださっている。
罪からの捕縛から解放された者の主にある名簿の中に確かに私たちの名も連ねられている。
“主の血潮による解放にハレルヤ!アーメン”
 

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2004年7月15日(木) 聖書の箇所:ネヘミヤ記8章1〜18節/ 年間通読:ネヘミヤ6〜8章
「捕囚から帰って来た会衆は皆仮庵を造って、仮庵に住んだ。ヌンの子ヨシュアの日からこの日まで、イスラエルの人々はこのように行ったことがなかった。それでその喜びは非常に大きかった。」(17節)
 エズラによる律法朗読、仮庵の祭りによって信仰共同体としてのイスラエルが再出発する。仮庵の祭りはエジプトからの脱出時に幕屋に寝泊りし、礼拝をささげていたことにちなんだ祭りである。
エジプトから主が民たちを救い出してくださったように捕囚からも救出してくださった、という大きな喜び、感動と感謝に包まれた格別な祭りであった。
礼拝ごと、祈りごとに歴史を通して救出してくださった主が、私達をも暗黒の罪の世から救出してくださったことを覚え、感謝しよう!
“主の救出の業に感謝!アーメン”
 

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2004年7月16日(金) 聖書の箇所:ネヘミヤ記9章1〜38節/ 年間通読:ネヘミヤ9〜11章
「しかしあなたは大いなるあわれみによって彼らを絶やさず、また彼らを捨てられませんでした。あなたは恵みあり、あわれみある神でいらせられるからです。」(31節)
  仮庵の祭りが終わって2日後、民たちは再び集まった。徹底的な悔い改めの為だ。神の祝福を受けるべき民が、異国の捕囚の民となってしまったその原因は民たちの神への反逆、不信仰、不誠実の故だと告白する。
主は義なる神であり、悪をさばかれる神だ。しかし、同時に恵みと、あわれみの神でもある。
私たちの罪のためにさばかれ、究極的な罰を受けられたイエスに具現化された神のあわれみの極みを見る。私達が滅びうせなかったのはこのイエスにある神のあわれみによることを今日も覚えよう。
“主のあわれみの故に感謝!アーメン”
 

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2004年7月17日(土) 聖書の箇所:ネヘミヤ記10章1〜39節
年間通読:ネヘミヤ12〜13章
「神の律法に歩み、われわれの主、主のすべての戒めと、おきてと、定めとを守り行うために、・・・」(29節)
 主への再献身を期して祭司、レビ人を中心に、主にある盟約が取り決められた。
まず第1の盟約は雑婚の禁止である。これはエズラ、ネヘミヤが取り組んだ最も重要な課題であった。雑婚を通して、異教の偶像が、霊的堕落が内面に入り込み、そうした汚れが心の内を支配し、やがて霊的な死を迎える。ここに雑婚の恐ろしさがある。
世の腐敗は凄まじい。私達は社会から離れてはいけないが、社会の腐敗に染まってはいけない。今日も主イエスの血潮を仰ぎ、霊的な雑婚から私達の心を守っていただこう。
“あなたの血潮により心をきよめ、刷新し、あらゆる悪から心をお守り下さい。アーメン”
 

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2004年7月18日(主日) 聖書の箇所:ネヘミヤ記11章1〜36節
年間通読:コロサイ1〜4章
「民のつかさたちはエルサレムに住み、その他の民はくじを引いて、十人のうちからひとりずつを、聖都エルサレムに来て住ませ、九人を他の町々に住ませた。」(1節)
 エルサレム及び、他の町々に住むもののリストである。民の移住が次々と行われ、それぞれの部族に居住区とその役割が与えられていく。信仰に根ざしてそれぞれの役割、使命を認識し全うすることで、はじめて信仰の共同体としてのエルサレムが再建される。
教会も、クリスチャンの交わりも信仰を土台とした使命の認識とその遂行によって、はじめて存在しえる。そこには世の企業、慈善団体等とは違う神の法則がある。
“主よ、あなたの恵みの共同体にあらゆる面で参与させてください。アーメン”
 

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2004年7月19日(月) 聖書の箇所:ネヘミヤ記12章1〜47節/ 年間通読:エステル1〜4章
「神が彼らを大いに喜び楽しませられたからである。女子供までも喜んだ。」(43節)
 「城壁の落成式」(27節)についてである。ユダヤの人々は、「感謝と、歌と、シンバルと、竪琴と、琴とをもって喜んで」この落成式をした。この城壁ができるまでには、様々な反対や圧力があり、策略や攻撃のうわさがあった。中断しそうになったこともあった。神の助けによって、ついに完成することができた。それだけに喜びは大きかった。
私たちの信仰も、救われてからも様々な誘惑や罠、苦しみや試練も起きてくる。だが、私たちのために惜しみなく命を献げられた主の助けによって、信仰の完成の時を喜ぶことができる。
“父よ。信仰の完成を目指します。アーメン”
 

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2004年7月20日(火) 聖書の箇所:ネヘミヤ記13章1〜31節/ 年間通読:エステル5〜8章
「あなたがたはなぜこの悪事を行って、安息日を汚すのか。」(17節) 
 捕囚から帰ってきた民の課題は雑婚と安息日の聖別であった。これらは霊的腐敗さらに、死へと至らしめる。主を喜んだエルサレムの民は、いつの間にか、安息日に商売と買い物に心が向って時を聖別出来なくなっていた。
今も主日(日曜日)の主は神様である。私たちを救われた主を第一とし、主日を聖別し、主の前に礼拝すべき時である。無理なときは早朝礼拝や夕拝に行こう。そして主の愛を人々に表していこう。なるべく主日の仕事はさけたい。また買い物もなるべく控えたい。
“神様。主日を聖別すること、心から主を礼拝し、主を喜ぶことを教えて下さい。アーメン”
 

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2004年7月21日(水) 聖書の箇所:エステル記1章1〜22節
年間通読:エステル記9、10章 第1テサロニケ1、2章
「その美しさを民らと大臣たちに見せるためであった。」(11節) 
 上記の言葉は王が王妃を呼んだ理由である。王妃が召しを断ったので大問題となった。
クリスチャンにとっても未信者にとっても夫婦の関係は最も基本的な人間関係である。
聖書は唯一無二の存在として妻を愛し、夫を敬うように教えている。配偶者は自分の欲を満たすためでもなく、また自分に仕えるための存在でもない。偶像であってもならない。
しかしこの関係は主を真ん中におかなければ成り立たせることはできない。また夫婦はキリストと教会の関係を表していると言われる。
“主よ。最も近い隣人を、主の愛に生かされて、愛せますように。アーメン”
 

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2004年7月22日(木) 聖書の箇所:エステル記2章1〜23節
年間通読:第1テサロニケ3〜5章、ヨブ1章
「エステルはモルデカイの言葉に従うこと、彼に養い育てられた時と少しも変らなかった。」(20節)
 モルデカイは、エステルをユダヤ人として養い育てた。それは生ける神様を恐れ、神様の言葉に従い、神様の約束を信じることであった。祝福の選びを忘れ、異教の地で同化していったユダヤ人も少なくない。
私たちは異教の地において不思議に主の救いに導かれた。その祝福と主の再臨の約束を忘れて、俗化してはならい。むしろ信仰を子供達に継承していかなければならない。それは至難の業である。しかし捕囚の民に、異教の地にあっても「神は生きている」ということを主ご自身が証された。
“神様。ここにも主がおられることを感謝します。アーメン”
 

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2004年7月23日(金) 聖書の箇所:エステル記3章1〜15節 / 年間通読:ヨブ2〜5章
 「その法律は他のすべての民のものと異なり、」(8節) 
  イスラエルの法律すなわち神様の言葉は、この地上のどんな法律とも異なっていた。そのことは主イエス・キリストが来られてますます顕著になっている。ローマの支配者達も不思議に思った。この世の法律に逆らうわけでもなく、地上での権力や財産を求めるわけでもなく、反対されても、迫害されても、柔和で確実に浸透していった。まさに天の民である。
私たちも同じ天の民である。そしてまた天の民は、日、星、方角、色など占いによっての吉兆を問うのでもない。ただ主の無限の愛と最善を信じて一日一日歩むのである。
“神様。主を見上げ立ちあがります。アーメン”
 

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2004年7月24日(土) 聖書の箇所:エステル記4章1〜17節/ 年間通読:ヨブ6〜9章
「わたしがもし死なねばならないのなら、死にます。」(16節)
 ユダヤ人が根絶される恐ろしい法が発布された。皆が恐れとまどった。その中でのエステルの決心である。王に許されなければ命がない。願いが聞かれればまだよいが、全く聞かれないで犬死にかもしれない。皆に断食の祈りを頼んだ。
主イエスは、誰も信じなければ犬死にともなる十字架の死を選んで下さった。一人でも救われるためである。
この主の救いに与った私たち。主が行ってほしいと言われるところへは、喜んでどこへでも行きたい。主の命令にはどんなことでも従いたい。そしてそれは決して無駄にはならない。
“主よ。どこまでも従いたいです。アーメン”
 

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2004年7月25日(主日) 聖書の箇所:エステル記5章1〜14節/ 年間通読:ヨブ10〜13章
「彼女に恵みを示し、その手にある金の笏(しゃく)をエステルの方に伸ばしたので、エステルは進みよってその笏の頭にさわった。」(2節) 
 死を賭して王の庭に入ったエステルに救いの金の笏が伸べられた。
私たちは、聖にして義なる神の前には死ぬほかない存在である。しかし神は私たちの罪のあがないとして御子イエスを十字架に付けられた。これによって私たちは神の前に生きるものとされた。ただこの恵みに与るには、主の前にへりくだり、悔い改めて信じる必要がある。エステルが金の笏の頭にさわったのと同じである。
 主の救いに入ろう、その恵みの中にとどまり続けよう。
“神様。滅びから命に移す救いの恵みを感謝します。アーメン”
 

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2004年7月26日(月) 聖書の箇所:エステル6章1〜14節/ 年間通読:ヨブ14〜17章
「あのモルデカイ,すなわちあなたがその人の前に敗れ始めたものが,もしユダヤ人の子孫であるならば、あなたは彼に勝つことはできない」。(13節) 
 ここでは、神の民であるユダヤ人に対する特別な神の守りと助けとが言われている。これを
ユダヤ人に敵対する者たちが言ったということはその事を見聞きしていたという事と言える。
そして、新約の時代においては、ユダヤ人の代わりにクリスチャンと置き換えて、言うことがで
きるが、クリスチャンはキリストによって神の子とされ、その勝利の中にいるのだから、それ以
上である。
“主よ、あなたが私たちに勝利を与えくださる事を感謝します。アーメン”
 

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2004年7月27日(火) 聖書の箇所エステル7章1〜10節:/ 年間通読:ヨブ18〜21章
「王よ、もしわたしが王の目の前に恵みを得、また王がもし良しとされるならば、」(3節)
 エステルは妻でありながら夫である王の前にへりくだりをもって、お願いをした。続いて、王にユダヤ人が滅ぼされ、殺され、絶やされようとしている事を告げ、又、王の問いに答えて、それをたくらんだのがハマンである事をも王に告げた。
 それに対して、王は怒り、ハマンはモルデカイを掛けるために自分が立てさせた木に掛けられて、死んだのであった。自分で墓穴を掘るとは正にこういうことである。私たちの敵に対しての勝利がここにある。 
“主よ,へりくだりをもってあなたの前に出させて下さい。アーメン”
 

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2004年7月28日(水) 聖書の箇所:エステル8章1〜17節/ 年間通読:ヨブ22〜25章
「ユダヤ人には光と喜びと楽しみと誉れがあった」。(16節)
 何よりも重要な事は、ハマンが王の印を押して、ユダヤ人を滅ぼそうとして送った文書を取り消す事であった。それを、エステルは再び命を掛けて、王にお願いした。
すると、王はエステルとモルデカイに「あなたがたは自分たちの思うままに王の名をもってユダヤ人についての書を作り、王の指輪をもってそれに印を押すがよい」と言われ、早速それを実行した。
喜びの声があがり、多くの改宗してユダヤ人となっていた者が、自分がユダヤ人であることをを明らかにした。 
“主よ、あなたの絶大な助けを命がけで求めさせて下さい。アーメン”
 

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2004年7月29日(木) 聖書の箇所:エステル9章1〜32節/ 年間通読:ヨブ26〜29章
 「この両日にその敵に勝って平安を得、またこの月は彼らのために憂いから喜びに変り、悲しみから祝日に変った」(22節)
プリム(プル<くじの意>複数)の由来が記されている。ユダヤ人絶滅の危機が神の恵みによって、またエステルの命がけの信仰とモルデカイの巧みな助言により、ユダヤ人の勝利となり、平安と喜びに変ったのであった。それを祝うのが、プリムである。ここに神の御手の御業を見ることができるのである。
“主よ、あなたの救いのみ業を感謝させて下さり、お祝いさせて下さい。アーメン”
 

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2004年7月30日(金) 聖書の箇所エステル10章1〜3節:/ 年間通読:ヨブ30〜32章
 「ユダヤ人モルデカイはアハシュエロス王に次ぐ者となり、ユダヤ人の中にあって大いなる者となり、その多くの兄弟に喜ばれた。彼はその民の幸福を求め、すべての国民に平和を述べたからである」。(3節) 
  モルデカイが大いなる者となり、多くの兄弟に喜ばれるようになった秘訣がここにある。それはその民の幸福を求め、全ての国民の平和を述べることであった。このようなものを神は引き上げ、祝福し、用いなさるのである。
今もクリスチャンがこうある時豊かな祝福に与かるのである。
“主よ、あなたにあって、モルデカイのようにならせて下さい。アーメン”
 

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2004年7月31日(土) 聖書の箇所:ヨブ1章1〜22節/ 年間通読:ヨブ33〜36章
「主が与え、主が取られたのだ。主のみ名はほむべきかな」(21節)
 今日からヨブ記である。ヨブ記のテーマは「正しい人が何故苦しまなければならないのか」と
いうことである。ヨブは族長時代(アブラハムからヤコブ)の人と言われている。しかし文書か口
伝によって受けつがれ、現在の文書になったのはもっと後代と言われている。ヨブは物質的
な祝福や家族を奪い取られても、与え、また取り去られる神を信じ続けたのであった。ヨブは
最初の試練に打ち勝ったのである。
私たちも本物の信仰が問われる時が来るのである。
“主よ、試みに耐えうる本物の信仰をお与え下さい。アーメン”
 

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