デボーションの助け
 ディボーションとは、聖書を通して神様の御言葉に耳を傾け、
祈りを通して神さまとの交わりをもつことです。
 
聖書を読むための助けです。
まず、神さまに「心に語りかけてください」と、お祈りしてください。
聖書をお読みください。
そして、この「デボーションの助け」を読んでください。

2007年9月のデボーション
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2007年9月1日(土) 聖書の箇所:歴代誌 上17章1〜27節/ 年間通読:詩篇125〜129篇
「主よ、、あなたのようなものはなく、またあなたのほかに神はありません。」(20節)
  ダビデ王朝への主の約束。ダビデが主の神殿を建てようとしたところ主はそれをとどめられたが、はるかに優るダビデ王朝の祝福を約束された。ともすれば私たちは教会の一員であって、主の家を建て、運営していると思ってしまうがそうではない。
主が私たちをあがない、私たちの神となり、私たちの家を建て、永遠の祝福を約束して下さっているのである。ダビデへの祝福も究極的にキリストによって成就したが、私たちに与えられている永遠の祝福もキリストによって成就する。私たちは信仰によってそれを見ている。
“主よ、あなたの大いなることを賛美します。アーメン”
 

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2007年9月2日(主日) 聖書の箇所:歴代誌 上18章1〜17節/ 年間通読:詩篇130〜134篇
「こうしてダビデはイスラエルの全地を治め、そのすべての民に公道と正義を行った。」(14節)
  ダビデ周囲を平定。「主はダビデにすべてその行く所で勝利を与えられた」(6,13節)ことにより、ダビデは周囲の国々をも従わせた。大切なのはここからである。成功したあと、高ぶり横柄になり堕落することがよくある。しかしダビデはすべての民に公道と正義を行った。当たり前であるが難しい。重要な働きであるが、平凡で忍耐のいる働きである。
私たちの生活でも大切な部分は案外地道で忍耐を要するものが多くある。へりくだり、神様の義の光を輝かせよう。
“父よ、高ぶりませんように。また、平凡で忍耐のいる働きも主を仰ぎできますように。アーメン”
 

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2007年9月3日(月) 聖書の箇所:歴代誌 上 19章1〜19節/ 年間通読:詩篇 135〜139篇
「勇ましくしてください。われわれの民のためと、われわれの神の町々のために、勇ましくしましょう。どうか、主が良いと思われることをされるように。」(13節) 
  ダビデの使者たちに対するアンモン人の恥辱的な扱いに端を発したアンモン人・スリヤ人連合軍との戦いと、その完全なる勝利が記されている。戦いの勝利の背後には必ず周到な準備と、霊的な祈りによる準備がある。
どのような戦いにも主に対する祈りを怠らなかったダビデとその勇士たちの姿勢が伺える(13)。私達も日常の働き、歩みにおいてどのような些細なことにおいても祈り、大きな困難には、大いなる祈りを持って、それぞれの戦いに霊的な備えをまず第一としたい。
“主よ、祈りの備えをまずなすものとしてください。アーメン”
 

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2007年9月4日(火) 聖書の箇所:歴代誌 上 20章1〜8節/ 年間通読:詩篇 140〜143篇
「これらはガテで巨人から生れた者であったが、ダビデの手とその家来たちの手に倒れた」(8節)
  ダビデが倒したガテ人ゴリヤテの兄弟ラミが登場する。また6節にも巨人との戦いが記されている。これらの者は有名なゴリヤテと同じく強靭な肉体を持つ、巨大な兵士であったろう。しかしいずれもダビデ側の兵士に討ち取られている(5、7節)。
どのような巨人であろうが、豪傑な兵士であろうが、神の前には赤子同然であり、主は主を信ずる者に勝利を与えられるのだ。私達の目の前にある難問、困難が大きな巨大闘士のように立ちはだかったとしても、神の手とその神を信ずる者たちの手によって、信仰によって敵は倒れていくのだ。
“主よ、あなたがわれらの前に出て、困難を打破してください。アーメン”
 

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2007年9月5日(水) 聖書の箇所:歴代誌 上 21章1〜30節/ 年間通読:詩篇 144〜147篇
「わたしはこの事を行って大いに罪を犯しました。しかし今どうか、しもべの罪を除いてください。わたしは非常に愚かなことをいたしました。」(8節)
  人間的な“数の力”の誘惑にかられたダビデは兵卒の数を数えさせ、陳腐な“安心”を得ようとした。この神への背徳的行為が主の怒りを呼んだ(11〜12)。この失敗に気づいたダビデは真実なる悔い改めをもって神の前にでた。オルナンの打ち場で祭壇を作り、神の前に身を低くするが、そこが神殿建設の場となっていくのはなんとも不思議だ。
真実な悔い改めを主は軽しめられない。そしてそこからも主の最善がなされるということも主にしか出来ない業であり恵みだ。
“失敗を益に代えてくださる主に感謝。アーメン”
 

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2007年9月6日(木) 聖書の箇所:歴代誌 上 22章1〜19節
年間通読:詩篇148〜150篇、箴言1章
「金、銀、青銅、鉄もおびただしくある。たって行いなさい。どうか主があなたと共におられるように。」(16節)
  主によって神殿建設の任に当たることを許されなかったダビデはせめて資材を集め、後継者に激励をすることでその任の一端を担おうとした。ダビデのソロモンへの励ましは神への徹底的な信仰の喚起を伴ったもので、実際的なアドバイスはこの霊的な激励の後である。
どんなに目に見えるものに豊かであっても、この世的な保障と安全に囲まれていても、主が伴い、守り、導き、祝福しなければ、この世的な準備や保障はちりにすぎない。まずは主が伴ってくださることの最善を深くかみしめ得るわれ等でありたい。
“主が人生を共に歩んでくださるこの最上の祝福を感謝します。アーメン”
 

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2007年9月7日(金) 聖書の箇所:歴代誌 上 23章1〜32節/ 年間通読:箴言 2〜5章
「また朝ごとに立って主に感謝し、さんびし、夕にもまたそのようにし、・・・」(30節)
  ダビデは晩年において神殿完成後の奉仕分担まで綿密に整えようとした。その中でレビ人にとっての大きな奉仕は朝ごと、夕ごとのいけにえの際の賛美であった。それは決して片手間の奉仕ではなく、重要な使命であった。
信仰生活の中で感謝と賛美(主をほめたたえること)はともすればないがしろにされやすい要素ではないか。主への感謝と主の栄光をほめたたえていくことが、私達の生涯に潤いと神の力を与えていく大切な要素であり、主が求められていること(Iテサ5:17〜18)だという事実を再確認しよう。
“主よ、つぶやきやすい私を許し、いかなる時にも主への賛美と感謝を忘れない者にしてください。アーメン”
 

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2007年9月8日(土) 聖書の箇所:歴代誌 上 24章1〜31節/ 年間通読:箴言 6〜9章
「これは、彼らの先祖アロンによって設けられた定めにしたがい、主の家にはいって務をなす順序であって、イスラエルの神、主の彼に命じられたとおりである」(19節)
  祭司であるアロンの子孫たち、また神の宮で奉仕するレビ人たちがくじによって分けられ、順序が決められていった。
主の救いに与った私たちは、自由に、伸び伸びと主に奉仕をする。また聖霊によって新しい発想が与えられる。だがその時には、神様からの順序、秩序を重んじることも大切である。バラバラな思いではなく、心が一つになると、一人ではできない主のみ業を仰ぐことができる。
“神よ。新しい命の喜びを、皆と心を一つにして分かち合う者として下さい。アーメン”
 

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2007年9月9日(主日) 聖書の箇所:歴代誌 上 25章1〜31節/ 年間通読:箴言 10〜13章
「彼らおよび主に歌をうたうことのために訓練され、すべて熟練した兄弟たち」(7節)
  ヘマン、エドトン、アサフとその子たちは、主に歌をうたい、賛美するのが努めであった。彼らには音楽の特別な賜物が与えられていた。しかし神様に賛美を献げるために、日々「訓練」されて、「熟練」して、主に仕えていた。
私たちが主に奉仕するときにも、どうしたらよく奉仕できるか、どうしたら上達し、熟練するのかも大切なことである。そのために様々な訓練を受け、身につけ、時に新しいことにチャレンジしていくことも必要である。最愛のキリストを下さった神様に、最高の奉仕を用意し仕えていこう。
“主よ。感謝と賛美をもって最高のものを献げます。アーメン”
 

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2007年9月10日(月) 聖書の箇所:歴代誌 上 26章1〜32節/ 年間通読:箴言 14〜17章
「オベデ・エドムの子たちは、、、神が彼を祝福されたからである。」(4節)
  門衛として任じられた中にオベデ・エドムの一族がいる。彼らは、神の箱を守ったことで祝され、有能な人々、力ある人々であった。主イエスも忠実に仕える者は、賜物が増し加えられて、祝されることを語られた。
私たちは、主の恵みの管理人である。私たちに与えられている救いの恵み、また奉仕の賜物を忠実に守っていきたい。忠実とは、単に与えらた賜物を守ることではない。託した方の思いをくんで、その方が喜ばれるように用いていくことである。(マタイ25章)
“父よ。恵みと賜物に感謝します。ますます主に忠実な者として下さい。アーメン”
 

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2007年9月11日(火) 聖書の箇所:歴代誌 上 27章1〜34節/ 年間通読:箴言 18〜21章
「彼らは皆、王の財産のつかさであった。」(31節)
  この章には、月ごとの王に仕えた人々、12部族のつかさたち、王の財産を管理する者たち、大臣たちが記されている。それぞれが、定められた月に、あるいは、定められた場所で、それぞれの賜物を用いて、王に仕えている。
私たちの人生は、自分のために生きているようであるが、実は神様からの賜物を預かり管理しているのである。神様は、私たちのすべてをご存じで最善の時に、それぞれの賜物に応じて用いられるのである。人と比べるのでなく、主の思いに目をとめよう。
“神様。主の備えられた時、主の備えの場所で、主に心からお仕えできますように。アーメン”
 

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2007年9月12日(水) 聖書の箇所:歴代誌 上 28章1〜21節/ 年間通読:箴言 22〜25章
「あなたの父の神を知り、全き心をもって喜び勇んで彼に仕えなさい。」(9節)
  ダビデ王がその子ソロモンを諭した言葉である。ダビデは、本当に心を探られた(9節)人であった。多くの艱難の中で自分のむなしさと主の慈しみを知り、失敗を通して自分の底なしの醜さと主の絶大な赦しを教えられた。だからこそ神に仕えることを諭した。
私たちもまず自分が心深く探られ、十字架の愛と赦し、復活の望みを味わいたい。この神様は他と比べられない真実な方と心からの確信を持って仕えよう。そしてこの喜びと重要性を、子供達や友人にも分かち合っていく者とならせていただこう。
“主よ。もっとあなたを知って、仕え、伝える者として下さい。アーメン”
 

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2007年9月13日(木) 聖書の箇所:歴代誌 上 29章1〜30節/ 年間通読:箴言 26〜29章
「民はそのみずから進んでささげたのを喜んだ。」(17節)
  神の宮を建てるために、ダビデが多くの献げ物をし、また民も「自分の身をささげる者のように」(5節)心から喜んで献げた。しかしダビデが語っていることは、すべての栄光と力は神様のもの(11節)、どんなに喜んで献げたとしても、人ははかない存在であること(15節)、献げ物は元々神様から出た物であること(16節)である。
神様は、創造者、統治者として存在そのものが栄光である。私たちはさらに御子をも惜しまない愛を知って、神様をほめたたえる者、喜んで身も宝も献げる者でありたい。
“主よ。その栄光と力を覚え、喜んで自分も宝をお献げします。アーメン”
 

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2007年9月14日(金) 聖書の箇所:歴代誌 下 1章1〜17節
年間通読: 箴言 30〜31章、伝道1章
「あなたに何を与えようか、求めなさい。」(7節) 
  神様が、夜ソロモンに現れて、尋ねた言葉である。ソロモンは、富や宝、名誉、敵の命、長命を求めず、王としてイスラエルを治める「知恵と知識」(10節)とを求めた。これは神様にとても喜ばれた。
今も主は、何を求めるのかと聞いておられる。自分がほしいものは何か。この世の財産、名誉、快楽、長命を求めてはいないだろうか。何が真実かわかりにくい時代、自分と世界の未来についてわからない私たち。神の知恵を求めよう。主を求めよう。主は私たちを使者として、この世に神の国を示すために立てておられる。
”神様。神の使者にふさわしい知恵を下さい。アーメン”
 

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2007年9月15日(土) 聖書の箇所:歴代誌 下 2章1〜18節/ 年間通読:伝道 2〜5章
「われらの神はすべての神よりも大いなる神だからです」(5節)
  これはソロモンがツロの王ヒラムに語った言葉である。レバノンから織物、彫刻などに巧みな工人ひとりと香柏、いとすぎ、びゃくだんを送ってくれるように頼んでいる。それは神の家を建てるためであるとその目的を明確に告げ、また自分たちの神についても語ったのである。それに対して、ヒラムは「天地を造られたイスラエルの神、主はほむべきかな」と応えている。世界の神、大いなる神という信仰に基づいて、そのように証ししていく中で、それが受け入れられているのを知ることができる。
“主よ、私たちもあなたについていつも語らせて下さい。アーメン”
 

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2007年9月16日(主日) 聖書の箇所:歴代誌 下 3章1〜17節/ 年間通読:伝道 6〜9章
「ソロモンはエルサレムのモリアの山に主の宮を建てることを始めた」(1節)
  モリアの山はアブラハムがそのひとり子イサクを献げた所である。そこに神殿を建てるということは、神は一千年以上前に既に、決めていたと言って良い。はるか、はるか先の将来を見通しておられる神なのである。
私たちはこのように歴史を導かれる神を知る時、この神は私の歴史、即ち、私の人生をも導いて下さることを信じることができるのである。
”主よ、私たちの人生をあなたに明け渡し、ゆだねさせて下さい。アーメン”
 

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2007年9月17日(月) 聖書の箇所:歴代誌下 4章1〜22節
年間通読:伝道10〜12章、第1テモテ 1章
「ソロモンはまた青銅の祭壇を造った」(1節)
  祭壇は供え物を載せるものである。神に近づくには供え物が必要であった。供え物とはヘブル語でコルバン(マルコ7:11)というが、これは近づく(カーラブ)と言う言葉から来たものである。
供え物とは“神に近づかせるもの”ということなのである。神を礼拝するために近づくのであるが、そのためには祭壇に供え物をしなければならなかったのである。新約においては、祭壇は十字架(の贖い)であり、供え物はイエスさま御自身なのである。
“主よ、イエスさまによって、あなたに近づくことができますことを感謝します。アーメン”
 

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2007年9月18日(火) 聖書の箇所:歴代誌下 5章1〜14節/ 年間通読:第1テモテ 1〜5章
「雲はその宮すなわち主の宮に満ちた」。(13節) 
  契約の箱が運び込まれて、至聖所のケルビムの下におかれ、ラッパを吹く者と歌うたう者とがひとりのように主を賛美した時に、雲が満ちたのであった。雲は神の臨在を現すものである(レビ16:2、歴代下6:1)が、ここでは神の宮が神に受け入れられ、神が降られて、そこに住まれることを意味しているのである。
神の宮はそこに神が臨在し、住まわれる所である。この神殿は新約では、イエスのからだ(ヨハネ2:21)或いはイエス御自身を意味するのである。
“主よ、イエスさまにおいて、神に近づき、礼拝することができることを感謝致します。アーメン”
 

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2007年9月19日(水) 聖書の箇所:歴代誌下 6章1〜42節
年間通読:第1テモテ 6章、雅歌1〜3章
「あなたは、あなたのすみかである天から聞き、すべて他国人があなたに呼び求めるようにしてください」。(6節)
  ソロモンの祈りであるが、寛大な大きな心が表れている祈りである。イスラエルの神は全世界の神、他国人の神でもあるということである。エルサレムの神殿はまた他国人の神殿でもあるということである。
私たちの神は、未信者の人の神であり、わたくしたちの救い主は彼らの救い主であるということと同じである。私たちはこの救いを独り占めしないでひとりでも多くの人に分け与えるべきなのであるのである。
“主よ、あなたを知らない人にこの福音を伝えさせて下さい。アーメン”
 

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2007年9月20日(木) 聖書の箇所:歴代誌下 7章1〜22節/ 年間通読:雅歌 4〜7章
「今この所にささげられる祈にわたしの目を開き、耳を傾ける」(16節)
  神殿での祈りに対して、主が聞いて下さると言う神の約束である。神の御心の中において、キリストの御名によって祈り、悔い改め、感謝するなら、それは必ず聞かれるのである。
旧約時代以上にその祈りは、確実に聞かれるのである。正に、神は目を開き、耳を傾けて下さるのである。この確信をもってイエス・キリストの御名により、御霊の導きにしたがって、祈ることが大切である。
“主よ、あなたがイエスの御名による祈りに確実に答えて下さることを感謝致します。アーメン”
 

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2007年9月21日(金) 聖書の箇所:歴代誌下 8章1〜18節
年間通読:雅歌 8章、第2テモテ 1〜3章
「ソロモンは廊の前に築いておいた主の祭壇の上で主に燔祭をささげた」(12節)
  主の家と自分の家を建てること以外のソロモンの事業である。彼は町を建て直し、また町を攻め取り、また、外国との貿易をもした。このような忙しい中において、毎日の信仰生活を守って行ったのである。それはモーセに従い(13)、ダビデに従って(14)なしたもので、決して、自己流のものではなかったのである。そして、レビ人と祭司を用い、その勤めをなさしめ、彼らは王に従ったのである。
“主よ、どのような忙しさの中でも、あなたを礼拝し、御言葉に教えられ、祈る者として下さい。アーメン”
 

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2007年9月22日(土) 聖書の箇所:歴代誌下 9章1〜31節
年間通読:第2テモテ 4章、イザヤ 1、2章
「あなたの神、主はほむべきかな。…あなたの神はイスラエルを愛して、とこしえにこれを堅くするために、あなたをその王とされ、公道と正義を行われるのです」(8節)
  ソロモンのその無双なる賢明さと富にシェバの女王は圧倒され、驚嘆の声を上げた。その感動の故に、彼女はイスラエルの神の御名を称えずにはおれなかったのだ。
ソロモンと同じ神を信ずる私達、クリスチャンも生活のあらゆる部分において霊的かつ実際的な神の祝福が豊かに与えられるよう、真剣に祈るべきだ。それは自己満足のためではなく、確かに私達の存在を通じて、神の存在と愛が世に向かって明らかにされていくための祝福である。
“あなたの愛、恵み、知恵に満たしてください。アーメン”
 

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2007年9月23日(主日) 聖書の箇所:歴代誌下 10章1〜19節/ 年間通読:イザヤ 3〜5章
「レハベアム王は父ソロモンの存命中ソロモンに仕えた長老たちに相談して言った、
 「あなたがたはこの民にどう返答すればよいと思いますか。」」(6節)
  ヤラベアムとその民たちの労役の軽減を求める訴えにレハベアム王は、ソロモン時代の長老たちに助言を求めた。長老はこぞって軽減を勧めたが、王は自分と同意見をもつ同年代の若者の助言を受け、逆に労役を厳しくしてしまった。これが北方部族の叛乱の原因となる。
神の前に誠実な歩みをなしてきた信仰者には、相応の霊的風格と洞察力が備えられていくものだ。その信仰の“先輩”の助言を決してないがしろにしてはならない。ここにも深いへりくだりと受け止める柔らかい心が必要となる。
“聖徒らの助言を真摯に受け止める柔和な心を下さい。アーメン”
 

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2007年9月24日(月) 聖書の箇所:歴代誌下11章1〜23節/ 年間通読:イザヤ 6〜9章
「それで人々は主の言葉を聞き、ヤラベアムを攻めに行くのをやめて帰った」(4節)
  南ユダの兵士を集めて北方のヤラベアム討伐へ行こうとした王レハべアムに、主は預言者シマヤを通して、戦ってはならないことを告げた。血気盛んになり、いざ討伐へ乗り出している軍隊を引き返させることは余程でなければできないことだ。主が語るそのことを真剣に受け止める信仰が生きている証拠だ。かくして神の民たちによる南北紛争という最悪のシナリオは避けられた。
私達もいつでも主が“やめよ”と言われることをやめ、“せよ”と言われることを行う信仰に基づく勇気と行動力を持ちたいものだ。
“主の訴えを聞き、行う信仰をください。アーメン”
 

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2007年9月25日(火) 聖書の箇所:歴代誌下12章1〜16節/ 年間通読:イザヤ 10〜13章
「そこでイスラエルのつかさたち、および王はへりくだって、「主は正しい」と言った。」(6節)
  ユダの王レハベアムはやがて主から離れ、エジプト、シシャク王による侵略を通しての神の裁きを招くことになる。しかし、預言者シマヤを通しての裁きの宣言をイスラエルの重鎮たち、及び王は真摯に受け止め、自分たちの失敗、罪を悔い改めていく。故に主はユダへのエジプトによる完全なる裁きの実行をとどめられた(7節)。自分を客観的に見つめ、その咎を主にあって認め、悔い改めることができるのも主の大きな恵みだ。認罪と告白、ここから主の回復の業が始まっていく。
“主へのへりくだりの心を、いつも持たせてください。アーメン”
 

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2007年9月26日(水) 聖書の箇所:歴代誌下13章1〜22節/ 年間通読:イザヤ 14〜17章
「ユダはうしろを見ると、敵が前とうしろにあったので、主に向かって、呼ばわり、祭司たちはラッパを吹いた。」(14節)
  ついに南北間の本格的な総力戦が始まってしまった。偶像に染まっていった北王国(8節)に比べ、まだ南王国においては神への信仰が生きづいていたと言える(10〜13節)。北王国の挟み撃ちの窮地に、南は祭司らとともに主に助けを叫び、主に信頼してラッパとともに進撃し、北王国を打ち破った。窮地に陥るとき私たちはどんな声をあげるだろうか、不平か、落胆か、又は恐れによる沈黙か・・。
まずは飾り気のない助けを求める声を主に向かってあげよう。
主の実際的なる助けを信じて・・。
“あなたの助けと守りを感謝とともに信じます。アーメン”
 

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2007年9月27日(木) 聖書の箇所:歴代誌下14章1〜15節/ 年間通読:イザヤ 18〜21章
「われわれはあなたに寄り頼み、あなたの名によってこの大軍に当たります。主よ、あなたはわれわれの神です。どうぞ人をあなたに勝たせないでください。」(11節)
  主にある平和に包まれていた南ユダに突如、エチオピア軍、歩兵100万、戦車300という大軍が押し寄せてきた。かたや南王国は約半分の58万ばかりだ。しかし、主に信頼する南王国は完膚なきまでにエチオピア軍を叩きのめした。大きな問題や困難は突然に私たちを襲ってくるものだ。しかしどんなに無敵と思える“敵の大軍”のような困難であっても、主に信頼し、主の名によって当たっていく信仰から来る“冷静さ”を持ちたい。アーメン”
 
 

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2007年9月28日(金) 聖書の箇所:歴代誌下 15章1〜19節/ 年間通読:イザヤ 22〜25章
「しかし、あなたがたは勇気を出しなさい。手を弱くしてはならない。あなたがたのわざには報いがあるからです。」(7節)
  エチオピア軍を打ち破り戦勝気分に酔っていたであろうアサとその民たちのもとに神は預言者アザリヤを遣わし、警告と励ましを伝えた。ある意味で信仰の落とし穴は試練の中というより、ほっとするその瞬間にある。“勝って兜の緒をしめよ”、というわけではないが、万事順調の時こそ、霊的堕落という目に見えない落とし穴を警戒し、主にある平和を感謝し、引き続き、いやより一層、忠実に、誠実に神の前に歩むものでありたい。
“主よ、困難な時も、平和なる時も、あなたを心から礼拝し感謝を献げる者として下さい。アーメン”
 

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2007年9月29日(土) 聖書の箇所:歴代誌下 16章1〜14節/ 年間通読:イザヤ 26〜28章
「主の目はあまねく全地を行きめぐり、自分に向かって心を全うする者のために力をあらわされる。」(9節)
  アサ王は、主に信頼してエチオピアの大軍隊に勝利を得た。しかし晩年、主により頼まなかった時、それより弱い相手にも当たることができなかった。私たちは、イエス・キリストの十字架と復活を信じる信仰により救われている。
今になって、この世の知恵や力に頼るのではなく、どこまでも主に信頼して、どうにもならない問題も様々な悩みも主に祈って解決していただこう。また主は、すべてを委ねて信頼するものに、力をあらわされるお方である。
“神様。かつてあなたが助けて下さったことを思い起こします。今も主だけを信じます。アーメン”
 

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2007年9月30日(主日) 聖書の箇所:歴代誌下 17章1〜19節/ 年間通読:イザヤ 29〜30章
「またユダの町々をことごとく巡回して、民の間に教をなした」(9節) 
  ヨシャパテ王は、王位に就いたとき、主の道に心を傾けた。神を求めて、戒めすなわち聖書の言葉に歩んだ。偶像を取り除いた。そして人々に教えをなした。その結果、「主が国を彼の手に堅く立てられ」た。また戦いが起こらなかった。
人はいつの時代も、自分さえよければいいと考える。だがキリストは、私たちのために命までも捨てて下さり、私たちを生かして下さった。私たちは、この主を言い広め、主にならって生きるのである。言い換えれば、家族や隣人を愛し、同じ救いにあずかってほしいと願い生きるのである。
“主よ。隣人にも福音を語らせて下さい。アーメン”
 

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