デボーションの助け
 ディボーションとは、聖書を通して神様の御言葉に耳を傾け、
祈りを通して神さまとの交わりをもつことです。
 
聖書を読むための助けです。
まず、神さまに「心に語りかけてください」と、お祈りしてください。
聖書をお読みください。
そして、この「デボーションの助け」を読んでください。

2009年3月のデボーション
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3月1日(主日) 聖書の箇所:アモス2章1〜16節/ 年間通読:レビ19〜21章
「ところがあなたがたは・・・預言者に命じて『預言するな』と言う。」(12節後)
  2章では、モアブ、ユダ、イスラエルへの「さばき」の言葉が語られる。ここで、「さばき」の言葉は、選民(ユダ、イルラエル)にも及ぶ。
 預言者や、ナジル人は、神様が起こされた者たちであった(11節)。しかし、イスラエルの人々は、(酒を飲まないという請願を立てている)ナジル人に酒を飲ませ、預言者には「預言するな」と言ったのだ。
 私たちは、このような神の働きを妨げる者であってはならない。
“神様。いつも、あなたを目の前に置いた歩みができますように。
 あなたの御心をあおぎ、それに従って歩めますように。アーメン”
 

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3月2日(月) 聖書の箇所:アモス3章1〜15節/ 年間通読:レビ記25〜26章
「まことに主なる神は そのしもべである預言者にその隠れた事を示さないでは、何事をもなされない」(7節)
  3章から6章までは、北イスラエルへの「さばき」が語られる。 / わざわざ、神様は預言者に、そのなすことを示される。実は、神様が、預言者に「さばき」を示されるということは、民に「悔い改め」の機会を与えているということである。
 そして、神様は、悔い改めた者を必ず赦される。そのチャンスを与えるために、預言者が用いられたのだ。
“神様。私たちも、あなたからの忠告を素直に聞くことができますように。アーメン”
 

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3月3日(火) 聖書の箇所:アモス4章1〜13節/ 年間通読:レビ記 27章
「イスラエルよ、あなたの神に会う備えをせよ。」(12節b後)
  前章と同じく、「さばき」である。 /「帰らなかった」という言葉が目だつ(6、8、9、10、11節)。 (以前にも記したが)ヘブル語の「シューブ」という言葉が「帰る」と訳されているのだが、これは、神に「立ち帰る」、すなわち「悔い改める」ということを意味している。
すなわち、「帰らなかった」とは「悔い改めなかった」ということだ。 しかし、私たちは、主に会うためにどのような備えをすべきだろうか。良き備えをしたいものだ。
“神様。正しい、義なるあなたの前に立つことのできる者にしてください。アーメン”
 

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3月4日(水) 聖書の箇所:アモス5章1〜27節/ 年間通読:ルカ 1章
「善を求めよ、悪を求めるな。そうすればあなたがたは生きることができる」(14節)
  また、前章と同じく「さばき」である。 /  4節、6節で、言われていることは、「神様を求めて、生きよ!」ということである。
神様を求めて、善を求める時、本当に私たちは、生きるものとなる。永遠の命を頂き、本来の使命に生きる者となることができる。
 そのために、今日も、まず何よりも、神様を求めようではないか。
“神様。まず、あなたを求め、あなたの真実、義、善、愛を求める者であらせて下さい。アーメン”
 

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3月5日(木) 聖書の箇所:アモス6章1〜14節/ 年間通読:ルカ 2〜3章
「あなたがたは災いの日を遠ざけ、強暴の座を近づけている。」(3節)
  前章と同じく「さばき」である。 / イスラエルの人々は、「さばき」の日を遠ざけているかのように思っていたが、「さばき」と同じような災いを身に招いていた。
 正しい神様は、悪を審(さば)かず、そのまま放置されてはおられない。義の神は、悪を審かねばならないのだ。しかし、そこにも神様の愛の配慮がある。すぐには、それをせず、神様は、心を変えて、立ち帰るのを待っておられる。
 今日も、主のみ座に近づこう。
“神様。人間の愚かな知恵や、目先の事にとらわれることなく、あなたに従わせて下さい。アーメン”
 

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3月6日(金) 聖書の箇所:アモス7章1〜17節/ 年間通読:ルカ 4〜5章
「ところが主は群れに従っている所からわたしを取り、『行って、わが民イスラエルに預言せよ』と、主はわたしに言われた。」(15節)
  アモスは牧者(羊飼い)であった。しかし、そのような中から、主に預言者として召されたのである。
それにふさわしいと思えるような、環境で育ったのではなかったが、彼は預言者として、召されたのである。それ故、彼は、例え、反対されても、主が語れと言われたように、預言するのである。
“主よ、わたしたちも、あなたから与えられた使命に歩ませて下さい。アーメン”
 

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3月7日(土) 聖書の箇所:アモス8章1〜14節/ 年間通読:ルカ 6〜7章
「主の言葉を聞くことのききんである」(11節)
  イスラエルの終わりが、夏のくだものとの関係で言われる。ケーツ(終わり)をカイツ(夏のくだもの)によって(視覚に訴えることにより)、よりリアルにあらわしている。
その滅びの時には、神の恵みと祝福の神の言葉が語られないと言うききんがやってくるのである。私たちはそのような時に備えておく必要がある。御言葉を心の内にたくわえるのである。
“滅びが迫っていることを悟り、それに耐えられるように、備えさせて下さい。アーメン”
 

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3月8日(主日) 聖書の箇所:アモス9章1〜15節/ 年間通読:ルカ 8章
「しかし、わたしはヤコブの家をことごとくは滅ぼさない」(8節)
  ヤコブの家とはここでは、北イスラエルをさす。その北イスラエルが滅ぼされるが、回復の可能性があるということである。審きのときでも神のあわれみがあるのである。
やがて、「耕すは刈る者に相継ぎ、ぶどうを踏むものは種まくものに相継ぐ」(15)ものとなるのである。すなわち、終末において、豊かな祝福がもたらされるのである。
“主よ、あなたの計り知ることのないあわれみの故に感謝します。アーメン”
 

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3月9日(月) 聖書の箇所:オバデヤ 1〜21節/ 年間通読:ルカ 9章
「あなたはわが民の災いの日に、その門にはいってはならず、その災いの日にその苦しみをながめてはならなかった。またその災いの日に、その財宝に手をかけてはならなかった」(13節)
  エドムは死海南方の国であり、イサクの子エサウの子孫が住んでいたところである首都はセラで標高1000メートルの高台にあり、自然の要塞の町であった。
しかし、難攻不落の町でも、全く滅ぼされてしまう。それは神の民ユダの滅びを喜んだからである。
“人の災いを喜ばないようにして下さい。アーメン”
 

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3月10日(火) 聖書の箇所:ヨナ 1章1〜17節/ 年間通読:ルカ 10〜11章
 「主は大いなる魚を備えて、ヨナのませられた。ヨナは三日三夜その魚の腹の中にいた。」(17節)
  ここのヨナは列下14:25に出て来るヨナと同一人物と思われる。ヤラベアム二世(BC786〜746)の時代に北イスラエルで活躍していたことになる。ヨナはアッスリヤのニネベへの宣教命令を受けたが、それに従わない故、嵐にあい、ヨナの言う通りに、彼を海に投げ込んだ。そこに、神は魚を備えられたのである。
“主よ、あなたの計り知ることのできない助けの手を感謝します。アーメン”
 

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3月11日(水) 聖書の箇所:ヨナ2章1〜10節/ 年間通読:ルカ12〜13章
「わたしは悩みのうちから主に呼ばわると主はわたしに答えられた」(1節)
  これは魚の中でのヨナの祈りである。彼は、自分の不従順の故に、嵐にあい海に投げ込んでもらったのであるが、飲み込まれた魚の腹の中で主に祈ったのである。悔い改めて、真剣に祈ったのである。その時「あなたはわが命を穴(死者の行くところ)から救い上げられた」(6)のである。
私たちも悔い改めるべきものを悔い改めて、神の助けを求めることが大切である。
“主よ、あなたの前に、真の悔い改めをさせて下さり、呼ばわらせて下さい。アーメン”
 

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3月12日(木) 聖書の箇所:ヨナ3章1〜10節/ 年間通読:ルカ14〜15章
「そこでヨナは主の言葉に従い、立って、ニネベに行った」(3節)
  ヨナは自分の考えや思いとは違っていても、主の言葉に従った。そして、四十日を経たらニネベは滅びると預言した。その時、ニネベの人々は断食して悔い改めた(5)。
「神は彼らのなすところ、その悪い道を離れたのを見られ、彼らの上に下そうと言われた災いを思いかえして、これをおやめになった」のである。真の悔い改めの大切さがここにある。
“主よ、あなたのみ言葉に従順であり、人々を悔い改めに導かせて下さい。アーメン”
 

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3月13日(金) 聖書の箇所:ヨナ4章1〜21節/ 年間通読:ルカ16〜18章
「主は言われた『あなたの怒るのは、よいことであろうか。』」(4節)
  ヨナは、ニネベの人々が滅ぼされないのを見て、怒った。神様が、ニネベの人々への、災いを思い返されたのが、気に入らなかったのだ。彼は「生きるより、死ぬほうがましだ」(3節)と言っている。何とおおげさなことか。
 しかし、私たちも、思いどおりに事がすすまない時、自分のことを棚に上げ、他人をさばいたり、嘆いたり、神様に文句を言ったり、することがあるのではないか。「とうごま」が枯れたのは、神の愛を示すためであった。
“愛なる神様。全てがあなたの御手の中にあることを認め、感謝できますよう。アーメン”
 

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3月14日(土) 聖書の箇所:ミカ1章1〜16節/ 年間通読:ルカ19〜20章
「山は彼の下に溶け、谷は裂け、火の前のろうのごとく、坂に流れる水のようだ。」(4節)
  今日からミカ書だ。ミカ書を大まかに区分すると 1-3章が「さばき」、4,5章が「回復」、6,7章が「悔い改め」となる。
普通は、「さばき」→「悔い改め」→「回復」となるのだが、ミカの視点は、赦しがあるから「悔い改め」ができるということなのであろう。
 ミカ書では、神様の「公義」(義しさ)が強調され、さばきも言われるが、その中にも救いがあるのだ。 
“義なる神様。ただしさの中でも、私たちをあわれんで下さい。アーメン”
 

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3月15日(主日) 聖書の箇所:ミカ2章1〜13節/ 年間通読:ルカ21〜22章
「わが言葉は正しく歩む者に、益とならないのであろうか」(7節d)
  神様のさばきは、私たちが「悔い改める」ためのチャンスでもある。神様に立ち帰り、心を新たにして、正しく歩み始めるように、招いていてくださるのである。
 神様のもとに戻るようにと、敢えて、私たちに「痛い思い」をさせられることがある。そのような時、私たちはどのように、振舞うであろうか。
もし、さばきの言葉によって、心を変えて神様に向かうならば、まさしく、その言葉は、わたしたちにとって「益」である。
“神様。あなたのみ声に、その言葉に、耳を傾ける者であらせてください。アーメン”
 

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3月16日(月) 聖書の箇所:ミカ 3章1〜12節/ 年間通読:ルカ23〜24章
「公義はあなたがたの知っておるべきことではないか。」(1節後)
  1章から、この3章にかけて、イスラエルの人々の、弱い者をしえたげ、不正を行い、神様の言葉に耳を傾けない姿が、描かれてきた。本来ならば、イスラエルの人々は、神様の栄光を表し、まさしく「神の民」として存在すべきものであった。
けれども、彼らは「公義」を知らなかった。いや、知ってはいたが、行っていなかったのだ。それゆえ、神様は彼らに応えられなかった(4,7節)。神様を信じる私たちはどうあるべきであろうか。
“神様。私たちも、ミカのように御霊によって(8節)立ち上がることができますよう。アーメン”
 

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3月17日(火) 聖書の箇所:ミカ4章1〜15節/ 年間通読:民数記1〜3章
「われわれは、われわれの神、主の名によって、とこしえに歩む。」(5節後)
  神様による回復が言われる。 イスラエルの周りには、多くの敵がいた。しかも、イスラエルが滅びることを願い、あざ笑っていた(11節)。
しかし、主なる神様が、敵の計画を愚かなものとして、イスラエルを守り、敵に打ち勝つ力を与える(12・13節)という、約束をしているのである。また、そこに、まことの平和が訪れるのだ(3・4節)。
 時には、神様が私たちを見放したのかと思うような事もあるかもしれない(10節)。しかし、そこにも、神様は働いていて下さるのだ。
“神様。あなたに信頼して、歩ませて下さい。アーメン”
 

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3月18日(水) 聖書の箇所:ミカ 5章1〜15節/ 年間通読:民数記 4〜6章
「しかしベツレヘム エフラタよ、あなたはユダの氏族のうちで小さい者だが、イスラエルを治める者があなたのうちからわたしのために出る。」(1節)
  これは、クリスマスによく読まれるメシア預言である。 聖書で、弱い羊によく喩えられるイスラエルのために、本当の牧者が、立てられるのだ。そして、本当の平和は、このメシアによってもたらされる。
 このメシアこそが、イエス様である。嵐のような生活の中にも、イエス様がまことの平和・平安を与えてくださるということを忘れたくないものだ。
“神様。イエス様を送って下さり感謝します。
  神様と等しい方・イエス様の力を信じて歩ませて下さい。アーメン”
 

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3月19日(木) 聖書の箇所:ミカ 6章1〜16節/ 年間通読:民数記 7章
「主のあなたに求められることは、ただ公義をおこない、いつくしみを愛し、へりくだってあなたの神と共に歩むことではないか。」(8節b)
  神様が求めておられるのだから…。
公義(公平さをもって物を見、正しいこと)を行おうではないか。他人をいつくしもう(喜ばせ、愛そう)ではないか。そして、何よりも、神様の前にへりくだろうではないか。そして、聖霊の助けを頂いて、神様と共に歩み始める時、できないはずの私たちが、できるようになっていくのである。
神様には、その力がある。
“神様。へりくだって、あなたのみ前に出ます。今日も、共に歩ませて下さい。アーメン”
 

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3月20日(金) 聖書の箇所:ミカ 7章1〜20節/ 年間通読:民数記8〜10章
「しかし、わたしは主を仰ぎ見、わが救いの神を待つ、わが神はわたしの願いを聞かれる。」(5節)
  民もつかさも裁判官も罪に陥り、家族のものまでも信用できなくなり、敵となってしまう(6)。しかし、ミカは「神を仰ぎ見、救いの神を待つ」と言うのである。また「たといわたしが倒れるとも起きあがる。
たといわたしが暗やみの中にすわるとも、主はわが光となられる」(8)と神への信頼を語っている。同時に、民の代表者として、その罪を負わねばならないとも語っている。
“どのような中でも、あなたに信頼をおかせて下さい。アーメン”
 

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3月21日(土) 聖書の箇所:ナホム書 1章1〜15節/ 年間通読:民数記11〜13章
「主はねたみ、かつあだを報いる神、主はあだを報いる者、また憤る者、主はおのがあだに報復し、おのが敵に対して憤りをいだく」(2節)
  ナホム書はBC612年に、バビロンとメディアの連合軍によってニネベが陥落させられる預言である。BC671年のテーベ陥落の後、預言したものである(3:8)。
赦す神を私たちは知っているが、ここでは復讐する神が言われている。「復讐はわたしのすることである。わたし自身が報復する」(ローマ12:19、申命記32:35)とある通りである。
“主よ、あなたが復讐するお方でもある事から、謙り、あなたに委ねさせて下さい。アーメン”
 

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3月22日(主日) 聖書の箇所:ナホム書2章1〜13節/ 年間通読:民数記14〜15章
「消えうせ、むなしくなり、荒れはてた」(10節)
  ニネベに対する襲撃の様子が克明に描かれている。「いなづまのように飛びかけり」(4)、跡形もないまでに、滅ぼされてしまうのである。しかし、同じく滅ぼされるイスラエルは回復されるのである(3)。
ところで、神の民もそうでないものも罪を犯すなら、滅びるが、大きな違いは、神の民は、再び、回復することである。なんと言う恵みだろうか。ここに、契約に対して真実な、神の姿がある。
“主よ、あなたが神の民に敵対するものを滅ぼすことを悟り、神を愛するものとして下さい。アーメン”
 

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3月23日(月) 聖書の箇所:ナホム書 3章1〜19節/ 年間通読:民数記16〜17章
「あなたの破れは、いえることがなく、あなたの傷は重い」(19節)
  ニネベは血を流し、偽りをなし、ぶんどりや略奪をした町であった(1)。また、アッスリリヤは偶像を拝み、同盟国の軍隊をも裏切ってきた(4)。それ故、万軍の主の審きがなされるのである。多くのものが殺され、辱められ、エジプトのテーベのようにされ、子どもまでも砕かれ(10)、城の貫の木は焼かれ(13)、徹底して滅ぼされ、その破れは、癒える事がないのである。
ここに、神の民でない者、神に従わない者に対する審きがある。
“主よ、私たちが捨てられて、神の民でない者にならないようにして下さい。アーメン”
 

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3月24日(火) 聖書の箇所:ハバクク書1章1〜17節/ 年間通読:民数記18〜20章
「わが神、主、わが聖者よ。あなたは永遠からいますかたではありませんか」(12節)
  ハバククはエレミヤと同時代の預言者で、バビロンがメディアと連合して、ニネベを陥落させたBC612年頃預言した。
普通、預言者は神に代わって語るのであるが、ハバククは民に代わって、神に語った預言者である。バビロンが起こり、周りの国々を、滅ぼしていくのを見て、「聖なる神が、不真実なものに目を留め、悪しき者が自分よりも正しい者を飲み食らうのを黙っていられるのですか」(13)と問うている。
“主よ、神が神らしくないと思えるときがございますが、そのときでも、信じさせてください。アーメン”
 

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3月25日(水) 聖書の箇所:ハバクク書2章1〜20節/ 年間通読:民数記21〜22章
「見よ、その魂の正しくない者は衰える。しかし、義人はその信仰によって生きる」(4節) 
  ハバククは神に問うた問いに対する答えを見張所に立ち物見やぐらに身を置いて、待った。すると、神は、神自分の語ったことが必ず実現することを言われ、また、義人は神の真実に信頼することによって、生きることをも語られる。
このように、どのような中でも、神に信頼することが大切なのである。
“主よ、あなたが私達の疑問に、必ず、的確に、お答えくださることを感謝します。アーメン”
 

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3月26日(木) 聖書の箇所ハバクク書 3章1〜19節:/ 年間通読:民数記23〜25章
「しかし、わたしは主によって楽しみ、わが救いの神によって喜ぶ」(18節)
  ハバククは、神がバビロンを用いて、周りの国々を滅ぼし、エルサレムまでも滅ぼそうとしていることを聞く。神が、海も大水の逆巻く所(15)をも、踏みつけるほどの徹底さをもって、審かれたのである。
しかし、そのバビロンの民も滅ぼされるのである。ところが、戦争の故に、徹底して、滅ぼされ、何の収穫もないときにも、ハバククは主を楽しみ、喜ぶのである。ここに、神に目を向けた者の素晴らしさがある。
“主よ、どんな時でも、主に目を向け、主を楽しみ、喜ぶ者とさせて下さい。アーメン”
 

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3月27日(金) 聖書の箇所:ゼパニヤ書1章1〜18節/ 年間通読:民数記26〜28章
「わたしは人も獣も一掃し、空の鳥、海の魚をも一掃する。」(3節)
  今日からゼパニア書である。ゼパニアは、ヨシア王(BC640-609年、エレミヤと重なる)の時代に活躍したと言われる。また、1節にあるように、(ヒゼキア)王家出身の預言者とも言われている。
 さて、1章は、ユダの滅亡の預言である。神様が「悪」を「一掃」しようと言われる。しかし、その「さばき」は、人間だけでなく、獣、鳥、魚にまで及ぶ。「悪」と「罪」に対する報いは悲惨であり、その代償は大きい。
 罪は一人の問題では留まらないのを覚えたい。
“神様。私があなたに背くことがなく、悲しませることのないようお守り下さい。アーメン”
 

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3月28日(土) 聖書の箇所:ゼパニヤ書2章1〜15節/ 年間通読:民数記29〜31章
「すべて主の命令を行うこの地のへりくだる者よ、主を求めよ。」(3節)
  2章では、神様の「さばき」が、周りの国にまで及ぶことが預言される。
 「さばき」の言葉が語られる中で、それが臨む前に、いや、それが臨まないように、神様の前に「へりくだる」ことが言われている。
 3節の「主を求める」とは、神様の前に「へりくだること」、神様に対する私たちの「謙遜さ」・「柔和さ」のこと、その態度を言っている。 実際のところ、本当に、神様を知っている人は、神様の前に「へりくだる」ことをも知っているはずだ。
“神様。私もあなたの前に、謙遜な、柔和な者であらせて下さい。アーメン”
 

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3月29日(主日) 聖書の箇所:ゼパニヤ書3章1〜20節/ 年間通読:民数記32〜34章
「わたしはあなたから悩みを取り去る」(18節a)
  3章の8節からは、「回復」の預言がなされる。もう一度、「神の民」(神様に仕え、その名を負う民)が、起こされるのだ。そのために、神様の前に「高ぶる」者は、退けられ、「へりくだる」者が、残される…。
 そして、この「回復の時」に、神様はすべての「悩み」を取り去るとの約束をしている。 それなら、この「悩みを解決できる方」に、「悩み」を解決して頂こうではないか。「回復」は、十字架と復活からすでに始まっているのだから。
“神様。私の悩みを、十字架のもとに持っていきます。そこから解放して下さい。アーメン”
 

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