デボーションの助け
 ディボーションとは、聖書を通して神様の御言葉に耳を傾け、
祈りを通して神さまとの交わりをもつことです。
 
聖書を読むための助けです。
まず、神さまに「心に語りかけてください」と、お祈りしてください。
聖書をお読みください。
そして、この「デボーションの助け」を読んでください。

2008年11月のデボーション
 ※ カレンダーより日付をクリックして、お進み下さい。
           1  2
 3  4  5  6  7  8  9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

 
【バックナンバーのご案内】 【ホームページへ】



 
2008年11月1日(土) 聖書の箇所:エレミヤ 16章1〜21節/ 年間通読:エレミヤ43〜46章
「彼らはわたしの名が、主であることを知るようになる。」(21節)
  神はエレミヤが妻子(どうせ死ぬ)を持つこと、葬儀(さばきのための死)に列席すること、宴会(喜びの声を絶やす)に出ることの三つを禁じられていた。
しかし、徹底した神によるさばきと共に、バビロンからの回復と、将来的には、万国の民が地の果から神のみもとにきて、「先祖が受け継いだのは、ただ偽りと、役の立たないつまらないことばかりで、人が自分で神々を造ることができないし、そういうものは神ではない」と告白することも語られる。
“どんなさばきや厳しさの中にも、神の赦しと神の救いとを信じさせて下さい。アーメン”
 

  <ページのトップへ>

 
2008年11月2日(主日) 聖書の箇所:エレミヤ 17章1〜27節/ 年間通読:エレミヤ47〜48章
「彼は水のほとりに植えた木のようで、その根を川にのばし、暑さにあっても恐れることはない。その葉は常に青く、ひでりの年にも憂えることなく、絶えず実を結ぶ。」(8節)
  人を頼みとし、自分の力(肉なるもの)を頼りとする者のみじめさと主に頼るものの幸いとが対照的に言われている。主に頼るものは試練の中でも、いつも元気で、実を結ぶのである。また、安息日を汚すことなく、聖別して、守る者は繁栄するのである。
“私たちが主に根ざし、より頼むことにより、豊かな実を結びますように。アーメン”
 

  <ページのトップへ>

 
2008年11月3日(月) 聖書の箇所:エレミヤ18章1〜23節/ 年間通読:エレミヤ49〜50章
「あなたがたはおのおのその悪しき道を離れ、その道と行いとを改めなさい」(11節)
  エレミヤは、神から、陶器師の家に行くように、そこでわたしの言葉を聞かせると言われた。彼が、そこで学ぶべきことは、「神が造り主であり、その造られたものに対して、絶対的な主権を持っておられ、それ故、神のみ旨に従わない者に対しては、神は、主権者として、さばきを与えるのである」と言うことであった。
神は、悪しき民に、今、災いを下し、攻めようとしているが、悪しき道を離れ、悔い改めるならさばきを与えないのである。
“私たちの造り主があなたであることを覚え、あなたのみ旨に歩ませて下さい。アーメン”
 

  <ページのトップへ>

 
2008年11月4日(火) 聖書の箇所:エレミヤ19章1〜15節/ 年間通読:エレミヤ51章
「わたしの言ったもろもろの災いを下す。彼らが強情で、わたしの言葉に聞き従おうとしないからである」(15節)
  エルサレムとそのすべての村々の滅びが宣言される。偶像礼拝をやめるように語り、やめないなら、滅びがくることを、何度も、警告したが、人々は、バアル礼拝や子どもを焼くモロク礼拝などの偶像礼拝をやめなかった。
主なる神の民なのにどうして、その神から離れて神でない偶像に行くのか理解できないことである。彼らの強情のためであった。
“私たちに、柔らかな心をお与え下さり、み言葉に聞き従がわせて下さい。アーメン”
 

   <ページのトップへ>

 
2008年11月5日(水) 聖書の箇所:エレミヤ20章1〜18節
年間通読:エレミヤ52章,ピレモン
「主の言葉がわたしの心にあって、燃える火のわが骨のうちに閉じこめられているようで、それを押さえるのに疲れはてて、耐えることができません」(9節)
  エレミヤは主から語られたみ言葉をかたると「暴虐、滅亡」と言われて、耐えられない迫害を受けた。逆に、み言葉を語らないと火が骨に閉じこめられているような耐えられないことになると言う苦しい中に置かれた。
み言葉に真に生きようとする者の苦しみがここにある。彼はついに、生まれた日をのろうほどにまでなるほどの苦しみの中に置かれた。
“どんな苦しみの中でも、主に向って歌い、ほめたたえる勝利に生かして下さいアーメン”
 

 <ページのトップへ>

 
2008年11月6日(木) 聖書の箇所:エレミヤ21章1〜14節/ 年間通読:哀歌1〜2章
「見よ、わたしは命の道と死の道とをあなたがたの前に置く」(8節)
  ユダの最後の王ゼデキヤ(BC597〜586)のとき、バビロンによってエルサレムが囲まれた。王は、ヒゼキヤがアッシリヤのセナケリブが攻めてきたとき、主がそれを撃退したように、今度も、主が助けてくださることを願って、マルキヤの子パシュルとゼパニヤとをエレミヤのところに遣わした。
しかし、エレミヤの言葉は神のさばきによるエルサレムの滅びの宣言であった。その中で、唯一、助かる道は、バビロンに降伏することであった。
“主よ、経験に頼る信仰でなく、今、語られるみ言葉に従う信仰を持たせて下さい。アーメン”
 

  <ページのトップへ>

 
2008年11月7日(金) 聖書の箇所:エレミヤ22章1〜30節/ 年間通読:哀歌3〜5章
「公平と正義を行い、…罪なき者の血を流してはならない」(3節)
  22章には、ユダの王たちへのさばきの預言がされている。神様は、その死をも呪われたものとされた。神様のさばきは徹底している。
 この国では、弱者が追いやられ、不正がはびこっていた。当然、このような不正がはびこっているのを、神様は決して「よし」とされていたのではない。それゆえ、公平と正義を行なうことこそ神様を知ることではないか(16節)と、神様は問いかけられている。
“神様。弱いわたしも、公平を行う者、正義を行なう者として下さい。アーメン”
 

  <ページのトップへ>

 
2008年11月8日(土) 聖書の箇所:エレミヤ23章1〜40節/ 年間通読:ヘブル1〜4章
「近くの神であって、遠くの神ではない。」(23節)
  さばきの言葉が続く。23章からは、祭司と預言者へのさばきの預言だ。彼らは、悪い牧者として喩えられる。そして、民は旧約聖書のソドム、ゴモラの町の民にたとえられる。 その偽りは、神様に隠れていることはなかった。 
しかし、神様が「近くの神である」と言われる言葉を良い意味にとることができる人は幸いだ。 この神様は、たださばきをもたらすだけでなく、回復と救いの約束(4,5節)もして下さるお方だからである。
“神様。今日も近くにいる神様を感じながら、神様と共に歩めますように。アーメン”
 

  <ページのトップへ>

 
2008年11月9日(主日) 聖書の箇所:エレミヤ24章1〜10節/ 年間通読:ヘブル5〜8章
「彼らをこの地に返し、彼らを建てて倒さず、植えて抜かない。」(6節)
  バビロン捕囚に連れて行かれた者が、もう一度、回復されることが言われている。確かに、バビロン捕囚は神様のさばきであるが、それを神様に立ち返るためのチャンスの時に変えて下さった。
 エジプトに逃れて住んだ者は、神を捨てた者。エルサレムに残る者は、神の言葉に従わなかった者である。しかし、さばきを受けた者だけが、回復の道を備えられた。神様のなさることで、わたしたちの目に隠されたこともある。
“神様。イエス様がさばきを受けて下さり、回復の道を備えて下さり感謝します。アーメン”
 

  <ページのトップへ>

 
2008年11月10日(月) 聖書の箇所:エレミヤ25章1〜38節/ 年間通読:ヘブル9〜11章
「わたしは彼らの行いと、その手のわざに従って報いる。」(14節)
  さらにさばきの言葉が続く。25章では、さばきが外国にまで及ぶことが預言される。そして、誰も、この罰を免れることはできない(29節)とまで言われる。エレミヤ書を読み進んで来ると、すべてがさばきの対象とされていることに気づく。
誰が自らの手のわざを、神様の前に正しいとすることができるだろうか。そこに、神様の十字架の知恵と、その意味がある。
“神様。罪の罰を免れる救いの道が、イエス様が十字架で身代わりとなるしかなかったことを
 心に刻むことができますように。アーメン”
 

  <ページのトップへ>

 
2008年11月11日(火) 聖書の箇所:エレミヤ26章1〜24節
年間通読:ヘブル12,13章エゼキエル1章
「災いを彼らに下そうとしたのを思いなおす。」(3節)
  神様のさばきは、確かに徹底している。神さまは、悪を見逃すわけにはいかない。ところが、神様には、さばきを思い直す準備があった。
神様には、いつでも、人間を救う用意があるのだ。 聖書のその他の場面にも、このような神様の姿勢をうかがい知ることができる。 神さまは人を滅ぼすことを望んでいるのではない。
しかし、そのためには、神様に立ち返ることが大切である。
“神様。もし、悪の道にいるなら、それに気づかせて下さい。
 そして、あなたに立ち返ることができますように。アーメン”
 

  <ページのトップへ>

 
2008年11月12日(水) 聖書の箇所:エレミヤ27章1〜22節/ 年間通読:エゼキエル2〜5章
「わたしが顧みる日までそこにおかれている。」(22節)
  神さまは、偽預言者の言葉を聞いてはならないとおっしゃった。偽預言者の言葉は、耳ざわりの良い、ユダの王にとって都合の良いものであった。 けれども、ユダの民が神様に立ち返るためには、バビロンの王に一時的に仕えなければならなかった。民が神さまに立ち返る方法は、これ以外になかった。神さまの荒療法である。
「苦難=捨てられた」ではない。それは、定められた日までのことだ。神様は、一日たりとも、あなたを忘れてはいない。
“神様。苦難の中でも、あなたの目が注がれていることを覚えさせて下さい。アーメン”
 

  <ページのトップへ>

 
2008年11月13日(木) 聖書の箇所:エレミヤ28章1〜17節/ 年間通読:エゼキエル6〜9章
「その預言者の言葉が成就するとき、真実に主がその預言者をつかわされたのであることが知られるのだ。」(9節)
  偽預言者ハナニヤとエレミヤの対決。ハナニヤは回復と平和の預言をした。そして、ハナニヤはエレミヤの「くびき」(27:2)を砕く(10節)。この「くびき」は、さばきの象徴であった。勿論、エレミヤもユダの国の平和を願っていた。
 しかし、神様の言葉を優先させたのだ。そこが、エレミヤとハナニヤの違いであった。
“神様。まず、神様の言葉を求めることが出来ますよう。
 そして、従うことができますように。アーメン”
 

  <ページのトップへ>

 
2008年11月14日(金) 聖書の箇所:エレミヤ29章1〜32節/ 年間通読:エゼキエル10〜13章
「それは災を与えようというのではなく、平安を与えようとするものであり、あなたがたに将来を与え、希望を与えようとするものである。」(11節)
  これはバビロンに捕え移されたイスラエルの民に対する神の希望の言葉である。神は常に私たちにこのような御心を持っていて下さるのだが、私たちはこの神に従わない故に、神の審判が臨むのである。
しかしこの審判も、70年が過ぎるなら終わり、再び回復するというのである。そして、彼らが求めるなら会うと言われるのである。
“主よ、あなたが平安と希望を与えようとしておられる事を信じさせて下さい。アーメン”
 

  <ページのトップへ>

 
2008年11月15日(土) 聖書の箇所:エレミヤ30章1〜24節/ 年間通読:エゼキエル14〜16章
「わたしはあなたと共にいて、あなたを救う。」(11節)
  ユダだけでなくイスラエルの回復の預言がなされている。「くびきを砕き離し、束縛を解き、奴隷にされない」(8節)、また、「ヤコブの天幕を再び栄えさせ、その住まいにあわれみを施す。町は、その丘に建てなおされ、宮殿はもと立っていた所に立つ」(18節)とも言われている。
そして、神は捕え移された地においても彼らと共にいて、彼らを守り、祝福するのである。
しかし、イスラエルとユダを捕え移した民は、滅ぼされるが、回復はないのである。
“イエス・キリストの故に選びに与かり、祝福の中にあることを感謝します。アーメン”
 

  <ページのトップへ>

 
2008年11月16日(主日) 聖書の箇所:エレミヤ31章1〜40節
年間通読:エゼキエル17〜19章
「また彼らを建て、植えようと待ちかまえていると主は言われる。」(28節)
  主がイスラエルの家とユダの家に、災いを与えようと待ち構えていたように、主は再び建て、植えようと待ち構えておられるのである。私たちが神の恵みと祝福の中に入るべく、主御自身が待っておられるのであるから、信じて、立ち上がり、歩み始めることが大切である。更に、ここには新約の恵みが預言されている。新約の恵みの時代に住む私たちは、心に神の律法がおかれ、神の民になるのである。是非ともこの恵みを存分に体験していきたい。
“主の恵みを信じ、立ち上がり、歩み始め、神の民にふさわしい者として下さい。アーメン”
 

  <ページのトップへ>

 
2008年11月17日(月) 聖書の箇所:エレミヤ32章1〜44節/ 年間通読:エゼキエル20〜21章
「わたしは彼らに恵みを施すことを喜びとし、心をつくし、精神をつくし、真実をもって彼らをこの地に植える。」(41節)
  エレミヤはいとこのハナメルから、やがて、カルデヤ人の支配下におかれる土地を買うように主から言われる。これは、回復した後で、人々が土地を買うようになることの予言的行為である。
最初のみ言葉のように、神さまは私達を恵むことを喜びとし、神さま御自身が熱心を持って、再び植えるのである。それ故に、ひとり子なるイエスさまを私たちのために与えて下さったのである。
“神さま、あなたの測りえない恵みを感謝します。アーメン”
 

  <ページのトップへ>

 
2008年11月18日(火) 聖書の箇所:エレミヤ33章1〜26節/ 年間通読:エゼキエル22〜24章
「わたしに呼び求めよ、そうすれば、わたしハあなたに答える。
 そして、あなたの知らない大きな隠されている事を、あなたに示す。」(3節)
  エレミヤは監視の庭に閉じ込められていたが、主の言葉を再び聞いた。天地万物の造り主である神が「わたしに求めよ」と祈ることを命じられた。
そして、「わたしはあなたに答える」。また、「隠された事を示す」と約束さえた。更に、「ユダとイスラエルとが栄えさせられ」(7節)、「ダビデのために一つの正しい枝<メシア>を生じさせる」とも約束された。
“神さま、あなたが祈りに答えて下さることを感謝します。アーメン”
 

  <ページのトップへ>

 
2008年11月19日(水) 聖書の箇所:エレミヤ34章1〜22節/ 年間通読:エゼキエル25〜27章
「しかしユダの王ゼデキヤよ、主の言葉を聞きなさい。主はあなたのことについてこう言われる。『あなたはつるぎで死ぬことはない。あなたは安らかに死ぬ』」(4、5a節)
  エルサレムが必ず滅ぼされ、焼かれていくということが、繰り返し、言われている。その中において、これは驚くべきことである。これは憐れみ以外なにものでもないが、ゼデキヤがへブル人の奴隷を律法に従って、解放した(後では、再び奴隷に戻ってしまうが)と言うことの故であるかもしれない。
“憐れみを信じて、最後まで主に従わせて下さい。アーメン”
 

  <ページのトップへ>

 
2008年11月20日(木) 聖書の箇所:エレミヤ35章1〜19節/ 年間通読:エゼキエル28〜30章
「レカブの子ヨナダブには、わたしの前に立つ人がいつまでも欠けることはない。」(19節)
  ここには、レカブの子孫が250年もの間、その先祖の言いつけに従って酒も飲まず、幕屋生活をしてきたことが言われ、それと対照的に、ユダの人とエルサレムに住む人々の、神の言葉とその預言者の言葉に従わないかたくなさが言われている。それゆえに滅ぼされるのである。
しかし、レカブの子には神に仕えるものが、絶えるることが無いと言われるのである。
“どうか、主の言葉及び主のしもべの言葉に従順であらせて下さい。アーメン”
 

  <ページのトップへ>

 
2008年11月21日(金) 聖書の箇所:エレミヤ36章1〜32節/年間通読:エゼキエル31〜33章
「前の巻物のうちにある言葉を皆それに書きしるしなさい。」(28節)
  エレミヤがバルクに筆記させた神のことばをエホヤキム王は火にくべて焼いてしまった。主が「ユダの家がわたしの下そうとしているすべての災を聞いて、おのおの悪い道を離れて帰ることもあろう」(3節)と言われたことが、全く、その逆になってしまった。それ故、エホヤキム王は自分だけでなく、その子孫とその家来たちまでも罰せられることになった。
しかし、焼かれてしまった主の言葉は失われることなく、また、記されたのである。
“主よ、悔い改めの機会に、悔い改めることができるようにして下さい。アーメン”
 

  <ページのトップへ>

 
2008年11月22日(土) 聖書の箇所:エレミヤ37章1〜21節/ 年間通読:エゼキエル34〜36章
「そこでゼデキヤ王は命を下し、エレミヤを監視の庭に入れさせ、かつ、パンを造る者の町から毎日パン一個を彼に与えさせた。」(21節)
  ゼデキヤ王もその家来たちもエレミヤが語られた神の言葉に従わなかった(3節)が、エレミヤの願いを聞き入れて彼を助けた。このことの故もあって、彼は「つるぎで死ぬことはない」(34:4)と言われたのかもしれない。
彼は御言葉には従わなかったが、主の預言者の命を助けたのである。主はこれらのことを覚えていて下さるお方なのである。神は小さな善きことに目を留めて下さるのであると言って良い。
“どうぞ私たちも、人を見るのに、その人の欠点でなく、長所を見させて下さい。アーメン”
 

  <ページのトップへ>

 
2008年11月23日(主日) 聖書の箇所:エレミヤ38章1〜28節/年間通読:エゼキエル37〜39章
「どうか、わたしがあなたに告げた主の声に聞き従ってください。そうすれば幸いを得、また命が助かります。」(20節)
  エレミヤはあやうく殺される所であったが、ゼデキヤ王に助けられた。彼は、監視の庭に閉じ込められることにより、反って、命が守られたのである。主が、彼に「わたしがあなたと共にいて、あなたを助け、あなたを救うからである」(エレミヤ15:20)と約束した通りである。
“主よ、いつも私たちがあなたに従わせ、あなたのみ手の中に置いて下さい。アーメン”
 

  <ページのトップへ>

 

≪デボーションバックナンバーのご案内≫
<2008年度>
2008年 1月 2008年 2月 2008年 3月
2008年 4月 2008年 5月 2008年 6月
2008年 7月 2008年 8月 2008年 9月
2008年10月        

<2007年度>
2007年 1月 2007年 2月 2007年 3月
2007年 4月 2007年 5月 2007年 6月
2007年 7月 2007年 8月 2007年 9月
2007年10月 2007年11月 2007年11月

<2006年度>
2006年 1月 2006年 2月 2006年 3月
2006年 4月 2006年 5月 2006年 6月
2006年 7月 2006年 8月 2006年 9月
2006年10月 2006年11月 2006年12月

<2005年度>
2005年 1月 2005年 2月 2005年 3月 
2005年 4月 2005年 5月 2005年 6月
2005年 7月 2005年 8月 2005年 9月
2005年10月 2005年11月 2005年12月 

<2004年度>
2004年 1月 2004年 2月 2004年 3月
2004年 4月 2004年 5月 2004年 6月
2004年 7月 2004年 8月 2004年 9月
2004年10月 2004年11月 2004年12月

<2003年度>
2003年 1月 2003年 2月 2003年 3月
2003年 4月 2003年 5月 2003年6月
2003年 7月 2003年 8月 2003年9月
2003年10月 2003年11月 2003年12月

<ページのトップへ>  

 

ホームページへ戻る